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『死んだら輪廻庁ストーリー課でした ~テンプレ転生をボツにして、消されたヒロインを救います~』  作者: 慧翔秋明


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第9話 自己犠牲テンプレの足音

「ボツにされたプロットは、やっぱり、ここで大人しく消えるのが……正しい結末なんです」

 無機質な灰色のポリゴンが剥き出しになった、薄暗く狭い地下通路。

 脱出ゲートが放つ淡い青色の光を背にして立ち塞がる、巨大な蜘蛛の脚と破城槌を掛け合わせたような異形の処刑兵器――『特大清掃ルーチン』。

 その見上げるほどの巨体と、殺意に満ちた赤い単眼レンズの輝きを前にして、シオリは三城さんじょうに背を向け、自ら死地に赴くように静かに歩み出た。

 彼女の身体を包み込むノイズは、先ほどまでのエラーによる不安定なブレとは全く質が異なっていた。それは、彼女自身が己の存在データの根幹に直接アクセスし、内側からすべてを白紙化しようとする「自壊(自己消去)」のプロセスだった。

 ザザァァッ……ジジジッ……。

 三城の強烈な肯定の言葉によって色彩を取り戻しかけていた彼女の肌や髪が、再び古いモノクロ映画のように急速に色褪せ、輪郭が砂嵐のように削り取られていく。

「シオリ……お前、何を言ってるのか分かってるのか」

 三城の喉から、掠れた声が漏れた。

 咄嗟に伸ばしかけた彼の手は、シオリの身体から発せられる強烈な拒絶のノイズの壁にバチッと弾かれ、空を切る。彼女は本気だった。この絶望的な包囲網の中で、自らの命を差し出すことで、システムを正常化させ、三城たちを救おうと本気で考えているのだ。

『……対象ノ、自己消去デリートプロセスノ起動ヲ検知』

 通路を完全に塞ぐ巨大な清掃ルーチンから、重低音の無機質な合成音声が響き渡った。

 巨大な赤い単眼が、自壊していくシオリを冷徹にロックオンする。

『エラー要因自ラノ消滅ニヨリ、システムリソースノ消費ガ大幅ニ抑エラレルコトヲ算出。……コレヨリ、対象ノ完全消去ヲ『見届ケ』マス。周囲ノ清掃ルーチン、待機セヨ』

 そのシステムからの絶対的な命令を受諾したかのように、三城たちの背後から凄まじい駆動音を響かせて迫ってきていた数百体の通常清掃ルーチンたちが、ピタリと一斉に動きを止めた。

 冷徹にして完璧な効率を求めるワールドコア中枢にとって、エラーデータが勝手に自壊してくれるなら、それに越したことはない。戦闘による無駄な演算リソースを節約できるからだ。彼らは刃を収め、ただシオリが完全に消滅し、残された三城を「不慮の事故」として処理するタイミングを、暗闇の中で静かに待機し始めた。

「待機だと……? ふざけるな、エラー要因は俺たちだろうが! かかってこいよ!!」

 三城が怒鳴るが、システム直属の暗殺者たちはピクリとも動かない。

 圧倒的な暴力の停止。しかしそれは、平和の訪れなどではない。シオリという一人の少女が、システムにとって最も都合の良い「自己犠牲」という名の生け贄になることを、冷酷に受け入れた証左であった。

『ダメです、シオリさん! 何言ってるんですか!』

 三城の耳元のインカムから、ナビゲーターであるルナの悲痛な絶叫が飛び込んできた。

『消えるのが正しい結末だなんて、そんなわけないです! もう少し……あともう少しでゲートを抜けられるんですよ!? システムなんかの勝手な判断で、自分の物語を終わらせないでください!』

「ルナさんの言う通りです。馬鹿な真似はやめなさい」

 白石の、普段の氷のような冷静さを完全に失った、焦燥に満ちた声が続く。

『あなたがここで自らを犠牲にして消滅したところで、中枢システムが三城を見逃し、私たちストーリー課の存在を許容するという保証はどこにもない。むしろ、イレギュラーであるあなたが消えれば、システムは平常化し、三城を『ただの不要なデータ』として即座に処理するでしょう。あなたの自己犠牲は、なんの解決にもならない!』

「……いいえ、白石さん」

 シオリは振り返らないまま、自壊のノイズにまみれた声で、静かに反論した。

「中枢の最大のターゲットは、あくまでバグの元凶である『私』です。私が消えれば、システムの負荷は正常値に戻る。そうすれば……三城さんはもちろん、皆さんストーリー課への『解体』の口実もなくなるはずです」

『そんなの……そんなの、私たちが嫌だよ!』

 インカム越しに、情報処理担当のセラの泣き崩れるような声が響いた。

『シオリちゃんを助けたいから……ずっと一人ぼっちで私たちの世界を見守ってくれてたあなたを、どうしても連れ帰りたかったから、みんなでここまで無茶したのに! あなたがここで消えちゃったら、私たちが今までやってきたこと、全部『ボツ』になっちゃうじゃない!』

 セラの言葉は、ストーリー課全員の総意だった。

 だが、彼ら外部からのシステム干渉は、すでに限界を迎えていた。白石の展開したファイアウォールは粉砕され、セラが強引にこじ開けた空間圧縮のキャンセラーも、中枢の莫大な演算能力によって徐々に押し戻され始めている。

 彼らにはもう、この廃棄領域の底で今まさに消えようとしている少女を、物理的(システム的)に助け出す手段リソースが残されていなかった。

「セラさん……ごめんなさい」

 シオリは、自分の両手を見つめた。

 かつてプロト勇者・アルスが命を懸けて守ってくれたその両手は、今や激しい砂嵐のようなノイズに侵食され、向こう側の景色が透けて見えるほどに希薄になっていた。

「私は、ただの読者です。皆さんが創り出す美しい物語の舞台に立つ資格なんて、最初からなかったんです」

 シオリの独白が、薄暗い地下通路にポツリ、ポツリと零れ落ちる。

「私が感情を持ったせいで、私が『生きたい』なんて余計なことを願ってしまったせいで……のアイリスさんの物語の『黒い手』のような恐ろしいバグを生み出して、今まで皆さんが命がけで救ってきたヒロインたちの美しい世界を壊しかけてしまった」

 彼女の脳裏に、自分が覗き見てきた数々の完成された物語の記憶がフラッシュバックする。

 笑顔で困難を乗り越える主人公たち。彼らを支え、時に涙を流しながらも共に歩むヒロインたち。

 その美しく尊い世界を、自分の身勝手な感情ノイズが汚し、壊しかけてしまったという事実。それは、彼女にとって、自分がシステムに消去されることよりも遥かに重く、耐え難い罪悪感だった。

「私がこのまま生き残れば、システムには永遠に想定外の負荷がかかり続けます。いつか……いつか本当に、誰かの大切な物語を完全に崩壊させてしまうかもしれない。かつて、私の生きていた最初の世界『案件No.0000』が、設定の重圧に耐えきれずに真っ白な塵になって消えてしまったように」

 シオリの身体が、ガクンと力なく傾いた。

 自壊プログラムが進行し、彼女の足元からポリゴンの破片がボロボロと剥がれ落ちていく。

「私はただ、暗闇の中から皆さんの作る物語を見上げるだけの『名前のない読者』でよかったんです。それなのに、出しゃばって、あなたたちに助けを求めてしまった。……だから、私が生み出したエラーは、私自身の手で責任を持って終わらせます」

 彼女はゆっくりと振り返り、三城の顔を見上げた。

 その灰色の瞳には、もう涙はなかった。あるのは、自らの運命を受け入れた、酷く静かで、ひび割れたガラスのように脆く美しい諦観だけだった。

「これが、私の物語の、最も正しくて、美しい結末なんです」

 美しい?

 三城は、俯いたまま、ギリギリと奥歯を噛み締めていた。

 美しいわけがない。そんなものは、ただのシステムの都合だ。作り手が思考停止に陥ったときに使う、最も安易で、最も残酷な『自己犠牲』という名の三流テンプレだ。

 三城は輪廻庁ストーリー課の審査官として、これまで無数の企画書に目を通してきた。

 その中で彼が最も忌み嫌い、何度も何度も赤いペンで大きく「バツ印」をつけてボツにしてきた展開。それが、「ヒロインが自分の命を犠牲にして、世界が丸く収まる」というプロットだった。

 主人公の成長を描くため、あるいは物語に安っぽいカタルシスと感動を付与するためだけに、生きた感情を持つキャラクターを「便利な舞台装置」として殺す。そんな作り手の透けて見える浅はかな計算テンプレを、三城は「思考停止の産物だ」と一蹴し続けてきた。

 それなのに。

 今、目の前で。彼が誰よりも守りたかった、物語を誰よりも深く愛し、ただ純粋に「続きが読みたい」と願っていただけの『読者』が、その最も忌まわしい自己犠牲のテンプレを、自らの意志で実行しようとしている。

 理不尽だった。

 作者が設定を盛り込みすぎて投げ出した世界の残骸。システムが効率の名の元に切り捨てた責任。

 どうして、そのすべてのしわ寄せを、ただ物語を愛していただけのこの少女が背負わなければならないのか。

 読者とは、物語の受け手であり、キャラクターの感情に寄り添い、共に泣き、笑い、世界を完成させるための「最後のピース」のはずだ。

 その読者が「自分がいると物語が壊れる」と自らを呪いながら死のうとしている。こんなふざけた、胸糞の悪いバッドエンドがあっていいはずがない。

「三城さん」

 シオリが、ノイズで透けかかった両手を三城の胸元へと伸ばした。

 彼女の手には、消滅したプロト勇者・アルスが最後まで握りしめていた、柄だけになった聖剣が握られていた。

 彼女はそれを、そっと三城のコートのポケットに押し込んだ。

「アルスさんが、命がけで守ってくれた命なのに……ごめんなさい。でも、この剣の柄だけは、私と一緒に消滅させたくないんです。あなたが持っていてください。……彼が、確かにここで誰かを守った『本物の勇者』だったという、たった一つの証だから」

「シオリ……」

「さようなら、三城さん。私の大好きな、世界で一番不器用で、優しい審査官さん」

 シオリは、ふわりと微笑んだ。

「今度は、エラーデータなんかじゃなく……もっと、普通の、幸せな物語の読者として……生まれたかったです」

 その言葉を最後に、シオリは三城から完全に離れ、通路を塞ぐ特大の清掃ルーチンへと向き直った。

『……対象ノ自壊プロセス、最終段階ヘ移行。コレヨリ、確実ナ消去ノタメニ、物理的(システム的)ナ処刑シーケンスヲ実行シマス』

 巨大な清掃ルーチンが、背中から生えた八本の鋭利な蜘蛛のブレードを、地下通路の天井に届くほど高く振り上げた。

 対象が自壊するのを待つだけでなく、自らの刃で完全に断ち切ることで、エラーの残滓すら残さないという、中枢システムの念の入れようだった。

 無慈悲な刃の影が、シオリの小さな身体をすっぽりと覆い隠す。

 シオリは逃げようとも、抵抗しようともせず、ただ静かに目を閉じた。

 自らの身を捧げることで、愛する物語と、自分を救おうとしてくれた人々を守るための、最後の祈り。

「三城さん! 止めて! お願い、三城さぁぁぁん!!」

 インカムから、ルナの悲鳴のような絶叫が響き渡る。

 白石も、セラも、モニターの向こう側で絶望に顔を歪めているのが、声のトーンだけで痛いほどに伝わってきた。

 だが、三城は動かなかった。

 前髪が深く目元を隠し、その表情を窺い知ることはできない。

 ただ、システムに権限を剥奪され、なんの力も持たないただの紙切れと同化したはずの『ボロボロのノート』と『黒インクのペン』を握りしめる彼の手は、ギリギリと骨が鳴るほどの力が込められ、掌からは微かに血が滲んでいた。

 ジジッ……ジジジジジッ……!!

 巨大清掃ルーチンの赤い単眼が最も強く発光し。

 シオリを完全に白紙化するための、巨大な八本のブレードが、ギロチンのように一斉に振り下ろされた。

 圧倒的な質量を持った死の刃が、シオリの頭上に迫る。

 その距離、わずか数センチ。

 ――ガシィィィィィィンッ!!!!

 地下通路に、鼓膜を破るほどの凄まじい激突音が鳴り響いた。

 だが、それはシオリのデータが粉砕された音ではなかった。

「……え?」

 シオリが恐る恐る目を開ける。

 彼女の頭上スレスレの位置で。振り下ろされた巨大な八本のブレードは、完全に停止していた。

 ブレードを受け止めていたのは、一本の「腕」だった。

「……三城、さん……?」

 シオリの目の前で。

 三城が、自らの左腕を高く掲げ、巨大清掃ルーチンの圧倒的な刃を、生身の腕一本で強引に受け止めていたのだ。

 本来なら、触れた瞬間にデータごと白紙化されるはずの死の刃。それが、三城の左腕の肉に深く食い込み、鮮血の代わりに大量の赤いエラーコードを激しく噴き出させながらも、決して彼を両断することはできていなかった。

「……正しい結末、だと?」

 三城の口から、地獄の釜の底から響くような、低く、しかしマグマのように煮えたぎった声が漏れた。

 彼はゆっくりと顔を上げた。

 目元を隠していた前髪の奥。その瞳には、かつてないほどの、限界点を超えた激しい怒りの炎が燃え盛っていた。

「読者が物語に感情を揺さぶられて、涙を流すのが当たり前だ。それを『システムへの負荷エラー』だと抜かす中枢のポンコツAIも……」

 三城は、左腕に食い込む巨大なブレードを、信じられないほどの腕力(精神力)でギリギリと押し返し始めた。

 彼自身の腕がバキバキと悲鳴を上げ、テクスチャが剥がれ落ちていくのも構わずに。

「勝手に自分から死んで、それで全部丸く収めようとする、お前のその三流の自己犠牲テンプレ(ボツプロット)も……!!」

 三城の右手に握られた黒インクのペンが、限界を超えた力でノートの真新しいページに叩きつけられた。

「全部まとめて、俺が絶対に……『ボツ』にしてやる!!」

 システムに剥奪されたはずの審査官の権限。

 だが、三城の全身から放たれる圧倒的な「物語カタルシスへの執念」が、強引にシステムの縛りを食い破り、ノートのページを毒々しい赤色から、眩いほどの黄金色へと発光させ始めた。

 自己犠牲という最悪のテンプレに対する、審査官・三城の最大の反逆リライトが、今、始まろうとしていた。

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