第13話 旅路のレオンと、玄関まで届く手紙
行商人に手紙を託した夜。
レオンは、宿場町の安宿のベッドの上で、天井をにらんでいた。
(書いちまった……)
昼間は、何とかごまかせる。
剣の手入れをしたり、店の呼び声を眺めたり、見よう見まねで街の警備を手伝ったり――やることはいくらでもある。
問題は夜だ。
灯りが消えて、周りのいびきが静かになったあと。
明かりの代わりに、玄関先のミアの顔ばかりが、やたらと鮮明に浮かんでくる。
「……戻ってきて、“怖かったです”って言いに来てください」
あのときの声は、今思い出しても、胸がきゅっとなる。
(怖かったってのは、まあ、今も現在進行形なんだけど)
布団の中で、レオンはひっくり返った。
(それでも、ちゃんと怒ってくれるやつがいるって、ずるいよな)
ほんの少し、笑いそうになって、やめる。
寝返りを打った拍子に、枕元のカバンがごそりと鳴った。
そこには、もう手元にはないはずの紙の感触――の、記憶だけが残っている。
今日、自分が何を書いたのか。
忘れないうちに、頭の中でそっと読み返してみる。
⸻
『ミアへ』
ここまで書いて、インクが乾くくらい手が止まった。
そういえば、ちゃんと手紙を書くのなんて初めてだ。
ましてや、幼なじみの女の子に、だなんて。
(……いや、考えるな。手が動かなくなる)
レオンは、ごりごりと頭をかきむしり、勢いで続きを書き始めた。
『ちゃんと玄関まで来てくれてありがとう。
階段、一段目で震えてたの、ちゃんと見えてました。』
本当は、笑ってやろうと思っていた。
「怖がりはお互い様だな」とか、軽く言って。
でも、玄関に立ったミアの顔を見た瞬間、そんな台詞はどこかに吹き飛んだ。
『あのとき、ミアのほうが、俺よりよっぽど勇者でした。』
ペン先が、そこで一瞬止まる。
“勇者”なんて言葉を、自分の字で書くのはなんだかむずがゆい。
でも本心なので、消せなかった。
『正直に言います。』
そこから先は、ほとんど勢いだった。
『ここまでの旅、めちゃくちゃ怖いです。
最初の森で魔物に出会ったときも、逃げ出しそうになりました。
宿場町で喧嘩してる人たちの声を聞くだけで、心臓が変な音を立てます。』
書きながら、手が少し震えた。
(こんなこと書いて、あとで笑われないか……?)
ミアのことだ。
きっと笑うだろう。
『でも、あの玄関でミアに怒られたことを思い出すと、
逃げ出すのは、なんか違うなって思い直します。』
インクのしみが、紙の端にじわっと広がっていく。
『“世界のためだから”って顔して勝手にいなくなるな、って言われました。
“怖いってちゃんと言ってください”とも言われました。』
あれは、たぶん一生忘れない。
『だから今の俺は、“世界を救う立派な勇者になるため”に歩いてるわけじゃありません。
“玄関に戻ってきて、怖かったって言うため”に歩いてます。』
書きながら、自分でもちょっと笑った。
勇者としてどうなんだ、その動機。
でも、そこを取り繕うと嘘になる気がして、ペンは止まらない。
『もちろん、魔王が本当にいるなら倒さなきゃいけないと思うし、
村が燃やされるのは嫌です。
でも、それと同じか、それ以上に――
ミアに怒られに帰りたいです。』
ここまで書いて、思わず頭を抱えた。
(……いやこれ、ほんとに出すのか?)
紙に顔を押しつけたい衝動をこらえながら、レオンは無理やり別の話題に飛んだ。
『村のみんなのことも、ときどき思い出します。
村長はきっと、また畑しかない話をしながら笑ってるんだろうなとか。
子どもたちは、俺がいないあいだに新しい遊びを覚えてたりするのかな、とか。』
ペンが、ふと止まる。
『ミアは……たぶん、「今日はここまで」って自分で決めながら、
少しずつ廊下を進んでいるんだろうな、と思ってます。』
それは、願望半分、確信半分だった。
『“いなくてもいい子かもしれない”なんて言ってたけど、
そんなことないです。
玄関まで歩いてきてくれた日から、俺にとってはずっと“いてほしい側”です。』
ここまで書いたところで、インクがぽたっと落ちた。
慌てて指で拭ったが、少しだけ文字が滲んでしまう。
(……まあ、これくらいなら読めるか)
『戻ってきたら――』
最後の行。
そこでレオンは、ほんの少しだけ迷った。
言葉を間違えると、全部が冗談みたいに見えてしまう気がした。
迷った末、書いたのは、短い一文だった。
『戻ってきたら、ちゃんと怒ってください。
そして、できればそれから、少しだけ笑ってくれたら嬉しいです。』
書き終えたあと、しばらく紙を見つめて動けなくなった。
自分で書いた癖に、直視するのがつらい。
(……よし)
勢いで封をしてしまわないと、絶対に書き直す。
レオンは立ち上がり、行商人のいる酒場へと駆け込んだ。
⸻
「……って内容を、出しました」
宿の天井を見つめながら、レオンは小さくつぶやいた。
誰に聞かせるでもない独り言。
(ミア、読むかな)
かつて、村の広場で木剣を振っていたとき。
窓辺から見ていたミアの視線に気づいて、変な調子で素振りを増やしたことがある。
あのときと同じように――
手紙の向こうで、ふっと笑ってくれたりするだろうか。
「……いや、まず怒られるか」
怖かったことをこんなに並べたんだから、
きっとちゃんと怒ってくれるはずだ。
(怒られたあとで、ちょっとだけ笑ってくれたら、それでいい)
そう思って、レオンはやっと目を閉じた。
外では、行商人の荷馬車の車輪が、ゆっくりと村へ向かって転がり始めている。
⸻
その動きを、遠くから眺めている存在があった。
輪廻庁でもなく、代償テンプレでもなく、削除ルーチンでもない。
ワールドコアの構造層とログ層の境目あたりに浮かぶ、名前のないモジュール。
【対象:案件No.0001/勇者レオン手紙ログ】
【処理:参照のみ】
無機質な記録だけが、監視ログ室の端に静かに積み重なっていく。
手紙の本文が、その“観察者”の視界にも再生される。
玄関のミア。
怖がりながら一歩ずつ進むレオン。
村の笑い声。
ページの隅々まで、まるごと舐めるように。
【ログ評価:――】
最後の項目だけは、空欄のままだった。
好意なのか。
興味なのか。
それとも、単なる監視なのか。
ワールドコア自身にも、その感情のラベルは判別できない。
ただ一つ言えるのは――
この手紙が、世界の骨組みの中に一本の線として刻まれた、という事実だけだ。
⸻
輪廻庁・物語管理局ストーリー課。
「……入ったわね」
モニターを覗き込んでいた黒瀬が、小さく呟いた。
【案件No.0001/構造更新】
【勇者レオン → ヒロイン・ミア:帰還ルート強度 上昇】
赤だったラインが、ゆっくりと太い金色に変わっていく。
「帰還ルートの“背骨”として、手紙ログが固定されたわ」
隣でルナ(本体)が、ぱあっと顔を輝かせる。
「やりましたね!
これで、“戻ってこないほうが物語として綺麗”みたいなルートは、だいぶ通りにくくなります!」
「代償テンプレは既に外れてる。
あとは削除ルーチンだけね」
黒瀬は、別のウィンドウを開く。
【削除候補レベル:やや中 → 中の下】
「……じわじわ、ね」
「でも確実に、“切りやすい世界”からは外れつつありますよ〜」
ルナが、ミニルナのアイコンを指先でつついた。
「ミアちゃん側の“待つログ”と、レオンさん側の“進むログ”が、
ちゃんと一本の線になりましたから!」
「そうね」
黒瀬は、ほんの少しだけ口元を緩める。
「これでようやく、この世界は“ただの代償候補”でも、“削除候補No.1”でもなくなった。
“続きが読みたい世界”として、ワールドコアに認識され始めている」
その裏で。
監視ログの片隅に、先ほどの一行がひっそりと増えていた。
【不明モジュール:ヒロインログおよび手紙ログを閲覧】
黒瀬は、その行に一瞬だけ視線を滑らせる。
「……観察者のほうも、動き始めているみたいね」
「敵、なんですかね?」
「まだ決めつけないほうがいいわ」
黒瀬は、モニターを閉じた。
「好奇心かもしれないし、執着かもしれない。
ただ一つだけ言えるのは――
“見られている”という事実もまた、この世界のログの一部になるってこと」
「ログの一部……」
「そう。
だからこそ、“見られて困るような終わり方”にさせないこと。
それがストーリー課の仕事よ」
レオンの手紙が、村へ届くまで――あと少し。
ミアがその手紙を読むまで――もう少し。
そのあいだに積み上がるページを、一枚もボツにしないこと。
それが今のところ、三城たちストーリー課にできる、いちばんまっとうな戦い方だった。




