第1話 案件No.0005、名前が映らない回復役
足元の石畳が、やけに乾いていた。
湿気も血の匂いもない。迷宮都市カルディアは、観光地みたいに整った空気をしている。
――ここから先で、死人が出る“娯楽”が始まるのに。
俺は人混みの端で深呼吸した。
目の前には巨大な門。迷宮への正門だ。門の上で、ネオンみたいな文字が踊る。
【ダンジョン・ライブ 本日開催】
【現在視聴者:1,204,881】
【ランキング更新:リアルタイム】
「……視聴者数、えぐ」
声は俺のままなのに、周りの呼び方だけが違う。
この世界では、俺は“三城”じゃなく――「伊織」として扱われる。運用支援の名札がそうなってる。
「伊織さん、胸元カメラ、角度いい?」
背後から呼ばれて振り返る。
神代透真。
迷宮配信チーム《Rivue》の隊長。カメラ前で目立つ“顔役”。そして転生者。
「大丈夫そう。……ていうか、そのチェックの手際、撮影監督すぎる」
「数字が絡むと身体が勝手に動くんだよね」
透真は笑って、胸元の小型カメラを装具に固定した。
周りでも仲間が準備をしている。
黒原ナツメ。盾役。でかい盾を背負ってるのに、表情は不器用。
雨宮レン。斥候。目が泳がない。拾う人の目。
碧井ミナト。魔術担当。ローブ姿なのに、手元は機材屋みたいに正確だ。
そして――春日こはる。
回復役。背中に小鍋と瓶をいくつもぶら下げている。回復スープ担当、らしい。
こはるは俺を見ると、軽く会釈した。
「伊織さん、初参加ですよね。緊張します?」
「緊張はする。……でも配信ってのがまず新鮮」
その瞬間、胸元のカメラがかすかに熱を持った気がした。
配信が始まる前に、機材の発熱と一緒に“監視”が立ち上がる。そういう感覚だ。
視界の端に、透明な表示が浮かぶ。
【閉門まで:18時間】
【BAN:12%(警告1)】
【現在順位:28位(維持ライン:30位/到達ライン:10位)】
閉門。門が閉じたら、外へ戻りにくくなる。補給や救援も遅れる。
BAN。失格だ。ランキングと配信から名前が消える。ここでは「死なない代わりに、消える」。
「……はいはいはい!」
肩の上に、白く小さい存在が軽く着地した。
「三城さん、数値ちゃんと見えてます。閉門18時間、BAN12%、順位28位。今日、忙しい回ですね」
ミニルナ。
ストーリー課のルナが潜入するときの姿。今はこいつが、配信UIとログの“見える部分”を拾う役だ。
「忙しいって言い方が軽い」
「軽く言わないと、心が重くなって動けなくなります。ほら、笑って。画面は“暗い顔”を危険判定に使います」
俺は口元だけで笑った。
視聴者が見る。運営が見る。規約が見る。――そして、都合のいい“誤認”が作られる。
「それじゃ、Rivueの皆さん、入場しまーす!」
明るい声が横から飛ぶ。
配信ディレクター、シェリナ。運営側の人間だ。顔は胃が痛そうなのに、声だけはプロ。
「本日の見どころはー? はい、隊長!」
透真が慣れた感じで手を挙げた。
「今日は閉門まで18時間の変則回。安全第一で行きます。――それと、うちの回復が最高なんで安心して見てください」
こはるが一瞬だけ目を丸くして、困ったように笑う。
「……最高、は言い過ぎです」
「言い過ぎでも言ったほうが回る。視聴者は“安心”が欲しいから」
転生者らしい返しだ。
数字の世界で生きてきたやつの「先に物語を作る」言い方。
門が開く。暗い通路が口を開ける。
迷宮へ入った瞬間、画面の表示が増えた。
【コメント欄:ON】
【MVP:表示準備中】
【規約警告:自動監視中】
迷宮の一層は思ったより明るかった。壁に光苔が張り付いている。
――見せ物用に整備された迷宮。見やすいぶん、事故が起きた時の“映像価値”が上がる。
「罠は少ない。代わりに、見栄えが多い」
ミナトがぼそっと言う。
「映えるために作った場所って、だいたい事故る」
俺が返すと、レンが小さく頷いた。
「事故る前提で、誘導もある」
少し進んだところで、小型魔物の群れが出た。
透真が前へ出て、ナツメが盾で受け、ミナトが火を走らせ、レンが隙間を縫って削る。
そして――こはる。
「下がって。……熱、いきます」
小鍋から湯気が立ち、香りが広がった。生姜の甘さ、塩気、薬草の苦み。
“効く匂い”だ。実際、効く。
ナツメの肩の裂傷が塞がる。
透真の息が整う。
ミナトの指先の焦げが消える。
レンの足の震えが止まる。
「……助かった」
ナツメが短く言って、こはるを見る――
その瞬間、画面の表示が先に踊った。
【MVP:神代透真】
【戦果ログ:隊長 決定打+指揮】
……は?
俺は反射でこはるを見る。
こはるは淡々と瓶の蓋を閉め、次の回復の準備をしていた。感謝を待たない動き。仕事の動きだ。
なのに画面は、透真をMVPにする。
透真が悪いわけじゃない。――おかしいのは“計算の入り口”のほうだ。
さらに表示が増えた。
【Support:匿名ヒーラー】
【回復貢献:集計対象外(※番組規約 4-2)】
「……集計対象外?」
俺が小声で言うと、ミニルナが肩の上で固まった。
「三城さん、これ最悪です。回復は“誰がやったか”が消されます。名前じゃなくて“役割タグ”にされるやつ。しかも規約番号で正当化してきます」
「親切そうな文章で、人を消す」
「親切な刃、ですね。サクサク切れるやつ」
コメント欄が流れる。
【隊長つよw】
【透真しか勝たん】
【サポート仕事しててえらい】
【ヒーラー誰? 名前ないの?】
“えらい”が、悪意なく刺さる。
褒めてるのに、中心から外す言葉だ。こはるの仕事を“消してもいい枠”に押し込める。
透真が画面をちらっと見て、苦笑した。
「……またか。MVP、俺固定」
「また?」
俺が聞き返すと、こはるが先に答えた。淡々としてるのが、余計に怖い。
「いつものことです。……回復って、派手じゃないから。画面だと“誰がやったか”が残りにくいんです」
残りにくい、じゃない。
残さないようにされてる。
俺は深呼吸して、頭を切り替えた。
ここで怒っても、規約の“正しさ”に潰される。殴るなら証拠だ。
「ミニルナ。裏の記録、取れる?」
「取れますけど……運営の端末に触れないと無理です。今のままだと、見えてるのは表の表示だけ」
「なら、運営端末に触れる導線を作る」
「三城さん、それ現場で言うと不審者です」
「不審者にならないように、不審者じゃない仕事をする」
「日本語むずいです」
こはるがそのやり取りを小さく見ていた。
笑わない。でも目がほんの少しだけ柔らかい。こはるの回復は、体だけじゃない。空気も整える。
そこへ、通路の端の監視スクリーン越しに、シェリナの声が飛んできた。
「Rivue! いい感じ! このまま二層入りまで行けたら順位上がるよ!」
俺は即座に手を上げた。
“現場の人”として、自然に。
「ディレクターさん。回復の表示、もっと分かりやすくできる? 視聴者、誰が助けたか分かりにくい」
一瞬、シェリナが目を瞬かせた。
運営側はこういう質問を嫌う。手間が増えるから。だが、こいつは胃痛枠だ。現場が荒れる方がもっと困る。
「……できる、けど。規約の表示が優先で……」
「優先順位、変えられない?」
「変えられるのは運営端末からだけ。現場じゃ――」
言いかけて、シェリナは口を閉じた。
今、言ってはいけないことを言いかけた顔。
俺はにこっと笑う。
カメラに映る“感じのいい初参加”の顔で。
「じゃあ次の休憩ポイントで相談したい。配信が荒れたら、ディレクターさんの胃が先に死ぬでしょ」
「……言い方がリアル。分かった、休憩ポイントで」
ミニルナが肩の上で小さくガッツポーズをした。
【前進:運営端末に近づく口実 確保】
【証拠取得準備:待機】
よし。証拠一枚の入口。
――その瞬間だった。
迷宮の壁のスクリーンが、別の映像に切り替わる。“お知らせ”の顔をした警告だ。
【規約監査:実施中】
【公平性保持のため、監査官が現場に立ち入ります】
空気がひとつ冷えた。
通路の奥から足音が一つ。
ゆっくり、正確で、迷いがない。こういう足音は、戦闘より厄介だ。
現れた男は灰色のコート、胸元に運営証。
笑顔が丁寧すぎる。目だけが笑っていない。
「皆さま、お疲れさまです。監査官のユール=グレイです」
名乗りが早い。規約の人間は、言葉で先に殴ってくる。
ユールはこはるを見る。
見たのに、名前を呼ばない。代わりに端末を滑らせた。
「回復行為の表示が、視聴者の誤認を招く可能性があります。……確認します。公平のために」
公平。便利な刃。
【BAN:12% → 18%(警告1)】
【規約警告:4-2 再通知】
【干渉:強】
ミニルナが声を落とした。
「三城さん。来ました。規約でBANを上げて、こはるさんの“名前”を消す導線です」
俺は笑った。画面に向けて、爽やかに。
内側では、牙を研いで。
「監査官さん。確認、大歓迎です。公平って言うなら――記録も、ちゃんと残しましょう」
ユールの笑顔が、一ミリだけ止まった。
――よし。
殴り合いは、ここからだ。




