第14話 ギリギリ配達と、「続きが読みたい世界
その日は、朝から空の色がよくなかった。
辺境村の上空に、ねっとりした雲が張り付いている。
雨が降るのか降らないのか、はっきりしない、いちばんいやな感じの空だ。
「……いやな雲じゃのう」
村長バーンズが、ひげを撫でながら空を見上げた。
隣で、祖母さんも小さくため息をつく。
「行商人さん、ちゃんと来てくれるかねえ」
「来るじゃろうが……山道がぬかるんどったら、ちぃとは遅れるかもしれん」
村の入り口は、いつもより静かだった。
子どもたちも、今日はあまり走り回っていない。
(……そりゃ、そうなるよな)
俺は、村長たちから少し離れたところで、何でもない顔をして空の雲を眺めていた。
表向きは「王都記録局書記」。
中身は「削除タイマーを見ながらそわそわしている輪廻庁職員」である。
視界の端に、小さな半透明のウィンドウが浮かんでいる。
ミニルナ専用HUDだ。
【案件No.0001/削除カウントダウン】
【残り:9時間24分】
「……数字で見せるのやめてくれない?」
「え〜、隠しても時間は減りますからね〜」
肩の上で、ミニルナが足をぶらぶらさせる。
「行商人ルート的には、“十分間に合うゾーン”です! たぶん! きっと!」
「最後の二つの語尾が信用ならないんだよ」
苦笑しながら、村の奥――村長の家のほうを見る。
あの家の二階では、ミアが今日も「世界一こわい散歩」を続けているはずだ。
「ミアさんのほうは?」
「ログ見る限りは順調ですよ〜」
ミニルナが、別のウィンドウを開く。
【ミア・本日の目標】
午前:廊下の真ん中まで
午後:玄関の手前まで
「昨日、廊下の真ん中まで行けたんで、今日は“玄関の手前まで”にチャレンジ中ですね〜」
「世界一こわい散歩、ロングコースだな」
「ロングですけど、ページとしては最高ですよ〜」
ミニルナが、胸を張る。
「“待ちながら積み上げてる世界”って評価、ワールドコアさんのほうでもじわじわ上がってます」
「だったら、なおさら途中で切らせたくないな」
削除ルーチンのカウントダウンと、行商人の荷馬車。
その二つが、見えないところで競争している。
どっちが先にゴールにたどり着くかで、この世界の続きが決まる――そう言っても大げさじゃない。
⸻
昼過ぎ。
空はとうとう我慢できなくなったようで、細かい雨粒を落とし始めた。
「……あちゃあ」
村長が、肩にぽつりと落ちた雨を見て顔をしかめる。
「これは、山道がぬかるむのう」
「行商人さん、大丈夫かねえ……」
祖母さんの声にも、不安が混じる。
俺のHUDでも、ミニルナのウィンドウがきゅっと色を変えた。
【行商人ルート予測:+1〜2時間の遅延見込み】
【削除カウントダウン残り:6時間51分】
「おい、さっきよりだいぶ減ってないか?」
「時間は常に減ってます!」
元気よく言われても困る。
「……ルナ、本体側は?」
「輪廻庁のストーリー課ですね〜? 今、黒瀬さんたちがワールドコアさんの削除ルーチンに“待った”って言える条件を増やしてくれてます」
ミニルナが、もう一枚ウィンドウを開く。
そこには、輪廻庁側のモニター画面が、そのままミニチュア表示されていた。
黒瀬とルナ本体が、巨大なホログラムの前に立っている。
【案件No.0001/削除候補レベル:中の下】
【備考:帰還ルート強度 上昇中】
「レオンさんの手紙が“帰還ルートの背骨”になってるおかげで、削除ルーチンさんもだいぶ悩んでますね〜」
「悩ませ続けろ」
「はいっ!」
心の中で、見えない誰かに喧嘩を売りながら、俺は村の入り口のほうを見つめ続ける。
雨は強くなったり弱くなったりを繰り返していた。
行商人の荷馬車の音は、まだ聞こえない。
⸻
夕方近く。
窓の外の光が、少しだけ赤みを帯び始めたころ。
「……ふぅ」
ミアは、玄関の手前で小さく息を吐いた。
「おかえり」
廊下の壁に寄りかかっていた祖母さんが、優しく笑う。
「今日は、ここまでですね」
「うん。よう頑張った」
階段を下りきり、玄関まであと三歩。
その三歩手前のところに、椅子を一脚置いてある。
そこが、今日のゴールだ。
ミアは椅子に腰を下ろし、自分の足元を見つめる。
「……ここから先は、“レオンが戻ってきた日”に残しておきたいです」
「なんでじゃ?」
バーンズが、階段のところから顔を出す。
「だって――」
ミアは、少し照れくさそうに笑った。
「戻ってきたときに、“ここから玄関までは一緒に歩いてください”って、言いたいから」
「おお」
祖母さんが、手を叩いた。
「ええ案じゃ!」
「“戻ってきたら一緒に歩く場所”を残しておくんじゃな。
そりゃあ、世界一こわい散歩のゴールにぴったりじゃ」
「……はい」
ミアの頬が、ほんの少し赤くなった。
その様子を、俺は玄関の隅からそっと眺めていた。
(この三歩分、削除ルーチンに切らせたくないな)
ミニルナも、同じことを思ったのか、肩の上でぎゅっと拳を握る。
「今、“ここは残しておいてほしい場所リスト”に登録しました〜」
「そんなリストもあんのか」
「ありますよ〜。ワールドコアさんに見せるとき、“ここ切ったら絶対後悔しますよ”ってセットで出せます!」
「頼もしいな、お前」
⸻
日が傾ききる直前。
雨が一瞬だけやみ、雲の切れ間から細い光が差し込んだ。
ちょうどそのときだった。
「――来たぞ!」
村の入り口のほうから、誰かの声がした。
バーンズと祖母さんが同時に振り向く。
俺も思わず身を乗り出した。
山道の向こうから、きしむ車輪の音が聞こえてくる。
泥だらけの荷馬車。
手綱を握るのは、見覚えのある顔だった。
「おお、ドランの行商人さんじゃ!」
「やっと着いたかねえ!」
村人たちがわらわらと集まってくる。
行商人は、苦笑いを浮かべながら手を振った。
「いやあ、すまねえ、ちょっと道がぬかるんじまってな!
約束より、すこーし遅れちまった!」
「ええんじゃええんじゃ、生きて着いてくれただけで丸もうけじゃ」
バーンズが笑いながら、荷台のほうを指さす。
「……で、例のブツは?」
「ああ、あるとも」
行商人は、荷台の一角から、丁寧にくるまれた小さな包みを取り出した。
「王都の宿場町で預かった。勇者レオン・ハルトから、村長バーンズんちの孫娘宛ての手紙だ」
その一言で、村の空気が少しだけ変わった。
ざわめきと、期待と、安堵と。
「……ミアのやつ、喜ぶじゃろうて」
バーンズは、包みを両手でしっかり受け取った。
俺の視界の端で、HUDの数字が跳ねる。
【行商人ルート:到着確認】
【削除カウントダウン残り:2時間34分】
「ギリギリだな、おい」
「間に合いました〜〜!!」
ミニルナが、肩の上でぴょんぴょん跳ねる。
「さあさあ、あとはミアちゃんが開封するだけですよ!」
⸻
二階のミアの部屋。
窓の外の光は、もうほとんど夕焼けに近かった。
ミアはベッドの上で、膝の上に毛布をかけたまま、そわそわと指を組んでいる。
ドアがノックされた。
「ミア、ちょっと入るぞい」
「どうぞ」
バーンズと祖母さんが、そっと部屋に入ってくる。
バーンズの手には、小さな封筒が握られていた。
「……それ」
ミアの声が、かすかに震える。
「あやつからじゃ」
バーンズが、短くそう言う。
「勇者レオンから。お前宛てじゃ」
「……っ」
ミアの目が、大きく見開かれた。
祖母さんが、そっとベッドのそばに腰を下ろす。
「落ち着いて読みんさい。泣いてもええが、字が読めんようになるくらいは泣くなよ」
「う、うん……」
ミアは、震える指で封筒を受け取った。
封は丁寧に閉じられている。
宛名の字は、ところどころインクがかすれていた。
それでも、はっきりと読める。
『ミアへ』
そこから先は、さっき俺たちが輪廻庁のモニターで見たとおりの文章だ。
怖かったこと。
逃げたくなったこと。
でも玄関のミアを思い出して踏みとどまったこと。
世界を救うためじゃなくて、
「玄関で“怖かったです”って言うため」に歩いていること。
そして――
『ミアは、“いなくてもいい子”なんかじゃないです。
玄関まで歩いてきてくれた日から、
俺にとってはずっと“いてほしい側”です。』
読み進めるうちに、ミアの手が震え始めた。
インクのにじんだ部分と、自分の落とした涙の跡が、どこからどこまでなのか分からなくなる。
最後の行まで読んだところで、ミアは顔を両手で覆った。
『戻ってきたら、ちゃんと怒ってください。
そして、できればそれから、少しだけ笑ってくれたら嬉しいです。』
しばらくのあいだ、部屋にはミアの小さなすすり泣きの音だけが響いていた。
バーンズも祖母さんも、何も言わない。
俺も、ミニルナも、ただ黙って見ている。
やがて、ミアがゆっくりと顔を上げた。
涙の跡でぐしゃぐしゃになった顔のまま、
それでも、はっきりと笑っていた。
「……ずるい、です」
かすれた声で、ぽつりとこぼす。
「“怖かったです”って、先に手紙で言うなんて」
祖母さんが、ふふっと笑った。
「ええじゃろうが。あやつなりに、必死なんじゃよ」
「……うん」
ミアは、胸の前で手紙をぎゅっと抱きしめた。
「わたし、“いなくてもいい子かもしれない”って、何度も思ってました。
レオンが勇者になるのを、部屋の中から見てるだけで……
玄関まで行けない自分なんて、いなくてもいいんじゃないかって」
言いながら、自分で首を振る。
「でも今は、違います」
ミアは、ゆっくりと言葉を選んだ。
「戻ってきたレオンが、『怖かったです』って言える場所に、なりたいです。
“いなくてもいい子”じゃなくて……
“帰ってきて怒られる人”で、いたいです」
その瞬間。
俺のHUDの端で、ワールドコアの構造ビューが大きく揺れた。
【案件No.0001/帰還ルート強度:最大値付近】
【ヒロイン・ミアの役割:
“代償候補” → “帰り着く場所の核” に再ラベル】
ミニルナが、目を丸くする。
「おお〜〜、ラベル変わりました! “いなくてもいい子”扱い、完全に消えましたよ!」
「“帰還先の核”って、日本語としてはどうなんだそれ」
「ワールドコアさんのネーミングなんで……」
苦笑いしかけたところで、もう一つのウィンドウが光った。
【削除ルーチン:評価更新中……】
【この世界の削除候補レベル:低】
【コメント:
“ここで切るには、ログがもったいない世界”
“続きが読みたい世界”に分類】
「……よっし」
思わず、声が漏れた。
「削除ルーチン、降参したな」
「しましたね〜!」
ミニルナが、肩の上でガッツポーズをする。
「これで当面、この世界が“整理対象”になることはありません!」
ワールドコアの別ウィンドウでは、黒瀬とルナ本体がそれを確認していた。
【案件No.0001/削除カウントダウン:停止】
【代償テンプレート:不適用】
【ステータス:修復エンド/継続運用】
ルナ本体が、両手を挙げて跳びはねる。
「やりました〜〜!! 三城さん、黒瀬さん! 代償エンドも削除エンドも、ぜんぶボツです!」
「大声で“ボツです”って言うな」
黒瀬は、少しだけ口元を緩めた。
「でも、そのとおりね」
モニターには、手紙を抱きしめて笑っているミアの姿が映っている。
「代償として消えるエンドも、世界ごとまとめて削除されるエンドも、この世界には似合わない。
“怖かった勇者が、怒られに帰ってくる”ほうが、ずっと読みたい」
「……そうですね」
俺も、自然とうなずいていた。
「やっと一本、“ボツじゃない物語”に立ち会えた気がします」
⸻
その夜。
輪廻庁・物語管理局ストーリー課。
フロアの騒がしさは相変わらずだが、
俺の机の上には、さっきまで覗いていた案件No.0001のミニビューが小さく浮かんでいた。
ミアは、ベッドの上で手紙を胸に抱いたまま眠っている。
村長と祖母さんは、玄関の三歩分を見てにやにやしながら酒を飲んでいる。
レオンは、きっとどこかの宿場町で、天井を見ながらまたうじうじしている。
「……これで、とりあえず第一幕は終わり、って感じでしょうか」
「そうね」
黒瀬が、コーヒーのカップを持ったまま俺の隣に立つ。
「代償テンプレも削除ルーチンもボツにした。
世界もヒロインも、生き残るルートを“正式なエンド”として通した」
「ストーリー課の仕事って、こういう感じなんですね」
「毎回こんなドラマチックなわけじゃないけどね」
黒瀬は、少しだけ肩をすくめる。
「でも、“テンプレ運命をそのまま流す”のは簡単。
それを一回立ち止まって、“本当にそう終わらせたい?”って世界に聞き直すのが、私たちの役目よ」
「……なるほど」
ラノベ賞に出して、何度もボツを食らった原稿たち。
たぶんあれも、どこかで誰かが「本当にこれでいい?」って聞いてくれた結果のボツだったのかもしれない。
今こうして、「ボツじゃない物語」に立ち会えるようになったのは――
あのときの自分にとっても、救いなのかもしれない。
「テンプレと削除エンドはボツ」
ぽつりと口に出す。
「やっと、そう言い切れましたね」
「ええ」
黒瀬は、満足そうにうなずいた。
「……ただ」
そこで、モニターの片隅が小さく光った。
【監視ログ更新】
【不明モジュール:ヒロインログおよび手紙ログを閲覧】
【アクセス理由:記録なし】
ルナ本体が、画面を覗き込む。
「観察者さん、また見てましたね〜」
「“ヒロインを見張っている何者か”か」
黒瀬は、監視ログのウィンドウを開き、そこに一つだけタグをつけた。
【タグ:観察者ログ/要経過観察】
「世界を壊そうとしている相手には見えない。
興味か、執着か、それともただの監視か。
本性を決めつけるには、まだ材料が足りないわね」
「恋だとか嫉妬だとか、そういうラベル貼るのも、まだ早いってことですね」
「そういうこと」
黒瀬は、ウィンドウを一つだけ残して他を閉じた。
そこには、小さな文字でこう表示されている。
【案件No.0001/ステータス:継続中】
「続きは――まだ書かれていない」
黒瀬がそう言うと、ルナ本体が勢いよく手を挙げた。
「じゃあ次は、“観察者さん”が敵になるのか味方になるのか、それともただのバグなのか確かめるお仕事ですね!」
「仕事増やすことを前提にするな」
思わずツッコミを入れながらも、
その言い方がちょっとだけ気に入っている自分に気づく。
「……まあ、続きがあるなら」
モニターの中で眠るミアと、
どこかで天井を見ているであろうレオンの顔を思い浮かべる。
「テンプレじゃない、“ちゃんと読みたくなるほう”にしてやりたいですね」
「それがストーリー課の仕事だから」
黒瀬の言葉に、俺も小さく頷いた。
テンプレと削除エンドはボツにした。
次に向き合うのは――
あの“観察者”が、敵になるのか、味方になるのか、
それとも、最後までただのバグのままなのか。
続きは、きっと次の物語で。
―― 第1章 完




