第11話 村の日常と、待つ側の時間
レオンが村を出てから、三日が過ぎた。
……らしい。
俺の感覚では、まだ一日半くらいしか経ってない気もするし、
もう一週間くらい経ったような気もする。
(“待つ側”って、時間の流れバグってんな)
そう実感したのは、今朝の台所だった。
あの日、玄関まで行ってレオンを見送ったあと、ミアは一度熱を出して二日ほど寝込んだ。
今日は、そのあとの“リハビリ再開日”だ。
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「ミア、今日はどうする?」
村長バーンズの家、一階の台所。
窓から差し込む光の中で、祖母さんが木の椅子に腰かけたミアの肩に毛布を掛けていた。
テーブルの上には、湯気の立つスープと、柔らかく焼いたパン。
「……えっと」
ミアは少しだけ考えてから、指を一本立てた。
「午前中は、台所まで。
お昼食べたら、廊下の真ん中まで。
夕方、調子がよかったら……玄関の手前まで、行ってみたいです」
「ほう」
バーンズが嬉しそうに髭を撫でる。
「欲張りになってきたのう。ええことじゃ」
「ゆっくりでいいんだよ?」
祖母さんも笑う。
「しんどかったら、途中でやめてええ。
“今日はここまで”って決めるのも、ミアの仕事じゃからな」
「……うん」
ミアは、スープを一口飲んだ。
その横で、俺は記録用ノートにさらさらとペンを走らせる。
・ミア、本日の目標
午前:台所
昼:廊下の中ほど
夕方:玄関手前
こういう何でもないページが、いちばん後で効いてくる――
って、黒瀬さんが言ってた。
(削除ルーチンに“ここで切ったらもったいない”って思わせるには、
こういう「途中の時間」を山ほど積んどくのが一番らしい)
理屈はともかく、見ていて普通に応援したくなるのも事実だ。
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「マサトさんは……今日は?」
スープを飲み終えたミアが、こっちを見上げる。
「俺はそうだな」
ノートを閉じて、片目をつぶる。
「午前中は、ミアさんの台所リハビリの記録係。
お昼からは、村のみんなの“レオン帰ってきたらさせたいこと”を聞きに行って――」
「え……そんなの聞いてどうするんですか?」
「リストにする」
「リスト」
「レオンが戻ってきたとき、村全体で“やりたいことリスト”になってたら、
絶対めんどくさくて面白いでしょ」
ミアが、ふっと笑った。
「それは……ちょっと見てみたいかも」
「だろ?」
そこで、思い出したように付け加える。
「あと、もうひとつ仕事がある」
「もうひとつ?」
「“帰ってきたレオンに言いたいことリスト”をミアさんと作る」
「……え」
ミアのスプーンが、ぴたりと止まった。
「い、言いたいこと……」
「玄関で言ってたやつ、あったじゃないですか。
“世界のためだからって顔するな”とか、“怖いってちゃんと言え”とか」
ミアの頬が、じわっと赤くなる。
「そ、それは……その場で、言ってしまったので……」
「まだあるでしょ? “言えなかったやつ”」
図星らしく、視線が泳いだ。
「……ないと言ったら、嘘になります」
「じゃあ、リストにしよう」
俺はノートを開き直す。
「“怖かった回数ちゃんと報告しろ”とか、“変な女の子連れてきたら怒る”とか」
「い、今それ、マサトさんの願望混ざってません?」
「気のせいです」
祖母さんとバーンズが、くつくつ笑っている。
「ほれ、ミア。世界を救う勇者様にも、宿題くらい出したって罰は当たらん」
「そうじゃそうじゃ。
“帰ってきたらこれ全部やってもらいます”って紙を玄関に貼っとけ」
「貼るんですか!?」
「ええ案じゃろ」
やけに乗り気な祖父母コンビである。
(……よし。
“待つ側の時間”を、ちゃんと楽しいページにしてやる)
俺は内心で頷いた。
⸻
午前中のミッション。
「では、まずは――」
俺は、台所の入り口に立って手を叩いた。
「本日の“世界一こわい散歩・ショートコース”、始めます」
「タイトルつけないでください」
ミアが苦笑しながら、椅子から立ち上がる。
祖母さんがそっと支え、バーンズが後ろから見守る。
「一歩目、よし」
畳に、慎重に足を下ろす。
その様子を、俺はノートとは別に、目でもしっかり焼き付ける。
二歩目。
三歩目。
部屋の敷居を越えたところで、ミアが一度立ち止まった。
「……ここで転んだこと、ありました」
「うん」
祖母さんが、静かに頷く。
「でも今日は、マサトさんもおるし、わしらもおる。
あのときの“ひとりぼっちの記憶”とは違うじゃろ」
ミアは、小さく息を吸った。
「……そう、ですね」
そして、一歩。
廊下へ出る。
さらに数歩進んで、台所の戸口に手を伸ばした。
「到着」
俺は、ぱちぱちと拍手した。
「本日のミッション、午前の部クリアです」
「まだ、歩ける気はしますけど……」
「欲張りは今日の午後に取っときましょう。
“明日の自分にバトン渡す”ってやつです」
ミアは、ちょっとだけ考えてから、笑った。
「……はい」
⸻
昼食のあと、俺は村のあちこちを歩き回っていた。
「レオンが戻ってきたらやらせたいことリスト」集めの時間である。
「そうじゃなあ……まずは畑を丸一日手伝わせるのう!」
「わしは納屋の修理頼むわ。昔から器用じゃったしな」
「あたしは、ミアちゃんの前で変な武勇伝盛ったら耳引っ張る役やるわ」
村人たちは、想像以上にノリノリだった。
ノートのページは、あっという間に埋まっていく。
・畑一日手伝い
・納屋修理
・武勇伝盛ったら耳引っ張り隊
・子どもたちにお土産話(怖かったやつも含む)
・ミアの好きなパンを一緒に買いに行く
「なんか……勇者より忙しくないか、レオン」
ページを見ながら、思わず笑ってしまう。
「戻ってきたら、ちぃとはこき使わんといかん」
村の誰かが、そんなことを言った。
「“世界を救ったから全部チャラ”って顔しとったら、尻を蹴り飛ばしてやるわい」
「ミア嬢ちゃんの前では特にな!」
笑い声が、広場に広がる。
(……この村、ほんと好きだわ)
代償テンプレが、「いなくても困らなそう」と評価したヒロインがいる場所とは思えない。
こいつら全員、レオンが戻ってくる前提で話している。
ミアのことも、普通に「そこにいる」のが当然みたいに扱っている。
(削除ルーチン、お前ほんとにこの空気切れると思ってんのか)
心の中でちょっとだけ喧嘩を売りつつ、俺はノートを閉じた。
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夕方。
台所の手前まで来たミアは、今度は廊下の真ん中までのチャレンジを終えて、
少し息を切らせながら椅子に座っていた。
「おかえりなさい」
「ただいまです」
今日はここで「玄関手前」は無理をせず見送り、明日に回すことにした。
“やりたいことを残す”のも、立派なページだ。
祖母さんからコップを受け取り、水をひと口。
「マサトさん、村のみんなは……?」
「“戻ってきたレオンにやらせたいことリスト”でパンパンです」
ノートを開いて見せる。
ミアは目を丸くした。
「こんなに……?」
「“世界を救ったからって偉そうにするな”って、めちゃくちゃ愛のある圧が集まってます」
「ふふ……レオン、たいへんですね」
ミアは、ページを指でなぞりながら、ふっと目を細めた。
「……でも、よかった」
「何が?」
「みんな、ちゃんと“戻ってくる前提”で話してくれてるから」
そう言って、ノートを抱きしめるように胸の前で閉じた。
「じゃあ――」
俺は、自分のノートを開き直す。
「次は、ミアさんの番です」
「……」
少しの沈黙。
「“戻ってきたレオンに言いたいことリスト”、ね」
ミアは、ゆっくりと息を吸い込んだ。
「一枚、貸してもらっていいですか」
「もちろん」
白紙のページを開いて差し出すと、ミアは震える手でペンを受け取った。
しばらく迷った末、最初の一行を書き出す。
『戻ってきたら、ちゃんと“怖かったです”って言ってください』
書きながら、ミアの肩が少しだけ震えた。
けれど、そのペン先は止まらない。
『“世界のため”って言葉でごまかしたら怒ります』
『泣いた回数をごまかしたら、それも怒ります』
『途中で本当に帰りたくなったときの話も、ちゃんと聞かせてください』
『“いなくてもいい子”だなんて二度と言わないでください』
最後の一文を書いたところで、インクが少し滲んだ。
ミアは、ペンを置いてから、小さく笑った。
「……なんだか、怒ってばかりですね」
「いいじゃないですか」
俺は、ページを覗き込みながら言う。
「レオン、怒られるの慣れてそうだし」
「そうですね」
ミアもくすりと笑う。
「じゃあ、これも足しておこうかな」
ペンを取り直し、ページの一番下にさらさらと書き足す。
『それでも、“帰ってきてくれてありがとう”って言わせてください』
読み上げることなく、その一文を、そっとページの中に閉じ込めた。
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夜。
祖母さんたちが寝静まり、ランプの火だけが小さく揺れている時間。
俺はミアの部屋を抜け出し、村長の家の外で大きく伸びをした。
「ふぁぁ……」
「おつかれさまでした〜」
肩の上で、ミニルナがあくびをする。
「“待つ側のログ”、だいぶ増えましたね〜」
「だな」
俺は、ミニルナが開いた半透明のウィンドウを覗き込む。
【案件No.0001/辺境村・ミア側ログ】
・玄関リハビリログ:+6ページ
・祖母・村長との会話ログ:+4ページ
・村人たちの「帰還後の予定」ログ:+12ページ
・ミアの「戻ってきたレオンに言いたいことリスト」:+1ページ
【総合評価:
“待つだけの世界”から
“待ちながら積み上げる世界”へ移行中】
「……言い回しがそれっぽいな」
「ワールドコアさんの自動コメントですよ〜」
ミニルナが胸を張る。
「削除ルーチンもですね、ちょっと困ってる感じです」
「困ってる?」
「はい。“ここで切るには、ページがもったいない気がする”って、
評価がじわじわ上がってきてます〜」
ウィンドウの片隅には、削除ルーチンのフラグ評価が小さく表示されていた。
【削除候補:高 → やや高 → 中】
「……まだ“安全”とは言えないけど」
「でも、確実に“ただの候補リストの上のほう”からは外れつつありますね〜」
ミニルナが、足をぶらぶらさせながら空を見上げた。
雲ひとつない、星の多い夜だった。
「レオンさんの手紙が届いたら、きっともっと下がりますよ」
「だといいけどな」
レオンの手紙。
あれが届いたら――ミアの“待つ時間”と、レオンの“怖がりながら進んでる時間”が、一本の線で繋がる。
そこまでいけばさすがに、削除ルーチンもそう簡単には世界を切れないはずだ。
「……にしても」
俺は、村の家々の並ぶ暗がりを見渡した。
「待ってる側の時間って、思ったより“物語”だな」
「そうですね〜」
ミニルナが、にこっと笑う。
「“何も起きてない”ように見えて、
ページにしてみると、けっこうぎゅうぎゅうです」
「ぎゅうぎゅうか」
「ぎゅうぎゅうです」
くだらない会話をしながら、俺はノートを胸に抱えた。
代償テンプレは、もうボツにした。
あとは――この“待ってる時間”全部ひっくるめて、削除エンドもボツにしてやるだけだ。
「……よし」
夜風に、そっと息を吐く。
「明日は、玄関の一歩手前まで、だな」
「ですね〜。
三城さんも、ちゃんと寝て、明日のページに備えてくださいね〜」
「はいはい」
ミニルナにせかされながら、俺は村長の家の中へ戻った。
世界を救う勇者の旅路と同じくらい――
もしかしたら、それ以上に大事な「待つ側の物語」が、
今日もページを増やし続けている。




