第7話 7日目、核心セクション到達(72時間カウント、開幕)
七日目の朝は、だいたい胃が重い。
人生でも締切でも、最終日はそういう仕様らしい。
王立芸能学園の控室――って言っても、今日はいつもの練習室じゃない。
学園と街と興行連盟が合同で回す大型イベント、《七耀ステージ》一次審査の会場だ。
つまりここが、核心セクション。
ここに“辿り着けなかった”ら、そもそも救う土俵に乗れない。
救済の前に、参加資格が剥奪されて終わる。
俺は控室の椅子に腰掛けて、膝の上のバインダーを閉じた。
中身は七日分の、いわば“証拠の束”。
紙の練習日誌。
MC台本の手書き修正。
歌割りの決定ログ(紙)。
振付の微修正メモ(ジンのサイン入り)。
配信切り抜きの原本に当たる、学園サーバ直アクセス確認票。
……動画が切られようが、発言が欠損しようが、“別経路で同等の厚みを作る”ってやつだ。
バインダーを抱えたまま目を上げると、控室の隅で星宮ルイがストレッチしていた。
「顔色悪くない? 寝てる?」
「寝た。三時間。人類としては勝ち」
「それ勝ちなんだ……」
真白ことねはスマホを二台並べて、あっちで投稿下書き、こっちでコメント欄の地雷処理みたいなことをしている。
「こっちは寝てない。今“良さげコメント”を増やす作業してる」
「それ、心の衛生的に大丈夫?」
「大丈夫。人は見たいものしか見ないから。見せたいものを見せる」
強い。
この子、世界の仕様理解が早すぎる。
久遠ひよりは機材ケースの前で、黙々とケーブルを束ねている。
手が止まらない。手が止まらない人は、信頼できる。
……で。
控室の真ん中。
鏡の前で、天羽詩乃が髪を整えていた。
センター候補の子。
いる。ちゃんと、ここにいる。
でも俺の肩の上で、白いマスコットがじわじわ青く光る。
ミニルナが、仕事モードの顔だ。
「三城さん。登録名、最終確認いきます」
「頼む」
ミニルナが、ふわっと宙に小さなHUDを出す。
俺にしか見えない“あれ”だ。
【一次審査 出演ユニット:LUMiS】
【登録メンバー:星宮ルイ/真白ことね/久遠ひより/……(空欄)】
【空欄検知:再発】
「……また空欄」
俺が小声で言うと、ことねがぴくっと反応してこっちを見た。
「また? え、さっき受付で直したよね?」
「直した。直したのに戻る。世界って、たまに“自動保存”が敵になる」
ルイが舌打ちする。
「ふざけんな。今日が本番の入口だぞ」
詩乃は鏡越しにこっちを見て、少しだけ眉を下げた。
謝る顔だ。自分のせいじゃないのに、勝手に責任を背負いそうな顔。
だから先に、俺が言った。
「詩乃のせいじゃない。むしろ、ここまで来れたのは詩乃のせい」
「……私の、せい?」
「いい意味で、な」
言いながら俺は立ち上がった。
この七日、ずっと同じことをしてきた。
“ここにいる”を、証拠で殴る。
“いないことになってる”を、手続きで潰す。
「真鍋さん呼ぶ。いまこの空欄、受付が戻してるわけじゃない。仕組み側が戻してる」
「仕組み側ってなに……」
ルイが言いかけたところで、控室のドアがノックされた。
「LUMiSさん、最終導線確認お願いしまーす! あと、出演登録の最終照合も!」
入ってきたのは、興行連盟スタッフの腕章をつけた男。
背が高い。姿勢がよすぎて逆に気になる。笑顔が綺麗すぎて逆に怖い。
「おはようございます。私は――ガレオン。現場統括の補佐です」
名乗りと同時に、ミニルナの光が一瞬だけ強くなった。
(あ、これだ)
俺は顔には出さない。
出したら相手の思う壺だ。
「最終照合ですね。お願いします」
俺がそう言うと、ガレオンはタブレットを操作して、にこやかに言った。
「ええ。……あれ? LUMiSさん、登録が三名になっていますね」
ルイが即座に言い返す。
「四人だよ。さっき直した」
「そうなんですね。ですが、規約上“予選登録は三名まで”です。ほら、ここ」
ガレオンは、わざわざ該当箇所を見せてきた。
文字は整ってる。正しく見える。よくある罠だ。
ことねが目を細める。
「それ、去年の規約じゃない? 今年“ユニット制”で四名までOKになったはず」
「いえ、私の手元では――」
「私の手元でも“今年の改訂版”があります」
ひよりが淡々と言って、紙束を差し出した。
無言なのに、圧がすごい。
ガレオンの笑顔が、ほんの一ミリだけ固くなった。
隠しきれない“想定外”。
俺はそこに追撃を重ねる。
「あと、学園側の申請も四名で通ってます。ステージ導線も四人で組んでる。三名にしたら、転換が破綻します」
「転換……?」
「舞台って、人数で設計するんですよ。三人用の導線と四人用の導線は別物」
俺が言うと、ルイが即座に頷く。
「そう。フォーメーション、三人だと穴が出る。影が出る」
「影、出るね」
ことねも言葉を重ねる。
このチーム、噛み合うと早い。気持ちいいくらい早い。
ガレオンは困ったように肩をすくめた。
「なるほど。では四名で――ああ、ただし」
その“ただし”が、嫌だった。
「登録の四人目が空欄です。お名前が、入力されていません」
詩乃が小さく息を吸った。
ルイが、ぎりっと歯を噛む。
ことねがスマホを握り直す。
ひよりの手が一瞬止まる。
全員の視線が詩乃に集まって。
でも、言葉が――名前が、出ない。
その空気を、俺がぶった切った。
「入力されてます。されてるのに空欄に戻る。だから“登録システム側の異常”として、いまここで是正してください」
「え?」
ガレオンが一瞬だけ目を瞬いた。
“個人の問題”に落としたかったんだ。
空欄=本人が悪い、登録=本人がいない、みたいに。
俺は続ける。
「記録もあります。修正申請、三回。受付ログ、二回。学園側申請、四名。振付導線、四名。歌割り、四名。ここまで揃ってて空欄になるなら運用不具合です」
バインダーを開いて、証拠を一枚ずつ見せる。
紙が一番強い瞬間って、こういう時だ。
「さらに言えば――」
俺は詩乃の方を見た。
本人の“声”が欠損しても、“行動”は残る。
「詩乃はこの七日、現場を回してきました。MC台本の修正、歌割り調整、照明の影前提の見せ方。彼女の提案でフォーメーションが成立してる。いま更に“いない”扱いするなら、現場が壊れます」
ルイが吐き捨てるみたいに言った。
「壊れるよ。マジで」
ことねも、珍しく感情が出た声で言う。
「配信のコメント欄、昨日から“なんか違う”って言ってる。空気が変わったの、詩乃のおかげだって、私は分かる」
ひよりは短く言った。
「音が、まとまる」
詩乃は口を開きかけて、閉じた。
言葉が欠損するのを知ってる顔。
だから俺が言った。
「詩乃。名前、ここに書いて」
「……え」
「紙に書けば、残る。ログが欠損しても、手書きは欠損しにくい。俺が責任持って提出する」
ミニルナが小さく頷いて、HUDに短い表示を出した。
【推奨:手書き署名ログ(物理)】
【強度:高】
詩乃は少しだけ迷って、それからペンを取った。
丁寧な字で、まっすぐに。
「天羽……詩乃」
書かれた瞬間、控室の空気が、ほんの少し軽くなった。
“名札が剥がされる”感覚が、紙の上で止まった気がした。
ガレオンはその紙を見て、笑顔を取り戻そうとする。
「……承知しました。私の裁量で、手書き添付として処理しましょう」
(裁量で?)
その言い方も嫌だった。
まるで“善意で通してやる”みたいな口ぶり。
俺は笑って返す。
「助かります。じゃ、運用不具合の報告も一緒に上げてください。再発したら困るので」
ガレオンの笑顔が、また一ミリ固くなった。
「……ええ、もちろん」
その背中が控室を出ていく。
ミニルナが、俺の耳元で囁いた。
「三城さん。あの人、匂います」
「だろうな。けど、まだ尻尾は掴めない」
「はい。でも今ので“条件”は一つ崩れました」
条件。
“空欄だから外す”っていう、手っ取り早い退場の条件。
ルイが大きく息を吐いた。
「……助かった」
「礼はあとで。今日はまだ入口」
「分かってる。分かってるけど、入口で落ちたら終わりだろ」
「そう」
俺は笑って、視線を上げる。
控室の外、廊下の先からステージの音が聞こえる。
観客じゃない。スタッフが動く音。照明の確認音。舞台が回る音。
詩乃が小さく言った。
「……私、ちゃんと立てます。今日」
「立てるよ」
俺が言うと、ことねが口角を上げた。
「立てる。だって昨日、立てたもん」
ルイが鼻で笑う。
「昨日のMC、噛まなかったしね」
ひよりは短く付け足す。
「声、安定」
詩乃が、困ったみたいに笑った。
「……それ、全部残ってますか?」
その一言が刺さる。
残ってないから、ここにいる。
残すために、ここにいる。
俺は頷いた。
「残す。今日も残す。残らないなら、残る形に変える」
ミニルナが、ぱちんと小さく羽を鳴らした。
「よーし! 一次審査、開始まであと十分! 行きましょー!」
「お前、現場テンション高すぎ」
「現場はテンションで押し切るときもあるんです!」
「それ、間違ってないのが腹立つ」
俺たちは立ち上がる。
四人と、外部協力スタッフの俺と、肩の上のミニルナ。
廊下を進むほど、音が近づく。
スポットライトの熱が、空気の温度を上げる。
そして、ステージ袖に辿り着いた瞬間。
ミニルナのHUDが、静かに表示を切り替えた。
【核心セクション:到達】
【猶予:72:00:00】
【カウント開始】
数字が、ゼロから減り始める。
容赦なく。慈悲なく。世界の仕様として。
俺はステージの向こうを見た。
観客席はまだ暗い。審査員席だけが、妙に明るい。
その明るさの中で、誰かがこちらを見た気がした。
見てるだけの視線。偏ってる視線。
――観察者の、あの感じ。
「……来たな」
俺が呟くと、ミニルナが小さく頷いた。
「来ましたね。72h地獄、開幕です」
詩乃が、袖の暗がりで深呼吸をした。
その背中は小さいのに、今日はやけにまっすぐだった。
ルイが拳を握る。
ことねがスマホを伏せる。
ひよりが機材のスイッチを入れる。
俺は一歩引いた位置で、バインダーを抱え直す。
ここからは、ステージの時間。
でも同時に――“証拠の時間”でもある。
消される前に、残す。
薄くされる前に、厚くする。
七日目は、辿り着く日。
そして本当の勝負は――ここからだ。




