第12話 黒い栞にヒビを入れる理屈
七耀ステージ一次審査へ到達した瞬間から、この世界は露骨に“速く”なった。
時計の針が速いとか、日が落ちるのが早いとかじゃない。
人の判断が、切り捨ての方向へ滑る速度が速い。
「……七十二時間って、こういうことかよ」
控室裏の廊下。運営スタッフが行き交い、ケーブルが床を這い、紙コップのコーヒーが震えている。
その全部が、「間に合わないなら削れ」の空気に追い立てられていた。
俺の肩の上で、ミニルナが小さく咳払いした。
「三城さん、現在の危険度、上がってます。テンプレ押し戻しの“条件式”が、露骨に組み上がってます」
「条件式?」
「はい。『誰かが退場すると、話が短く完走する』っていう、あのやつの——“成立条件”です」
ミニルナの目が淡く光って、俺の視界の端にHUDが浮かぶ。
文字が、嫌に丁寧だ。丁寧すぎてムカつく。
【退場短縮テンプレ:成立条件(推定)】
・欠損対象(天羽詩乃)の「本人発話ログ」欠落
・功績ログが他者へ分配(クレジット剥離)
・規約/契約上の“必要条件”から外す(代替可能化)
・炎上/事故で退場の大義名分を作る
「……やってること、丁寧にクソだな」
「丁寧にクソ、名言です!」
「褒めてない」
俺は息を吐いて、廊下の先を見た。
ガラス越しのリハ室で、LUMiSが動いている。
星宮ルイが床を蹴り、真白ことねが視線でカメラを掴み、久遠ひよりが無言で音を整える。
そして——天羽詩乃が“場を整える”。
歌い出しの息。MCの間。誰かが焦りそうになる瞬間に、言葉の角を丸くするタイミング。
彼女がいると、四人はひとつの作品になる。
なのに、この世界のログは「作品だけあればいい」と言いたがっている。
作った人の名前は、邪魔だ、と。
「三城さん」
ミニルナが、少し声を落とした。
「今のままだと、“詩乃さんの退場”は成立します。本人の言葉が残らないから、『本人が望んだ』って形に、すり替えられます」
「……『私が抜ければ丸く収まる』ってやつな」
昨日、詩乃が口にしかけた言葉が蘇る。
優しい子ほど、自分を削って場を救おうとする。
そしてテンプレは、その優しさを「都合のいい結末」に加工する。
「だから、先に作る」
俺は言った。
「『詩乃が必要条件』っていう証拠。本人の言葉が抜かれても、残るやつ」
「役割ログ……!」
「そう。役割ログ。検証ログ。相互肯定ログ。全部盛りで、条件式をひっくり返す」
言ってること、完全にストーリー課の病気だ。
でも今は、その病気が——誰かを救う。
ミニルナのHUDが、淡く点滅する。
【72h是正期限:残り 44:38:12】
【事故誘導:継続監視】
【条件式:再構築の兆候】
「残り四十四時間ちょい、ね……やるしかないな。胃に優しい選択肢がゼロ」
「胃薬はあとで買いましょ! 今はログです!」
胃薬よりログが先って、世界観がもう終わってる。だが正しい。
◇
控室の一角。スタッフ用の小さな打ち合わせスペースに、三人が集まっていた。
プロデューサーの大神イサム。現場主義で信用できる顔をしてるくせに、契約の文字を見ると露骨に弱る人。
マネージャーの真鍋サラ。厳しい。だが“守る時は守る”の目をしている。
そして俺。
「……で、外部協力の三城さん。率直に聞くけどさ」
イサムが紙束をぱらぱらめくりながら言った。
「詩乃、ほんとにセンター固定にする必要ある? このまま荒れるなら——」
「必要です」
即答したのは俺じゃない。サラだ。
硬い声だが、迷いがない。
「詩乃が抜けたら、うちのユニットは“作品”にならない。素材の寄せ集めに戻る」
「でもさ、スポンサーが——」
「スポンサー“が”じゃない。スポンサー“を”どう動かすかです」
サラがタブレットを叩く。画面には提出済みの申請書と、興行連盟の規約抜粋。
「見て。七耀ステージ一次審査に入ったユニットは、『代表曲の制作体制』を申告してる。歌割り、作詞、作曲、編曲、振付、演出。全部、提出済み」
イサムが目を細める。
「……それが?」
「詩乃の名前が、作詞と“演出メモ”の欄に入ってる」
その一言が落ちた瞬間、空気が少しだけ変わった。
イサムの指が止まる。俺の脳内のギアが噛み合う音がする。
「……なるほど」
俺は口の端を上げた。
「“代替可能”にしたいなら、まずここを消す。だから刺客は、詩乃の発話ログだけじゃなく、クレジットと申告も潰しに来る」
「刺客?」
イサムが眉を上げる。
サラが淡々と答えた。
「連盟スタッフを名乗る男が、提出書類の差し戻しをちらつかせてきた。理由は“制作体制の不整合”。でも、うちに不整合はない。作って回してるのは詩乃だから」
「作ってるって、証明できる?」
イサムが苦しそうな顔をした。
現場の人間は、こういう時に弱い。証明って、だいたい“言葉”だから。
「証明する」
俺が言った。
「言葉が抜かれるなら、抜けない形にする。紙でも、署名でも、第三者証言でも。ログにならなくても、証拠にはなる」
サラが小さく頷く。
「それを、どうやって?」
「手順は単純です。手間は地獄です」
イサムが「地獄なんだ」と呟いた。うん、地獄。
「まず、詩乃本人の“制作ノート”を出す。作詞の草稿、推敲、メモ。日付付き。
次に、ひよりの音源データと紐づける。タイムスタンプは改ざんが難しい。
それから、ルイとことねの証言を取る。『このフレーズは詩乃が現場で出した』っていう相互肯定ログ。
さらに外部。VΛLORにも頼む」
サラが眉を上げた。
「紅城レイナたち?」
「はい。レイナは“証人になる”って言ってた。アオイは技術共有もしてる。第三者としては強い」
イサムが苦笑した。
「外部協力って、そんなところまでやるんだな」
「現場が崩れると、ストーリーが死ぬんで」
「職業病?」
「職業です」
その時だった。
ミニルナが、俺の肩の上で小さく震えた。
「三城さん。来ます」
「何が」
「“差し戻し”です。今、連盟から——」
言い終わる前に、サラのタブレットが震えた。
通知音。画面に、嫌な文面。
【興行連盟/監査局より】
【提出書類の再確認要請】
【制作体制欄:不整合の疑い】
【追加:安全管理体制の確認(事故未然防止の観点)】
「……来た」
サラが歯を食いしばる。
イサムが焦って立ち上がりかけた。
「待て、ここで差し戻し食らったら——」
「落ち着いて」
俺が手を上げる。
「差し戻し“要請”は、まだ確定じゃない。ここで慌てて“修正”したら、相手の思う壺だ。
こっちは、正しいものを正しく出す。修正じゃなく補強。追加資料で殴る」
サラが俺を見る。
「殴るって言い方、好きじゃないけど……今は好き」
「俺も今だけ好きです」
俺はひとつ確認した。
「担当、名前は?」
サラが通知を拡大する。
「担当——ガレオン……」
ミニルナがHUDをちらっと出す。
【刺客候補:ガレオン】
【行動:条件式操作(規約/契約/差し戻し)】
「ビンゴ」
俺は口の中で言った。
当てたくないビンゴほど、当たる。
◇
リハ室。練習が一区切りついたところで、俺は詩乃を呼び止めた。
「天羽さん、少し——」
ルイとことねが一瞬だけ、変な顔をした。
ひよりが顔を上げる。
詩乃は驚いた顔をして、すぐに小さく笑った。
「……はい。どうしました?」
ミニルナが俺の耳元で囁く。
「今の、名前、残るかもです」
「残れ」
祈りに近い独り言が漏れた。
俺は詩乃に、できるだけ短く言った。
「あなたの作ったものを、証拠として残したい。作詞のノート、ありますか」
詩乃の表情が、ほんの少しだけ固くなる。
逃げるんじゃない。守ろうとしてる。
「……あります。でも、そんな立派なものじゃ……」
「立派じゃなくていい。あなたの手癖が残ってるやつがいい。推敲の痕跡、迷った跡、消した言葉。そういうのが一番強い」
詩乃は視線を落とし、それから小さく頷いた。
「……分かりました。持ってきます」
彼女がバッグを探る間に、ルイが腕を組んで俺に言った。
「三城さん、何してんの。まさか、うちの足引っ張りに来たとか言わないよね」
「逆。足を増やしに来た」
「は?」
「詩乃の言葉が抜かれてる。本人の功績が残らない。
このままだと、“詩乃が抜けても回る”って結論にされる。回らないのに」
ルイの眉がぴくりと動く。
「……それ、気づいてた」
低い声だった。
「気づいてたけど、言ったら壊れる気がしてた。今、時間ないし」
「壊れるのは、黙ってても同じです」
ことねがスマホを握り直す。
「……ログが残らないなら、残る形にする。ってこと?」
「そう。あなたの得意分野だろ、SNS強者」
ことねが一瞬だけ笑った。
「うっわ、雑に褒められた」
「褒めてる。今は味方が多いほうが勝つ」
ひよりがぽつりと言った。
「……音、残る」
「そう。音は嘘をつきにくい。だから、ひよりのデータも借りる」
ひよりは無言で頷いた。
この子、言葉少ないけど“了承”の質量が重い。
詩乃がノートを差し出した。
表紙は地味。中身はもっと地味。
でも、ページをめくった瞬間に分かる。
これは——現場で戦ってきた人の字だ。
歌詞の横に、呼吸のメモ。
言葉の端に、誰かの表情のスケッチ。
そして、消された線の下に残る、迷った言葉たち。
「……これ、強いな」
俺が呟くと、詩乃が少しだけ困ったように笑った。
「強い、ですか?」
「強い。あなたが“いる”って証明になる」
ミニルナのHUDが淡く点滅した。
【役割ログ:検出】
【作詞/現場調整/危機回避】
【ログ厚み:増加】
俺は、ここで一番大事な話をすることにした。
理屈の話だ。
「天羽さん」
「はい」
「あなたが抜けると丸く収まる、って思ってませんか」
詩乃は一瞬、息を止めた。
そして、小さく頷きかけた。
俺は先に言葉を置いた。
「それは、テンプレが一番好きな形です。優しい人が自分で降りる。誰も悪者にならない。短く完走する」
ルイが顔をしかめる。
「……気持ち悪い」
「気持ち悪いで正解」
俺は続けた。
「でも、この世界の運用条件は、もう“あなたが必要”になってる。
作詞の申告。音源データ。現場の証言。外部証人。全部積めば、あなたを外すほうが規約違反になる」
ことねが目を見開いた。
「外すほうが、規約違反……?」
「そう。『代替可能』にしたい連中は、あなたを“必要じゃない”ことにしたい。
だから、あなたの言葉だけ抜く。功績を分ける。クレジットを剥がす。
逆に言えば——」
俺は、詩乃を見た。
「あなたが必要条件に戻れば、退場は成立しない」
詩乃の瞳が揺れた。
揺れたけど、逃げなかった。
「……私、必要ですか」
声が小さい。
でも、その問いは重い。
俺は即答しなかった。
即答すると、ただの慰めになるから。
「必要だと証明する」
そう言って、ノートをそっと閉じた。
「証明っていうのは、あなたを励ます言葉じゃなくて——世界に突きつける証拠です」
ひよりが短く言った。
「……音、渡す」
ルイが吐き捨てるように言った。
「……私も言う。あいつがいないと、踊り、揃わない」
ことねがスマホを掲げた。
「証言、残す。切り抜かれても、残る形で。外部にも投げる。レイナさんにもお願いできる」
詩乃が、ゆっくり息を吸った。
そして少しだけ前に出た。
センターに立つ動きじゃない。
“自分の言葉を置く”ための一歩。
「……私」
言いかけて、止まる。
怖いのが見えた。
怖いのに、目を逸らさなかった。
ミニルナが小さく囁く。
「三城さん、今、ここ……ログ、残りやすいです。関係者全員の視線が、詩乃さんに集まってます。条件が揃ってる」
「なら、今だ」
俺は頷いた。
「天羽さん。言って。あなたの言葉で」
詩乃が、俺を見た。
ルイを見た。ことねを見た。ひよりを見た。
そして。
「私は——ここにいる」
短い。
飾りがない。
でも今まで剥がされてきた“名札”を、自分で付け直す言葉だった。
ミニルナのHUDが、ぱっと明るく弾ける。
【本人宣言ログ:取得】
【発話者識別:成功】
【発言テキスト化:成功】
【欠損傾向:一時停止】
俺は、心の中でガッツポーズした。
してる場合じゃないけど、する。人間なので。
「よし」
俺が言うと、ルイが鼻で笑った。
「……やっと言ったじゃん」
ことねが目を細めて笑う。
「今の、めっちゃ良い。短いのに刺さる。バズる」
「バズらせるな。守れ」
「守る守る。守りながらバズらせる」
この子、強い。最強かもしれん。炎上耐性が。
ひよりが淡々と付け足す。
「……歌、もっと刺さる」
詩乃が少しだけ笑った。
その笑いが、ちゃんと“本人のもの”に見えた。
そして俺の視界の端で。
黒い栞のアイコンが——ほんのわずか、ひび割れた。
【テンプレ成立条件:一部崩壊】
【必要条件ログ:増加】
【黒い栞:ヒビ(微)】
「……ヒビ、入ったな」
俺の呟きに、ミニルナが嬉しそうに頷いた。
「はい。理屈で、入れました」
理屈で勝てる瞬間が、一番気持ちいい。
でもこれは、まだ“序章”だ。
ガレオンは次を打ってくる。
ミュールも現場にいる。
そして残り時間は、容赦なく減っていく。
けれど。
今日、詩乃の言葉は残った。
残ったなら、積める。積めば、折れない。
俺はノートを抱え直し、サラに向けて言った。
「追加資料、作りましょう。監査局に提出する。
『外すほうが規約違反』って形にして、退場の土台を壊す」
サラが強く頷いた。
「やる。今夜中に」
イサムが青い顔のまま笑った。
「外部協力って、こえー……でも助かる」
「怖がってる暇はないです。世界が削られるんで」
「……言い方が物騒!」
「仕事なんで!」
軽口を叩けるうちは、まだ大丈夫だ。
俺たちはまだ、ページをめくれている。
詩乃が、もう一度だけ口を開いた。
「……三城さん」
「はい」
「ありがとうございます」
その言葉も、HUDに残った。
小さいのに、世界を支えるログだ。
俺は笑って返す。
「礼は、ステージで。あなたの名前が“作品の中に残る”ところまで、持っていく」
詩乃は静かに頷いた。
——黒い栞のヒビは、まだ細い。
でも、理屈は通った。
通った理屈は、折れない。
だから、やることは単純だ。
証拠を積んで、条件を崩して、
“推し不在の台本”を、成立不能にする。




