第4章 プロローグ ボツ印と、赤い点滅
第4章 アイドル世界の削除カウントダウン
ストーリー課のフロアは、今日も今日とて静かだった。
静か――に“見える”だけで、天井の巨大スクリーンは休みなく世界を再生し続けている。
昨日まで映っていたのは、王都学園の慈善バザー準備。
レティシアが「境目を曖昧にして居場所を作る」とかいう、やけに本質を突いてくる采配を見せて――あの世界は、黒い栞じゃなく、七色の栞でちゃんと先へ伸びた。
で、今日。
巨大スクリーンの端。小さな赤い点が、ちかちか点滅していた。
【警告:案件No.0004】
その行だけ、他の案件とは違う色で光っている。
嫌な予感って、こういうときだけ仕事ができる。……当たらなくていいのに。
自動で詳細ウィンドウが開いた。
【状態:ヒロインログ一部欠損】
【構造傾向:テンプレ強制イベント適用リスク高】
【削除ルーチン:カウントダウン開始】
【観察者:閲覧開始】
「……はいはいはい、落ち着け俺。深呼吸。深呼吸」
口に出してから気づく。
誰もいない通路で独り言を言ってる男、わりと終わってる。俺、三城晶也。死んで公務員になってまでこれ。
そのとき、背後で椅子が引かれる音。続けて、靴音が近づいてくる。
「三城。朝から顔がやかましいわね」
黒瀬天音さん――うちの上司であり、ストーリー課の一等審査官。
いつも冷静、いつも無駄がない。たぶん感情があるのは知ってるけど、見せる気がないタイプ。
「すみません。いま、天井で赤いのが点滅してたんで」
「見てる。あとで扱うわ」
「あとで……って、今すぐじゃなく?」
「今すぐは別件がある」
黒瀬さんはあくまで淡々と告げる。
「今日は“持ち込み審査会”よ。ルナが朝から張り切ってる。逃げるなら今のうち」
「逃げたら後が怖いので、座ります」
俺は素直に会議室へ向かった。
◇
ストーリー課の会議室は、シンプルに言えば「机と椅子とモニター」だけの空間だ。
でも、そこに映るものがシンプルとは限らない。
壁一面のスクリーンに、案件一覧がずらりと並ぶ。
【案件No.57801 異世界トラック転生(仮)】
【案件No.57802 剣と魔法のスローライフ】
【案件No.57803 追放された俺が実は最強】
【案件No.57804 死んだらゲーム世界でした】
【案件No.57805 ギルド受付嬢が俺を離さない】
【案件No.57806 最強の俺、なぜか聖女に拝まれる】
「うわあ……」
思わず声が漏れた。
この世には、見慣れた安心感と、胃もたれの安心感がある。今は後者。
「でしょ! 圧巻ですよね!」
隣でルナが、きらっきらの目をしている。褒め言葉として言ったわけじゃないんだが。
「本日分の審査対象は、このうちテンプレ度A以上からです!」
「テンプレ度って正式な指標なんですか」
「当たり前じゃないですか。ストーリー課ですよ?」
胸を張られても困る。ここ、真面目にそれを採点して、真面目にボツを出す部署だ。
席には、ストーリー課の職員が数名。見た目も種族もバラバラで、獣耳があったり輪っかが浮いてたりする。
そして今日は、見慣れた顔が二人混ざっていた。
セラ・ブランシュ。ロマンス案件調整課からの応援。
白石慧。ストーリー課の二等審査官――普段は現場が多く、こういう“持ち込み”にはたまにしか顔を出さない。
「えー、本日は合同レビュー当番としてロマンス調整課からお邪魔してます、セラです」
セラはふわっと笑って、タブレットを抱える。
この人、雰囲気は綿菓子なのに中身は統計の鬼だ。
「俺は編集の癖が抜けないから、読者の離脱ポイント担当な。白石」
白石は軽く手を上げた。
売れるテンプレの現実を知ってるくせに、テンプレの独裁も嫌う、現場リアリスト枠。
「新人の三城晶也は、今日はオブザーバー兼コメント担当」
黒瀬さんが淡々と告げる。
「コメント担当って、なんか責任重くないですか?」
「あなたは“ボツを食らう側”の経験値が高い。遠慮なく刺しなさい」
「その言い方、褒めてます? 刺していい許可?」
「褒めてる。刺して」
こわ。公務員の許可って、こんなに刃物みたいに出てくるんだ。
「では――本日の審査会を始めます」
黒瀬さんが指先を動かす。
スクリーンが一件だけ拡大表示され、プロットシートが開いた。
【案件No.57803】
【テンプレ度:A+】
【タイトル案:追放された俺が実は最強(仮)】
【あらすじ案】
辺境の貴族家で虐げられていた少年が、ある日、家を追放される。
だが少年には“覚醒条件”があり、追放をきっかけに最強スキルが解放。
冒険者として成り上がり、ギルドで無双。
元の家は没落し、復讐は自然に達成。
最後は魔王軍を単独で撃破し、王国から英雄として迎えられる。
ヒロインは「優しい受付嬢」「ツン強め女剣士」「ミステリアス聖女」の三名。
全員が主人公に惚れる。
「はい! 安心と信頼の王道です!」
ルナが指を一本立てる。
「虐げ→追放→覚醒→無双! はい、気持ちいい!」
「ルナ、落ち着いて。『はい』で気持ちよくならないで」
「さらに二本目!」
指が二本。
「ざまぁ要素も自然に回収! 元の家が勝手に崩壊! はい、すっきり!」
「勝手に崩壊は便利すぎる」
「三本目!」
指が三本。
「ヒロイン三名! 全員かわいい! 全員スタイル抜群! 全員主人公大好き!」
会議室の空気が、ひんやり冷える。
セラが微笑んだまま、タブレットの角度を変えない。
白石が遠い目をした。
黒瀬さんは、軽くため息をついた。
「ルナ」
「は、はいっ」
「あなたの中で“王道”っていう言葉の定義、いったん保留」
「えっ!?」
「――三城」
急に振られて、背筋が伸びた。
「はい」
「第一印象。短く」
黒瀬さんの目は真剣で、責める色はない。
だからこちらも、変に媚びるのはやめた。
「……めっちゃ分かりやすいです」
「ですよね! 分かりやすいは正義!」
「ただ――」
続けた瞬間、ルナが身構えた。学習してる。
「ここまで“分かりやすさ”が飽和すると、逆に“読む理由”が消えます」
自分で言って、胸がちくっとした。
昔の自分の原稿にも同じ欠点が刺さってるから、妙に痛い。
「主人公の願いが薄いんです。“追放されたから最強になりたい”って、条件反射みたいで」
「条件反射?」
「追放されたら強くなる。虐げられたら覚醒する。嫌われたら見返す。全部、分かる。分かるんですけど――」
俺はスクリーンのあらすじを指でなぞった。
「この主人公“じゃなきゃいけない理由”がない。誰でも同じ台本を読める」
「でも、それがテンプレの強みでもあるんじゃ――」
白石が口を挟む。否定じゃなく、確認だ。
俺は頷いた。
「強みです。掴みは強い。だからこそ怖い。掴みが強すぎて、途中が全部『次も同じだろうな』になる」
「裏切ると離脱する読者もいますよね」
セラが柔らかく言う。
「います。だから裏切り方が大事です。“安心”の上に、ひとつだけ個性を乗せる。
たとえば最強になる理由が『復讐』じゃなく『誰かを生かすため』とか。
追放の原因が“失敗”じゃなく“正しすぎたせい”で、その代償を引きずるとか」
「ほう」
白石が少しだけ興味を見せた。
「ヒロインも同じです。三人並べるなら、三人が必要な“関係の形”を作らないと意味がない」
ルナがむくれた。
「多いほうが楽しいのに……」
「楽しいは否定しません。でも“代替可能”だと薄い。
受付嬢が不在なら女剣士、女剣士が忙しいなら聖女――って交換できると、読者は会いに来なくなる」
「会いに来る……」
ルナがぽつりと言った。
「そう。読者は“物語”じゃなく、誰かに会いに来るんで」
言った瞬間、会議室の空気が少しだけ変わった。
セラがタブレットを操作し、簡易のグラフを出す。
「“会いに来る”は、数字でも出ますよ。再読が発生するのは『イベント』じゃなく『キャラ会話』に偏りやすい。
特に、固有の口癖や価値観が出る場面」
「……じゃあ」
ルナが悔しそうに唇を噛む。
「この案件、ダメ?」
黒瀬さんが淡々と結論へ向かう。
「ダメじゃない。今のままだと“完成してない”だけ。――審査結果」
黒瀬さんが印鑑アイコンに指を伸ばす。
「案件No.57803。結論――ボツ」
赤いスタンプが、プロットシートにどん、と押された。
【審査結果:ボツ(要再構成)】
「ひぃ……! 私の採用率がぁ……!」
「採用率を守るためにテンプレを盛るのをやめなさい。逆」
黒瀬さんのツッコミは切れ味がよすぎて、むしろ爽快だ。
白石が肩をすくめる。
「まあ、妥当だな。テンプレは“下地”であって“完成品”じゃない」
セラも頷いた。
「“安心”は入口として優秀です。でも出口まで連れていくには、個別性が要ります」
黒瀬さんがこちらを見る。
「三城。コメント、悪くない」
「ありがとうございます。『ボツ経験者として』って枕詞が消えるだけで、だいぶ救われます」
「そのうち消えるわ。実績で」
さらっと言われて、胸の奥が妙に熱くなった。
生前は一回も貰えなかった種類の言葉だ。
――その瞬間。
会議室の天井の隅、巨大スクリーンの端が、赤く点滅した。
会議室の空気が、一段階だけ冷える。
誰も「なに?」とは言わない。全員、見上げてしまっているから。
【警告:案件No.0004】
自動で詳細ウィンドウが開く。
【状態:ヒロインログ一部欠損】
【欠損位置:主要ルート中盤〜終盤/人物像スコア低下】
【構造傾向:テンプレ強制イベント適用リスク高】
【削除ルーチン:カウントダウン開始】
【期限:核心セクション到達まで7日/到達後72時間以内に是正未完了の場合、削除確定率上昇】
【観察者:閲覧開始】
……七日。
それに、七十二時間。
数字が露骨に言ってくる。
――間に合わなければ終わる、と。
「来たわね」
黒瀬さんが、いつも通りの声で言った。
いつも通りなのに背中がぞくっとするのは、気のせいじゃない。
「ルナ。持ち込み審査はここまで。残りは後日」
「えっ、でもまだテンプレA以上が――」
「世界が先」
黒瀬さんの一言で、全員が黙った。
白石が椅子の背にもたれ、腕を組む。
「ヒロインログ欠損。最近の流行りだな。……嫌な流行り」
セラはタブレットを滑らせ、欠損箇所の表示を拡大した。
「“人物像スコア低下”って書かれてます。つまり、存在感が落ちてる。
ログの厚みが薄くなって、読者が“いなくてもいい”と判断しやすい状態」
俺はスクリーンを見つめた。
“いなくてもいい”。その言葉が、胃の奥を冷やす。
黒瀬さんが指先を動かすと、案件No.0004の概要ウィンドウが開いた。
【案件No.0004:七耀ステージ・プロジェクト(仮)】
【ジャンル:学園×芸能×競争ルール】
【舞台:王立芸能学園/七耀ステージ】
【ユニット:LUMiS】
【異常対象:ヒロイン候補ログのみ薄化】
さらに薄い文字で“候補者一覧”が流れる。
【候補者ログ(抜粋)】
・天羽 詩乃
・久遠 ひより(くおん ひより)
・星宮 ルイ(ほしみや るい)
・真白 ことね(ましろ ことね)
・柊 みなと(ひいらぎ みなと)
「……この世界、アイドル案件ですか」
俺が呟くと、ルナが小さく目を輝かせた。
「芸能学園! ステージ! ランキング! ファン投票! 炎上! 仲間割れ! ……あっ」
「ルナ、落ち着いて。さっき“世界が先”って言われたでしょ」
「は、はい……」
黒瀬さんが淡々と言う。
「三城、現地担当はあなた。セラは統計と離脱予測で補佐。白石はテンプレ強制イベントの“読者が喜ぶ形”を見極める役」
なるほど。今日この二人が会議にいる理由が、ここで回収される。
持ち込み案件の合同レビュー当番――それが、そのまま緊急案件の即応チームに切り替わる。
黒瀬さんが俺を見る。
「七日で核心セクションに到達。そこから七十二時間で是正。間に合わなければ、削除ルーチンが本気で走る」
「……了解です」
声が少しだけ硬くなる。
昨日までのバザーの光景が、頭の片隅で揺れた。
あの世界は、続いた。
でも、続くのが当たり前じゃない世界が、ここには山ほどある。
白石が低い声で言う。
「“薄い子”を消して、話を分かりやすくする。そういうテンプレは、芸能ものだと特に刺さるぞ」
「センターを一人に絞る、とか……ですか?」
セラが頷いた。
「競争ルールがあると、“負けた子は退場”が正当化されやすい。
でもそれって、視聴者の気持ちよさのための整理で、物語の必然とは限らない」
黒瀬さんが小さく息を吐く。
「だから止める。止めるための足場は――ログ」
その言葉に、俺は反射的に頷いた。
ログを厚くする。
“消していい存在じゃない”を、証拠付きで叩きつける。
俺は立ち上がる。
「現地、行きます」
「準備は?」
「必要なら、走りながら考えます」
自分で言って、ちょっと笑いそうになった。
生前の俺は、走る前に諦めてたから。
黒瀬さんが言う。
「無理はしなくていい。けれど、手は止めない」
「はい」
会議室を出る直前、俺は天井のスクリーンをもう一度見上げた。
赤い点滅が、やけに小さい。
小さいくせに、世界ひとつ分の命を握ってる。
「……行こうか」
誰に言ったのか分からない独り言が、口から落ちた。
次のページをめくる準備はできている。
問題は――そのページが、黒い栞で終わらされる前に、間に合うかどうかだ。
そして、スクリーンの隅では。
“観察者”の閲覧履歴が、静かに伸び始めていた。




