第1話 悪役令嬢テンプレ、削除候補
――視界が、白から色付きへと切り替わった。
さっきまで輪廻庁・物語管理局ストーリー課の大会議室にいたはずなのに、目の前に広がっているのは、金とクリスタルと大理石でできた、やたら豪華な天井だ。
(……おーい、ちゃんと着地できたか確認させて)
上からじゃなくて、耳元から声がした。
「はいはい、着地ログ問題なしですよ〜。
案件No.0003、『月華の王冠ロマンス』世界への潜入、成功です」
見下ろすと、俺の胸元のブローチが、ちょこんと瞬きしている。
淡い銀色の小さな羽根飾り――その中に、ミニルナのアイコンが潜んでいた。
「今度はブローチか」
「書記官設定ですから〜。羽ペンの次はブローチですよ、おしゃれおしゃれ」
おしゃれの基準はともかく、潜入はうまくいったらしい。
俺はそっと身を起こし、自分の格好を確認する。
濃紺の礼服。肩には王都記録局の紋章入りケープ。足元は磨かれた革靴。
鏡代わりに、壁の金色の装飾を覗き込むと――
(おお……ちゃんと「書記官モード」の顔だ)
前よりちょっと大人びた、二十代半ばくらいの男が映っていた。
黒髪を後ろでまとめ、銀縁のモノクル付き。
元ブラック企業社畜にはもったいないビジュアルである。
「肩書きも確認しましょうか〜」
ミニルナが、視界の端に小さなウィンドウを開いた。
【身分データ:
氏名:ミシロ・アキヤ
所属:王都記録局・臨時書記官
任務:学園卒業舞踏会および関係行事の記録】
「舞踏会からの断罪イベントまで、ばっちり同席できますね〜。
黒瀬さん、いい感じに口利きしてくれました」
「ありがたいけど、“断罪イベント”ってさらっと言うなよ」
ここは、量産されている乙女ゲーム系世界の一つだ。
タイトルは――
【『月華の王冠ロマンス』】
王太子、学園、舞踏会。
名前だけなら、いくらでも尊い恋愛ストーリーが展開されそうだ。
ただし現実は、「学園最終イベントで悪役令嬢が断罪されて終わる」テンプレ展開が、これでもかと詰め込まれた世界。
しかも今、この案件はワールドコア上でこう表示されている。
【構造評価:
悪役令嬢断罪テンプレ 過多
ヒロインログ:一名のみ極端に希薄】
【削除候補:監視中】
そう、“一名のみ”だ。
公式ヒロイン側も、悪役令嬢側も、攻略対象の王子たちも――
全員がそれなりにログを持っているのに。
一人だけ、「物語として扱いに困る存在」として、削除フラグが点滅している。
(その一人が、今回の“現地担当”ってわけか)
「お仕事のターゲット、そろそろ来ますよ〜」
ミニルナが、廊下の奥をちょんちょんと指差す。
ここは王立学院本館の二階廊下。
今夜行われる卒業舞踏会の準備で、召使いたちと楽師たちが慌ただしく行き交っている。
奥の階段から、ひときわ目立つ一団が上がってきた。
「――レティシアお嬢様、お足もとにお気をつけくださいませ」
「ありがとう、マルゴ。ドレスの裾、もう少しだけ短く詰めておいて正解だったわね」
柔らかな金髪をゆるくまとめ、深紅のドレスを翻しながら歩く少女。
背筋はまっすぐ、視線は真っ直ぐ。
一歩ごとに、廊下の空気が自然と彼女のほうへ流れていく。
これが――
【対象ヒロイン候補:
レティシア・フォン・アルマ
役割:公爵令嬢/王太子婚約者/悪役令嬢ポジション】
【印象値ログ:
表向き=高/構造上=低】
【状態:削除候補(監視中)】
ワールドコアが、素っ気なく彼女のデータを流してくる。
(“表向き=高/構造上=低”ってなんだよ)
言いたいことはなんとなく分かる。
物語の表面だけ見れば、彼女は華やかな「悪役令嬢」だ。
見た目も地位も発言力も、どこを切ってもメインキャラ。
けれど、「物語の深層構造」で見たとき――
彼女は、テンプレの通りに断罪されて退場しても、全体の流れには何の支障も出ない。
だから、削除候補。
そんな雑な話があるか。
「視線、もらいましたよ」
ミニルナが小さく笑う。
レティシアが、こちらに気づいた。
深紅の瞳が、王都記録局の紋章で止まり――
次の瞬間、かすかに細められる。
「……見慣れない顔ね」
完璧な淑女の微笑みのまま、すっと距離を詰めてきた。
近くで見ると、その笑みにはわずかな「警戒」と「興味」が混ざっている。
ゲームでよく見る「高飛車悪役令嬢スマイル」とは、微妙に違う。
「本日付で王都記録局より派遣されました、ミシロ・アキヤと申します。
卒業舞踏会ならびに、関連行事の記録を担当いたします」
俺は、事前に黒瀬に叩き込まれた通りのセリフを口にした。
「記録局……ね。ご苦労さま」
レティシアは、淑女らしく軽く会釈する。
それから――誰にも聞こえないくらいの小さな声で、ぽつりとつぶやいた。
「“新キャラ投入”、ですって。
最終イベント直前で。……脚本家はどれだけ欲張れば気が済むのかしら」
ぞくり、とした。
(今の、聞き間違いじゃないよな)
脚本家――という単語。
この世界の住人が、普通は口にしないはずの概念。
ミニルナが、素早くウィンドウを開く。
【ログ補足:
レティシア、世界構造用語への反応あり】
【タグ:前世記憶/ゲームプレイ経験 可能性=中〜高】
(やっぱり、転生者か)
予測はしていた。
大量生産されている悪役令嬢もののうち、「中の人が元プレイヤー」パターンは山ほどある。
問題は、その中でもレティシアのログだけが、不自然なほど薄いことだ。
断罪イベント直前まで、彼女にはそれなりに出番がある。
でも、「彼女視点の心情ログ」は異様に少ない。
それどころか、一部の時間帯は、ログそのものがごっそり空白になっている。
削除候補にされるときの典型的な症状だ。
「ミシロ書記官?」
レティシアが、再び「完璧な令嬢」の顔でこちらを見る。
「はい」
「一つ、確認しておきたいことがあるのだけれど」
彼女はわざと少しだけ声を張った。
廊下にいたメイドたちや学生たちが、自然とこちらに注目する。
「今夜の卒業舞踏会――
王太子殿下と、わたくしと、“彼女”に関する一連の出来事も、あなたの記録対象に含まれるのよね?」
“彼女”のところだけ、ほんの少しだけ声が低くなる。
“彼女”――この世界での正統派ヒロイン。
男爵家出身の庶民派少女、マリア・ローゼ。
彼女のほうは、ワールドコア上ではこう表示されている。
【マリア・ローゼ】
【役割:公式ヒロイン/印象値:高安定】
【削除フラグ:なし】
対照的に、レティシアには――
【レティシア・フォン・アルマ】
【役割:悪役令嬢/断罪イベント要員】
【構造上重要度:中/削除フラグ:点灯】
こうだ。
「もちろんです」
俺は、あくまで「ただの記録係」として答える。
「本日の出来事はすべて、ありのままに記録させていただきます」
「――そう」
レティシアの瞳が、一瞬だけ細くなった。
それは、「悪役令嬢らしい意地悪さ」ではなく――
獲物の動きを冷静に測っているハンターの目だった。
「なら、期待しているわ。
――“どちらが物語にふさわしいか”、ちゃんと見ておいてちょうだいね?」
優雅にそう言い残して、彼女は使用人を連れて歩き去っていく。
その後ろ姿に、ワールドコアからの表示が重なる。
【対象:レティシア
自己認識ログ──
・“断罪される役”を演じる気はない
・“ヒロイン席は渡さない”意識 強】
【しかし:
構造側ロック=悪役令嬢断罪ルート/強制力 高】
「……元気じゃん」
思わず、ぽろっと本音が漏れた。
前情報では、「物語のためなら自分が散ってもいい」くらい覚悟を決めたタイプかと思っていたが――
今目の前にいるレティシアは、全然違う。
脚本家だの新キャラだのと言いつつ、
自分の役割を冷静に分析し、なおかつ「座席は譲らない」と宣言している。
それなら、まだどうにかなる。
「三城さん」
ミニルナが、小声で囁く。
【注意:
結界外構造より不正アクセス波形検出】
【位置:
王立学院本館周辺/ノイズオブジェクト2件】
廊下の隅。
さっきから、妙に視線が引っかかる。
絵画の影に立つ、一人の少年。
黒い学生用ローブに、目立たない銀髪。
その隣には、給仕の制服を着た少女が一人。
二人とも、ただそこに立っているだけなのに、
ワールドコアの表示がうるさい。
【オブジェクト解析:
・所属不明
・ログ出典不明
・役割タグ:未登録】
【仮タグ:刺客候補】
(……来たか、こっち側の邪魔者)
黒幕AIが、物語内に送り込んでくる刺客。
それが、あの二人である可能性は高い。
少年のほうが、こちらに一瞬だけ視線を向ける。
見た目は普通の学院生と変わらない。
けれど、その目だけが、「物語の外」を知っている色をしていた。
「ミシロ書記官」
「……はい?」
「書記官殿も、大変ですね」
少年は、にこりと笑う。
「今夜の舞踏会は、きっと“見どころ”が多いですよ。
記録が追いつかなくならないよう、どうぞお気をつけて」
ただの挨拶。
そう言い切るには、言葉の端々に含まれる「含み」が多すぎた。
少女のほうは、何も言わない。
ただ、レティシアが去っていった方向を、興味なさそうにちらりと見るだけ。
その視線の軌跡にだけ、赤黒いノイズが走った。
【補足:
刺客ペア 仮称=“灰”&“影”】
【監視推奨】
「三城さん、どうします?」
「どうするもこうするも――」
俺は、深く息を吸った。
目の前には、「悪役令嬢として断罪される予定の公爵令嬢」。
廊下の隅には、「物語そのものを削除させたがっている刺客ペア」。
そして、頭上のワールドコアには、でかでかとこう表示されている。
【悪役令嬢断罪テンプレ:
本案件への適用 ――仮決定】
【削除候補:
レティシア・アーデルハイト】
ふざけるな。
「まずは、原作通りの断罪イベントの“形”を押さえる」
低く呟く。
「そのうえで、“誰も退場しないクライマックス”に差し替える」
それが俺の、ストーリー課の、今回の仕事だ。
ミニルナが、ブローチの中でぐっと拳を握る。
「はい、“悪役令嬢断罪テンプレ”は――」
「――まとめてボツにする」
王都記録局臨時書記官ミシロ・アキヤとして。
元・ラノベ賞全落ち応募者、現・ストーリー課三城晶也として。
この世界の悪役令嬢断罪イベントを、ちゃんと“物語として読みたい形”に書き換えてやる。
そのための第一歩は――
今夜の舞踏会で、「本来の断罪ルート」がどう動くかを、可能な限り正確に記録することだ。
「よし。まずは資料集めと現地取材だな」
「ですね〜。学園の噂話ログも、片っ端から拾っておきます!」
俺は、レティシアが去っていった方角に視線を向けた。
削除候補タグをぶら下げられた公爵令嬢が、
どうやってこの世界で足場を作ろうとしているのか。
その全部を、見届けるために。




