第6話 「切り抜きの刃に、先に文脈を刺す」
安全待機所の扉は、相変わらず音もなく閉まっていた。
扉が閉まっているのに、外の足音と会話だけはすぐ近くに聞こえる。壁が薄いんじゃない。ここは「閉じ込めても外の空気だけ聞こえる」ように作ってある。――隔離施設の作りだ。
ガラス越しの小部屋で、配信ディレクターのシェリナが小さくうなずいた。
その直後、壁の運営端末の画面が一瞬だけ切り替わる。
【運営モード:点検】
【字幕生成:一時切替】
【アクセス権:仮付与(30秒)】
ミルタの指が止まった。
監査官ユールの眉が、ほんのわずかに動く。
――今の反応で確信した。
この二人は、端末が「見られる状態」になるのを嫌がっている。
俺は息だけで笑った。
明るく見せるのは癖じゃない。“揉めてる空気”を出すと規約で殴られるからだ。
「みんな、今。動けるうちに動く。透真、隊長の顔のまま笑って」
「わかってる。……こういう時こそ、笑顔だな」
透真が配信者の笑顔を貼る。
それだけで、周囲から見れば**『手続き中の確認作業』**に見える。殴りにくくなる。
レンは扉の継ぎ目を確認し、ナツメは盾を少しずらして通路を塞げる位置に立つ。ミナトは魔術の光量を落として、こちらの影を濃くした。
こはるは保温瓶を抱え直し――俺を見た。
「……伊織さん、行けます」
「行く。今の三十秒が、俺らの“隙”だ」
扉が、今度はわざとらしく音を立てて開いた。
普通の施設なら安心する音。だがここでは逆だ。『今から普通の施設として扱え』という演出にしか聞こえない。
外へ出た瞬間、通路の奥から聞こえた声は、助けを求める声じゃなかった。
軽い。事務的。手際が良い。――人の命より“編集点”を優先する声。
「……はいはい、ここ切れる。ここで“危険行動”ってテロップ入れて――」
迷宮の中で? この現場で?
俺は足を止めた。止まりたくない。でも、止まって確認しないと、切り抜きに勝てない。
胸元カメラのUIが勝手に拡大する。
【DUNGEON LIVE/Rivue】
【順位:27位(維持ライン:30位)】
【閉門まで:15時間41分】
【BAN:15%】
【規約通知:安全行動を推奨します】
「推奨って言いながらBAN上げるなよ」
肩の上のミニルナが淡く光る。
【周辺音声:編集者の発話パターン一致】
【刺客反応:中(近距離)】
【注意:切り抜き導線=炎上テンプレ起動条件】
「三城さん、あの声……ミルタの可能性が上がりました」
「名前は?」
「出てません。今ここで名前を出すと、“名指し攻撃”扱いで燃やされます」
「賢い。お前、賢い」
「今さら褒めてもBANは下がりませんよぉ」
レンが指を立てて合図した。しゃがめ、のサイン。
俺たちは壁に体を寄せ、角の向こうを覗き込む。
そこにあったのは――人間より先に、撮影機材だった。
三脚。小型カメラ。手元の編集端末。リングライト。
迷宮の通路に不釣り合いな**“撮影ブース”**が、堂々と置かれている。
その横で、フードを被った小柄な人物が端末を指で滑らせていた。
カメラはこっちを向いていない。なのに、俺たちの配信に“割り込めている”。
「……うわ。現場で切り抜き作ってる」
ミナトが息だけで言った。
「手が早すぎ。怖」
「怖いのは“早い”ことじゃない」
俺は低く言う。
「事故が起きる前に、事故みたいな映像が完成する。それが一番やばい」
ナツメが顔を歪める。
「なにそれ。未来を捏造してんのかよ」
「未来じゃない。順番を作ってるんだ」
俺は奥歯を噛んだ。
「視聴者が『そう見える』順番を先に置く。現場がどれだけ正しくても、その順番に押し込まれたら負ける」
こはるが小さく息を吸った。
怖いじゃない。怒りだ。
「……また、私たちの“正しいところ”が切られる」
その一言が刺さった。
正しい部分は炎上の邪魔になる。だから、最初に切られる。
ミニルナのHUDが短く点滅する。
【対策:文脈の先出し】
【効果:切り抜き耐性↑】
【推奨:配信上で“意図”を先に宣言】
「文脈の先出し……今から?」
「はい。今からです。今ここで、です」
レンが小さく首を振った。
「正面から行くと、映ります。燃えます」
「分かってる」
俺は息を吐いた。
燃えるのは避けられない。でも、燃え方は選べる。
俺は隊長にだけ届く声で言った。
「透真。今から配信で宣言する。切り抜きが作れない材料を先に置く」
「……つまり、先に答え合わせを出すってことか」
「そう。“危険行動”ってテロップを出されても、理由が残ってれば崩せる」
ミナトが小声で言う。
「伊織さん、喋るとBAN上がりません?」
「上がる」
俺は即答した。
「でも、“黙って燃やされる”より、“喋って守る”ほうがマシ」
こはるが俺を見た。迷いがない。
「……私も、言います」
「言うのは今じゃない」
俺は首を振る。
「今は俺と透真が言う。こはるの言葉は、残るタイミングで使う。雑に燃やさせない」
こはるは小さく頷いた。
その丁寧さが、この世界で一番強い。
俺は胸元カメラに向かって、情報だけを置く声を作った。
煽らない。怒鳴らない。視聴者が判断できる材料だけ出す。
「――Rivue、現在27位。閉門まで15時間41分。BAN15%。
今から宣言する。俺たちは“安全待機所”を使わない。理由は二つ」
UIが嫌な色で反応する。
【規約ワード反応:安全】
【BAN増分:+0.6%】
【BAN:15% → 15.6%】
「増えるの早っ……」
でも止めない。
「一つ。案内表示のフォントが運営の標準と違う。外部挿入の疑い。
二つ。床に引きずり跡がある。隔離設備を運び込んだ痕の可能性が高い。
だから救助優先で別ルートに行く」
透真が即座に続けた。
隊長の言葉は、画面上で“公式”になりやすい。そこを利用する。
「補足。今の判断は、回復役・春日こはるの提案も含む。
焦って案内に乗ると危険だ。――俺たちは生きて帰る。以上」
コメント欄がざわっと動く。
【COMMENT】
・「フォント違い分かるの草」
・「床の跡はガチ」
・「安全待機所って怪しいよな」
・「隊長しっかりしてる」
・「回復役って誰?」
・「Supportの人?」
・「ヒーラーちゃん有能」
――“回復役って誰?”
胃の奥が冷たくなる。画面は、こはるの名前を出さない。役割だけ残して、人を消す。
ミニルナが即座に拾った。
【薄化:役割タグ固定(継続)】
【視聴者認識:曖昧】
【対策:名前が残る導線が必要】
「……名前を残す導線、か」
角の向こうで、フードの人物が顔を上げた。
こっちを見ていないのに、空気だけが冷える。“見られてる”じゃなく“操作される”感覚だ。
「……来る」
レンが囁いた。
フードの人物が端末をスワイプする。
次の瞬間、俺の配信画面にテロップが乗った。
【危険行動】
【運営推奨ルートを無視】
【炎上注意】
「おいおいおい、現場でテロップ乗せるな!」
ナツメが叫びかけて、俺が肩を押さえた。
「叫ぶな。叫ぶとその一秒だけ切られて“発狂”にされる」
「じゃあどうすんだよ!」
「文脈で殴る」
俺は短く返す。
「さっき置いた文脈で、殴り返す」
ミナトが歯を見せて笑った。
「伊織さん、別録り回します。
“テロップが乗ってない音声”を残せば、編集の嘘がバレます」
「最高。バックアップは正義だ」
ミニルナが淡く光る。
【裏ログ保存:ON】
【別録り音声:取得】
【証拠:追加】
――証拠が一つ増えた。
今日の前進は、もう確定だ。
レンが手を振って動線を示す。
撮影ブースの反対側に、細い抜け道がある。
「行ける。こっち」
「よし、行くぞ」
透真が前に出る。
隊長が前に出るのは危険でもあるが、今は違う。“隊長の判断”として記録されると、規約は殴りづらい。
走り出した瞬間、コメント欄がまた動く。
【COMMENT】
・「運営テロップ急で草」
・「現場で編集してんの?」
・「逆に怪しいだろそれ」
・「回復役の人、名前出ないのなんで?」
・「Supportって誰だよ」
・「ヒーラー守れ」
最後の一行が、目に焼き付いた。
守れ。
名前すら知らないのに、守れと言う。
それはつまり、画面の外側に“味方”が生まれ始めたってことだ。
ミニルナのHUDが少しだけ明るい色になる。
【相互肯定ログ:微増】
【外部証人:コメント欄(予兆)】
【効果:薄化耐性↑】
「……よし」
こはるが走りながら、小さく言った。
「今の、怖かったけど……ちょっと、嬉しいです」
「嬉しがるの早い」
「でも……“守れ”って、言われました」
声が揺れていない。
こはるは薄くされることに慣れている。だが慣れは、諦めじゃない。取り返すための踏ん張りだ。
抜け道の先は狭い石段だった。湿った空気。遠くの水音。
迷宮の本来の不親切が戻ってくる。
――こっちのほうが信用できる。最悪。
だがUIは容赦がない。
【規約警告:危険区域侵入】
【BAN増分:+1.8%】
【BAN:15.6% → 17.4%】
「増えすぎだろ……」
「増やしてるんですよ」
ミニルナがさらっと言う。
「“安全待機所に戻せ”って圧です」
「安全って言いながら危険にするの、性格終わってるな」
「テンプレはだいたい性格が悪いです」
石段を下り切った先で、レンが急停止して指を口に当てた。
音がする。金属が擦れる音。
それと――小さな咳。
胸の奥が冷える。
助けを呼ぶ声じゃない。だが確実に、誰かがいる。
こはるが、俺の背中越しに囁いた。
「……誰か、閉じ込められてる」
ミニルナのHUDが短く、鋭く点滅する。
【隔離構造:近距離】
【安全待機所:別ルート合流】
【注意:扉ロック=BAN導線】
【刺客反応:強】
――なるほど。
入口を避けても、檻は別ルートで追いかけてくる。
でも、俺たちはもう持っている。
裏ログ。別録り音声。コメント欄の味方。
切り抜きの刃に、“握らせたくない柄”を渡した。
次は、その刃を折る番だ。
「行くぞ」
俺は低く言った。
「ここから先は、“救助”が一番燃えにくい。
燃やすなら――運営が“助けるな”って言った時だ」
「……なにその理屈」
ナツメが言う。
「現場の理屈だ」
透真が一度だけ頷いた。
「――Rivue、救助に入る。配信は切るな。
切った側が怪しく見えるように、今から動く」
その一言で、画面の空気が少し変わった。
俺たちは暗い先へ踏み込む。
そこにはきっと、“安全待機所”の本体がある。
檻の形をした、優しさの顔をした――最悪が。




