第8話 72h地獄:退場イベント、点火
七耀ステージ一次審査、到達。
たったそれだけのはずなのに、空気が変わった。
それまでの七日間は「辿り着く」ための時間だった。
廊下を走り、導線を覚え、練習室の隅に立ち、名前が残らない声の主を――記憶で繋いで、証拠に変える準備をしてきた。
そして、ここからは「守り切る」ための時間。
守り切れないと、終わる。
俺の視界の端で、ミニルナのHUDが淡く点灯する。
【核心セクション:到達】
【是正猶予:72:00:00】
【リスク:退場短縮テンプレ点火率 上昇】
「……来たな。七十二時間地獄」
「来ましたねぇ……“秒で削る”やつが本気出す時間帯です……」
ミニルナの声が、さすがに小さい。いつもみたいにテンションで殴ってこない。
「三城さん、ここからは“イベントが勝手に起きる”じゃなくて、“起こされる”になります」
「知ってる。だから、先に殴る」
「先に殴るの、物騒だけど正しいです……!」
舞台裏は、派手で、うるさくて、せわしない。
ケーブルの束、運搬台車、汗を拭くタオル、声出しの残響。
そして、視線の向こうに――《七耀ステージ》の巨大なセット。
客席はまだ空なのに、ステージがもう“圧”を持っている。
あそこに立つと、誰でも「物語の主役」になれる気がする。
だからこそ、主役を作るために、誰かが消される。
……いや。
“誰かが”じゃない。
今日も、天羽詩乃はここにいる。
センター候補として、舞台の核として。
なのに、世界のログは、彼女を“いないこと”にしようとしている。
控室の前で立ち止まった俺は、深呼吸をひとつ。
この世界の地獄は、派手な照明より、静かな書類から始まる。
◇
LUMiSの控室は、四人用のはずなのに、いつも三人分の密度で詰まっている。
その違和感に、俺はもう慣れたくないのに慣れてしまっていた。
星宮ルイがストレッチしながら、吐き捨てるみたいに言う。
「一次審査、時間押してる。ギルド側のチェックが増えたって。意味わかんない」
真白ことねはスマホで何かを確認しつつ、顔だけ上げた。
「規約改定、昨日の深夜に告知出てた。『公正運用のため』だってさ。うける」
久遠ひよりは無言で機材ケースを開け、イヤモニの接続を点検している。
この子は言葉が少ない分、手が確実だ。……だからこそ、刺客が嫌がるタイプでもある。
そして――詩乃は、鏡の前で髪をまとめていた。
落ち着いた動作。呼吸のリズム。
周りがざわついても、場の温度を整えるような静けさ。
「……三城さん」
詩乃が俺に気づいて、軽く頭を下げる。
その“礼”が、ログに残るかどうかは、もう賭けみたいになっている。
「おはよう。……今日は、顔色いいな」
「はい。昨日、ちゃんと寝ました」
ふっと笑ってから、詩乃は小さく息を吐いた。
「でも、今日――ちょっと、胸がざわざわします」
それは多分、才能のせいじゃなくて。
世界が、あなたの椅子を引きに来てるせいだ。
俺が何か言う前に、控室のドアがノックされた。
返事をする間もなく、ドアが開く。
「失礼。興行連盟、監査局の――」
入ってきた男は、姿勢が妙に良い。
スーツの角が立っている。笑顔が“作ってある”。
名札には《ギルド運用監査》の文字。
――ガレオン。
ミニルナのHUDが、俺の視界の端で警告色を出した。
【要注意:刺客反応(疑)】
【接触対象:契約/規約/印象操作】
うん、だろうね。
このタイミングで来る監査、だいたい敵だ。
「本日は一次審査に先立ち、ユニット情報の再確認を行います」
ガレオンは丁寧な声で、丁寧に殴ってくる。
「規約改定に伴い、登録情報の整合が取れていないユニットは、出場を保留します」
「保留って……今日出ないの?」
ルイが反射で立ち上がる。
「落ち着いてください。あくまで“整合が取れていれば”問題ありません」
ガレオンは、書類を一枚、机に置いた。
置き方まで丁寧で、逆に嫌になる。
「――LUMiS。登録メンバーは、三名と記載されています」
空気が、止まる。
ことねの指がスマホの画面で止まり、ひよりの手がケーブルの上で止まった。
ルイだけが「は?」って顔で固まる。
そして、詩乃は――何も言わない。
言えない。
言った瞬間に、それが“誰の言葉か”抜かれるから。
俺が代わりに口を開く。
「四名です。ポスターにも写真は四人で載ってる」
「写真は“表示物”です。登録は“規約上の実体”です」
ガレオンは穏やかに笑った。
その笑いが、腹立つくらい正論の形をしている。
「登録が三名なら、四人目は“出演者”ではなく“サポート”扱いになります。
サポートはセンター位置に立てません。歌割りも、規定割合を超えると違反です」
「ふざけんな!」
ルイが机を叩いた。
「センター位置は――」
言いかけて、言葉が詰まる。
“誰”がセンターなのか、口が言おうとして止まる。
喉元で、名前が消える感覚。
ことねが必死に笑顔を作って言う。
「登録、こっちで申請し直せば――」
「申請期限は一次審査の72時間前までです」
ガレオンはあっさり。
「いまは、期限内ではありません」
――点火。
これが、72h地獄の最初の火種。
世界側の正当な“ルール”の顔をして、退場条件を揃えに来る。
退場短縮テンプレっていうのは、いつだって「違反」を作る。
俺は深呼吸をして、言葉を選んだ。
ここで俺がキレると、“外部協力スタッフが騒いだ”ってログが残る。
残ってほしいのは、そこじゃない。
「確認したい。登録情報が三名になったのはいつから?」
俺は淡々と聞く。
「申請記録によれば、当初からです」
ガレオンが、さらっと嘘を混ぜた声で言う。
ミニルナのHUDに、小さく赤文字。
【申請記録:一部欠損/改ざん痕(微)】
ほらね。
“微”って付けるあたりが、また腹立つ。
いかにも「気のせいです」って言い逃れできる濃度。
ひよりが、静かに口を開いた。
「……当初から、四人で曲作ってる。音源、四人の声前提でミックスしてる」
「音源は関係ありません。規約上は――」
「関係ある」
ひよりが被せた。声が低いのに、よく通る。
「四人の声がないと成立しない。成立しないものをステージに出すのは、運用上の事故だ」
その“事故”って言葉に、ガレオンの目がほんの少しだけ細くなる。
刺客は、現場の言葉を嫌う。
現場の言葉は、嘘がつけないから。
ガレオンは笑顔のまま、次の札を切った。
「では、もう一点。規約改定により、一次審査中の《音声記録》は連盟が管理します。
審査対象ユニットの発言・歌唱・MCは、公式アーカイブとして保存され――」
俺の背筋が冷えた。
保存。
つまり、切り取れる。
ことねが眉を寄せる。
「それって、切り抜き炎上の温床じゃない?」
「公正運用のためです」
ガレオンは同じ言葉を繰り返す。
便利な盾だよな、公正って。
ルイが歯を食いしばる。
「……要するに、こっちの言葉は全部、向こうの都合で編集できるってこと?」
ガレオンは答えない。
答えないのが答えだ。
――ログを削る。
声を消す。
言葉を奪う。
証拠を残さない。
そして最後に、規約で叩く。
ここまで揃ってると、もはや芸術だ。
刺客の。
俺は、詩乃を見る。
詩乃は微笑んでいる。
笑顔がうまい子じゃないのに、うまく笑っている。
自分が原因で空気が重くなるのを、避けてきた顔だ。
その瞬間――控室の外がざわついた。
廊下で、誰かが転んだ音。
スタッフの叫び声。
金属がぶつかる乾いた音。
「機材、倒れた!」
「コード! 誰か踏んだ!」
ひよりが反射で立ち上がり、ドアへ向かう。
ルイもことねも続く。
詩乃も一歩出ようとして――止まった。
そして、ガレオンが言う。
やさしい声で。
「……このタイミングで事故。運が悪いですね」
運じゃねえよ。
段取りだよ。
◇
ステージ裏は、すでに“現場の地獄”になっていた。
照明のスタンドが一つ倒れ、ケーブルが絡まり、スタッフが青い顔で走り回っている。
ただし、致命的じゃない。
致命的じゃないけど、“焦り”を生むには十分。
焦りは、ミスを生む。ミスは、違反を生む。違反は、退場を正当化する。
上手い。吐きそう。
「これ、誰が……」
ルイが倒れたスタンドを起こしながら、唇を噛む。
その横で、ことねがスマホを見て固まった。
「……やば。もう出てる」
「何が」
俺が覗くと、短い動画が流れていた。
さっきの控室のやり取りを切り取ったみたいな映像。
《登録メンバー三名》の文言だけが強調され、ルイの怒鳴り声が入っている。
『ルミス、規約違反!?』
『センター枠に“無登録者”いるってマ?』
『審査前に炎上してて草』
早すぎる。
早すぎるのに、妙に“整ってる”。
ミニルナのHUDが、冷たく表示する。
【炎上誘導:検知】
【拡散源:不明(複数アカウント同時)】
「刺客、二枚いるって設計だったよな」
俺が小声で言うと、ミニルナがうんうん頷く。
「はい……この“同時拡散”の匂い、ミュール系です。現場から火をつけて、外で増幅するやつ」
「現場にもいる?」
「います。たぶん、今――」
ミニルナの視線が、ステージ袖の方へ動いた。
そこにいたのは、見慣れない女の子。スタッフパスを下げ、裏方っぽい服。
なのに、立ち姿が妙に“舞台の人間”だ。
彼女が、こちらを見て、にこっと笑った。
無邪気な笑顔。
でも目が笑ってない。
「……やっぱり」
俺は胃の奥が冷えるのを感じながら、歩き出した。
追うべきは、炎上の火種じゃない。
火をつける手だ。
だが、その前に――詩乃が、俺の袖を軽く引いた。
「……三城さん」
その声は小さかった。
けれど、震えてない。
震えてないのが逆に痛い。
「私が……私が、抜ければ、丸く収まりますか」
言った瞬間、ルイが振り向く。
ことねが息を呑む。
ひよりが手を止める。
誰も、彼女の名前を呼べない。
呼べないまま、彼女の言葉だけが空中に残る。
残ってほしい言葉なのに、残り方が最悪だ。
「……それ、言うな」
ルイが歯を食いしばって言う。
「そういうの、いちばんムカつくから」
「でも、私が原因で――」
「原因じゃない!」
ルイが声を荒げて、そこで言葉が詰まる。
名前を呼べないのが悔しくて、怒りが行き場を失っている。
ことねが無理に明るい声を作る。
「ほら、こういうのってさ。燃えたら、燃えたで――」
言いかけて、止まる。
この子はSNS強者だ。だからこそ分かってる。
燃えたら、燃えたで、誰かが“消える”のがいちばん早い鎮火だって。
ひよりがぽつりと言う。
「……抜けたら、音が崩れる。曲が死ぬ」
詩乃は笑った。
いつもの、小さな笑い。
「……ごめんね。私、迷惑かけたくなくて」
迷惑じゃない。
迷惑じゃないのに“迷惑にされた”んだ。
俺は、詩乃の目を見る。
そして、できるだけ普通の声で言った。
「丸く収まらない」
「……え?」
「君が抜けたら、丸く収まるんじゃなくて――“丸く切り落とされる”だけだ」
言葉を、はっきり置く。
「それは救済じゃない。退場の完成だ」
詩乃の瞳が、揺れる。
揺れるけど、折れてない。
この子は芯が強い。だからこそ、“自分を切る”決断が早い。
「だから、抜けない」
俺は続けた。
「抜けないで、収める。収める方法を作る。――それが俺の仕事」
ミニルナが小さく拳を握る。
「三城さん、今の言い方、最高に主人公です」
「俺は元・応募総ボツだ。主人公はまだ慣れてない」
「慣れてください! 72時間しかない!」
そのツッコミに、場の空気がほんの少しだけ戻った。
ルイが鼻で笑う。
「……うるさいマスコット。けど、ちょっと助かった」
ことねがスマホを握り直す。
「よし。火消しする。……でも、燃料が多すぎる」
ひよりがイヤモニを持ち上げる。
「現場は守る。機材、落とさせない」
詩乃は深呼吸をひとつして――頷いた。
「……はい。抜けません」
その瞬間、ミニルナのHUDが、無慈悲に数字を刻む。
【是正猶予:71:42:11】
もう、始まってる。
退場イベントは点火した。
規約、炎上、事故。三つ揃えて、あとは“本人が折れる”だけ。
だから刺客は、次にそれを狙う。
ステージ袖の方で、さっきの女の子――ミュールが、こちらを見て笑った。
口の形だけで、何か言った気がした。
――「早く、諦めて」。
俺は笑い返さない。
代わりに、内心で言う。
諦めるのは、お前の方だ。
「行くぞ」
俺は言った。誰にでもなく、全員に。
「72時間で、こいつらの“退場の台本”を、書き換える」
言い切った瞬間、遠くで照明が一瞬だけちらついた。
ステージが、まるで息を吸ったみたいに見えた。
推し不在の台本なんて、いらない。
この世界のセンターは、ここにいる。
――残す。
消される前に、全部残す。
ログも、言葉も、居場所も。




