第4話 日常ログ増量、まずは居場所づくり
練習室の端、床に貼られたセンター位置のテープが、ほんの少しだけ薄い。
気のせいじゃない。さっきから、この世界の“薄さ”は、ずっとそこにある。
「さっきの提案、良かったです。影前提の見せ方、もう少し詳しく聞いてもいいですか?」
俺がそう言うと、センターの子――天羽詩乃は、一瞬だけ目を丸くして、それから小さく頷いた。
「……はい。私でよければ」
返事は、ちゃんと声になって届いた。
でも、ミニルナのHUDは、相変わらず嫌な静けさのまま、俺の視界の端に居座っている。
【音声ログ:検出】
【発話者識別:失敗】
【発言テキスト化:欠損】
「……よし」
口の中でだけ言って、詩乃に向き直る。
今は戦わない。拾う。残す。厚くする。
この世界が“名札”を剥がすなら、こっちは“別の名札”を増やすだけだ。
「じゃ、ここで二分だけ。みんなの邪魔しないで聞きます」
ルイが腕を組んだまま、ぶっきらぼうに言った。
「二分で終わるならいい。……終わるよね?」
「終わらせます。俺、締め切りに追われる側の気持ちだけはプロなんで」
「それ自慢?」
「自慢できる人生じゃないです」
ことねがくすっと笑う。SNS強者の笑い方だ。刺さる時は刺すけど、場の温度は下げない。
「外部スタッフさん、名前は?」
「三城です」
「三城さんね。じゃ、あとで配信導線も確認しよ。今日、練習の一部だけ“学内向けミニ配信”やるから」
さらっと出てきた単語に、背中が少しだけ固くなる。
配信。
切り抜き。
編集。
この世界で“言葉”が消されるなら、まず狙われるのはそこだ。
――でも同時に、入口にもなる。
「配信、やるんだ」
詩乃が、少しだけ視線を落として言う。
「……はい。短いMCも、入れる予定で」
「MC練、やるなら、ちょうどいい」
俺は練習室の隅のホワイトボードを指さした。
【LUMiS 練習メニュー】
・通し(カメラ想定)
・MC練
・歌割り調整
・振付微修正
「“言葉”が必要になる項目がある。……残し方を、こっちで作れる」
ルイが眉をひそめる。
「残し方?」
「口で言うと消えるなら、文字で残す。画面で残す。誰かの手元で残す。残り方を分散する」
「……なにその、嫌な戦い方」
「嫌だけど、勝つには有効です」
ひよりが、機材ケースの前で小さく頷いた。
言葉はなくても、“理解”の動きは確かにある。
「詩乃。影前提って、具体的には?」
俺が聞くと、詩乃は一度だけ深呼吸して、練習室の天井を見上げた。照明位置を頭の中でなぞっている。
「この位置だと、強い光が正面から入るので……輪郭が飛びます。だから、顔を少しだけ斜めにして、影を“残す”んです」
「影を残す?」
「影があると、立体が出るので。……表情が“ある”って伝わります」
その瞬間、ルイの肩がふっと緩んだ。
ことねが「それ、映えるね」と短く言う。
ひよりがライトの角度をいじって、照度をほんの少し落とした。
――全員が動いた。たった一言で。
なのに、HUDは空欄のまま。
胸の奥のイラつきを飲み込んで、次の手に移る。
「じゃ、その説明――ホワイトボードに一回書いてもらっていい? “影を残す”ってフレーズ、めっちゃ強いから」
「え……私が?」
「うん。書いた瞬間、ログが“文字”として残る。消されても、俺が写真を撮る。ことねのスマホにも残る。ひよりの機材にも残せる」
ことねが即座にスマホを掲げた。
「撮る撮る。むしろ今のフレーズ、切り抜き用に強い」
「切り抜きって言葉、怖いんだよな……」
俺がぼそっと言うと、ことねが悪びれずに笑う。
「怖いのは“使われ方”でしょ。なら、こっちで“使い方”を作ればいい」
……強い。
しかもその強さ、誰かを踏む方向じゃない。
詩乃はホワイトボードの前に立ち、マーカーを握った。握り方が丁寧だ。字を書くのに慣れている。
「……えっと」
と、言いかけて、ほんの一瞬だけ言葉が詰まる。
“名前が残らない”ことに、慣れすぎてる人の躊躇だ。
「大丈夫。ゆっくりで」
俺が言うと、詩乃は小さく頷き、文字を書いた。
『影は消すんじゃなく、残す。
影があるから、表情が“ある”って伝わる。』
ルイが鼻で笑う。
でも、その笑いはバカにする笑いじゃない。
「……なんか、腹立つくらい分かりやすい」
「腹立つの?」
「分かりやすいって、ずるい」
「褒め言葉として受け取っていい?」
詩乃が、ほんの少しだけ笑った。
派手じゃないのに、ちゃんと場を明るくする笑い方だ。
ことねが撮影しながら言う。
「これ、今日の配信でMCのネタにできるね。“影を残す”って、刺さるワード」
詩乃が不安そうに聞く。
「……それ、言っていいんですか?」
「言っていいよ。むしろ言お。言ったほうが“詩乃の言葉”になる」
ことねの言い方が、少しだけ強かった。
――彼女も、薄さに気づいてる。
ルイが腕を組んだまま、ぶっきらぼうに言う。
「じゃ、MC練、先にやる。短いのでいい。……三城、運用支援なら“当日の喋り方”のテンプレとかある?」
「テンプレならあります。でも、テンプレのままだと薄い」
「それ、会議の時も言ってたな」
「言った」
「じゃあ、どうすんの」
俺はホワイトボードを指さした。
「“今日出た言葉”を使う。今日の練習から拾った言葉でMCを作る。そうすれば、作り物じゃなくなる」
ルイが眉を上げる。
「作り物じゃないほうが、客は信じるって?」
「そう。それが一番、崩れにくい」
ことねが頷く。
「配信って、嘘つくとバレるんだよね。空気で」
ひよりが、ぼそっと言った。
「音でも、バレる」
短い。けど強い。
この子、喋る時は芯だけ出すタイプだ。
ルイが、詩乃を見た。
見て、少しだけ口を開く。
――でも、そこで止まる。名前の壁だ。
俺は、その“止まり”を見逃さない。
「……ルイ、今、何か言いかけた?」
「別に」
「別に、じゃなくて」
ルイが舌打ちしそうな顔をして、でも我慢して吐き出した。
「……さっきの、助かった。立ち位置、あれでいける」
その瞬間、詩乃の目が少しだけ見開かれて、すぐ柔らかくなる。
「……よかった」
たったそれだけの会話なのに、空気が変わった。
“必要”が、言葉になったからだ。
ミニルナのHUDが、淡く光る。今度は、音声じゃない。
【相互肯定ログ:検出】
【カテゴリ:役割/承認】
【厚み:微増】
――よし。これだ。
声が抜かれても、名前が抜かれても。
“助かった”は残る。
“必要”は積める。
「じゃ、MC案、三つ作る」
俺が言うと、ルイが即座に反応した。
「三つも?」
「選べるように。あと、どれか消えても残るように」
「こわ……」
「現場は保険が大事。人も、言葉も」
ことねが腕を組んで、にやっとする。
「三城さん、意外と現場向きかも」
「意外って何」
「いや、もっと机上の人かと。役所の人だし」
「俺も、ここ来るまでそう思ってた」
自虐で返すと、詩乃が小さく息を吐いて笑った。
笑って、またホワイトボードにマーカーを走らせる。
『影を残す。
私たちの“表情”を残す。』
――言葉が、増える。
ボードでも、写真で残る。手元で残る。複数の端末で残る。
そして、練習が始まった。
通し。カメラ想定。
曲は、まだ仮タイトル。
でも歌い出した瞬間、空気が一段整う。
詩乃の声は派手じゃない。爆発もしない。
なのに芯がある。
四人の呼吸が揃う。ルイのダンスが映える。ことねの表情が生きる。ひよりの音が前に出る。
――センターって、目立つ人の場所じゃない。
成立させる人の場所だ。
「……ことね、配信のカメラ、ここ。ホワイトボードも入る角度で」
「了解。あ、ルイ、次のMCで“影を残す”言お。刺さる」
「言えるなら言う」
ルイが言って、いったん口を閉じる。
また“止まり”が来る。名前が出ない壁だ。
でも今日は、そこで終わらせない。
「ルイ、最初の一文だけ決めよう。『今日の練習で気づいたこと』で入る。そのあと、“詩乃の言葉”として引用する」
詩乃が、はっとして俺を見る。
「……私の?」
「うん。引用は強い。自分の言葉が薄くされるなら、“他人の口”で回収する」
「……他人の口で?」
「“みんなの言葉”にするってこと」
ミニルナのHUDが、また光った。
【作戦:言葉の分散化】
【効果:欠損耐性 上昇】
……なんで急にドヤるんだ、このHUD。
でも正しい。
ルイが、少しだけムッとした顔で言う。
「……引用って、ずるくない?」
「ずるいくらいでいい。消される側は、いつも不利だから」
ルイは一瞬だけ黙って、次に、短く言った。
「……分かった。やる」
ことねが親指を立てる。
「えらい。ルイ、えらい」
「うるさい」
ひよりが、機材を調整しながら呟く。
「……残すなら、音も。別録りする」
「最高。バックアップは多いほど正義」
詩乃が小さく頷く。
「……ありがとう」
その“ありがとう”が、ログに残るかどうかは分からない。
でも今、俺の中には残った。ルイの中にも。ことねの中にも。ひよりの中にも。
日常ログは、世界の外側だけにあるんじゃない。
人の中にも積める。
練習が終わり、短い配信の準備に入る。
汗を拭きながら、ルイが詩乃の方を向いた。
また、言いかけて止まる――かと思った。
「……さっきの、フレーズ。もう一回言って」
ルイが言った。
名前じゃない。けど、要求だ。必要の証明だ。
詩乃は少し驚いて、それから前を向いて言った。
「影は消すんじゃなく、残す。影があるから、表情が“ある”って伝わる」
ことねが即座に言う。
「それ、今日の配信のタイトルにしよ。“影を残す、LUMiSの練習”」
「勝手に決めるな」
「決めたほうが回るでしょ」
「……まあ」
ルイが折れる。
こういう小さな折れ方が、チームを作る。
俺はその光景を見て、確信する。
この回は、“小さな成功”でいい。
居場所づくり。言葉づくり。証拠づくり。
大逆転は、まだ先でいい。
今やるのは、これだ。
――薄い子を、薄いままにしない。
ミニルナが肩の上で、こっそりガッツポーズをした。
「三城さん、いい感じです。厚み、増えてます」
「まだ足りないけどな」
「足りなくなる前に増やすんです。ログは筋トレ!」
「筋トレは裏切らない、みたいな言い方やめろ」
「でも裏切るのは、だいたい編集です!」
「お前、現地で余計な火をつけるな」
詩乃が、くすっと笑った。
その笑いが、さっきより少しだけ大きい。
――よし。今日はここまでで勝ちだ。
俺は配信用のカメラ位置を確認しながら、頭の中で次の積み方を組み立てる。
MC。歌割り。作詞。
“声が消える”なら、作詞で残す。
“名前が消える”なら、他人の口で呼ぶ回路を作る。
“功績が消える”なら、功績が出る場面を増やす。
居場所は、最初から用意されてない。
だったら、作ればいい。
この世界のセンター位置のテープが、いつか濃くなるまで。




