第5章 炎上迷宮と回復スープ プロローグ 没はテンプレ、アラートは現場
第5章 炎上迷宮と回復スープ
輪廻庁・物語管理局――ストーリー課の会議室は、今日に限ってやけに“いい匂い”がした。
机の端の紙コップから、湯気がふわっと立ち上る。回復系のハーブティー。誰かの差し入れだ。
……回復。
その単語だけで、私は苦笑いになる。
回復って言葉は、ここでは優しい顔をしている。
でも、時々とんでもなく人を刺す。
「三城さん、飲みます? 回復しますよ、回復」
ルナがにやっと笑った。サイズはいつもの人間サイズ。潜入して小さくなるのは、もはやこの課の“お約束”だ。
「回復は助かるけど、今の俺に必要なのは胃薬だな」
「え、また? でも今日の会議、ほら、平和なやつです。事前レビュー会!」
ルナが胸を張って、資料の束を――まるで同人誌の新刊みたいに――机の上に置いた。タイトルは、でかいフォントでこう。
『異世界転生したら、神に愛されすぎて最強でした(仮)』
私は反射で目を逸らした。眩しい。いろんな意味で。
議長席の黒瀬天音がため息を一つ。
数字担当のセラ・ブランシュは、もうページをめくっている。
白石慧は、指先で資料の角を揃えながら、編集者みたいに無表情だ。
――この二人がいる理由は簡単だ。
この課の会議は感情で回すと負ける。数字と構造で殴って、決裁で締める。だから必須メンバー。
「では、定例。新規転生ストーリー案の事前レビューを始める」
黒瀬の声だけで、会議が“仕事”に戻る。
「提出者、ルナ。概要を三十秒」
「はいっ。えっとですね――」
ルナが早口になる。持ち込む側が一番テンション高い。これもテンプレ。
「神様が主人公にチートを盛って、スローライフして、モテて、世界を救って、最後は王様になって、みんな幸せ! 読後感爽快!」
「はい、止める」
黒瀬が即止めた。三十秒も使ってない。
「えっ、まだ“神様が盛る”しか言ってないのに!」
「そこが致命傷だ。セラ」
「はい」
セラが紙一枚をすっと出す。数字の暴力。
「完走率予測、三十二%。離脱点は第一話の“能力説明”直後。視聴者の興味が“設定説明”に偏り、物語の厚みが積めません」
「えっ、そんな一瞬で分かるの?」
「分かります。世界が薄いので」
セラの声が一ミリも揺れない。怖い。でも正しい。
「白石」
「はい」
白石が淡々と短く刺す。
「テンプレの効能はあります。入口は強い。ですが“代償”がない。代償がない世界は、読者の心が居場所を持てない。主人公が勝つほど、周囲が薄くなります」
“薄い”の一言で、ルナの肩がぴくっと動いた。
この課の禁句みたいな単語だ。言い方ひとつで空気が変わる。
「じゃ、じゃあ……サブヒロインを増やして……!」
「増やすほど雑になる。結果、薄くなる」
白石が即断する。編集者、容赦がない。
黒瀬が最後に机を指先で軽く叩いた。判定音みたいに。
「結論。――ボツ」
「うそぉぉ……!」
ルナが机に突っ伏した。これもテンプレだ。
ただし、こっちのテンプレは“救い”のテンプレ。ボツは終わりじゃない。世界が切られる前に止める判定。
「ルナ、落ち着け。没じゃない。“ボツ”だ」
「そこ、言い換えても心のダメージ同じです……!」
「同じなら学べ」
黒瀬が冷静に返す。会議が締まりかけた、その瞬間だった。
天井の巨大スクリーンが、ふっと暗転する。
さっきまで流れていた“別案件の平和な映像”が消え、代わりに真っ赤な帯が走った。
【運用中案件:異常検知】
【案件No.0005:炎上迷宮(仮称)】
【運用ステータス:削除候補へ転落 予兆】
【原因:社会的抹殺テンプレ(炎上→BAN→隔離) 適用率上昇】
【刺客反応:複数 検知】
会議室の温度が一段下がる。
さっきまでハーブティーの匂いがしてたのに、今は金属みたいな味がする。
「……来たか」
黒瀬が短く言う。
セラはもう画面を読み取っていた。
「ランキング連動型です。維持ライン三十二位。危険ライン十六位未満。発言ログ保護ライン八位以内。最終セーフティ四位以内。……露骨に“消しやすい人”を作る構造です」
「炎上迷宮って何ですか?」
ルナが顔を上げる。落ち込みからの切り替えが早い。困る。
白石が一言でまとめた。
「配信番組だ。迷宮攻略を見世物にして、視聴者の“正義”でBANする」
「最悪……」
私の口から漏れた声は、自分でも驚くくらい小さかった。
“回復役が燃える”構造。
それを、私はもう知っている気がした。理由は分からないのに、胃だけが先に覚えている。
黒瀬が視線をこちらへ向けた。
「春日こはる。現地」
名前を呼ばれる。
その一言で、背筋が伸びる。逃げ道が消える。
「……はい。救済対象は誰ですか」
画面が切り替わる。
迷宮都市の俯瞰。光る広告塔。コメント欄みたいに流れる空中文字列。
ランキングボードの上位は派手に演出され、下位は灰色で塗りつぶされている。
そして――救済対象。
【対象:春日こはる】
【役割:回復スープ配布者(救護)】
【現在順位:圏外→三十一位(急浮上)】
【炎上リスク:高】
【隔離誘導:安全待機所(実質:収容施設)】
【兆候:功績帰属の改ざん/本人名の表示欠損/BAN票の偏り】
一瞬、頭が真っ白になった。
「……私、ですか?」
ルナが目を丸くした。
セラは無表情のまま頷く。
白石は、淡々と事実を置く。
「善意を罪にする構造だ。回復役は、都合がいい。味方にも敵にも“使える”から」
セラがさらに追い打つ。
「隔離の名目は“安全”。善意の皮を被った檻です。責任者は管理官オルド。善意で回すタイプ。だから止めにくい」
「刺客は?」
黒瀬が問う。
スクリーンに追情報が走る。
【刺客:A(規約・理屈)――ガレオン/シグナ】
【刺客:B(実働・事故)――ミュール/灰谷カイ】
【予測手口:切り抜き→炎上→規約適用→BAN→安全待機所収容→世界整理(削除)】
私は息を吸って、吐いた。
“合法”と“拡散”と“親切”と“判定”。
優しい言葉で人を消す四点セット。
黒瀬が言い切る。
「勝ち負けじゃない。消されない条件を作れ」
「……はい」
視界の端に、薄い黒の“栞”が一枚、浮かんだ気がした。
まだ割れてない。けど、端が欠けている。削除の匂いがする。
セラがタブレットをこちらへスライドさせる。
「これを。最初の“証拠一枚”です」
画面にはランキングボードのログ。
私の功績が、上位ランカーの名前に“吸われた”形跡が、赤く囲われている。
【改ざん検知:功績帰属 置換】
【対象:春日こはる→上位ランカー“ヴァイス”】【確度:高】
「……もう、始まってる」
喉が冷たくなる。
回復した分が、誰かの手柄に化ける。
それで私は“便利な裏方”にされ、最後は“怪しい存在”にされて、正義でBANされる。
白石が静かに言った。
「それでも証拠が取れた。これは前進だ」
小さい。でも確実。
この課の勝ち方は派手な魔法じゃない。紙一枚で世界を殴る。
黒瀬が最後に言い切る。
「行け。黒い栞を割って来い」
「了解です。――ボツを突きつけます」
私が立ち上がる。
次の瞬間、会議室の照明が落ち、床が一瞬だけ“透ける”。
潜入の合図。心臓が嫌なリズムで跳ねる。慣れない。慣れるべきでもない。
ルナの輪郭が光の粒になって崩れる。
同時に、肩に“ちいさい重み”が乗った。
「はいっ。着地おっけーです、春日こはるさん!」
白い小さなマスコット――ミニルナ。
同一人物。今はこっちが“現地の姿”。
視界の端にHUDが浮かぶ。短く、でも刺さる表示。
【案件No.0005:炎上迷宮】
【次の審査配信まで:36:00】
【閉門(ゲート封鎖)まで:18:00】
【安全待機所・収容確定まで:09:00】
【現在順位:31位(危険圏)/目標:8位以内(発言ログ保護)】
【確保済み:改ざんログ1枚】
【対象者:春日こはる(回復スープ配布)】
「……よし」
私は息を吸う。
配信が回る世界で、善意が燃やされる。回復スープを配っただけで、檻に入れられる。
『春日こはるさん、現地の空気、めっちゃコメント欄です!』
「黙って感じろ。……そして拾う。ログも、味方も、居場所も」
床が固まり、足元に石畳の感触が戻る。
遠くで鐘が鳴り、空中にランキングボードが光っていた。
――炎上迷宮。
今日も誰かが“正義”で誰かを消そうとしている。
だったら私は、正義の顔したテンプレに、こう言ってやる。
「その展開。――ボツ」




