第1話 案件No.0004、推しが“いないこと”になってる
会議室を飛び出した俺の足は、ストーリー課フロアの廊下を勝手に早足にしていた。
心臓は焦ってる。頭は冷静なふりをしてる。――結果、足だけが正直。
天井の巨大スクリーンの端で点滅していた赤い警告。
さっきまで「追放→最強→ざまぁ→ハーレム」みたいな“テンプレの墓場”を、気持ちよく埋葬してたのに。次の瞬間には、世界ひとつの寿命が秒針で削られていく。
七日。
それに、七十二時間。
数字って、情緒がない。だから刺さる。
「三城」
背後から呼ばれて、反射で振り向く。
黒瀬天音さんが、いつもの無駄のない歩幅で追いついてきた。ファイルを片手に、目はもう次の仕事のページをめくっている。
「走る必要はないわ。転ぶ」
「すでに脳内では転んでます」
「なら歩きなさい。落ち着ける分だけ得よ」
淡々としてるのに、言い方が妙に現実的でありがたい。
俺は息を吐いて、歩幅を落とした。
「現地潜入の段取り、確認する。まず“核心セクション”」
「《七耀ステージ》ですよね」
「ええ。そこに到達できなければ、救済も是正も土俵に上がれない」
黒瀬さんはファイルを開き、要点だけを刃物みたいに並べる。
「今回の異常は“ヒロイン候補ログの薄化と欠損”。
薄いログは、救えない。救えない世界は、削られる。だから――」
「ログを厚くする」
俺が言うと、黒瀬さんは一瞬だけ目を細めた。たぶん、合格のサイン。
「ええ。あなたが現地でやるのはそれ。
セラは統計と離脱予測。白石はテンプレ強制イベントの“刺さり方”の整理。ルナは――」
「ノリで空気を壊す係?」
「情報と導線よ。余計な煽りは抑えなさい」
背後で「はーい!」と元気な声がした。
いつの間にかルナが追いついている。さっきまで涙目で“採用率”を気にしてたのに、切り替えが早い。神様メンタル、見習いたい。
「三城さん! 案件No.0004、芸能学園ですよ芸能学園! ステージ! ラン――」
「ルナ、深呼吸」
「すぅ……はぁ……! はい、落ち着きました!」
全然落ち着いてない。
でも、こういうテンションがいまは助かる。怖いときほど、空気に“音”がいる。
廊下の角を曲がると、ストーリー課の“潜入準備区画”が見えた。
壁面にはワールドコアへの接続端末、ログ閲覧用の立体モニター、そして――いかにも“現場に送り込む部署”っぽい物々しいロッカー群。
黒瀬さんが端末の前で止まる。
「あなたは今から、案件No.0004の導入点に降りる。
今章の“世界側ヒロイン”は――天羽詩乃。LUMiSのセンター候補」
その名前を口にされた瞬間、俺の胸の奥が、ほんの少しだけ締まった。
“センター候補”。その言葉だけで分かる。競争、評価、数値、順位。誰かが落ちる構造。落ちた瞬間に、物語からも消される構造。
「……センター候補が消えると、何が起きるんです?」
「世界の“最短完走ルート”が成立する」
黒瀬さんは感情を乗せない。
でも、言葉の芯が冷たい。嫌悪の温度が、むしろ伝わってくる。
「余計な人物を退場させて、話を単純にして、主役を輝かせて、短く終わらせる。
そのための強制イベントが動きやすい――そういう傾向」
「“推し不在のステージ”ってやつですね」
俺が言うと、ルナが「それそれ!」と指をぱちんと鳴らした。
「推しが“いないこと”になるんですよ! え、怖くないですか? いるのに、いない扱い!」
「怖い。めちゃくちゃ怖い」
端末に表示された案件ウィンドウを見つめる。
そこには、天井スクリーンで見た警告と同じ、赤い字面の要点が整然と並んでいた。
【警告:案件No.0004】
【状態:ヒロインログ一部欠損】
【構造傾向:テンプレ強制イベント適用リスク高】
【削除ルーチン:カウントダウン開始】
【期限:核心セクション到達まで7日/到達後72時間以内に是正未完了の場合、削除確定率上昇】
【観察者:閲覧開始】
“観察者:閲覧開始”。
最後の一行だけ、妙に軽くて、妙に不気味だ。
ただ見てるだけ、の顔をしている。でも視線は、世界を削る刃よりも、嫌なところを撫でてくる。
「観察者については、断定しない。匂わせ止まり」
黒瀬さんが先に釘を刺す。
「分かってます。……好きで見てるのか、壊したくて見てるのか、ただの趣味の悪い読者か。材料不足」
「ええ。その判断は後でいい。今は、七日」
黒瀬さんは指で“核心セクション”の文字を軽く叩いた。
「到達しなさい。到達さえすれば、あなたは“是正する権利”を持てる」
権利。
救うための権利を、まず取りに行け、ってことだ。
少し離れた位置で、白石とセラが端末の画面を覗いていた。
セラはいつものふわふわ笑顔のまま、すでにタブレットにメモを走らせている。
「芸能×競争ルールは、離脱ポイントが分かりやすいです。
“勝つ子”以外を薄くする誘惑が強い。数字が正義の顔をしやすいから」
「その正義、だいたい雑なんだよな」
白石がぼそっと言う。編集者の目だ。嫌なものを見慣れてる声。
「“負けた子は退場”が気持ちいいのは分かる。でも、それを毎回やると、読者の感情が機械になる。
次も同じだろって予想が勝つ。予想が勝つ物語は、早く飽きる」
「……早く飽きる世界は、早く削られる」
俺がつぶやくと、セラが頷いた。
「はい。継続読了が落ちる。再読も落ちる。
だから“誰かに会いに来る”動機が必要。今回なら――天羽詩乃に会いに来る理由」
会いに来る理由。
会議で言った言葉が、ここで世界の命綱になる。
黒瀬さんが端末のロックを外す。
「三城。準備ができたら接続。ルナはここまで。潜入のUIは現地で起動する」
「了解です」
ルナがむっと頬を膨らませる。
「えー! 私も行きたいのに!」
「あなたは情報導線と後方支援。現地に行くと、あなたはテンションで世界を燃やす」
「燃やしません! 盛り上げるだけです!」
「似てる」
黒瀬さんの一言が容赦なくて、俺は小さく吹きそうになった。
こういうツッコミがあるだけで、胃の痛みが一段減る。ありがたい。
俺はロッカーを開け、潜入用の“権限札”と最低限の身分偽装データを確認した。
芸能学園――つまり、校内に入るにはそれっぽい肩書きがいる。
「今回は何役です?」
「“外部講師補助”。表向きは、ステージ運営の安全講習。裏では、ログの検証」
「安全講習、俺に似合わなくないですか」
「あなたは現場で死ぬほど“危ない原稿”を見てきた。安全」
それ、別の意味で危険物取り扱い資格みたいなやつだ。
端末の前に立つ。
ワールドコア接続の輪郭が、薄い光で浮かぶ。これに触れた瞬間、俺の意識は“案件No.0004”へ落ちる。
息を吸って、吐く。
「……行きます」
「行きなさい」
黒瀬さんの声は変わらない。
だけど、変わらない声ほど背中を押す。
俺は端末に手を置いた。
光が指先から腕へ走る。
視界が一瞬だけ白くなって――耳元で、軽いノイズが弾けた。
『接続確認。現地座標、同期。ログ閲覧権限、最低限。――はいはいはい! お待たせしました、潜入UI!』
肩のあたりに温度が増えた気がした。
次の瞬間、そこに“ちいさい何か”が、ぴょこんと乗っている感覚。
「……うわ、出た」
『失礼な! 私は“ミニルナ”です! 可愛いでしょ!』
小動物っぽいマスコット形態。
でも、声とテンションはルナそのもの。いや、ルナを濃縮したやつ。
「会議にいないと思ったら、ここで出るんだな」
『当たり前です! 私は“潜入時のUI”ですからね! ほら、今からHUD出しますよ!』
視界の端に、情報の薄い帯が浮かぶ。
座標、時刻、身分、危険度、そして――“ヒロイン候補ログ”の項目。
そこだけ色が薄い。
薄いというより、“最初から薄くされた”感じがする。紙をこすって消した跡みたいに。
「……天羽詩乃」
名前を読むと、ミニルナが一瞬だけ真面目な声になる。
『該当ログ:薄化・欠損。本人発言の記録が特に少ない。
現地で“彼女の言葉”を拾ってください。拾った分だけ、世界が生き残れます』
「分かってる」
白が溶けていく。
空気の匂いが変わる。床の硬さが変わる。――世界が切り替わった。
目の前にあるのは、光沢のある床とガラス張りの壁。
奥にはポスターがずらりと貼られている。制服姿の生徒たち。ステージ照明。派手なコピー。
遠くから聞こえるのは、低いベース音と、誰かのカウント。
ここは学園の中。
でも普通の学園の空気じゃない。緊張の種類が違う。
“評価される場所”の匂いがする。
『現地到着。王立芸能学園、第一校舎・運営通路。
現在時刻――Day1、開始です』
ミニルナの声が、やけに明るく告げる。
Day1。七日の一日目。
「……よし」
俺は歩き出す。
通路の先、黒いスーツのスタッフが行き交い、誰かが紙束を抱えて走り、壁のモニターでは《七耀ステージ》の告知映像が無音で流れていた。
その映像の片隅に、ユニット名が踊る。
《七耀ステージ》
――学園・街・興行連盟合同、大型ライブ/審査会。
ここに辿り着く。
そして辿り着いた瞬間から、七十二時間で世界をひっくり返す。
……普通に考えて無茶だ。
でも、無茶を“普通の顔”でやる部署に配属されたのが俺だ。
『三城さん、まずは情報! 詩乃の現在位置――』
「ストップ。焦るな。最初は“この世界のルール”を掴む」
『えっ、真面目! 誰ですかあなた!』
「生前の俺も、たまには真面目だった」
『嘘だぁ』
軽口を叩きながら、俺は壁の掲示板に視線を走らせた。
規約、注意事項、練習室の使用ルール、配信ガイドライン、スポンサー名――。
“ルールが多い世界”は、誰かがルールを武器にする世界でもある。
刺客がいるなら、たぶんここから殴ってくる。
契約、規約、炎上。
そして“事故”という名の強制イベント。
俺は一度だけ足を止めた。
胸の奥に、昨日までの光景が一瞬だけ浮かぶ。
境目を曖昧にして居場所を作っていた、あの大広間。
誰かを追い出して終わる話じゃなく、誰かを残して続く話。
「……今回も、同じだ」
独り言は、もう恥ずかしくない。
言わないと折れそうなときは、言っていい。
『同じです! 黒い栞を割って――』
「それは、まだ先だ。まずは“いないことにされてる子”を見つける」
ミニルナが、ぴょこんと肩の上で跳ねた気配がした。
『了解! じゃあ、いきましょう。推し不在の台本――叩き返しに!』
俺は通路の角を曲がる。
ステージ裏へ続く扉の向こうから、歓声の練習みたいな声が聞こえた。
この世界の“中心”は、もう動き始めている。
なら、その中心に、“いないことにされてる存在”をねじ込むだけだ。
時間は七日。
そして七十二時間。
――間に合うか?
じゃない。
間に合わせる。
それが、ストーリー課の仕事だ。




