第2話 代償テンプレと削除フラグ
ストーリー課の会議室を出ると、黒瀬さんは振り向きもせずに歩き出した。
「ついてきなさい」
「は、はい」
慌てて後を追う。
廊下の突き当たり、さっきの受付フロアとは逆方向。
人通りが少なくて、空調も一段階ひんやりしている。
「ここから先は、通常業務ではあまり使わないフロアよ」
「“あまり”ってぼかし方が一番怖いんですが」
「案件No.0001みたいな、ややこしい案件専用」
そう言って、黒瀬さんが立ち止まる。
目の前には、他の扉よりも一回りごつい銀色の扉が一枚。
上部にはホログラムで、
【ワールドコア観測室】
と表示されていた。
「ワールドコア……」
「各世界の構造やログを、直接のぞき込むための部屋。
――まあ、“覗き見趣味の悪い神様向け施設”と思っておけばいいわ」
「軽い口調で世界の根幹をディスるのやめません?」
とはいえ、興味しかない。
黒瀬さんが腕章をかざすと、扉が音もなく左右に開いた。
◇
中に入ると、そこは一面、闇だった。
正確には、床も天井も壁も「真っ黒なパネル」で覆われていて、その上にホログラムが浮かんでいる。
足元には、淡いラインで「ここから先は落ちるから気をつけて」と言わんばかりの境界線。
実際には落ちないのだろうけど、視覚情報としては完全にアウトだ。
「わあああ、何度見てもSF映画みたいですよねここ!」
さっきまで会議室にいたはずなのに、いつの間にか先回りしていたルナが、中央の円形コンソールの前でぴょんぴょん跳ねていた。
「ルナ。コンソールの上で跳ねない」
「はーい」
素直に言うことは聞くらしい。行動が素直なだけに、企画が暴走しがちなのが困る。
「そこに座りなさい」
黒瀬さんに促され、円形コンソールの一角に腰を下ろす。目の前には手のひら大の台座がある。
「じゃ、案件No.0001、出しますねー」
ルナが台座に両手を置くと、空中に光の粒が集まり始めた。
やがて、それはひとつの球体になる。
青と白と、ところどころに赤みが差した――地球儀のようで、でもどこか違う。
「これが……」
「案件No.0001のワールドコアよ」
黒瀬さんが、横に立って説明する。
「世界の骨組み、構造、運命の分岐、全部まとめてここに映っている。
物語の“設計図”の集合体みたいなものね」
見ているだけで、背筋がぞくっとする。
球体の表面には、街や森や海のような断片が浮かび、その隙間を淡い線がつないでいた。
その線の一部が、赤く点滅している。
「あそこが“まずいところ”です」
と、ルナ。
「説明がざっくりすぎない?」
「だいたい、まずいところは赤いんですよ!」
「料理じゃないんだから」
とはいえ、直感的には分かりやすい。
確かに、その赤く点滅している部分は、他の場所と比べて、ところどころ線が途切れかけているように見えた。
【状態:ヒロインログ 一部欠損】
球体の横に、文字が浮かぶ。
「ヒロイン……」
「ええ。案件No.0001の中心人物の一人。
辺境の小さな村で暮らしている、病弱な少女よ」
黒瀬さんの指先が、ふっと球体の一角をなぞる。
そこが拡大され、ぼんやりとした映像が浮かび上がる。
小さな木造の家。
二階の窓。
窓辺に座って外を見ている、やせた少女の横顔――。
画面が、ぶつっとノイズを走らせて途切れた。
「……今のが?」
「本来なら、彼女の生活ログがもっとずらっと並んでいるはずなの」
黒瀬さんが、淡々と続ける。
「起きて、食事をして、本を読んで、村の様子を眺めて――そういう“何でもない日常”の記録。それがごそっと抜け落ち始めている」
「ごそっと、って」
ゾワっと鳥肌が立つ。
「そんな抜き方、普通に起きるもんなんですか」
「普通じゃないわね」
黒瀬さんはあっさり言った。
「だから“警告案件”としてこっちに回ってきている」
球体の脇に、文字が追加される。
【構造傾向:代償テンプレ適用リスク高】
「それと――これ」
今度は別の部分が拡大される。
世界の中央あたり。
そこには、“勇者”とか“魔王”とか、“世界を救う戦い”とか、そういう単語が細い文字列でびっしり並んでいた。
「世界の骨格、ですね〜」
ルナが横から補足する。
「この世界は、ざっくり言うと“魔王出現で世界やばい、誰かが立ち上がってどうにかする”系。わりとよくあるやつです」
「はい、テンプレ度Aです!」
「テンプレ度の概念が軽いな本当に」
とはいえ、ストーリーライン自体は分かりやすい。
問題は、その骨組みに上書きされつつある、赤いラベルのほうだ。
【代償テンプレート:候補構造】
「代償テンプレ……」
「世界の安定と引き換えに、“誰か一人”に全部背負わせる構造テンプレ――って言えば分かるかしら」
黒瀬さんの声が、ほんの少しだけ冷たくなる。
「勇者ひとりを犠牲にする世界。
あるいは、ヒロインひとりを犠牲にする世界。
誰か一人が“代償”になってくれれば、世界はきれいにまとまる、という発想」
「……聞こえだけなら、それなりに綺麗ですけど」
喉の奥が、きゅっとする。
「読者目線で見ると、結構しんどい話ですよね」
「そうね」
黒瀬さんはあっさりうなずいた。
「全員が納得して、必然が積み上がって、その上で“それしかない”ってところまで行き着いた代償なら、まだ分かる」
指先が球体の表面を軽く叩く。
「でも問題は、“テンプレとして最初から犠牲枠が決まっている”タイプの物語よ」
球体の一角が、じわっと赤く染まる。
【候補:勇者レオン/ヒロイン・ミア】
「この世界では、勇者候補の少年と、辺境村の病弱な少女が、“代償候補”として最初からマークされている」
「最初から、って」
「世界が始まる前から、ね」
つまり、誰もまだ何もしてない時点で、犠牲枠が用意されている、ということだ。
「そういう世界構造は、だいたいこうなる」
黒瀬さんが別のホログラムを呼び出す。
そこには簡略化された図が表示されていた。
世界の真ん中に、大きな円。
その周囲に、勇者、ヒロイン、村人、王都、魔王――などのラベル。
そして、中央に向かって、何本もの矢印。
【“誰か一人が全部背負う”で話を畳む】
「便利でしょう?」
「便利って言い方やめません?」
「誰かひとりが背負ってくれれば、他の大勢は納得したふりをして話を終わらせられる。
構造としては、とてもコスパがいい」
言っていることは理解できる。
理解はできるが――。
「……物語としては、手抜きですよね、それ」
気づけば口が勝手に動いていた。
「少なくとも、“誰か一人に押しつけて終わり”で、読者がスッキリする話なんて、ほとんどないと思う」
「同感」
黒瀬さんが、ほんの少しだけ口元で笑う。
「代償テンプレを、そのまま通していい世界も、たまにはある。
でも、“テンプレ”として最初から組み込むのは、ただの怠慢よ」
ルナが、おずおずと手を挙げた。
「あ、あの……代償テンプレ自体は、ワールドコアさんが昔から持ってる構造で……私たち女神側からは、直接いじれないんです。だから、悪いテンプレってわけじゃなくて、その、使いどころというか……」
「フォローしようとして余計にややこしくしてるわよ」
「ひぃ」
とはいえ、言いたいことは分かる。
全部が全部ハッピーエンドじゃなくてもいい。
苦い終わり方だからこそ響く話も、たしかにある。
問題は、それを“テンプレ”“決まりきった犠牲”で済ませるかどうかだ。
「で、この世界は?」
俺は球体を見上げる。
「勇者とヒロイン、二人が代償候補で――」
「現状、より強くマークされているのはヒロイン側」
黒瀬さんの指示で、球体の一部がさらに拡大される。
さっきノイズで途切れた、窓辺の少女の部屋。
【ヒロイン:ミア】
【属性:辺境村/病弱/自己評価低】
【代償候補フラグ:点灯】
【ログ欠損:進行中】
「自己評価が低くて、“自分はいなくてもいいのかもしれない”と思っているタイプは、代償テンプレとの相性が良い」
黒瀬さんが、さらっと恐ろしいことを言う。
「“世界のためなら仕方ない”“誰かの役に立てるならいい”――そういう言葉で、代償ポジションに押し込めるから」
「……うっわ……」
胃のあたりが冷たくなった。
思い当たる光景はいくつもある。
現世だって、“自分をすり減らすのが当たり前”になってる人間はいくらでもいた。
まさに俺とか。
「しかも、この案件ではヒロインログが欠損し始めている」
球体の一角が、またノイズを走らせる。
「世界の骨組み側から見ると、“いなくなっても仕方ない存在”に書き換えられつつある」
「――!」
思わず、拳を握りしめていた。
「それってもう、“代償にしても誰も文句言わないように”、世界のほうを調整してるってことでしょう」
「あら、飲み込みが早い」
黒瀬さんが感心したように言う。
「そう。
“代償にする前に、消しても大勢に影響がないようにしておく”。
そういう雑な処理が走っている可能性がある」
「雑どころか、かなり悪質では」
黙っていられない。
「物語としても、人間としても、最低じゃないですか、それ」
「だから、ストーリー課で止めるのよ」
黒瀬さんが、球体の横に別のウィンドウを呼び出す。
【削除ルーチン:カウントダウン中】
【残り時間:6日と23時間ちょっと】
「ヒロインログがこれ以上欠損して世界がスカスカになれば、ワールドコア側はこの世界を“不完全”とみなして削除する。物語として成立しない世界を残しておくほど、あっちも暇じゃないから」
「そりゃそうでしょうけども!」
「代償テンプレに流れるか、削除されるか。
今のままだと、この世界の行き先は、その二択」
ルナが、珍しく真面目な顔をして言う。
「そこで、ストーリー課の出番です!」
さっきも聞いたフレーズだ。気に入ってるな、この部署。
「代償テンプレによる犠牲エンドも、削除ルーチンによる世界ごと全消しも――」
黒瀬さんが、こちらを見る。
「まとめて“ボツ”にして、“三つ目の道”――修復ルートに書き換える」
喉が、ごくりと鳴る。
「修復ルート……」
「世界の骨組みも、ヒロインの在り方も、“その世界なりの形”で組み直す。
誰か一人を代償にしなくても、世界が立っていられるように」
球体の表面に、細い光の線が何本も走る。
「簡単じゃないわよ。
テンプレは楽だからテンプレなの。
それを捨てて物語を立て直すのは、創作でも、現実でも一番しんどい作業」
「それでも、やる価値はある?」
自分でも驚くほど真っ直ぐな声が出た。
黒瀬さんは、ほんの一瞬だけ目を丸くしてから、小さく笑った。
「あると思うから、ここにいるの」
その一言で、胸の中に溜まっていた何かが、すとんと落ちた気がした。
「三城」
「はい」
「あなたには、この世界に“書記官”として潜ってもらう」
「書記官……?」
「王都の記録局から派遣された、物語の記録係。
勇者候補とヒロインの近くにいて、彼らの日常と選択を見届ける役目」
「――つまり、直接会いに行けるってことですか、そのヒロインに」
「ええ」
黒瀬さんが頷いた。
「窓辺で世界を眺めているだけだったはずの病弱な少女が、
“いなくてもいい子”をやめて、“ここにいていい人”になっていけるように。
その物語を、あなたの目で見て、記録して、必要なら手を貸しなさい」
「そんな、重要そうな役、いきなり俺で大丈夫なんですか」
「ボツ経験者ほど、安易なエンディングに妥協しないでしょう?」
黒瀬さんの言葉に、苦笑しながらも頷いてしまう。
たしかに、あの「選考結果のお知らせ」を何度も読んだ身としては――
「まあこれでいっか」と妥協した終わり方には、心の底からイラッとする。
「じゃあ、準備しましょうか!」
ルナがぱっと手を上げた。
「案件No.0001、潜入モード起動します! 書記官設定は……王都記録局、辺境担当、臨時派遣――」
球体の周りに、光の輪がいくつも浮かび上がる。
足元の床が、すうっと消えたような感覚がした。
「うわ、ちょっ、これ落ちてません!?」
「大丈夫、ちゃんと世界につながってるから!」
「説明になってない!」
視界が、ぐにゃりと歪む。
青と白の球体が、ぐんぐん近づいてきて――。
【案件No.0001 転送開始】
【役割:王都記録局書記官/仮名設定中】
【注意:転送後は現地ルールに従って行動してください】
最後に見えたのは、そう書かれた淡い文字列だった。
次の瞬間、俺の足は、固い石畳の感触を捉えていた。
空気が変わる。
遠くで鳴く家畜の声、誰かの笑い声、風が木の葉を揺らす音。
そして――。
「――マサト殿、こっちじゃ」
どこか懐かしい、日本語とは微妙に違う響きの声が、耳に届いた。
気づけば、目の前には、小さな村の広場。
その向こうに、一軒の木造の家。その二階の窓に――。
一人の少女が、静かに座って外を見ていた。
案件No.0001。
ヒロインログが抜かれかけている世界。
ここから先のページを、テンプレにも削除にも渡さないために――。
俺の「死後の仕事」は、本当の意味で始まろうとしていた。




