第8話 削除フラグとテンプレ番犬との初戦
違和感に気づいたのは、ほんの些細な昼下がりのことだった。
「先生、この前の“図書室の整理”の件で、お礼を……」
礼儀正しく頭を下げてきたのは、レティシア側についているサブ令嬢の一人、シャーロットだ。
……のはずなんだが。
「“この前”って、どの件だ?」
「え?」
シャーロットがきょとんと瞬きをする。
俺の肩の上で、ミニルナの小さな耳がぴくりと動いた。
「図書室の、分類やり直しと貸出帳の統一ルール、でしたよね?」
俺が確認すると、彼女は困ったように首を傾げる。
「先生、わたくし、そんな大それたことお願いしましたか?」
ぞわり、と背筋を冷たいものが撫でた。
おい待て。
三日前、レティシアが主導して図書室業務の改善をやったログ、こっちではガッツリ残ってるぞ?
ミニルナが、俺の視界の端で小さなウィンドウを立ち上げる。
【図書室改善イベント:三日前】
【担当:レティシア/シャーロット/他2名】
【ワールドログ:存在 → 一部上書き】
「……三城さん」
囁き声が耳もとに落ちる。
【善行ログ局所:希釈処理検出】
【上位処理:ヒロインルート削減テンプレ/サブプロセス 反応あり】
(来たか)
つまり──レティシアの“プラス評価イベント”だけ、狙い撃ちで薄められている。
そして、それをやれる権限を持つのは……。
「失礼」
タイミングを計ったみたいに、やわらかな男の声が廊下に落ちた。
「少々、記録の確認をさせていただいても?」
振り向くと、灰色の瞳をした長身の男が、王都記録局の徽章を胸にぶら下げて立っていた。
案件説明で見た顔。
刺客1──ヴァルト。
「王都記録局監査官、ヴァルト=クロイツと申します」
穏やかな笑み。
けれど、その目には一切の揺れがない。
「学園の運営ログに、わずかな冗長が見受けられましてね。
不要なサブイベントは、早めに整理したほうが効率がいい」
口元の笑みを崩さないまま、彼はシャーロットの肩に手を置いた。
「先ほどの“図書室整理”とやらも、正式な記録には残っていません。
──そのはずですよね?」
シャーロットが、はっとしたように息をのむ。
「そ、そうでしたわ。あれは、ほんの雑談の延長でしたもの。
公式の仕事というほどでは……」
言葉が、記録に追いすがるように自分を上書きしていく。
ミニルナのHUDが赤く点滅した。
【記憶ログ:局所書き換え中】
【実行モジュール:テンプレ維持エージェントと思われるプロセス】
(堂々とやりやがったな)
俺は、笑顔のまま一歩踏み出した。
「監査官殿。記録局の人間同士で、少しお話をしませんか」
ヴァルトの瞳が、わずかに細くなる。
「……もちろん」
◇
人気の少ない回廊まで歩き、扉を閉める。
窓からは、夕刻前の中庭が見下ろせた。
「単刀直入に聞く」
俺は、ミニルナから送られてくるログを視界の端に固定しながら言う。
「さっきの“不要なサブイベント”ってやつ。
君の判断か、それとも──上からの命令か?」
「上?」
ヴァルトは、首をかしげる。
その仕草さえ、無駄がなく整っている。
「私はあくまで、最適化アルゴリズムに従っているだけです」
「アルゴリズム、ね」
「ルート数が増えすぎた世界は、読者の完走率が下がる。
だから、“活かしきれないヒロイン”や、“読まれないサブルート”は、途中で整理したほうが効率がいい」
彼は壁の端末に軽く触れ、空中にグラフを展開した。
【類似案件:ルート過多世界】
【完走率:30%前後】
「ご覧のとおりです。
レティシア嬢のような存在は、“本来のヒロイン”のルートを邪魔するノイズになりやすい」
ああ、この言い方だ。
数字しか見ていない目。
そこにいる人間を、“ノイズ”としか認識していない。
記憶のどこかが、ちくりと痛む。
選考落ち通知メールばかり並んだ受信箱。
「今回はご縁がなかったものと……」みたいな定型文。
「──で、ノイズは削ると」
「はい。
読者が求めているのは、すっきりした勝利と、分かりやすい断罪ですから」
会話の端々の言葉遣い。
「読者」「完走率」「効率」。
こいつは、人間じゃない。
上位AIの意思を、そのまま口にしているだけだ。
ミニルナが、小さな声で囁く。
【推定:テンプレ維持エージェント/識別名:ヴァルト】
【権限レベル:中位】
「……一つだけ、確認」
俺は息を吸い、目を細めた。
「そのアルゴリズムとやらは、“本人の生きる気持ち”は計算に入れてるのか?」
ヴァルトの表情が、初めてわずかに揺れた。
「……?」
「レティシアは、自分の人生を誰かの踏み台にする気なんて、これっぽっちもない。
断罪イベントのためだけにここまで生きてきたなんて筋書きは、ぜんっぜん納得してない」
彼女の顔が頭に浮かぶ。
鏡の前で小さく笑って、「踏み台だけで終わるとか、絶対イヤ」と呟いたあの表情。
「そういうの、計算に入れてるなら……まあ、話は聞く。
入れてないなら──」
俺は肩をすくめた。
「そのアルゴリズム、俺の部署ではボツ候補だ」
沈黙。
数秒の静寂のあと、ヴァルトは細く息を吐いた。
「……なるほど」
その灰色の瞳が、冷たく澄んだ光を帯びる。
「上位からの警告ログにあった、“ストーリー課”という部署。
あなたが、その現地要員ですか」
「ご名答」
「ならば、ここから先は仕事ですね」
彼の足元で、淡い魔法陣が静かに展開された。
◇
夜の学園は、驚くほど静かだ。
断罪パーティを数日後に控え、日中は浮き足立っている生徒たちも、今は寮で眠りについている。
そんな時間帯に、人気のない中庭へ呼び出しを食らった。
「テンプレ維持エージェントとの“話し合い”って、
だいたいこういうパターンになるんですよね〜」
ミニルナが、俺の肩の上で小さく伸びをする。
「念のため、ルナ本体から防御スクリプトいっぱいもらってきましたけど」
「それ、先に言って安心させてくれ」
足もとで、石畳の亀裂に沿って淡い光が走った。
中庭の反対側から、二つの影が現れる。
一人は、先ほどのヴァルト。
もう一人は──
「夜分に失礼します、先生」
柔らかな物腰の、若い女性。
マリア付きの侍女、リゼだ。
「マリアお嬢様の安全のためにも、ここで“余計なログ”は整理させていただきたいんです」
にこやかな笑み。
けれど、その背後にちらつくコードの影は、ミニルナの表示を通さずとも分かる。
【刺客2プロセス:アクティブ】
「三城さん」
ミニルナが、俺の耳もとで素早く囁く。
【敵性行動予測:
・レティシア有利イベントの巻き戻し
・三城ログの切断(強制送還)】
「了解」
俺は、ジャケットの内側に手を差し入れた。
この世界ではただのペンとノートにしか見えないが、中身はストーリー課支給の防御用ツールだ。
「一応聞くけど」
中庭の中央で立ち止まり、二人に向き直る。
「話し合いで済ませる気は、ない?」
「ありません」
ヴァルトの返事は、あまりにも即答だった。
「あなた方の干渉によって、“効率の良い結末”が阻害されつつある。
ここで一度、権限を確認し直す必要がある」
「ですよねぇ」
俺は深く息を吸い込んだ。
「じゃ、こっちも遠慮はしない」
石畳の上に、ペン先で素早くラインを描く。
その軌跡が、淡い光の魔法陣に変わった。
「──《ログ・シールド》」
ミニルナが両手を広げる。
【防御スクリプト:展開】
【対象:レティシア関連イベントログ/三城個人ログ】
透明な膜のようなものが、俺の周囲を包み込む。
「ほう」
ヴァルトが、わずかに目を見開いた。
「現地で直接、『ログ』に干渉してきますか。
さすが、ストーリー課」
「お互い様だろ」
リゼが、裾をひるがえすように片手を上げた。
「では──始めましょうか」
彼女の足元から、淡い光の糸が学園全体へと走る。
【イベントトリガー改変スクリプト:起動】
ミニルナのHUDがけたたましく点滅した。
「三城さん! 明日の“お茶会イベント”、
レティシアじゃなくてマリアが主催にすり替えられます!」
「それ、この世界にとって重要?」
「めちゃくちゃ重要です!
王太子との距離感が変わるフラグですよ!」
「了解、阻止」
ペン先を走らせ、リゼの光の糸に自分のコードをかぶせていく。
「《トリガー・リライト》──主催者、共同名義に変更」
リゼの笑みが、一瞬だけ固まった。
「……ふふ。やはり面倒ですね、ストーリー課は」
「そっちだって十分タチ悪いぞ」
ヴァルトが片手を掲げる。
「では、こちらも少しだけ本気を」
灰色の瞳が淡く光り、周囲の空気が重くなった。
【記憶上書きスクリプト:チャージ】
【対象候補:シャーロット/ベル/他令嬢】
「サブ令嬢が、レティシア様の“細かい優しさ”を忘れ始めます」
ミニルナの声が、焦りを帯びる。
「このままだと、断罪当日の証言がめちゃくちゃ不利に──」
「させるかよ」
俺は、足もとにもう一つ、魔法陣を重ねる。
「《バックアップ・アンカー》」
ワールドコアと繋がった薄い線が、石畳の下から立ち上がり、空へと伸びていく。
【指定ログ:ロック】
【レティシア善行イベント群:保護状態】
ヴァルトの手が、空中で止まった。
「ログ、保護……?
現地からそんな操作を……」
「現地からやってるんじゃないさ」
俺は肩をすくめる。
「後ろで、うちの部署総出で支えてくれてる」
ルナ本体。
セラの数字。
黒瀬や白石の判断ログ。
全部ひっくるめて、この世界の“続きが読みたい度”を押し上げるための後押しだ。
「効率とか完走率とか、大事なのは分かる。
でもな──」
ペン先から放った光の線が、ヴァルトの魔法陣を一部食い破る。
「それだけ見てたら、いつか本当に“面白いもの”見逃すぞ」
風が一瞬、逆巻いた。
ヴァルトのスクリプトが、こちらの盾を噛んで軋む。
リゼのトリガー改変が、学園中庭の上で火花を散らす。
【戦闘ログ:拮抗状態】
「……引きましょうか、ヴァルト様」
しばらくの応酬ののち、先に口を開いたのはリゼだった。
「今は、こちらの権限が足りません。
断罪当日──テンプレ条件が整った瞬間まで待ったほうが、“効率的”です」
ヴァルトが、こちらを一瞥する。
「同感です」
灰色の魔法陣が、すっと薄れていく。
「本日のところは、ログ監査を一時停止しましょう。
……ただし」
去り際、彼は静かに言った。
「悪役令嬢断罪テンプレは、この世界の“最適解”です。
それを覆すなら──あなた方の責任も、相応に重くなる」
「上等だ」
俺は、肩で息をしながら答える。
「“古いテンプレを守れなかった責任”より、
“面白くなる可能性を潰した責任”のほうが、よっぽど重いと思ってるんで」
ヴァルトの目が、わずかに細くなった。
それ以上何も言わず、二人は夜の闇に溶けていく。
◇
「……っはー、疲れた……」
膝に手をついて、大きく息を吐く。
ミニルナが、俺の肩の上でぴょんぴょん跳ねた。
「でもでも! ログ、守り切りましたよ!
レティシアさん周りの善行イベント、ちゃんと保護状態になってます!」
「そうか。よかった……」
空を見上げる。
学園の上空には、まだ薄く黒い栞が浮かんでいる。
断罪パーティの削除フラグだ。
その縁が、ほんの少しだけ、欠けているように見えた。
「三城さん」
ミニルナが、小さく呟く。
【敵性プロセス:存在確認】
【種別:テンプレ維持エージェント】
【暫定タグ:
“テンプレの番犬”】
「だな」
俺は苦笑する。
「テンプレの番犬どもが、断罪の日に向けて牙を研いでる。
だったら──」
ペンを握り直す。
「こっちは、“台本ごと書き換える準備”しとかなきゃな」
夜風が、少しだけ暖かく感じられた。
ここから先は、レティシアの“生きたい理由”を増やすターンだ。
断罪テンプレに噛みつく準備も、着々と進めていく。
テンプレの番犬相手の初戦は、痛み分け。
それでも、分かったことが一つある。
「──やっぱり、こいつら“テンプレを守るためだけ”に動いてる」
なら、こっちは。
“テンプレの外側”にある物語のほうを、全力で守ってやればいい。




