第4話 世界のルールと「やりたいことリスト」
「……でな。あやつらが初めて会うたんも、あの玄関じゃった」
村長バーンズの昔話は、予告どおり長かった。
広場の木陰。
レオンが木剣を振る音をBGMに、俺はひたすらメモを取り続けている。
「レオンがまだちっこい頃じゃ。よう転んでは膝すりむいて泣いとった」
「今もメンタルの膝はすぐすりむいてそうですけどね」
「ある日、派手にすっころんでの。皆の前で大泣きしてしもうたんじゃ」
村長は、少し嬉しそうに目を細める。
「“情けないところをミアに見られたくない”言うてな。それから毎日、あの窓の下まで来ては、剣の練習しとった」
「窓の……下で?」
「あそこじゃよ」
村長が指さした先。
さっきから、カーテンの隙間から覗いている二階の窓。
「ミアは病弱での、よう外に出られん。外の様子は、いつもあの窓から眺めとった」
「……なるほど」
「レオンは、“いつかミアが外に出られるようになったとき、かっこいい姿を見せたい”言うてな」
「小さい頃から、そう言ってたんですか?」
「五歳のガキが言うには上出来じゃろう」
やるじゃねえか、レオン。
「それからずっとじゃ。雨の日も風の日も、勇者ごっこみたいな剣振りを、あの窓に向かってやり続けとる」
「だから今も、あそこばっかり見てるわけですね」
「そういうこっちゃ」
村長がにやりと笑う。
「……なあ、マサト殿」
「はい」
「ミアは、自分のことを“ここにおらんでもええ子”じゃと思っとるふしがあってな」
さっき、窓辺で聞いた小さな声が頭に蘇る。
『……いなくても困らない子だし』
「わしやばあさんにとっては、大事な孫じゃ。
レオンにとっても、きっとそうじゃ。
じゃが、あの子自身は、自分のことをよう分かっとらん」
村長の声は穏やかだが、その奥に小さな棘が混じっている。
「王都の“記録局様”の目から見て……あやつは、どんな子に見える?」
――“ワールドコア観測室”じゃなく、“王都から来た書記官”としての質問だ。
俺はペンを止めて、窓のほうを見る。
カーテンの隙間から覗く瞳。
勇者候補の木剣を追いかける、小さな視線。
「そうですね……」
少し考えてから、素直に答えた。
「――窓から世界を見てる子、ですね」
「窓から、世界を」
「外には出られないけど、だからって世界を諦めてるわけじゃない。
窓枠の向こうに見えるものを、ちゃんと見てる子だと思います」
村長が、しばらく黙って俺を見ていた。
やがて、小さく笑う。
「……気に入ったわ、その言い方」
そう言って、腰を上げた。
「ミアの部屋に行くとええ。王都の方が来たと知ったら、きっと緊張するじゃろうが」
「いいんですか?」
「記録局様が“村の暮らしぶりを記録する”んじゃろ?」
「まあ、そんなところです」
「なら、あやつの部屋も見といたほうがええ。
あそこが、ミアにとっての“世界”じゃからな」
――それは、ワールドコアなんかより、ずっと説得力のある言葉だった。
◇
「ミア、起きとるか」
村長が二階の扉を軽く叩く。
「……うん」
少しかすれた声が、中から返ってきた。
「王都から客人が来とる。お前のことを少し話したいそうじゃが、ええか?」
「お、王都……?」
間があってから、慌てた気配。
「べ、別に、話すようなことなんて……」
「怖い人やない。見てのとおり、弱そうな兄ちゃんじゃ」
「言い方」
村長のざっくりした紹介にツッコみながらも、否定できないあたりがつらい。
「……入ってもよろしいですか?」
扉に向かって声をかけると、少しだけ間があった。
「……どうぞ」
控えめな返事。
俺はノックをしてから、扉を開けた。
◇
ミアの部屋は、想像よりずっと「生活の気配」があった。
窓際には小さな机と椅子。
壁際には、本棚代わりの箱が積まれていて、読み込まれた本が何冊も差し込まれている。
窓辺には、乾かしたハーブの束や、小さな野の花を挿した瓶。
「病室」というより、「世界を覗くための小さなアトリエ」みたいな空間だった。
ベッドに、ミアが座っている。
薄い毛布を膝にかけて、ちょこんと背筋を伸ばしていた。
髪は、外から見たときより少し明るい茶色。
瞳は、思ったよりも力がある。
「はじめまして。王都記録局のマサト・ミシロです」
軽く腰を折る。
「ミアさんの暮らしを、少し記録させてもらえればと思いまして」
「き、記録……」
ミアは、ベッドの上で小さく身じろぎした。
「私なんかの暮らし、記録しても……」
「“なんか”は無しでお願いします」
思わず食い気味に言ってしまった。
「えっ」
「ここで何を見て、何を考えて、何を“したいと思ってるか”。
そういうのを知っておきたいだけです。
王都の偉い人に報告するためじゃなくて――」
自分で言いながら、少し恥ずかしくなるが、そこはごまかさない。
「“物語として”ちゃんと残しておきたいから、ですね」
「も、物語……」
ミアが目を丸くする。
「で、でも……」
迷っている顔だ。
「私は、ほら……あんまり外にも出られなくて。
ここで本読んだり、窓から外見てるだけで。
物語になるような、すごいことなんて、何も」
「――“すごいこと”がないと物語にならない、って誰が決めたんですか」
自分でも驚くくらい、はっきりとした声が出た。
「あ」
ミアが、瞬きをする。
やべ、勢い出しすぎたか、と慌ててトーンを落とす。
「えっとですね。
勇者として魔王倒す話も、たしかに物語ですけど」
「は、はい」
「朝起きて、今日は少し体が楽だなーと思ったこととか。
窓から村を見て、“今日は風が強いな”って思ったこととか。
そういうのも、“ミアさんの物語の一部”だと思うんですよ」
「……」
「誰かがちゃんと見てれば、ですけどね」
ミアは、しばらく黙ってから、小さく笑った。
「……変わった人ですね、マサトさん」
「よく言われます」
「おじいちゃんが、“弱そうな兄ちゃん”って言ってたの、ちょっと分かりました」
「そこは忘れてほしい」
思わず苦笑すると、ミアの肩の力が少し抜けたのが分かった。
よし、とりあえず警戒度は下がったっぽい。
(今だ、今のうちに聞いとけ)
視界の端っこで、ミニルナが親指を立てている。
いつの間にか枕元の上空をぷかぷか漂っていた。
「じゃあ、質問を変えます」
俺はノートを開き、ペンを構えた。
「ミアさんは、“何がしたいですか?”」
「……え?」
「今すぐじゃなくていいです。
明日かもしれないし、来月かもしれないし、もっと先かもしれない。
――いつか、体がもう少し楽になったときに、“やってみたいこと”って、あります?」
ミアは、視線を泳がせる。
窓。
本棚。
自分の膝。
そして、ぽつりと口を開いた。
「……玄関、まで」
「玄関?」
「うん」
少しだけ、恥ずかしそうに笑う。
「レオンの、出発の日。
……玄関まで行って、ちゃんと“いってらっしゃい”って言いたいな、って」
その一言だけで、胸の奥がきゅっとなる。
「今までは、ずっと窓から見送ってたから。
レオンがどこに行くときも、村の人たちが集まってるときも。
――窓から、こっそり」
窓ガラスをそっと撫でるミアの指先は、細いけれど、ちゃんと生きている。
「行きたいって思っても、途中で苦しくなったらどうしよう、とか。
そこで倒れたら、みんなに迷惑かけちゃう、とか。
いろいろ考えちゃって、怖くて」
「……」
「だから、今はまだ、“行きたい”って思うだけしかできないけど」
ミアは膝の上で拳を握る。
「――いつか、玄関まで行きたいです」
ノートの一行目に、書き込む。
・玄関まで行く。レオンを“正面から”見送る。
「他には?」
なるべく、さらっと聞く。
「他?」
「玄関まで行けたとして。そこで、何をしたいですか?」
「え……」
ミアは、目を瞬かせてから、少しだけ眉をひそめた。
「怒りたい、です」
「お、おこる?」
「うん」
ミアは、膝の上で握った拳を、ぎゅっと強くした。
「レオンが、“世界のためだから”って言って、勝手にいなくなろうとしたこと。
“みんなのためなら仕方ないよな”って顔だけして、怖いって言わないこと。
――そういうの、ちゃんと怒りたい」
「……」
「“世界のため”って言えば、何しても許されるわけじゃないのに。
怖いくせに、怖くないふりして。
置いて行かれるほうの気持ち、全然考えてなくて」
言葉が、ぽろぽろと零れ落ちる。
ミアは、自分で驚いているみたいだった。
「ご、ごめんなさい。こんなこと言っちゃいけないのに」
「いけなくないですよ」
即答する。
「むしろ、それはちゃんと“言ったほうがいいこと”です」
「でも、みんな、“世界のため”だからって……」
「世界のためと、ミアさんの気持ちは、別枠ですから」
ノートの二行目に書き足す。
・玄関でレオンを怒る。
→ “世界のためだから”でごまかしたところ全部。
「じゃあ三つ目」
「ま、まだあるんですか」
「レオンがもし無事に帰ってきたとして」
“もし”と言いながら、“必ず”と思っている自分に気づく。
「どうしてほしいですか?」
「どうして……」
ミアは、視線を落として、長く息を吐いた。
「――“怖かった”って言ってほしい、です」
その声は、とても静かだった。
「“世界のために戦ってきたんだ”って、自慢みたいに言うんじゃなくて。
“怖かった”“何度も逃げたくなった”って、ちゃんと言ってほしい」
「どうして?」
「だって……」
ミアは、わずかに笑う。
「“世界のために戦ってきたすごい勇者様”だったら。
私なんか、話しかけられなくなっちゃうから」
――ああ。
この子は、自分の居場所を、ちゃんと分かってる。
「逃げたくなった話とか、怖かった話とか。
そういうのを、ここで、玄関からちょっと入ったところで、こっそり聞かせてくれたら」
ミアは、胸元で手を組んだ。
「“ああ、この人はまだ、レオンなんだ”って思える気がするから」
ノートの三行目。
・レオンが帰ってきたら、“怖かった話”を聞きたい。
「――以上です。終わり」
ミアが、ちょっと照れたように笑う。
「ぜ、贅沢ですよね。玄関まで行きたいとか、怒りたいとか、怖かったって聞きたいとか」
「全然」
俺はペンを置いた。
「むしろ、良すぎてメモが追いつかないくらいです」
「えっ」
「一個ずつ、“今日”できることと、“もうちょっとかかりそうなこと”に分けていけばいい。
全部いきなり叶えようとするから、“贅沢すぎる”って思っちゃうだけで」
「……そういうもの、ですか?」
「そういうものです」
ミニルナが、視界の端で大きく頷いている。
「はい、そういうものです〜! “やりたいこと”は、だいたい分解できます〜!」
お前は黙ってて。
◇
コンコン、とドアがノックされた。
「ミア、入るぞい」
「どうぞ」
祖母が、盆を持って部屋に入ってくる。
湯気の立つスープと、小さなパン。
「おお、マサト殿もおったか。冷めんうちに飲ませてやってくれ」
「ありがとうございます」
「いえいえ。王都の方が来ても、出せるもんはこれくらいしかないでな」
祖母は笑いながら、ベッド脇の小机に盆を置いた。
その動きが一段落したところで、ふと口を開く。
「……玄関の話、しとったかの?」
「え」
ミアが、びくっと肩を揺らす。
「さっき、“玄関まで行きたい”言うとったろう」
祖母は、ミアの髪をやさしく撫でた。
「ミアにとって、あそこはちいと、怖い場所じゃからなあ」
「……」
ミアが、視線を落とす。
祖母は、窓の外に一度だけ目を向けてから、ぽつりと言った。
「ミアの父ちゃんと母ちゃんが、旅に出た日も、あの玄関じゃった」
空気が少しだけ、重くなる。
「“すぐ戻る”言うてな。
でも、戻らんかった。
それからしばらく、あの子、玄関のところでよう待っとったもんじゃ」
祖母の声は淡々としている。
けれど、その指先は、盆の縁を掴むようにして小さく震えていた。
「そのうち熱出して倒れてしもうてな。
それからは、あんまり玄関に近づかんようになった」
「……ごめんなさい、おばあちゃん」
ミアが、小さく謝る。
「謝ることはなーんもない」
祖母は、ミアの額に手を当てる。
「そんだけ怖い思いした場所なんじゃ。
行きとうないと思って当然じゃよ」
そこで、ちらりと俺のほうを見る。
「……でも、行きたいと思う日が来たなら」
「はい」
「そのときは、誰かが一緒に行ってやらんとなあ」
祖母の目は、優しく細められていた。
「わしら夫婦でも、レオンでも、マサト殿でもええ。
誰かが手ぇ引いて、一歩ずつ行けばええ」
その一言で、この家の「世界のルール」が、少しだけ見えた気がした。
――“怖い場所には、一人で行かなくていい”。
そういうルール。
「……マサトさん」
祖母が部屋を出たあと、ミアが小さな声で呼んだ。
「さっきの、“やりたいこと”の話なんですけど」
「はい」
「一人で行かなきゃいけない、ってずっと思ってました。
玄関も、レオンのところも」
ミアは、両手をぎゅっと握る。
「でも、もし……」
少しだけ顔を上げる。
「もし一緒に行ってくれる人がいるなら。
――やっぱり、行きたいです」
「じゃあ、そこも書いておきましょうか」
ノートの欄外に、そっと書き足す。
・怖い場所には、一人で行かなくていい。
「世界のルール、ひとつ更新です」
「せ、世界の……」
ミアが、くすっと笑う。
「そんな大げさな」
「いえ、結構大事なルールですよ。
少なくとも、俺の世界では、ですけど」
ミニルナが、視界の端でなにやらごそごそやっている。
「更新入りました〜。
ワールドコアさん側にも、ちょっとだけ反映されてますよ〜」
小さなウィンドウが、一瞬だけ開いた。
【案件No.0001】
【代償テンプレ適用傾向:微弱低下】
【ヒロイン“やりたいこと”ログ:+3】
「……見た?」
俺が心の中で問いかけると、ミニルナが大きく頷いた。
「はいっ。“いなくてもいい子”のままだと、ワールドコアさんも“代償にしても仕方ないよね”って見なすんですけど」
「やめろその言い方」
「でも、“やりたいこと”がちゃんと積み上がっていくと、
――“代わりのきかない子”として、骨のほうに入っていくんです」
ミニルナは、机の上にちょこんと座り込む。
「だから、そのノート」
彼女は、俺の手元を指さした。
「実はすごく大事なやつです〜。
一行書くたびに、ちょっとずつ世界のほうも変わってますから」
「大袈裟じゃないといいけどな」
ぼそっと返しながらも、内心では同意していた。
(――このノートは、代償テンプレに対する“反論書”みたいなもんだ)
誰か一人を楽な犠牲枠に押し込むテンプレ構造に対して、
「この子には、こんだけやりたいことがあるんだぞ」と突きつけるための紙束。
「ミアさん」
「はい?」
「さっきの三つ、全部、一気に叶えようとしなくていいですからね」
「……?」
「今日は、“やりたいことリストがある”ってところまでで十分です」
そう言って、ノートを閉じる。
「明日は、“玄関のほうを向いてみる”くらいでも、たぶん大進歩です」
「そんな小さいことでいいんですか?」
「小さいことじゃないですよ」
ミニルナも、こくこく頷いている。
「“やりたいこと”を決めた日と、
“やりたい方向を向いてみた日”は、ちゃんと別のページですから」
「……変わった記録のつけかたですね」
「変わった死後就職先に来ちゃったもので」
そう返すと、ミアが小さく笑った。
――窓辺だけだった世界に、「玄関」が加わる。
その一歩目を、ノートの上にしっかりと記録しながら、
俺は改めてペンを握り締めた。
(代償テンプレ。
お前の雑な“犠牲エンド”なんかより、
ここに書いた一行一行のほうが、よっぽど世界を立たせるんだよ)
心の中で、そう吐き捨てる。
やりたいことリストの一ページ目が、静かに埋まっていった。




