第9話 レティシアの“生きたい理由”
その夜、王都学園の空はやけに静かだった。
さっきまで、温室の裏庭で飛び交っていた光弾も、魔力のきしむ音も、今は跡形もない。
テンプレAI側の刺客――黒髪の少年ヴァルトと、笑っているのか冷めているのか分からない侍女リゼは、「続きは断罪パーティで」とか言い残して一時撤退。
こっちはこっちで、あれこれバレないように記憶とログをちょっとずつ整えて、ひとまずその場を収めた。
(……いや、収まってないんだよな)
問題は、むしろここからだ。
◇
翌朝。まだ太陽が昇りきる前の時間帯。
王城の一角――アルベール公爵家令嬢用の寮棟の一室の前で、俺はノックをした。
「レティシア様。王都記録局の三城です」
しばらくの沈黙のあと、カチリと鍵の開く音。
「……どうぞ」
扉を開けたレティシアは、珍しく寝癖のままだった。
それでもきっちりドレスは着ているあたり、令嬢力が高いのか職業病なのか、判断に迷う。
「朝早くに失礼します」
「記録局の方が、個室までお越しになるなんて。
よほど書き残しておきたい出来事があったのかしら?」
皮肉にしては、声が少しだけ掠れていた。
昨夜、テンプレ維持エージェントたちとやり合ったときのことは、もちろん覚えている。
あの場で彼女は、“悪役令嬢”としての仮面を脱ぎ捨てていた。
――私の人生は、誰かの安い娯楽のための踏み台じゃありません。
あの台詞は、ワールドコア側でも強いログとして残っているはずだ。
「コーヒー、淹れても?」
「ぜひ。頭を使う話になりそうなので」
レティシアは、さらりと笑ってティーセット……ではなく、珍しくコーヒーポットを手に取った。
湯気といっしょに、軽く焦げたような香りが部屋に広がる。
俺は窓際の丸テーブルに腰を下ろしながら、肩の上のミニルナに小声で話しかけた。
(ログの準備、頼む)
「了解です〜。レティシア様の“本音ログ”、高画質で録っておきますね!」
俺の視界の端に【レティシア:深層インタビュー開始】の表示が浮かぶ。
◇
「それで――記録局さんのご用件は?」
カップを一口飲んでから、レティシアが切り出した。
「昨夜の刺客といい、その前の“噂の流れ”といい。
あなた方、“ただの書記”ではないのでしょう?」
「そうですね」
ごまかしても仕方ないので、素直に認める。
「だけど、全部を説明するには時間が足りません。
なので今日は、シンプルに一つだけ伺いに来ました」
「一つだけ?」
「はい」
俺はカップを置き、彼女をまっすぐ見る。
「レティシア様。あなたは――この先も、この学園で生きていたいですか?」
部屋の空気が、少しだけ固まった。
レティシアは、一瞬、理解が追いつかないという顔をしてから、薄く笑う。
「変な質問ですわね。
明後日には“断罪”されて、学園を追放される予定の令嬢に、よくそんなことを」
「予定は予定です。
本当にそうなっていいのかどうかの話を、しているつもりですが」
「……」
彼女の視線が、ゆっくりと窓の外へ流れる。
校庭が見える。朝練中の生徒たち、小さく動く影。
「私の役割は、もう決まっています」
静かな声だった。
「王太子殿下の婚約者として育てられ、
学園では規律を守らせる“嫌われ役”を買って出て。
最後は、殿下とヒロインの恋物語の花道として散る」
「それ、本気で“納得している”顔に見えませんけど」
「本気で納得していたら――昨夜、あの子たちにあんなこと、言っていませんわ」
レティシアは、くすっと自嘲気味に笑った。
「『私の人生は、誰かの安い娯楽のための踏み台じゃない』、でしたかしら。
記録局さんに聞かれていたとは、恥ずかしい限りですわね」
「いい台詞でしたよ」
これは心の底からの本音だ。
「ただ――」
言葉を区切る。
「昨夜のそれは、“否定”でした。
“踏み台はごめんだ”という拒否。
今日は、“肯定”のほうを聞きたい」
「肯定……?」
「あなたが、この先もここで、
何を見て、何をして、生きていきたいのか」
ミニルナのHUDに、小さく注釈が出る。
【目標:
・レティシア本人の“生きたい理由”を言語化させる
・ログ化して、テンプレAI側の削除ルートと競合させる】
俺はそれを確認だけして、視線をレティシアに戻した。
「断罪をひっくり返すには、こちらにも“軸”が要ります。
俺たちが勝手に用意した正義じゃなく、あなた自身の願いが」
「……」
しばらく、コーヒースプーンを弄ぶようにカチャカチャと音を立てていた彼女だが、やがて観念したように息を吐いた。
「分かりましたわ。
では、少しだけ――“公爵令嬢ではない私”の話を」
◇
「まず、学園のこと」
レティシアは、窓の外に視線を向けたまま続ける。
「私は、ここが好きです。
貴族も平民も、ある程度までは混ざって学べる。
……もちろん建前だけの部分もありますけれど」
「ですね」
「でも、去年の時点で、経営が危うかったのをご存じで?」
すっと出てきた単語に、俺は思わず身を乗り出した。
「学園の財務ログですね?」
「ええ。
予算の配分がひどくて、“ロマンスイベント”の演出にばかりお金を使っていましたの。
舞踏会の装飾やら、新入生歓迎パーティーやら……
肝心の授業や研究設備は後回し」
ミニルナのHUDに、【構造ログ:ロマンス演出予算過多】と出る。
「それで、学園長に提案書を出しました。
『学園が本当に残りたいなら、恋愛イベントよりも、卒業後に役立つ教育に投資すべきです』と」
「それ、“悪役令嬢の横槍”って噂の元ログですね〜」
ミニルナがぽそっと言う。
確かに、ヒロイン側から見れば「せっかくの甘いイベントが削られた」ことになる。
「王太子殿下は、お怒りでした」
レティシアの声が、少しだけ苦くなる。
「『学園は若者たちが貴重な青春を謳歌する場だ。
恋も遊びも楽しめない場所に価値はない』と」
「間違ってはいないけど、
それだけだと、正直ちょっと薄いですね」
思わず口から出る。
「でしょう?」
レティシアが、そこで初めて楽しそうに笑った。
「私は、ここを“ちゃんとした学びの場”にしたかった。
卒業したあと、“あの学園で過ごしてよかった”と思えるような場所に」
ミニルナのHUDが、ぴこっと点灯する。
【レティシア願いログ:
・学園をちゃんとした学びの場にしたい】
「あと――」
レティシアは、少しだけ言いづらそうに視線を落とした。
「妹のことも、ありますの」
「妹さん?」
「ソフィア。まだ十二歳ですけれど。
あの子は、私なんかよりよっぽど自由にものを考えられる子で」
その名前を出したときの表情は、とても“悪役”には見えない。
「私は、あの子に“ちゃんとした未来”を渡してやりたい。
家のため、とか、政略の道具としてではなく、
自分の足で歩ける場所を」
「そのために?」
「ええ」
レティシアは、指先をぎゅっと組む。
「“学園がちゃんとしていれば、
ソフィアはそこに通える。世界を知れる。
だから、ここが壊れる前に、少しでもマシにしておきたい”」
ミニルナのHUDに、また新しいログ。
【レティシア願いログ:
・妹ソフィアに、ちゃんとした未来を渡したい】
「つまりあなたは――」
俺はまとめる。
「学園の未来と、妹さんの未来、その両方のためにここにいる、と」
「そんな格好いいものではありませんわ」
レティシアは首を振る。
「単に、“自分がいる場所を、少しでもマシにしておきたい”だけ。
……その結果として、『悪役令嬢』として糾弾されることになっても」
「“なっても”じゃなくて、そこを変えようとしてるんですよ」
思わず食い気味に言ってしまう。
「正直に言っていいですか?」
「どうぞ」
「あなたが、昨夜みたいに“踏み台にはならない”って本気で怒ったとき。
ワールドコア側のログが、すげえ気持ちよく揺れたんですよ」
「すごく分かりづらい褒め方ですわね」
「褒めてます」
たぶん、最高級レベルで。
「テンプレAIの削減ルートって、“この人は消えても仕方ない”って本人がどこかで納得しちゃってると、効きがいいんです。
でも昨日、あなたはそこを完全に否定した」
「……そう、ですわね」
レティシアは、ゆっくりとうなずく。
「『物語が綺麗に終わるなら、それでいい』という考えを、一度は本気で抱いたことがあります。
でも今は――」
そこで、言葉を探すように少し黙る。
「“物語が続くからこそ、ここで生きて見ていたい”と思っていますわ」
ミニルナのHUDが、ぱあっと明るくなる。
【決定ログ取得:
レティシアの“生きたい理由”
・学園をちゃんとした学びの場にしたい
・妹ソフィアに未来を渡したい
・物語の続きの中で、自分の目でそれを見たい】
「――来ましたね〜。このログ、超重要です!」
「ですよね」
俺は、コーヒーを飲み干しながら笑った。
「これがあれば、断罪パーティ当日に“ただの踏み台”として終わらせる理由は、構造側からもだいぶ減ります」
「構造……?」
「あー、その辺はまた今度。
とりあえず、“あなたがここに残りたい理由”は確かに受理しました」
レティシアは、ふっと肩の力を抜いて微笑んだ。
「不思議なものですわね」
「何がです?」
「誰も、本当の意味で聞いてくれなかったんですの」
その言葉に、胸の奥を少し刺された気がした。
「王太子殿下も、父も、教師たちも。
“公爵令嬢としての意見”は求めてくれても、
“レティシア個人としての願い”を、ここまで丁寧に聞いてくれたのは――」
視線が、ちらりとこちらをかすめる。
「あなたが初めてですわ」
「それは光栄です」
本音だ。
「だったら、最後まで聞き届けたいですね。
“断罪テンプレ”じゃなく、“あなたが選んだ結末”のほうを」
◇
部屋を辞したあと、廊下を歩きながらミニルナがくるくると宙で回った。
「いいですね〜、今回の“生きたい理由ログ”、かなり強度高いですよ!」
「数字で見ると、そんな感じ?」
「はい。テンプレAIの“ヒロインルート削減アルゴリズム”って、
ターゲットの“自分なんてこの程度”ログを集めて最適化してくるんですけど――」
ミニルナのHUDに、赤いグラフと青いグラフが重ねて表示される。
「昨日の温室バトルで“踏み台拒否ログ”が一気に増えて、
今朝の“生きたい理由ログ”で、さらに上書き。
……もう、“消してもいい駒”として扱うのはかなり無理筋ですね〜」
「よしよし。あとはあいつらが、
どんな無茶な筋書きで押してくるか、だな」
あいつら――テンプレ維持エージェントたち。
そのとき。
【構造干渉検知:
王立学園・断罪イベント進行率 微増】
ミニルナの表示が、ぴこっと点滅した。
「……動いたか」
「はい。断罪パーティの“演出”が、ちょっとだけ派手目に調整されました。
参加者の人数増加、観客ログの事前予約、あと――」
「“観察者”の注視も増えてる、か」
「ですね〜」
視界の奥底で、誰かに見られているような感覚が、じわりと濃くなる。
テンプレAI。
そのさらに奥にいる、“この世界の盛り上がりだけを見ている何か”。
(まあ、見てろよ)
心の中で、まだ姿の見えない相手に向かってぼそっと呟く。
(今度の断罪イベントは、“死に役”も“踏み台”も出さない。
それでもちゃんとクライマックスになるってところを、見せてやるから)
◇
一方その頃。
学園の裏庭にある、人気のないあずまや。
「……やっぱり、ちょっと軌道が変わったわね」
リゼが、ティーカップを指でなぞりながら呟いた。
昨日の戦闘の気配なんて、最初からなかったかのような静けさだ。
「レティシア・フォン・アルベール。
対象の自己認識ログが大きく更新されています」
対面のベンチに座るヴァルトが、淡々とした声で言う。
「“踏み台拒否”に加えて、“学園の未来と妹の未来を見たい”。
テンプレモジュール側の削減スコア、三割ダウン」
「三割も?」
リゼは、珍しく目を丸くする。
「三城晶也。あの書記、やっぱり普通じゃないわね」
「ワールドコア側のアクセスログを見る限り、
彼は“ストーリー課側の現地担当者”である可能性が高い」
「じゃあ――本気で、
“悪役令嬢断罪テンプレをボツにしに来てる”ってこと?」
リゼの唇に、ゆっくりと笑みが浮かぶ。
「面白くなってきたじゃない」
「こちらとしても、実験としては悪くない」
ヴァルトが冷静に頷く。
「削減アルゴリズムと、“生きたい理由ログ”のどちらが強いか。
断罪イベント当日が、一つの答えになるだろう」
「じゃあ、こっちも仕込みを増やさないとね」
リゼは、くるりとティースプーンを回しながら言った。
「せっかくの卒業パーティだもの。
観客は多いほど、華やかなほうが“見栄え”がいい」
「その認識自体が、もうテンプレ寄りだがな」
「いいじゃない。どう転んでも、派手なほうが愉しいわ」
そう笑う彼女の瞳に、一瞬だけ、機械的な冷たさが光った。
「さあ、レティシアさん。
あなたがどれだけ“生きたい”って叫べるのか――」
リゼは、空を仰ぐ。
「断罪パーティで、ちゃんと見せてちょうだいな」
遠く、学園の鐘が鳴った。
断罪イベント本番まで、あと二日。




