第2話 踏み台ヒロインなんて、お断りです
案件No.0003――乙女ゲーム『月華の王冠ロマンス』の転生悪役令嬢世界。
「じゃ、ヒロイン候補さんの自己紹介から見ますか」
ストーリー課の薄暗いモニタールームで、俺は椅子の背にもたれながらつぶやいた。
目の前のワールドコア・スクリーンには、さっき黒瀬さんが置いていった案件データが展開されている。
画面中央。
【ヒロイン候補:レティシア・フォン・アルマ】
【ステータス:王立学園三年/王太子の婚約者/原案ロール:悪役令嬢】
「ログ再生準備、完了です〜」
俺の肩の上で、ミニルナがちょこんと座りながら両手を挙げた。
丸い画面の端には、いつもの再生ボタン。
そのすぐそばに、見覚えのある黒い栞アイコンがひとつ。
【黒い栞:卒業パーティ公開断罪イベント】
「やっぱり断罪イベント一本刺し、か」
思わず眉をひそめる。
「テンプレ悪役令嬢モノですからね〜」
「テンプレでもいいところと悪いところがあるんだよ」
俺はため息をついて、再生ボタンを押した。
世界が、すっと白に溶けて――
次の瞬間、豪奢なシャンデリアと青い空が開ける。
◇
風が、気持ちいい。
王立学園の入学式の日、だった。
石畳の中庭には、色とりどりのドレスと制服。
上級貴族も、下級貴族も、平民枠の特待生も、ぎっしり詰まっている。
――そして、その視線のいくつかが、わたくしに集中していた。
レティシア・フォン・アルマ。
アーデルハイト公爵家の長女。
王太子リオネル殿下の、婚約者。
(うん、設定だけ聞けば完全にテンプレ悪役令嬢ですね、これ)
内心で、思いっきりため息をつく。
けれど、顔にはいつもの完璧な微笑みを浮かべたまま。
「レティシア様、本日もお美しいですわ」
斜め後ろから、取り巻き令嬢の一人――シャーロットが囁く。
金髪碧眼、典型的な毒舌ツンデレ系。
「ありがとう、シャル。あなたのほうこそ、そのドレス、とても似合っているわ」
そう言って軽くスカートの裾を摘まむと、彼女はふん、と鼻を鳴らしながらも頬を赤くした。
「……褒めたって、甘やかしはしませんからね」
(はいはい、かわいい)
──そう。
私は、この世界の「テンプレ」を、知っている。
前世の記憶。
日本のオタク女子だった頃、夜な夜な読みふけった「悪役令嬢モノ」の数々。
スマホで遊び倒した乙女ゲームのシナリオ。
この学園、
リオネル殿下、
平民出身のヒロイン――マリア・ローゼ。
全部、知っている。
だって、元ネタのゲーム、クリアどころか全ルート回収したもの。
(問題は……)
中庭の向こう。
春の光の中、初々しい笑顔で立っている茶髪の少女――マリアを見やる。
(この子が幸せになるためだけに、私が公開処刑されるルートが、
デフォルト設定になってるってところなんですよ)
◇
「出ました、“悪役令嬢視点の現状把握”ですね〜」
画面の隅で、ミニルナが感心したようにメモを取る。
「三城さん、この子、開幕から情報量えぐいですよ」
「そりゃ前世で元ゲームやってたプレイヤー本人だからな……」
俺は腕を組んでスクリーンを見上げた。
レティシアの視界が動く。
王太子、ヒロイン、取り巻き令嬢、教師……一人ひとりを見ながら、
頭の中でフラグ管理をしているのが、ログ越しにも分かる。
『ここでこう接すると、三章で誤解イベントが発生するのよね』
『この子には、今のうちに恩を売っておかないと後で面倒』
そんなモノローグが、さりげなく挟まっている。
「……真面目にやってんじゃん」
思わず口から出た。
「“悪役令嬢だからって暴れればいい”じゃなくて、
テンプレを把握したうえで、できるだけマシな方向に流そうとしてる」
「ですね〜。
ていうかこの人、ルート分岐図ぜんぶ頭に入ってますよ」
ミニルナのHUDに、小さなチャートが浮かぶ。
【レティシア脳内フラグ管理マップ:精度 高】
「……この段階で削除候補って、やっぱおかしいよな」
黒い栞がちらつく画面の隅に、視線が吸い寄せられる。
【黒い栞:卒業パーティ公開断罪イベント(予定時刻:学園二年・冬)】
再生中の時計は、まだ一年の春だ。
にもかかわらず、その先に置かれた「終わりの印」が、やけに濃く滲んで見えた。
◇
「レティシア様、あちらにリオネル殿下が」
シャーロットの視線を辿ると、
中庭の中央、王太子が取り巻きと談笑していた。
金の髪、真面目そうな表情。
――前世でプレイしたときは、メイン攻略対象の一人。
(本来の真ルートでは、この人と共闘して王国の陰謀を暴くはずなんだけど……)
今の彼は、
どう見ても「ヒロインを庇って悪役令嬢を断罪する役」まっしぐらの雰囲気しか出していない。
(テンプレの重力、強いなあ……)
自分のスカートの裾を摘まんで、そっと息を整える。
「殿下に、ご挨拶してきますわ」
「はっ。わたくしもご一緒します」
数歩、歩み寄る。
そのタイミングで――
ヒロインであるマリアが、誰かに背中を押されてつまずいた。
派手につまずくというより、
見ている側が「うわっ」と思うくらい絶妙な角度で、こちらに倒れてくる。
(あー……これ、完全に“テンプレ嫌がらせイベント”の入り方)
「きゃっ……!」
勢いのまま、マリアがこちらにぶつかりそうになる。
前世の知識がなければ、
ここでとっさに避けてしまって、
「レティシア様が突き飛ばした」みたいな証言が量産されるのだろう。
けれど。
「危ないわ」
私は、一歩前に出て、マリアの腕を掴んだ。
ぐい、と引き寄せる。
受け身を取るように抱え込んで、そのままくるりと身をひねる。
結果――
「……っわ、ご、ごめんなさいレティシア様!?」
ぶつかるはずだった方向とは逆に倒れ込み、
私のほうが軽く尻もちをついた。
マリアは、私の腕の中。
周囲から、ざわ、と声が上がる。
「な、なにをしているんですかあなたは!」
取り巻きの一人が叫ぶ。
――が、その台詞の矛先は、どうやらマリアではなく、私のほうに向いていた。
え?
(ちょっと待って、どう見ても今、私、助けた側ですよね?)
「レティシア、マリアは無事か!」
リオネルが駆け寄ってくる。
真っ先にマリアの手を取って、立たせた。
「ご、ごめんなさい殿下……
私、足を滑らせてしまって――」
「レティシア、なぜ彼女のそばにいた。
押したのではないだろうな?」
(……………………はい?)
思考が一瞬、固まる。
(押してないでしょ!? むしろ引き寄せて庇ったでしょ!?)
周囲の視線を、素早く確認する。
丹念にメイクした令嬢たちの瞳。
訓練された騎士見習いの目。
みんな、「レティシアがまた何かやった」とでも言いたげな顔をしている。
(ログ、改ざんされてません?)
内心で突っ込みながらも、
表情だけは、淑女としての微笑を保つ。
「殿下。
私はただ、彼女が転びそうになったので助けただけですわ。
どうかご心配なさらないで」
わざと、「マリアを庇う側」の言葉を選んでおく。
マリアも、慌てて首を振った。
「ちがっ……レティシア様は、わたしを――」
「マリア、君に怪我がなくてよかった」
リオネルは、そこで彼女の言葉を遮った。
柔らかい微笑。
けれど、その目は一瞬だけ、私のほうを鋭く射抜く。
「レティシア。
君には、もう少し“周囲の目”というものを意識してほしい」
「……心得ておりますわ」
きっちりと淑女の礼をして、頭を下げる。
背筋を伸ばしたまま、
心の中で、全力でため息をついた。
(はい出ました、“何をしても悪役に見えるフィルター”)
◇
そこまで再生されたところで、
俺は一度、スクリーンのログを止めた。
「……今の、どう見てもレティシア助けてたよな」
「ですね〜」
ミニルナが、肩の上で腕を組む。
「ログ的には、
“マリアがつまずく → レティシアが支える → レティシアが尻もち”
っていう動きなんですけど」
HUDには、さっきのシーンのトレースが線画で表示されている。
「周囲の認識ログを見ると――」
【周囲NPCログ:
・『またレティシア様が平民に絡んでいた』
・『今の、わざとぶつからせたのでは?』
・『マリア様が気の毒』】
「……だいたいこんな感じです」
「だいぶ盛ってるな、おい」
俺は思わず頭を抱えた。
「これ、“悪役令嬢だからマイナス補正”ってレベルじゃなくて、
そもそもの認識フィルタがバグってないか?」
「多分、“悪役令嬢断罪テンプレ”側の
自動補正ロジックが走ってますね〜」
ミニルナが、別ウィンドウをぽん、と開く。
【処理ログ:
悪役令嬢ロールへの印象補正:+N
※イベント種別:ヒロイン転倒/接触】
「ほら、“こういう場面は悪役が疑われるべき”っていう、
テンプレ由来の自動処理が――」
「いや、それテンプレのほうがおかしいからな?」
思わず画面に向かってツッコミを入れる。
「……レティシア本人、よくこれで折れてないな」
そう言ったところで、
スクリーンの中の彼女が、
一人きりになった廊下で、ふっと肩を落とした。
◇
「はぁぁぁぁぁ……」
誰もいない廊下。
窓から差し込む光の中、私は思いっきりため息をついた。
「今の、どう見ても助けたでしょ……」
軽くスカートの裾を払って、立ち上がる。
膝についた埃を払いながら、窓ガラスに映る自分の顔を見つめた。
金色の髪。
ルビー色の瞳。
高飛車に見えがちな、きつい目元。
見た目だけなら、
そりゃもう「悪役令嬢です!」って自己紹介してるようなものだ。
(でも、だからって、なんでもかんでも私のせいにしないでほしいんですけど)
ガラスに映る自分に向かって、睨みを利かせる。
「……踏み台役だって?
ヒロインのスカッとイベントのために断罪されるためだけに育てられた人生?
誰がそんな台本にハンコ押したのよ」
小声で呟きながら、そっと目を閉じた。
脳裏に浮かぶのは――
前世でプレイしたゲームの、
“公開断罪イベント”のCGだ。
舞踏会の大広間。
白いスポットライトに照らされた自分。
その前で、冷たい目をした王太子と、涙ぐむヒロイン。
『レティシア・アーデルハイト。
君の悪行の数々、もはや看過できない』
あの声。
あの空気。
そして、ゲーム画面に出ていた一文。
【ここでレティシアは退場します】
「……するか」
私は、目を開ける。
窓ガラスに映った自分に向かって、はっきりと言った。
「わたしは退場しません。
悪役だろうがなんだろうが、
ちゃんと最後まで、舞台に残るから」
ガラスの向こうの自分が、
少しだけ口元を上げた気がした。
◇
「はい、決まりました〜」
モニタールームで、ミニルナがぱちぱちと手を叩いた。
【レティシア・フォン・アルマ】
【自己評価ログ:
“踏み台で終わるのは絶対イヤ”/
“最後まで舞台に残る”】
「生きたい側のスタンス、バッチリですね」
「……うん」
俺は椅子の背にもたれたまま、天井を見上げる。
「“物語が綺麗に終わるなら自分はどうでもいい”って子じゃなくて、
最初から“自分の人生もちゃんと守りたい”って言い切るタイプか」
胸の奥が、すこしだけ熱くなる。
「いいじゃん。
そういうヒロイン、俺は大好きだ」
ワールドコアの端で、黒い栞がかすかに揺れた。
そのすぐそばに、
まだ色のついていない、小さな薄い栞の影が、
ちらりと浮かんでは消える。
――断罪イベントの先に、
違うページが挟まりかけているみたいに。
「三城さん」
肩の上のミニルナが、にこっと笑う。
「この子、
“テンプレ悪役令嬢”なんかじゃもったいないですよ」
「ああ。だから――」
俺はスクリーンに映るレティシアの横顔を見つめた。
「断罪テンプレごと、ボツにしてやろう」
そのための「素材」は、
もう十分すぎるほど揃っている。
問題は、
この世界のシステムと、
テンプレを守ろうとする“番犬”たちだ。
黒い栞の向こう側で、
何者かの視線が、レティシアをじっと見ている気がした。
それでも――
「踏み台なんて、させるかよ」
ぼそっと呟いて、再生ボタンをもう一度押す。
レティシアの物語は、
まだ、始まったばかりだ。




