第3話 名前が残らないセンター候補
――「さっきの提案、良かったです。影前提の見せ方、もう少し詳しく聞いてもいいですか?」
俺がそう言うと、センター位置の子――天羽詩乃は、一瞬だけ驚いた顔をして、すぐに小さく笑った。
「……はい。私でよければ」
その返事が、ログに残るかどうかは分からない。
でも、残らなくてもいい。まずは“今ここにいる俺”が聞く。
俺は練習室の隅、ホワイトボードの前に立った。
「じゃ、具体的に。影が出る前提って、どう作る?」
詩乃は床テープと照明の位置を交互に見てから、指先で空中に線を引くみたいに説明し始める。
「ライトが強い場所って、顔の正面に当たると影が濃くなります。だから――顔を上げるんじゃなくて、顎を少し引いて、目線だけ上げる」
言葉が丁寧で、手の動きも控えめ。
派手に主張しないのに、内容が“場を成立させるやつ”だ。
……なのに。
肩の上のミニルナが、ぎゅっと目を閉じた。
「三城さん……」
俺の視界の端、透明なHUDが浮かぶ。
【音声ログ:検出】
【発話者識別:失敗】
【発言テキスト化:欠損】
「くそ、やっぱりか」
俺は内心で舌打ちした。
詩乃は今、確実に“良いこと”を言っている。
星宮ルイも真白ことねも、うんうん頷いてる。久遠ひよりはライトを動かして検証まで始めた。
なのに、世界の記録は――「誰が言ったか」を残さない。
これ、ただの“空気化”より悪質だ。
存在は見えてる。声も聞こえる。反応も起きる。
でも功績が残らない。
つまり――「いなくても回るよね?」が成立する下地を、最初から作ってる。
「……詩乃さん」
俺は、できるだけ自然に呼んだ。
呼んだ瞬間、ルイが一瞬だけ目を丸くする。
――今まで、この子を“名前で呼ぶ”場面がなかったんだ。
「はい」
詩乃が返事をする。声はちゃんとそこにある。
でもHUDは相変わらず、空欄を積む。
俺は笑ってごまかした。笑顔の内側で、胃が冷える。
「今の話、めちゃくちゃ助かります。……ちょっと、ホワイトボード借りてもいいです?」
「え?」
ことねがスマホを構えたまま言う。
「運用支援の立場で、当日の照明条件を共有資料に落とします。口頭だけだと、当日ズレた時に揉めるんで」
「賢い。めっちゃ賢い。炎上回避」
ことねが即座に頷いた。SNS強者、理解が早い。
俺はペンを取って、ボードに大きく書く。
『強照明=影が出る前提で「見せ方」を作る』
『顎:少し引く/目線:上げる』
『ライト角:○○度(久遠ひよりが調整)』
書きながら、俺はミニルナに小声で言った。
「……文字は残るか?」
「……待って、確認します」
ミニルナの目がHUDみたいに淡く光る。
【書記ログ:検出】
【記録者:三城晶也】
【引用元:天羽詩乃(識別:成功)】
「――成功!」
ミニルナが、声にならないガッツポーズをした。
「よし。入口見つけた」
声を抜かれるなら、文字で残す。
言葉が欠損するなら、言葉以外の“結果”で残す。
この世界が勝手に削るなら、削れない形にして積む。
ルイが腕を組みながら言った。
「……詩乃、今のやつ、ほんと助かった。……その、えっと」
言いかけて、止まる。
名前を呼ぶところで、言葉が詰まる。
詩乃は困ったように笑う。
「大丈夫。通しましょう。時間、ないし」
その瞬間、ルイの眉が少しだけ動いた。
たぶん、何かに引っかかった顔。
ことねもスマホ越しに、ちょっとだけ表情を曇らせる。
――“名前を呼べない違和感”は、もう現場にも伝染してる。
いい。
違和感は、味方だ。
◇
練習が終わり、休憩に入ったタイミングで、練習室のドアがノックされた。
「失礼。……LUMiS、いる?」
入ってきたのは、スーツ姿の男だった。
芸能世界の大人って、だいたいスーツだ。現実も異世界も、そこは変わらないらしい。
男は練習室を一周見てから、軽く笑った。
「おー、今日も回ってるね。……神崎玲司。番組側のPね」
番組P――神崎玲司。
アウトラインの名前と一致。つまり、この人が“現地の運用者”だ。
神崎Pは、ルイとことねとひよりに目を向ける。
「星宮ルイ、真白ことね、久遠ひより。君らは安定。で――」
視線が、詩乃の上を通り過ぎる。
いや、通り過ぎるっていうより、“そこにいるのに焦点が合わない”感じ。
神崎Pは、俺に視線を移した。
「で、あなた誰?」
「外部講師補助の……学園イベント運用支援です。三城晶也」
「運用支援。助かる。今、現場が地獄だからね」
地獄って言ったな、この人。
芸能世界の大人、正直で良い。
さらに後ろから、もう一人入ってくる。
髪をひとつにまとめた女性。現場の顔だ。視線が速い。
「透子です。現場ディレクター。有栖川透子。……LUMiS、時間押してるよ。次、カメラ割り合わせ」
有栖川透子。これも一致。
番組Pと現場ディレクター。つまり、ここが“番組”そのものの入り口。
透子さんは、詩乃の方に視線を向けた……はずなのに、口に出るのは別の言葉だ。
「……四人目。今日の声、悪くなかった」
四人目。
名前じゃない。ラベルだ。
詩乃が小さく頭を下げる。
「ありがとうございます」
透子さんは「うん」とだけ言って、資料をめくる。
俺の中で、何かがカチ、と音を立てた。
――このままだと、詩乃はずっと“四人目”で終わる。
終わらせない。
俺は運用支援の顔で前に出た。
「すみません、有栖川さん。資料、見てもいいですか?」
「え? 運用支援が?」
「導線と段取り、把握したいので。あと――ユニット表記、これ」
俺は透子さんの手元の紙を指さした。
そこには確かに、LUMiSのメンバー欄がある。
……三名分しか。
「メンバー欄、三枠しかないです。四人ユニットなら、当日の控室割り、動線、マイク数、全部狂います」
言い方を“超現場”に寄せる。
物語の話をしない。感情論にしない。
運用の話をする。誰も否定できないやつ。
透子さんの目が鋭くなる。
「……たしかに。なんで三枠?」
神崎Pが眉を上げた。
「え、三枠で来てた? うそだろ。うちの制作、誰が――」
詩乃が口を開きかける。
でも途中で止めた。慣れてる顔だ。言っても残らない経験を積んでる。
俺はそこで即座に“文字”に逃がす。
「ホワイトボード、見せます。照明の件、詩乃さんの提案で改善しました。記録残ってます」
俺は“詩乃さん”と、はっきり言った。
今度は透子さんが一瞬だけ止まる。
「……詩乃?」
呼べた。
一回、呼べた。
ミニルナが、俺の肩で小さく震えた。
「三城さん、今の……今の、残りました!」
HUDが一瞬だけ光る。
【呼称ログ:検出】
【対象名:天羽詩乃(識別:成功)】
【発話者:有栖川透子】
――よし。
小さいけど、確実な一歩。
神崎Pが腕を組んだ。
「……分かった。四枠に修正。いや、“四人目”とか言ってる場合じゃねえな。番組側の資料、作り直す」
透子さんも頷く。
「制作と共有する。四枠。……天羽詩乃、だね?」
「はい」
詩乃が返事をした瞬間、ミニルナが口元を押さえた。
「今の返事、テキスト化……ギリ、残りました……!」
俺は、心の中で息を吐いた。
積め。
一個ずつ、積め。
“存在のログ密度”を増やす。
消される前に、消せない形にする。
◇
――その時。
練習室の外廊下から、軽い拍手が聞こえた。
「いやぁ〜いいねぇ。さすが候補ユニット」
入ってきたのは、黒っぽいパーカーにスタッフ証をぶら下げた男。
笑顔が軽い。軽いのに、目だけが冷たい。
「灰谷カイ。現場の雑務とか、いろいろ。困ったら言って」
刺客①――灰谷カイ。
ミニルナが、俺の肩で固まる。
「……三城さん。あれ、匂います」
「だろうな」
灰谷は詩乃の方を見た。
見たのに、口にするのはまた“ラベル”だ。
「で、四人目さんも調子良さげ? いや〜伸びるね〜」
透子さんが眉をひそめる。
「四人目じゃない。天羽詩乃」
灰谷が、にこっと笑う。
「そっかそっか、詩乃ちゃんね。はいはい。……じゃ、今日のカメラ割り、ちょい変えとく?」
「変えない」
透子さんの即答が速い。
灰谷は肩をすくめた。
「うわ、こわ。現場ディレクター、強。……でもさ、番組って“分かりやすさ”大事じゃん? センターは一人。映す子も絞る。見せたい子も――」
言いかけた瞬間、ミニルナのHUDがノイズった。
【介入ノイズ:検出】
【強制イベント誘導:兆候】
【対象:ユニット内序列/センター固定】
テンプレ押し戻し。
来た。早い。最悪、優秀。
神崎Pが笑いながら言う。
「灰谷、今それ言う? こっちはまだ調整段階だぞ」
「いやいや、早めに“型”作っといた方が楽でしょ。揉める前に揉めとく、みたいな」
最悪の合理だ。
詩乃が小さく息を吸った。
何か言いたい顔をしている。でも、言っても残らない怖さが、喉を縛っている。
だから俺が言う。
「揉める前に揉めとくの、現場の寿命縮めるだけですよ」
灰谷が俺を見た。
「あれ? 運用支援さん、やけに口が回るね」
「仕事なんで」
「仕事ねぇ」
灰谷の笑顔が、ほんの少しだけ薄くなる。
「じゃ、仕事ついでに。……天羽詩乃の“立ち位置”、もうちょい後ろにしよっか。影が出ないし、目立たないし、何より――」
最後の言葉を、灰谷は飲み込んだ。
でも言外は分かる。
――“消しやすい”。
俺は笑って返した。爽快に。
「それ、無理です。今のLUMiS、詩乃さんがいないと回らないんで」
「へぇ。根拠は?」
灰谷が目を細める。
俺はホワイトボードを指さした。
「根拠なら、ここに。照明、動き、歌の見せ方。全部、今日のログに残してます」
文字にした。
運用資料にした。
番組側の資料も四枠に修正させた。
つまり、もう“いなかったこと”にはできない。
灰谷は一拍置いてから拍手した。
「いいねぇ。そういうの、嫌いじゃない」
嫌いじゃない、って言い方がもう嫌いだ。
透子さんが、灰谷を押し返すように言う。
「カメラ割りは変えない。勝手にいじったら、出禁」
「つよ〜。了解〜」
灰谷は軽く手を振って、廊下へ消えた。
消えた瞬間、練習室の空気が少しだけ戻る。
でも、戻りきらない。
神崎Pが、ぼそっと言った。
「……あいつ、現場にいると便利なんだけどな。便利なやつほど、厄介なんだよ」
俺は頷いた。
「便利なテンプレほど、厄介なのと同じですね」
神崎Pが苦笑した。
「言うね。運用支援さん」
「……三城です」
「三城。覚えた」
その“覚えた”が、なんだか嬉しいのが悔しい。
名前が残るって、それだけで人は救われる。
詩乃が、ぽつりと言った。
「……ありがとうございます」
今度は、HUDが静かに光った。
【発言テキスト化:成功】
【発話者:天羽詩乃(識別:成功)】
【条件:第三者による名指し直後/記録媒体併用】
――条件依存。
でも、条件が分かったなら、崩しようがある。
俺は小さく息を吸って、詩乃にだけ聞こえる声で言った。
「大丈夫。名前、残します。言葉も、残します」
詩乃は、ほんの少しだけ目を見開いた。
それから、すごく小さく頷いた。
練習室の外では、七耀ステージの宣伝映像が派手に流れている。
派手な世界で、静かに消される子がいる。
――だからこそ、俺の仕事ははっきりしてる。
この世界が削りたいのは、彼女の“証拠”だ。
なら俺は、証拠で殴る。
まずは今日。
今日のログを、厚くする。
七日+七十二時間。
数字が迫ってくる音が、まだ聞こえる。
でも、焦りで負けない。
焦りはテンプレの味方だ。
俺は、味方を増やす側で行く。




