第10話 無属性少女と、ボツにしたい結末
防衛実習の前日、五限目――。
教室の空気は、いつもより少しだけざわついていた。
明日の時間割に、太い赤字で書かれた一行のせいだ。
【特別科目:学園防衛実習】
黒板の前に立ったグレンが、腕を組んでクラスを見回す。
「――というわけで、明日は一年全体を巻き込んだデカい訓練だ」
いつもどおりの低い声。
けれど、その背後には、訓練場の石畳ではなく、学園都市全体の図が浮かび上がっている。
「魔物役は、結界外で待機してる召喚体だ。
前衛は外縁で迎撃。支援班はその一歩後ろ。
で、いちばん重要なのが――」
グレンの指先が、学園の中心部をなぞる。
「結界維持班だ」
教室のあちこちで、ごくり、と喉の音が重なった。
「結界維持が崩れたら、その時点で防衛失敗。
逆に言えば、どれだけ外縁が押されても、ここが踏ん張ってれば“世界は守られた”って扱いになる」
「世界って、学園のことですよね……?」
ジンが小声で突っ込む。
「訓練上はな。本物の世界はもっとデカい。
だからこそ、この訓練で“どこまで踏ん張れるか”を見るんだ」
グレンはそれだけ言うと、手元の名簿に視線を落とした。
「――で。結界維持班の編成は、教務主任と俺で相談して決めた」
教室の空気が、一段階ぴりっと引き締まる。
「発表する。呼ばれたやつは前に出ろ。
……まず、ユリウス、ミーナ、カトリーヌ」
魔力量が高いことで有名な優等生たちが、順番に立ち上がる。
クラスメイトが「ですよねー」といった顔で見送る中――。
「それから、エイル・ヴァレンシュタイン」
「えっ」
小さな声が、教室の真ん中あたりから漏れた。
エイルが椅子をきしませながら立ち上がる。
自分の名前が合っているのか不安そうに、何度も瞬きをしていた。
「ま、待ってください先生」
教室の後ろから、呆れたような声が飛ぶ。
レオナルド・バイン。典型的な“貴族系うざ絡み男子”だ。
「結界維持班に、あの“無属性”を入れるんですか?
いくらなんでも、役不足というか――」
「言い方間違ってるぞレオナルド。“役が重すぎる”ほうだ」
ジンが即座にツッコミを入れる。
「どっちにしろ、おかしいと思いませんか?
結界の要が、平均以下の魔力しか持たない生徒って」
エイルがびくりと肩を震わせる。
その瞬間、リオが勢いよく立ち上がった。
「おいレオナルド。言い方ってもんがあるだろ」
「事実を言ったまでだよ、リオ・ハート。
この前の模擬戦と実習で、少しばかり目立ったからといって――」
「“少しばかり”じゃないっすよ」
リオの声に、いつもの軽さはなかった。
「実習、見てなかったのか?
エイルがバランス見てくれてなきゃ、俺たち何回足止め食らってたか分かんねえぞ」
「そうそう。俺なんか、二回はマジで転んでたな」
「自白すんなジン」
教室の空気が、じわじわと熱を帯び始める。
(……これは、あんまり放っておきたくないな)
俺は椅子から立ち上がりかけた――が、それより早くグレンが動いた。
「お前ら、座れ」
一言。それだけで、空気がぴたりと止まる。
「編成は、魔力の絶対値だけで決めたわけじゃねえ。
集中力、持久力、そして“他人に合わせる癖”も考慮した」
グレンは、エイルのほうをちらりと見た。
「ヴァレンシュタイン。前に出ろ」
「……はい」
エイルは緊張でぎこちない動きのまま、教壇の前に立つ。
俯きがちな視線が、ちらっとこちらをかすめた。
「お前、自分の魔法についてどう思ってる」
グレンの問いに、エイルはしばし言葉を探した。
「……器用貧乏、だと思います」
教室が、しんと静まり返る。
「どの属性にもちゃんとなれなくて、
攻撃にしても、回復にしても、中途半端で……」
「だから、結界維持には向かないと?」
「結界みたいな大事なものは、
もっと“ちゃんとした人”がやるべきで……」
その言葉に、何人かが顔をしかめた。
リオとジン、それからユウトも。
俺は一歩だけ前に出る。
「そこが、評価ポイントなんだよなあ」
「……は?」
思わず、エイルが顔を上げた。
「“器用貧乏”って、
裏を返せば“どの属性とも相性が悪くない”ってことだろ?」
俺は黒板の横に立ち、簡単な魔力の図を空中に描き出す。
赤、青、緑、金――さまざまな色の光が、小さな粒になって舞い、それが一本の線に収束していく。
「専用の“主属性タンク”はたしかに強い。
でも、いろんな属性の魔力がごちゃ混ぜで飛び交う現場じゃ、
それを一回まとめ直す役目のほうが重要なときもある」
教室のあちこちで、視線が集まる。
「エイルは、その“まとめ直し”ができる。
模擬戦でも、実習でも、ちゃんとそれができてた」
エイルの肩が、ぴくりと揺れた。
「だから今回は、“結界維持班の中心”に立ってもらう」
俺の言葉に、レオナルドが露骨に眉をひそめる。
「中心、ですって?」
「そうだ。
結界は、誰か一人の主属性で押し切るものじゃない。
みんなの魔力をつないで、全体で維持するものだ」
俺は、ホログラムの線を指で弾いた。
「――その“道筋”を作るのは、器用貧乏な奴のほうが向いてる」
しばしの沈黙。
やがて、後ろのほうからぼそっと声が上がった。
「……なんか、わりと説得力あるな」
「誰だ今の」「たぶんジン」
「俺じゃねーよ! いや、ちょっと納得はしたけど!」
小さな笑いが生まれる。
それに紛れて、エイルの表情がほんの少しだけ和らいだ。
「異論あるなら、実習で結果を見せてから言え。
――レオナルド」
グレンが、視線だけでそう釘を刺す。
レオナルドは、唇を結んだまま肩をすくめた。
「……いえ。先生方と“外部監査”のご判断なら、従いますよ」
外部監査、という言葉に、俺は内心だけで苦笑した。
(“ストーリーの外から見てる側”って意味では、まあ嘘じゃないか)
◇
放課後。
教室から生徒たちがはけ、夕焼けの色が廊下を染め始めたころ――。
「エイルさん、ちょっとこっち」
イリアが、ひょっこりと教室の扉から顔を出した。
「え? イリア先生?」
「定期的な健康チェックってことで。
明日、大事な役目なんでしょ?」
にっこり笑って、手招きする。
「ミシロ先生も、来てくださいな。
“講師側の顔色チェック”も、サービスしますから」
「サービスってなんですかサービスって」
そんなやりとりの末、俺とエイルは保健室へと連行された。
◇
保健室は、いつ来ても少し緊張する。
白いカーテンと、きちんと整えられた薬棚と、
ふわっと甘いハーブの匂い。
「はい、深呼吸して〜」
イリアがエイルの胸に聴診器を当てる。
エイルは、くすぐったそうにしながらも、大人しく従っていた。
「脈も悪くない。魔力の流れも問題なし。
体だけ見れば、明日の結界維持、十分持ちますよ」
「……よかった」
エイルが、小さく息を吐く。
「でもね〜」
イリアは、聴診器を外しながら、軽く首をかしげた。
「さっきからずっと、顔の筋肉が固まってるのが気になるな〜」
「え?」
「心のほうの緊張。
こっちのほうが、長時間の結界には影響出るからね」
イリアはエイルの前に椅子を引き寄せると、目線を合わせて座った。
「何がそんなに引っかかってるのか、少し話してみる?」
エイルは、一瞬だけ俺を見た。
「聞かれたくないなら外に出ますよ」と目で伝えると、
彼女は首を横に振る。
「ミシロ先生も、いてください」
「いいの?」
「……先生、模擬戦のときも、実習のときも、
“ここにいていい”って言ってくれたから」
その一言で、胸の奥をつつかれた気がした。
「じゃあ、お言葉に甘えて」
俺は、少し離れたベッドの端に腰を下ろす。
ミニルナが肩の上で、ちょこんと座り直した。
「で、本音の時間ですよ〜」
イリアが、いつもの柔らかい笑顔で促す。
「“結界維持の中心に選ばれた”こと、どう感じてる?」
「うれしい、です」
エイルは少し考えてから、答えた。
「今まで、ちゃんと役に立てたことって、あんまりなくて。
模擬戦も、実習も……
ミシロ先生や、ユウトくんや、みんなのおかげで、
やっと“役目”をもらえた気がして」
「ふむふむ、“うれしい”と」
イリアが頷く。
「じゃあ、“こわい”ほうは?」
エイルの肩が、びくりと揺れた。
しばらく唇を噛んでいたが、やがて、ぽつりと言葉がこぼれる。
「……こわい、です」
イリアは、それ以上急かさなかった。
ただ、静かに待つ。
「“最も適性のある者が、一番危険な役割を担う”って……
教務主任の先生、言ってました」
ラウルの言葉だ。
今日、俺が聞かされた価値観が、そのまま彼女の耳にも届いていたらしい。
「結界が一番大事で、
わたしが、その中心に選ばれたなら……」
エイルは、握った手に力を込める。
「もし、わたし一人が無茶をすれば、
みんなが助かるのかなって……
それで、“うまく終わる”なら、やるべきなのかなって、
ちょっとだけ、思ってしまって」
ミニルナの HUD に、赤い文字が浮かぶ。
【代償テンプレ:
“自己犠牲を正当化する思考パターン”検出】
(やっぱり、入ってきてるな)
ワールドコアの別レイヤーで、
エイルのタイムラインに絡みつく赤い糸がうっすら見えた。
「でも――」
エイルは、ぎゅっと目をつむる。
「そういう終わり方、いやなんです」
絞り出すような声だった。
「“わたしがいなくなれば、全部うまくいく”っていうの、
ずっと、心のどこかでそう思ってたけど……」
唇が震える。
「模擬戦で、一緒に勝てて。
実習で、“いないと困る”って言ってもらえて。
――やっと、“ここにいていいのかもしれない”って思えたのに」
目尻に、光るものが溜まっていく。
「そんなときに、“一人で抱えればうまくいくかも”なんて考えてしまう自分が、
すごく、いやで」
イリアが、そっとハンカチを差し出した。
「だから、ちゃんと言葉にしておきたくて」
エイルは、それを受け取り、顔を上げる。
「わたし――」
一呼吸置いてから、続けた。
「役に立てるなら、うれしいです。
結界維持だって、がんばりたいです」
その瞳が、まっすぐ前を向く。
「でも、“わたしがいなくなれば全部うまくいく”
みたいな終わり方は、いやです」
イリアが、ふっと微笑む。
「“みんなで”終わりたいんです。
ちゃんと守り切って、“おつかれさま”って笑って、
ユウトくんや、みんなと――」
言葉が途切れる。
それは、恥ずかしさというより、願いの大きさゆえの一瞬のためらいだった。
「……一緒に、卒業したいです」
保健室の空気が、少しだけ震えたような気がした。
ミニルナが、俺の肩の上でぱちぱちと目を瞬かせる。
「三城さん、今の……」
「ああ、分かってる」
視界の前に、ワールドコアのウィンドウが浮かび上がる。
【個人ログ更新:エイル・ヴァレンシュタイン】
【新規願いタグ:
・“いなくなればいい”終わり方の否定
・“みんなで笑って終わりたい”】
【代償テンプレ:侵入経路の一部 逆流を確認】
赤い糸の何本かが、ゆっくりとほどけていくのが見えた。
「よかったですね〜。
“死んで盛り上げるルート”に自分から歩いてくタイプじゃなくて」
「そもそも、そんなルートがある時点でこっちの問題だけどな」
俺は小さく息を吐き、ベッドから立ち上がる。
「エイル」
「は、はい」
「さっき言ってた終わり方――
うちの課では、そのパターン、真っ先にボツだから」
「……課、ですか?」
「えっと、ほら。
俺が昔いた職場の話な。物語絡みの仕事しててさ」
慌てて言い換えると、イリアがくすくす笑った。
「“誰か一人が死ねば盛り上がる”って台本、
楽なんだよ。作る側からすると」
それが、死後に自分で痛感したことでもある。
「でも、安い盛り上がりに頼った物語って、
一度は泣けても、あとで思い返すと苦くなる」
エイルが、じっと俺を見ていた。
「だから――少なくとも、俺が見てる物語くらいは」
言葉を少しだけ探す。
「“全員生きて笑って終わるルート”を、
ちゃんと通してみたいんだよ」
エイルの目が、かすかに見開かれる。
「……そんな終わり方、してもいいんですか?」
「していいし、してほしい」
即答だった。
「現実がどうかは知らないけど、
物語の中くらい、そういう結末があっていいだろ」
イリアが、満足げに頷いた。
「いいですね、それ。
私は、その終わり方に一票入れておきます」
保健室の窓の外で、夕日が沈みかけている。
「それでも不安なら――」
俺は、エイルの視線の高さにしゃがんだ。
「明日、結界のそばに俺もいる。
危なかったら、全力で止めるから」
「で、でも――先生は前衛でも支援でもないのに……」
「そのときは、そのときだ。
大人はな、“危ない役を取りに行っても怒られにくい”特権がある」
「それ、さっきの話と矛盾してません?」
イリアの冷静なツッコミが飛ぶ。
「“死んで盛り上がる役”を取りに行く気はないですよ。
“死なせないほう”に全力で突っ込むだけです」
ミニルナが、「それならセーフですね〜」と適当なことを言った。
エイルは、少しだけ笑った。
「……ずるいです、先生」
「どのへんが?」
「そんなふうに言われたら、“がんばります”って言うしかないじゃないですか」
その笑顔は、まだ少し心細さを残している。
けれど、さっきまでの“諦め混じりの覚悟”とはまるで違った。
「じゃあ、約束しましょうか」
イリアが、両手を軽く打ち合わせる。
「明日、防衛実習が終わったら――
保健室で、お茶会しましょう」
「お茶会……ですか?」
「ええ。
誰も担ぎ込まれずに終わったら、“お祝いお茶会”。
誰かが怪我しても、生きて笑って来られたら、“よく頑張りましたお茶会”。」
イリアは、いたずらっぽく片目をつむる。
「どっちに転んでも、エイルちゃんがここで笑ってお茶を飲んでたら、
それで私の勝ち」
「勝ち負けの基準それなんですね……」
思わず苦笑が漏れる。
「……はい」
エイルは、胸の前で小さく拳を握った。
「明日、ちゃんとここに戻ってきて、
みんなで、お茶、飲みたいです」
「うん。それでいい」
イリアが、そっとエイルの頭を撫でた。
◇
保健室を出たあと、廊下を並んで歩く。
エイルは、さっきよりずっと落ち着いた足取りだった。
「あの、ミシロ先生」
「ん?」
「もし、わたしが――」
言いかけて、首を振る。
「いえ。なんでもないです」
「そこまで言っといて?」
「ちゃんと、“一緒に笑って終わりたいです”って言ったので。
あとは、明日がんばるだけだと思って」
その言葉に、俺のほうが少し救われた気がした。
「じゃあ、明日は――
“死にたくない理由”を、もっと山ほど積み上げようか」
「理由、ですか?」
「そう。
卒業したいとか、ユウトのバカ話をもっと聞きたいとか、
リオにジュース奢らせたいとか」
「ジンさんにも、ですか?」
「もちろん。あいつには二倍でいい」
エイルが、くすっと笑う。
「……そういうの、たくさん考えておきます」
ミニルナの HUD に、新しい小さなログが増えた。
【エイル:
“死にたくない理由”候補の自発的収集開始】
ワールドコアの赤い糸は、さっきよりもずっと細く、頼りなく見える。
明日、この世界は一つの審判日を迎える。
刈り取られる代償か、ボツにされるテンプレか、
それとも――みんなで笑って終わる新しいクライマックスか。
「さて」
俺は空になった廊下を見渡した。
「こっちも、“みんなで生きて終わらせる台本”を、
徹夜で仕込むとしますか」
「ほどほどにしてくださいね〜。
死後ブラック残業は、さすがに洒落になりませんから」
ミニルナのもっともなツッコミを聞きながら、
俺はワールドコアと教案ファイルが詰まった端末を開いた。
防衛実習前夜の、長い長い下準備が始まる。




