第5話 安全待機所は、檻の入口
迷宮都市カルディアの朝は、だいたい派手だ。
空に巨大スクリーンが浮かび、昨夜の「ダンジョン・ライブ」の切り抜きが勝手に流れている。
【神代透真、神回避!】
【Rivue快進撃! 現在順位:18位】
……神回避。
いや、回避したのは透真だけじゃない。あの一瞬、こはるの「撤退の合図」がなければ全員が詰んでた。
なのに、画面に出るのは隊長の名前だけ。
俺は朝の雑踏に紛れたまま、胸元の小型カメラを軽く叩いた。――映りの確認、じゃない。頭の切り替えだ。
「……伊織さん、今日も映り大丈夫?」
声をかけてきたのは、斥候の雨宮レン。
この世界での俺の名は「伊織」。本名を出すと、運営に“別の物語”を貼られて面倒が増える。だから徹底して隠す。
「大丈夫。俺の顔より、コメント欄の治安が心配だな」
「治安って言い方する配信者、初めて見た」
レンが笑う。
笑えるってだけで、まだ“普通の会話”が残ってる。つまり、完全に削られてはいない。
その背後で、黒原ナツメが腕を組んで唸っていた。盾役らしく、朝から重い。
「……昨日のアレ、納得いかねぇ」
「MVPのこと?」
俺が聞くと、ナツメはうなずき、視線をこはるへ向けた。
春日こはるはいつも通りのエプロン姿で、回復スープの保温瓶を両手で抱えている。迷宮の中で、あの瓶ひとつが隊の呼吸を戻す。
「助かったの、透真だけじゃねぇ。……こはるだろ」
「うん」
同意した瞬間、肩の上で“気配”が動いた。
視界の端に淡い表示が浮かぶ。ミニルナ――ルナが潜入時に取るマスコット姿が、HUDを上げた合図だ。
【BAN:12%】
【閉門まで:17時間38分】
【現在順位:18位(維持ライン:30位/到達ライン:10位)】
【名前の紐づけ:こはる→「Support」扱い(固定化)】
……BAN。ここでのBANは「失格判定」だ。配信とランキングから名前が消え、参加権も発言ログも凍結される。死なない代わりに、社会的に消される。
……閉門。ゲートが閉じたら撤退も補給も難しくなる。逃げ道が狭くなる。
「……来てるな」
「はい。三城さん、画面が“功績の主語”を隊長に寄せてます。今日も元気に最悪です」
「元気に言うな」
口ではツッコむが、内側は冷えた。
悪意のある改ざんより厄介なのは、“善意っぽい表示”で人を薄くする仕組みだ。現場に悪者がいないぶん、止めにくい。
そこへ、隊長の神代透真が現れた。
朝の光がやたら似合う。転生者らしい“勝ち方を知ってる立ち姿”。
「おはよう。――今日も行くぞ、Rivue」
透真の声に、碧井ミナトが「おう」と短く返し、こはるが控えめにうなずいた。
「……はい。スープ、追加作りました」
「助かる。こはるがいると、迷宮が“家”になる」
透真は普通に言った。
普通に感謝している。だから余計に――俺は確かめたくなる。
「透真。昨日の切り抜き、見た?」
「見た。伸びてたな。……ありがとな」
「“誰に”?」
俺が軽く針を刺すと、透真は一瞬きょとんとして、次に困った顔をした。
「……え、チームに?」
曖昧だ。
こはるを見た“はず”なのに、言葉がそこへ届かない。届かせない力が、画面側にある。
ミニルナのHUDが小さくノイズった。
【字幕生成:主語が抜ける(こはる関連のみ)】
【切り抜き:前後文脈が削られやすい(誤解が増える)】
「字幕……?」
俺が小声で呟くと、ミニルナがうなずいた。
「はい。音声は正常。でも字幕が“こはるさんの主語”だけ落としてます。『回復担当』とか『Support』に置き換わって、名前が残りません」
――字幕だけが犯人。
最悪なのに、殴り所ははっきりしてる。なら、裏の履歴を抜けばいい。
◇
迷宮の入口は、いつも通りに賑やかだった。
挑戦者の列、スポンサーの旗、ギルドの案内。そこに、やけに整った笑顔が混じる。
「おはようございます。監査官のユール=グレイです」
紺のコート、白い手袋。清潔な声。
“公平”が服を着て歩いてきたみたいな男だ。
ユールは透真へ、そして俺へ視線を移す。
「Rivueの皆さま。昨日の配信において、規約に関する“注意”が出ています」
「注意?」
透真が眉を上げる。
ユールは端末を一度だけ掲げた。数字は刃物より速い。
【規約警告:コミュニティ扇動 疑い】
【BAN:12%→17%(予告)】
「扇動って何だよ」
ナツメが噛みつく。
ユールは微笑んだまま言う。
「視聴者コメントの誘導です。“特定人物への過度な称賛”は炎上の火種になりますので」
言い方は綺麗だ。
でもその“特定人物”が誰か、ユールは口にしない。言わないことで、最初から存在を薄くできる。
こはるは口を開きかけて、やめた。
“言っても画面に残らない”経験が、止まり方に出る。
俺は一歩前に出た。運用支援の顔で。
「監査官。確認いいですか」
「どうぞ。運用支援の方」
「“扇動”判定の根拠ログ、開示できます? 公平のために」
ユールの目が細くなる。
この男はルールを盾にする。でも同時に、ルールで詰められるのを嫌う。
「開示は、運営判断です」
「なら運営に行きましょう。配信ディレクターのシェリナさんがいるはずだ」
名前を出す。担当を出す。
“運営判断”を“誰の判断か”に落とせば、逃げ道は細くなる。
ユールは一拍置いてから、笑った。
「……よろしい。では、迷宮内の安全待機所で。そこなら運営端末にアクセスできます」
安全待機所。
表向きは休憩所――だが、設計では“隔離”に変わる場所。
ミニルナのHUDが赤く点滅した。
【誘導:安全待機所】
【タグ:閉鎖区画の可能性】
【刺客B反応:微弱(運営補助員ミルタ付近)】
「……罠か」
「はい。行くなら“入ってから出る”までセットです」
「当たり前だろ」
俺は笑って言った。
笑わないと空気が暗くなる。暗い空気は、刺客の餌だ。
◇
迷宮の第一層。
石畳、苔、湿った風。いつもの迷宮――のはずなのに、今日はやけに“画面”がうるさい。
【MVP:神代透真】
【Support:— — —】
【コメント:隊長しか勝たん!】
【コメント:補助は黙って回復してw】
……補助は黙って回復。
軽い言葉ほど刺さるし、残る。
こはるは一瞬だけ目を伏せ、次にいつもの速度でスープを配った。
「……温かいので、飲んでください」
ナツメが受け取って、すぐ言う。
「うまい。……てか、落ち着く」
透真も一口飲んで、頷いた。
「これ、配信に乗せたいな。スポンサー受けする」
その瞬間、画面UIが勝手に主語を寄せた。
【隊長の采配:回復補助 成功】
「は?」
喉の奥が冷える。
“回復補助”はいい。問題は主語だ。こはるの仕事が、隊長の采配に書き換えられていく。
ミナトが小声で言った。
「……字幕、変じゃない?」
この世界の魔術師は“演出”に敏感だ。気づくやつはいる。味方は増やせる。
「ミナト、今の違和感、もう一回言って」
「言ってないことが、字幕に出てる。しかも、隊長の手柄っぽく」
「それで十分」
俺は即座に拾う。
「レン。今の画面、録画してる?」
「してる。……え、伊織さん、なんか踏んだ?」
「踏んでない。踏まれてる」
ミニルナが頷いた。
【検証ログ:開始】
【対象:字幕生成/MVP算定】
【必要:運営端末の生成履歴】
よし。やることは決まった。
画面が嘘をつくなら、画面の裏を引きずり出す。
◇
やがて、看板が見えた。
【安全待機所:この先】
【規約:安全区画内での争い禁止】
文字が親切で、冷たい。
中に入ると石室は広く、清潔で……扉だけが分厚い。閉じたら戻れない作りをしてる。
壁に埋め込まれた端末が光っている。運営アクセス用。
――に見せかけた、隔離のスイッチみたいな存在感。
そこに、いた。
「いらっしゃいませ〜。補給、手伝いますね〜」
運営補助員のミルタ。明るい声。軽い手つき。
笑顔に混じってるのは、切り抜きと炎上の匂いだ。
「透真さん、こっちで端末確認しましょ。BANの件、早めに“安全対応”しないと」
“安全対応”。便利な言葉だ。安全と言えば、檻も正当化できる。
ユールも入ってきた。
扉が、音もなく閉まる。
……閉まる音がしないのが一番嫌だ。
世界が“なかったこと”にする時って、いつも静かだから。
ミニルナのHUDが低く鳴った。
【閉鎖:検出】
【安全待機所:出入口ロック】
【BAN:17%(強制更新)】
「……来たな」
「はい。三城さん、ここは“安全”じゃなく“隔離”です」
こはるが息を吸う。
怖い。でも崩れない。崩れない人ほど、こういう檻に狙われる。
ユールが柔らかく言った。
「皆さま、落ち着いて。これは手続きです。
隊長の発言ログと、字幕生成ログの一致を確認します」
……一致を確認。
一致しないとどうなるかは言わない。言わないことで、空気だけで脅す。
ミルタが端末を操作しながら、さらっと言う。
「字幕って便利ですよね〜。配信って誤解されると終わるから。
だから“伝わる形”に整えないと〜」
整える。つまり編集する。主語を消す。功績を吸う。
透真が一歩前へ出た。
「俺のログなら見せる。だが、メンバーを巻き込むな」
いい。敵じゃない。
透真は守ろうとしてる。だからこそ利用される。そこが刺客の狙い目だ。
俺はそこで、わざと軽く言った。
「手続き、いいですよ。公平なら“透明化”もセットですよね」
ユールが微笑む。
「もちろん」
「じゃあ、字幕生成履歴と、MVP算定の裏ログも。見せてください」
ミルタの指が一瞬止まった。
止まった瞬間――レンが小さく息を呑み、ナツメの眉が動き、ミナトの視線が鋭くなる。
周りの反応は、全部ログになる。
“止まった”は、刺さる。
ミニルナのHUDが静かに光った。
【証言ログ:準備】
【証人候補:雨宮レン/黒原ナツメ/碧井ミナト】
【決定的証拠:生成履歴(運営端末から取得)】
ユールは一拍置き、穏やかな声で言った。
「……皆さまに、そこまでの閲覧権限は――」
「じゃあ運営責任者を呼んでください。シェリナさん。今ここにいますよね」
俺は端末の奥――ガラス越しの小部屋を見た。
そこに配信ディレクターのシェリナがいる。顔色は悪い。板挟みの顔だ。
シェリナと目が合う。
一瞬だけ、彼女の目が「助けて」と言った。
……よし。味方にできる。
俺は笑った。明るく、軽く、でも引かない笑い。
「大丈夫。俺たち、揉めに来たんじゃない。
“誤解されない形”を作りに来ただけです」
ミルタが、にこっと笑う。笑顔が薄い。
「誤解、ね〜。配信って怖いですよね〜」
「怖いのは配信じゃない。編集のほうだ」
言い切った瞬間、空気が固まった。
固まった分だけ、ログが厚くなる。ここは勝負の場所だ。
ミニルナが小さく頷く。
【小さな前進:1】
【味方化候補:シェリナ(接続)】
【次の一手:生成履歴を“消せない形”で確保】
――証拠一枚。味方一人。
まだ小さい。でも確実に前へ進んだ。
扉は閉まっている。檻は完成しかけている。
でも、完成する前に“運営の中”から割れる。
俺は、シェリナにだけ届くように低く言った。
「……シェリナさん。あなたが“見た”ログは、消せない形にできます。手を貸して」
彼女の指が震えた。
そして――ほんの少しだけ、うなずいた。
安全待機所は檻だ。
だからこそ、ここで割る。黒い栞の前に、先にひびを入れる。




