第5話 ライバルは敵じゃない、敵は“規約”の顔をして来る
翌日――俺は学園の練習棟の廊下で、壁に背中をくっつけたままメモ帳を開いていた。
手書き。アナログ。最強。消されにくい。なにより腹が立ちにくい。
「……“影が出る前提で映えを作る”。“角度で逃げずに、影を味方にする”。よし、残った」
昨日、天羽詩乃がさらっと言って空気を整えた一言。
なのに、ミニルナのHUDにはこう出た。
【音声ログ:検出】
【発話者識別:失敗】
【発言テキスト化:欠損】
つまり、世界のログとしては“言ってない”扱い。
存在するのに、痕跡だけ削られる。脚本じゃなくて手口が。
「三城さん、またメモってる」
肩の上で、ミニルナがぴょこんと動いた。白いマスコット面で、目だけはやたらリアルに光る。
「ログが残らないなら、俺が残す。証拠はあとで“同等の厚み”に変換すりゃいい」
「え、かっこよ。今のセリフ、ログに残しときます?」
「やめろ。俺の黒歴史が増える」
軽口で逃げて、俺は練習室のドアを押した。
◇
「――はい、MC。もう一回。今度は“間”を作る!」
振付師のジンが、パン、と手を叩く。
ジンは体格がいい。筋肉というより“現場の圧”で大きいタイプだ。怒鳴らないのに通る。
練習室の中央で、LUMiSの四人が並ぶ。
星宮ルイは、歯を食いしばるみたいに笑っている。
真白ことねは、カメラのレンズ位置をちらちら確認して、映えの角度を探してる。
久遠ひよりは、音の立ち上がりを機材で整えて、無言で頷く。
そして――天羽詩乃は、全員の呼吸の“ズレ”を一度で揃える立ち方をしていた。
派手じゃない。けど、そこにいないと成り立たない。
「じゃあ、いきまーす」
ことねがスマホを構えた。
「LUMiSです! 七耀ステージ、絶対勝ちに行くので――」
「待った」
ジンが指を上げる。
「“勝ちに行く”の前に、“誰に”届ける?」
「え、ファンに?」
「そのファンの顔、想像して言え」
ルイが「うっ」と詰まった。
こういうの、ルイは苦手だ。汗の量が増える。
そのとき、詩乃が小さく息を吸って、言った。
「……“ここまで来た人”に、です」
声は静か。けど、部屋の温度が一段だけ整う。
「努力して、練習して、それでも怖くて、でも来た人。
……その人に、『来てよかった』って思ってもらえるように」
ことねがぱちっと目を見開き、ルイの肩の力が抜け、ひよりがそっと音量を一段上げた。
全員、今の一言で動いた。昨日と同じ。
――なのに。
俺の視界の端で、ミニルナのHUDが薄く光る。
【音声ログ:検出】
【発話者識別:失敗】
【発言テキスト化:欠損】
【欠損傾向:当該個体の発話に偏在】
「はいはいはい、露骨」
内心で舌打ちして、俺はメモ帳に走り書きした。
世界が消すなら、俺が残す。
ジンが頷いて、珍しく笑った。
「今の、いい。……お前ら、そこは“詩乃の言葉”として受け取れ」
一瞬、空気が止まる。
ルイが口を開きかけて、なぜか閉じる。
ことねも笑いかけて、名前を言いかけて飲み込む。
ひよりは視線だけ動かして、結局何も言わない。
――やっぱり、名前が“出ない”。
詩乃は困ったように笑った。でも、目は折れてない。
「……大丈夫です。続けましょう」
「大丈夫じゃないって言わせろよ……」
俺が小声で呟いた瞬間。
練習室の外から、わざとらしく明るいチャイムが鳴った。
【七耀ステージ/合同リハーサル 会場案内】
【参加ユニットは、アリーナへ集合してください】
「合同リハ?」
ルイが眉をひそめる。
「聞いてないんだけど」
「今朝出た。ギルド側主催だってさ」
ことねがスマホを見せる。“興行連盟”のロゴ入り通知。
ジンが舌を鳴らした。
「……ギルドが動いた時点で、現場は忙しくなる。行くぞ」
俺はミニルナに小声で言う。
「来たな。外部の匂い」
「はい。規約と印象操作、来る予感しかしません」
◇
アリーナは、学園施設のくせに街のホールみたいにデカかった。
客席がある。照明がある。ステージ袖がある。
“本番の箱”に似せて、逃げ場をなくすタイプのやつだ。
そして入口で――視界が持っていかれる。
別のユニットが入ってきた。
空気が変わる。歩き方が“見られる前提”だ。
「……あれが、VΛLORか」
ルイが低く言った。
先頭の女――紅城レイナ。
背筋が真っすぐで、笑ってないのに“中心”が分かる。
隣のアオイはクールで、目が冷静に客席を測ってる。
最後のカノンは柔らかい。明るい。けど、その明るさが“武器”の種類だ。
レイナがLUMiSを見つけて、足を止めた。
「LUMiS。来たのね」
声が通る。
敵意はない。けど、遠慮もない。
ルイが前に出る。
「来たけど。こっちは聞いてない」
「私たちも。だから、ギルドが勝手に仕切ってる」
レイナは肩をすくめた。
この人、“悪役”の匂いがしない。強いだけだ。
アオイが淡々と言う。
「今日の合同リハ、審査員が見に来るって噂。
……本番前に“印象”を固定しにきてる」
「印象を固定?」
ことねが眉を上げた。
「良い印象はいいけど、悪い印象は……致命傷になる」
冷たいのに現実的で、背中が少し冷えた。芸能ものの“悪い印象”は刃物より速い。
カノンがにこっと笑う。
「でもさ、合同リハってみんなの得じゃない? 仲良くしよ~」
明るい。
ただ、その明るさが“危険の温度”を薄める方向にも見える。
「仲良くはする。けど馴れ合いはしない」
レイナが言い切って、ルイが口角を上げる。
「それ、同意」
短い会話で、火花じゃなく“熱”が立った。
いい。これなら勝負が成立する。
勝負が成立するなら、“誰かを消して短くまとめる”必要はない。
――本来なら、な。
「三城さん、あの人」
ミニルナが肩の上で耳(みたいな部分)をぴくっと動かした。
ステージ袖。ギルドのスタッフ証を首から下げた男が、静かにこちらを見ている。
笑顔が丁寧すぎる。目だけが笑ってない。
「興行連盟の……監査?」
「表示上は“運用担当”です。でも、タグが二重」
ミニルナのHUDが小さく走った。
【外部アクセス:検知】
【権限タグ:興行連盟/運用/監査補助(不整合)】
「不整合って、堂々と出すなよ」
男が近づいてきた。滑るような足取りで距離を詰める。
「おはようございます。合同リハの運用担当、ガレオンと申します」
名乗りが早い。
名刺みたいに“役割”を押し付けるタイプ。
「LUMiSの皆さん、そしてVΛLORの皆さん。
本日はギルド規約に基づき、円滑な進行のため“確認”をさせていただきます」
ガレオンは端末を開いた。
条文。チェック項目。チェックボックス。
……芸能世界の刃物は、契約書の形をしてる。
「七耀ステージの一次審査では、“センター登録”が必須です。
登録名と登録者の発言ログ、出演ログ、契約者署名が一致していない場合――」
にこやかなまま、言葉だけが鋭い。
「ユニットの出場権が停止される可能性があります」
ルイが眉を吊り上げた。
「は? そんな話、前はなかった」
「前は“運用上の裁量”で目をつぶっていたのです。しかし今回は――公平性のため」
公平。便利な言葉だ。
公平を盾にすると、誰かを切ることが正当化される。
ことねが一歩前に出る。
「センター登録? うちは四人でやってますけど」
「ええ。ですので、確認が必要なのです」
ガレオンの視線が、ふっと“センター位置”に流れる。
そして――詩乃のところで、ほんの一瞬だけ止まった。
止まったのに、何も言わない。
胃が、嫌な冷え方をした。
見てる。認識してる。
でも名指ししない。名指ししないことで、“存在しない扱い”に寄せる。
「……確認って、具体的に何を?」
俺が口を挟むと、ガレオンは初めて俺を見る。
視線が軽い。人間を“項目”として見る目だ。
「あなたは?」
「学園イベント運用支援。導線と規約の整合を見てます」
「そうですか。なら話が早い」
ガレオンは笑って、端末をこちらへ向けた。
「“発言ログのテキスト化”が不安定なユニットは、センター登録に不備が出やすい。
――ご注意ください」
にこ。
脅しを、忠告の形で渡す。
ミニルナが俺の耳元で囁いた。
「三城さん、これ……“薄化”を規約で正当化する導線です」
「分かってる。分かってるけど、むかつくな」
レイナが冷たい声で言った。
「ギルドがそこまで言うなら、こちらも整備する。
ただし、“公平”を名目に不利を押し付けるなら――私は噛みつく」
強い。けど筋が通っている。
ガレオンは微笑みを崩さない。
「もちろん。公平に。皆さまの努力が正しく評価されるように」
その口で、努力の証拠を抜き取るつもりだろ。
アオイが小さく息を吐いた。
「……嫌な匂い」
俺と目が合った。察しがいい。
カノンが無邪気に手を振る。
「わー、規約ってむずかし~い! でも大丈夫だよね、みんな!」
その瞬間、ガレオンの目がほんの少しだけ柔らかくなった。
……“誘導しやすい反応”を見つけた顔。
俺は視線の端で、もう一人の影を見つけた。
スタッフ通路の奥。裏方の腕章をつけた小柄な子が、端末をいじりながらこちらを見ている。
目が合うと、すぐ逸らした。明るい格好。裏方志望っぽい。
だけど動きが“現場慣れ”しすぎてる。
「……あれ」
ミニルナが同じ方向を見た。
「ミュール、っぽいです。刺客候補」
「確定?」
「確定はできません。でも、ログの気配が変です。周囲の視線誘導が上手すぎる」
その子――ミュールは、すれ違いざまに誰かのバッグに紙片を滑り込ませた。
紙片の角に、一瞬だけ見えた文字。
【切り抜き】
【炎上】
【拡散】
――うわ。
やっぱり刃物だ。この世界。
◇
合同リハが始まる。
ステージ上で、VΛLORが先に踊った。
レイナは、まっすぐ強い。
アオイは、冷静に強い。
カノンは、柔らかく強い。
終わった瞬間、客席から(まだ客はいないのに)拍手が起きそうな錯覚がした。
……いや、幻じゃない。審査員席にスーツ姿が数名いる。いつの間に。
「噂、当たりか」
ことねが小声で言う。
ルイが舌打ちした。
「最初から見られてるとか、最悪」
詩乃は深呼吸して、足元のテープを見た。センター位置。
そこに立つのが怖いわけじゃない。
そこに立った“証拠”が奪われるのが怖いんだ。
俺はメモ帳を閉じて、決めた。
今日の目的は二つ。
勝つことじゃない。消されないことだ。
(1)詩乃の“役割”を可視化する。
(2)規約の刃を、逆に握り返す。
ジンが小さく言った。
「……LUMiS、行くぞ」
ルイが頷き、ことねが笑って、ひよりが機材を叩く。
詩乃が最後に小さく言った。
「……大丈夫。届けよう」
また、声だけが残る。
けど今度は――俺が見てる。俺が“証人”になる。
ステージ袖でガレオンが端末を滑らせる。
ミュールが誰かのスマホ画面を覗き込む。
審査員席の目が冷たく光る。
――ライバルは敵じゃない。
敵は、別にいる。
「ミニルナ」
「はい」
「今日の一曲で、拾えるだけ拾う。
詩乃の“言葉”が欠損するなら、“周辺反応”で殴る。誰が動いたか、何が変わったか――全部」
「了解です、三城さん。盛大に証拠集めましょ」
俺は、ステージへ上がる四人の背中を見送った。
この世界は、推しを“いないこと”にして終わらせる気だ。
だったら俺は、推しを“必要条件”に戻してやる。
規約も、印象も、炎上も――全部ひっくり返すために。
まずは今日。
この箱で、“存在してる”を刻む。




