第2話 伏せ字の回復、付け替えられる功績
石畳の街はやけに派手だった。空に浮かぶ広告塔が、虹色の文字を吐き続けている。
《炎上迷宮LIVE》
この四文字で、この世界の稼ぎ方は説明できる。
迷宮攻略をリアルタイム配信。視聴者の投票とコメントで順位が動く。見た目はゲームっぽいのに、罰だけは現実より重い。
BANされると、配信から名前が消える。順位も消える。次の参加権も消える。発言ログも凍結される。
――生きていても、社会的に存在しない扱いになる。
俺はフードを深くかぶった。
現地での呼び名は「伊織」。本当の名前は三城晶也だが、ここでは通じない。呼び名が変わるだけで、体の緊張まで変わる。
「三城さん、現地のUI、えぐいです。空中にコメント飛ぶの、目に優しくないです」
肩の上でミニルナが身震いした。白いマスコットみたいな姿。ストーリー課のルナが潜入するとこうなる。
「見なきゃいいのに、勝手に視界に入るのが最悪だな」
「コメント欄は、避けても刺さるタイプですからね」
笑えない。俺は広告塔の下を抜け、迷宮ゲートへ向かった。
巨大な門。上部にはカメラがずらり。腕章を付けた運営スタッフが、配信者たちを流れ作業で仕分けしている。
門の横にはランキングボード。上位は金、中位は銀、下位は灰色。圏外は、名前すら表示されない。
ミニルナのHUDが視界の端に出た。
【現在順位:31位(危険圏)】
【目標:8位以内(発言ログ保護)】
【閉門まで:17時間42分】
【安全待機所“収容”まで:8時間51分】
「……時間の表示が、普通に心臓に悪い」
「悪くするための表示です」
正直すぎる。
ゲート前に、人だかりができていた。中心に立つのは盾と槍を背負った少年――神代透真。
迷宮配信者にしては煽りが薄い。目が“数字”じゃなく“現場”を見ている。
隣に大鍋を抱えた少女――春日こはる。回復担当。
柔らかい笑顔なのに、どこか「謝る準備ができている」雰囲気がある。炎上する側の癖だ。
透真が声を張った。
「今日も生還優先で行く。無茶はしない。煽りも――」
空中コメントがすぐ流れる。
《弱腰w》
《勝てよw》
《盛り上げろ》
《スープ女いる?》
初手から胃が冷える。
こはるが鍋を抱え直した。透真はコメントを見ないふりをして続ける。
「盛り上げは結果で作る。行くぞ」
配信開始の合図。腕輪型端末が一斉に点灯し、胸元カメラが赤く光った。
空中にUIが展開される。視聴者数、順位、投票ゲージ、BAN危険度、MVP欄――そして字幕。
俺は少し引いた位置から全体を見る。
“何が消されているか”を先に掴まないと、直す場所を間違える。
「三城さん、こはるさんの字幕、変です」
ミニルナの言葉どおり、こはるはちゃんと挨拶している。周りも頷いている。
なのに字幕だけが、名前の部分を消した。
透真が言う。
「回復担当――」
一拍、詰まる。それでも言い直す。
「……こはる、頼む」
現場では呼べている。
だが配信字幕はこう出た。
《回復担当:***》
伏せ字。わざとだ。
現場の仲間には名前が届くのに、視聴者に届く場所だけ消す。つまり「視聴者の認識」を狙って削っている。
「……画面だけが、名前を隠してる」
「はい。名前を隠すと“怪しい人”に見える。燃やすための仕込みです」
ミニルナの声が低い。怒っている。
パーティがゲートへ入る。俺も「運用支援」の顔で紛れ込む。
迷宮の中は石と鉄の匂いが濃い。湿気、足音、遠い魔物の鳴き声。
そして視界の端にコメント欄が貼り付く。逃げられない。
《今日は何階まで?》
《透真くんがんばれ》
《スープ女は映すな》
《裏方は黙ってろ》
“裏方”扱いか。こはるが。
こはるは前に出ない。出ないのに、手が止まらない。
鍋から湯気が立ち、香りが迷宮の湿気を割る。それだけで全員の呼吸が戻る。焦りが一段下がる。
この子の仕事は戦闘じゃない。
「成立」「継続」「生還」を保つことだ。
第一遭遇は早かった。角を曲がった先、天井から針みたいな魔物が落ちてくる。
透真が槍を振り、ナツメが盾で受け、ミナトが焼き、レンが削る。火花が散る。
《きたきた》
《透真ナイス!》
《盾うま》
《回復いる?》
その直後、針が一人の肩に刺さった。血が滲む。顔色が落ち、動きが鈍る。
透真が叫ぶ。
「下がれ! ……回復――」
また詰まる。
でもこはるは詰まらない。即座に動く。鍋を置き、器に注ぎ、走って差し出した。
「飲んで。熱いけど、今は我慢して」
優しいのに、命令が通る声。
負傷者が飲む。次の瞬間、肩の色が戻る。目の焦点が戻る。動きが戻る。
現場が“成立”した。
透真が一瞬だけ、こはるを見る。目で「助かった」と言っている。
――その瞬間。
配信UIのMVP欄が光った。
《MVP:神代透真》
《貢献:回復支援+27》
「……は?」
回復支援は、こはるの行動だ。
現場全員が見ていた。なのに画面は、透真の功績として加点している。
コメントがすぐ反応する。
《透真くん回復までやるの神》
《万能かよ》
《やっぱ隊長》
《スープ女いらんやんw》
こはるが、ほんの少しだけ目を伏せた。
慣れている。こういう奪われ方に。
ミニルナのHUDがノイズった。
【功績の付け替え:発生】
【こはるの回復 → 透真の功績として加算】
「三城さん、今です。画面で盗られたなら、画面で証拠にできます」
「分かってる」
俺はわざと“雑務”っぽく動いた。端末チェック、角度調整、通信確認。
そういう顔で透真の腕輪端末に近づく。
透真が小声で言う。
「伊織さん、今の……見えました?」
「見えた。けど、今は“見えた”って言葉にしない」
「……分かりました」
飲み込みが早い。現場の人間の反応だ。
二戦目。魔物が増える。負傷者が増える。
こはるのスープが回り、現場が回る。
なのにMVP表示は透真に寄り続ける。
《MVP:神代透真》
《貢献:回復支援+54》
《貢献:救護判断+19》
コメント欄が透真を「万能な主役」に固定し始める。
《回復まで完璧》
《透真くん一人でいい》
《サポ女は画面から消して》
《BAN投票しよ》
BAN投票。文字だけで背中が冷える。
【BAN危険度:上昇】
【投票の偏り:こはるに集中】
【運営案内:安全待機所へ誘導準備】
「……効率が良すぎる」
「『名前がない=怪しい』って空気を作って、『正義のBAN』を成立させる。次は“安全”の名目で隔離です」
その時、細い通路の影から手が伸びた。紙片。メモ。
受け取ったのは俺じゃない。透真だった。
透真が開く。短い文字。
『回復の加点がいじられてる。ログはゲート前の審査端末に残る。証拠を抜け』
「……誰だ、これ?」
俺は周囲を見る。運用腕章の青年が一瞬だけこちらを見て、すぐ目を逸らした。
逃げ方が上手い。でも敵の逃げ方じゃない。怯えと焦りが混ざっている。
「ミニルナ、照合」
【運用補助:日向ユウト】
【役割:審査端末ログ管理補佐】
【刺客判定:なし(暫定)】
証拠だけじゃ足りない。現場を動かすには“内部の手”が要る。
日向ユウトは、その候補だ。
俺は透真にだけ聞こえる声で言った。
「隊長、今は進む。出口で合流。ゲート前の審査端末は俺が当たる」
「……分かりました、伊織さん」
戦闘が一段落したタイミングで、こはるが器を並べた。
「……みんな、飲んで。次、きついから」
その言葉だけで人が生き返る。
なのに画面は、こはるを消す。
俺は、あえて現場で名前を呼んだ。
「春日こはる」
空気が一瞬だけ止まる。
透真が目を見開き、ナツメもレンもミナトも、ほんの少しだけ呼吸を変えた。
こはるが困ったように笑う。
「……伊織さん、名前を強く出すと燃えるよ」
「燃えたら消える、を先に崩す」
「……強いなあ」
強いんじゃない。強く見せないと削られる。
【“春日こはる”呼称:記録(小)】
【字幕欠損:継続】
【協力者候補:日向ユウト】
【次の審査配信まで:35分】
そして不意に、空中に運営からの“親切な案内”が出た。
《安全待機所のご案内》
《誹謗中傷から保護します》
《対象:***(回復担当)》
《誘導:ゲート横通路》
親切の顔をした檻。
笑えるくらい分かりやすいのに、視聴者には“正義”に見える。
俺は息を吸って、吐いた。
「……上等だ。正義ごっこを、証拠で折る」
ミニルナが小さく拳を握る。
「三城さん、取りに行きましょ。審査端末のログ。あれを抜いたら、画面の嘘を“嘘”って言えます」
「ひび割れじゃ足りない。割る」
俺は迷宮の出口――ゲート前の審査端末へ視線を向けた。
そこに日向ユウトがいる。味方になるか、消されるか。分岐は次の一手で決まる。
まずは前進を確定させる。
証拠一枚。味方一人。ログ一本。
それだけで、この世界は“続ける理由”になる。




