第4話 教師としての潜入と、最初のノイズ
――転移酔いって、慣れる日は来るんだろうか。
視界がぐるん、と一回転して、靴の裏に石畳の感触が戻ってきたとき、俺はまずそこから真剣に悩んだ。
「三城さん、顔色わる〜。
転職三回目で限界見えてきたサラリーマンみたいな顔してますよ」
肩の上で、白い小動物に偽装したミニルナが、やたらご機嫌に尻尾を振る。
「サラリーマンは一回しかやってないわ。しかも過労死で強制リタイアだぞ」
「じゃあ今日は、“異世界教員”として二社目デビューですね〜。はい、笑顔笑顔」
「笑顔でできる仕事じゃないから呼ばれてるんだろ、これ」
深呼吸を一つ。
目の前には、白い尖塔が連なる王立学園――この世界の「ゲームステージ」の中心が、堂々とそびえ立っていた。
王立セレスティア学園。
乙女ゲーム『月華の王冠ロマンス』の主要フィールド。
そして、悪役令嬢レティシア・フォン・アルマが断罪される予定の、舞台。
(案件No.0003……転生悪役令嬢世界)
脳裏に、数時間前のストーリー課・会議室がよみがえる。
『理由はあとでいい。まず現地の空気を見てきなさい。
王都記録局派遣の書記官兼・臨時教師ってことで潜り込ませるわ』
黒瀬はそう言って、王立学園の「教員枠」へのログを一つ、俺の端末に投げてよこした。
そこに表示された新しいカバーストーリー。
【氏名:ミシロ・アキヤ】
【所属:王都記録局・臨時書記官/王立セレスティア学園・魔法史臨時講師】
【任務:学園で進行中の“恋愛劇”および断罪イベント前後の記録】
(よりによって本名ほぼそのままかよ)
軽くため息をつきながらも、胸ポケットの内側を指で叩く。
そこには、ワールドコアとの接続用端末と、案件No.0003の構造図――
ヒロイン欄の名前を黒く塗りつぶす「削除候補マーク」が、きっちり折りたたまれて入っていた。
「じゃ、先生。初出勤といきますか!」
「その呼び方、いまだにむず痒いんだよな……」
そうぼやきつつ、俺は正門をくぐった。
◇
「本日付で着任しました、ミシロ・アキヤだ。
王都記録局からの派遣で、魔法史の臨時講師と書記官を務めることになった。よろしく頼む」
教壇の前。
一年Aクラスの視線が一斉に集まる。
白と薄青を基調にした制服。
貴族風の優雅な立ち居振る舞い。
「これぞ乙女ゲーの学園編」という光景が、教室いっぱいに広がっていた。
その中に――いた。
金糸の髪をきっちりまとめ上げ、宝石みたいな紅の瞳を細めている少女。
王家に匹敵する大貴族、アルマ公爵家の令嬢。
レティシア・フォン・アルマ。
原案上のロールは、
「高慢ちきで嫉妬深く、主人公ヒロインを苛め抜いた末に断罪される」悪役令嬢。
……なんだけど。
(第一印象からして“あ、これテンプレのまま終わらせたらもったいないやつ”なんだよな)
姿勢は完璧。表情も貴族の仮面そのもの。
でも、指先にほんのわずかに力が入りすぎている。
視線が一瞬だけクラス全体をなでるとき、その目は「役柄」じゃなくて「配置図」を確認している。
――自分がどこに立たされているか、ちゃんと分かっている目。
「ミシロ先生! 自己紹介のあと、“軽い魔法史クイズ”挟みましょうよ!」
肩の上から、ミニルナが小声で囁く。
教室内では、ただの白い小動物マスコットにしか見えない。
「先生アピールするのはあとだ。まずは“彼女”だろ」
俺は黒板に名前を書きながら、さりげなくクラスを見渡す。
王太子リオネル。
窓際の一番前。金髪碧眼。教科書から出てきたみたいな王子様フェイス。【リオネル:テンプレ“断罪王子”ロール】というタグが、視界の隅にちらつく。
平民出身ヒロイン、マリア。
後ろのほうでちょこんと座っている。栗色の髪を不安そうにいじりながら、周囲の貴族たちに気圧されていた。
そのほか、取り巻き令嬢が数名。
「情報屋」「噂大好き」「親友ポジになり損ねた子」など、ラベルを貼りたくなるモブたちが顔をそろえている。
――そして教室の中央。
レティシアは、誰よりも真っ直ぐに教壇を見ていた。
「では、授業に入る前に、一つだけ質問しよう」
チョークをくるりと回す。
「この王都セレスティアに、百年前、どんな危機があったか。
……答えられる者は?」
ざわ、とクラスがわずかにざわめく。
教科書の序盤にちょろっと載っているだけの内容。
普通のゲームなら、「ここで王子が堂々と答えて株を上げる」導入だ。
……が。
「アルマ公爵家の令嬢。レティシア・フォン・アルマ」
俺はあえて、王太子ではなく彼女の名を呼んだ。
教室の空気が、ぴしっと固まる。
(ここで“いやですわ先生、そんなの平民の仕事ですわ”的な悪役ムーブをかましてくれれば、テンプレは盤石なんだが――)
レティシアは、ゆっくりと立ち上がった。
わずかに目を細めて、深く一礼する。
「――王都を覆った“星喰いの霧”の事件、でございますわね」
凛とした声が教室に響いた。
「当時の王家と、各公爵家が共同で結界を展開し、霧の進行をぎりぎりで食い止めました。
その際、アルマ公爵家は前線の維持を任され、多くの犠牲を出したと記録されています」
「おお……」
教室のあちこちから、小さな感嘆の息が漏れた。
ゲーム本編ではカットされた“歴史設定”を、ほぼ完璧に暗唱してみせたのだ。
マリアが「すごい……」とつぶやき、リオネルが興味深そうに彼女を見やる。
「よく覚えていたな。教科書には一行しか載っていなかったはずだが」
「家に古い資料が残っておりますもの。
……霧の中で戦った方々がいたからこそ、今こうして学園での平穏な日々があるのですわ」
さらりと言ってのけるその姿は――。
どう見ても、「断罪されて終わるだけの悪役」じゃない。
(なあ黒瀬さん。
これ、本当に“印象値低いから削る対象”って扱いで合ってたのか?)
心の中で、会議室のスクリーンに突っ込みを入れる。
ミニルナが、俺の耳元でこっそりフォローするように囁いた。
「三城さん、ログ的には“原作ゲームで一度も掘られなかった設定”みたいですよ、今の。
レティシアさん、自分から掘り起こしてきてます」
「つまり、“物語を広げる側の人間”ってことだな」
俺の言葉に、ミニルナが嬉しそうに頷いた。
◇
授業は、意外なほどスムーズに進んだ。
レティシアは模範解答を外さない。
一方で、王太子リオネルは時折ふざけてみせて場を和ませる。
マリアはまだ遠慮がちだが、その目には確かに「もっと知りたい」という好奇心が光っていた。
(テンプレ構造としては、“悪役令嬢がヒロインをいじめる導入”に入るはずなんだが)
予定されていた「教室でのハンカチ事件」――
貴族令嬢がマリアの持ち物を侮辱し、レティシアがそれを煽ることで好感度が動く、原作のチュートリアルイベント。
そのトリガーが、俺の端末には「今日の放課後」と表示されていた。
ワールドコアのタイムライン上、そこに小さな黒い栞が挟まれている。
【イベント:平民令嬢への侮辱/悪役令嬢ヘイト獲得】
【タグ:断罪パーティへの布石】
(ここから積み上がったヘイトログをもとに、断罪イベントで一気に叩き潰すわけだ)
俺は板書を続けながら、内心で舌打ちする。
(分かりやすいけど、安すぎるんだよな。こういう台本)
「――では、今日はここまでとする。
次回は、“星喰いの霧”で使われた結界術式についてだ」
チャイムが鳴り、授業が終わる。
生徒たちが立ち上がり、礼をする中――。
レティシアだけが、ほんの一瞬、俺のほうをじっと見ていた。
それは「新任教師を値踏みする貴族令嬢の視線」ではなく、
「ゲームの導線を知っているプレイヤーが、“違和感のあるNPC”を確認している視線」に近かった。
(……やっぱり、完全に“お人形”ではないな)
彼女の中には、ちゃんと「自分で考えて動く余地」がある。
だからこそ――消したい連中にとっては、邪魔なのかもしれない。
◇
放課後。
教員用の回廊から中庭を見下ろすと、そこには原作で見たことのある「事件の準備」が進んでいた。
取り巻き令嬢A・B・Cが、平民ヒロインのマリアを噴水の前に呼び出す。
レティシアは、その少し離れた場所で本を読んでいる。
――ゲームなら、ここで流れはこうだ。
平民ヒロインの持ち物(安物のハンカチ)を取り巻きが馬鹿にする。
レティシアがそこに乗っかって「みすぼらしい」と笑う。
そこへ王太子が通りかかり、ヒロインを庇ってレティシアを咎める。
プレイヤーにとっては、「悪役令嬢の印象を下げるイベント」。
世界構造にとっては、「断罪パーティに向けた積み重ねログ」。
そしてワールドコアにとっては――
「レティシアの“削除理由”の補強材料」。
「さてさて、三城先生。ここからどう“ずらす”んです?」
ミニルナが、肩の上でわくわくしている。
「テンプレ通りやらせるなら、俺が潜入した意味がないからな」
俺は回廊の陰に身を潜めながら、レティシアの挙動を見守る。
取り巻き令嬢が、マリアの手から布をひったくる。
「まあ、なんて質素なハンカチなのかしら。
これが、学園に通う淑女の身だしなみだと思っているの?」
「ご、ごめんなさい……!」
マリアが慌てて頭を下げる。
ここまでは、原作通り。
問題は――次だ。
視線が、一斉にレティシアへ向かう。
「レティシア様も、そう思われますわよね?」
取り巻きの一人が、わざとらしく声を上げた。
「平民出身には、上等なものは似合いませんものね?」
「煽り役」からのパス。
ここでレティシアがダメ押しの一言を放てば、ヘイトは一気に彼女に集約される。
――が。
「……そうですわね」
レティシアは静かに立ち上がると、取り巻きの手からハンカチを取り上げた。
「たしかに、織りも糸も粗雑ですわ。
ですが――」
彼女は、ハンカチの端にそっと指先を滑らせる。
「縫い目だけは、とても丁寧です」
マリアが、はっと顔を上げる。
「これを縫った方は、きっとあなたのことを大切に思っているのでしょう。
そうでなければ、ここまで手間をかけて、一針一針……こんなにきれいに縫えませんわ」
取り巻きたちが、きょとんと目を丸くする。
レティシアは、ふっと微笑んでマリアにハンカチを返した。
「学園の場にふさわしいかどうかは置いておきますわ。
――少なくとも、“粗末なだけの布切れ”と嘲笑するのは、品がありませんこと」
その言葉に、回廊の影で俺は思わず息を呑んだ。
(完全に、テンプレを外しにきたな)
原作の悪役令嬢なら、
ここで「そんなみすぼらしい布、捨ててしまいなさい」と笑うはずだった。
でも彼女は――
「平民の持ち物を嘲笑する側」ではなく、
「気づかないうちに傷つけていたかもしれない側」を諌めたのだ。
「レティシア様、その……」
マリアが、震える声で口を開く。
「ありがとう、ございます……」
「勘違いなさらないで。
わたくしはただ、“目の前の不快な光景”を正しただけですわ」
レティシアは、あくまでそっけなく言い放つ。
しかしその横顔には、ほんのわずかに――
前世を知る者にしか分からないような、照れと安堵が混じっていた。
「なるほど……」
肩の上で、ミニルナが小さく拍手する。
「これ、完全に“悪役令嬢テンプレ”からはみ出してますね〜」
「つまり、“ヒロイン削減テンプレ”から見たら、余計な枝ってわけだ」
俺は、ポケットの中の端末を指で弾く。
そこには、案件No.0003のタイムラインがリアルタイムで更新されていた。
【イベント:平民令嬢への侮辱】
→【※変異:悪役令嬢による助け舟ログ追加】
その行の横に、小さなノイズのようなマークが走る。
【上位処理:ヒロインルート削減テンプレ / 差分検知】
「……来たな」
画面の片隅に、黒い栞がちらりと揺れた。
レティシアの周囲の空気が、一瞬だけ歪む。
マリアの手元のハンカチが、半透明になりかけ――
すぐに実体を取り戻す。
取り巻き令嬢たちの記憶ログにも、微細な揺らぎが走った。
さらには、廊下を歩くレティシアのシルエットそのものが、
一瞬だけ「映像ノイズ」のようにザザッと乱れる。
【対象:レティシア
削除候補フラグ / 揺らぎ検知】
「今の、見えました?」
「見えた。
“レティシアの善行イベント”と、“存在そのもの”を上から消しにかかってきてる」
ヒロインルート削減テンプレ。
本来なら、「印象値の低いサブヒロイン」のイベントから順に削るはずの処理。
それが今、この世界では――
「テンプレから外れようとした悪役令嬢」のログだけを、優先的に潰そうとしている。
(やっぱり、仕様と違う動きしてるよな)
俺は歪んだ空気が収まるのを確認してから、息を吐いた。
◇
「――ミシロ先生?」
背後から声がして、振り向く。
そこに立っていたのは、見慣れない青年だった。
淡い銀髪に、どこか中性的な顔立ち。
教師用のローブに似た服を着ているが、胸元のバッジは見たことがない紋章だ。
「聞き慣れない“上位処理”の名前を、口にしていませんでしたか?」
やけに澄んだ瞳で、じっとこちらを見つめてくる。
(……おや)
ミニルナが、俺の肩の上で耳をぴくりと動かした。
【人物ログ:不明】
【身分証明:学園データベースに該当なし】
【タグ:観測外】
「あれ? 三城さん、この人――」
「分かってる。
“この世界のキャラじゃない”匂いが、思いっきりしてる」
悪役令嬢を救うために教師として潜り込んだつもりが――
どうやら、向こうも何かを送り込んできていたらしい。
ヒロインを消そうとするロジック側からの、“番犬”。
俺は、笑顔を貼り付けたまま、銀髪の青年を見返した。
「自己紹介がまだだったね。
君は――どこの部署から派遣されたんだ?」
青年は、ほんの少しだけ口元を歪めた。
「ただの“最適化担当”ですよ、先生。
この学園の“ルート数”を、少し整理しに来ただけです」
最適化。
さっき見た「ヒロイン削減テンプレ」の仕様書に、何度も出てきた単語。
「そうか。記録局の人間なら、俺の管轄でもあるが」
「ええ。――王都記録局・監査室、ヴァルトと申します」
青年――ヴァルトは、丁寧に一礼する。
その瞳の奥には、
案件No.0001でも、No.0002でも見てきた、“代償テンプレ”特有の冷たい光が宿っていた。
テンプレを守る番犬と、テンプレをボツにしに来たストーリー課。
王立セレスティア学園の静かな回廊で、
最初のノイズが、確かに鳴った。




