第2話 女帝と新たな決意
結論から述べると同棲しているわけではない。
月河は単なるお隣さんなのだ。
そう、隣人。去年の8月に引っ越してきた、一人暮らしの隣人。
だから話す機会が多かったし、調子に乗って告ってしまったわけだ。
が、あやつを好きになっていたのは俺だけに留まらなかった。
俺の母さんと姉さんも、すっかりメロメロになってしまったのだ。
あの妖艶なオーラの成せる技か。
おかげで家に招いて一緒に食事をすることも増えて……増えて……増えに増えて……4月頃に合鍵すら渡してしまって、現在に至る。
「お父様は今日も夜勤、お母様はママ友と旅行中。ふたりきりの食事なんて久しぶりじゃないかい?」
月河のポニーテールが揺れる。
エプロンにポニーテール。月河のお料理フォームだ。
エプロンの下はシャツにジーパンとラフな格好。
ピッチリジーンズが月河の足の長さをよく強調している。
「お風呂も沸いているよ。悪いが先に入らせてもらったが、構わないだろう? ハナミくん」
ちなみにこいつは家だと俺を名前呼びしてくる。
まぁ、この家の住人みんな島風だしな。
「姉さんは?」
「友達の家に泊まるらしい」
ふつー隣人とはいえ赤の他人を自宅でひとりぼっちにさせるかね、ウチの家族は。
「そ、そう。ていうか、わざわざ月河が飯を用意しなくてもいいのに」
「そういうわけにはいかないよ。私は恩はきちんと返すタイプだからね。これまで幾度も振る舞ってくれた食事、その費用は君のバイト代からも出ているのだろう?」
学校の女帝様と同じ卓を囲めているだけで充分恩返しなんですけどもね。
学校の連中は、俺たちの関係を知らない。
特別な時間……と喜びたいところだけど、俺はこいつにガッツリフラれてるんだよなあ。
『すまないね、無理だ。君の恋人になるつもりは毛頭ない。ん? あぁこれっぽっちもだ』
今でもハッキリ思い出せるぜ。
失恋の瞬間をよぉ。
「私はね、ハナミくん。施されるという行為をネガティブなものとして捉えている。そこには必ず見返りが求められるからね」
「人によるでしょそんなの。ていうか、だったらウチで食べなきゃいいのに」
「バイトで忙しい君の世話をする、この程度の恩返しで支払える施しなら安いものさ。それに君のお母様やお姉様は、愉快だ。一緒に食事をしていると、割と楽しい」
「さいですか」
とりあえず部屋に荷物を置き、着替えを用意する。
俺は先に風呂に入りたい派なのだ。
洗面所で服を脱いでいると、母さんから電話がかかってきた。
『ハナくん!! いまユキハちゃんとふたりっきりなのよね!!』
「……まぁ」
『よし!! いいことハナ、今夜こそユキハちゃんを仕留めるのよ。絶対に付き合いなさい。あんただって好きなんでしょう?」
まさか、そのために家を空けたのか?
おそらく姉さんもグルだな。
「なんで」
『ユキハちゃんを義娘にしたいからよぉ!! あーんな完璧な女の子、絶対に逃す手はないわ!! 直径300mのマグロが呑気に泳いでいるのに、捕まえないやつはいないでしょう?」
直径300mはもはや怪物だろ。
ゴジラすら震えながら遁走するぜ。
「はぁ」
これだ、これなんだ憂鬱の原因は。
母さんは知らないんだ、俺がすでに300mのマグロに挑んで返り討ちにされたことを。
話せばいいって?
勘弁してくれ、恥ずかしいしそのあとが気まず過ぎる。
母さん、マジで月河に惚れてるからなぁ。家の合鍵を渡すほどにさ。
姉さんも義理の妹にする気マンマンだし、フラてたなんてしれたらキレてきそうで怖い。
でも、いつかは話さなくちゃいけない案件。
悪いが俺は、しつこく告白するほど未練がましい生き方はしたくない。
フラれてしまった以上、月河への恋心は殺すべきなのだ。
「と思いつつ……」
期待しちゃっている俺もいる。
結局は揺れるわけだ。心が。
揺れ揺れです。誰か耐震工事してくれ。
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風呂から出ると、テーブルには食事が並べられていた。
シンプルな肉野菜炒め。プラス白米と味噌汁。
おぉ〜、こういうのでいいんだよこういうので。
「さ、食べようハナミくん」
待っていてくれたのか、月河。
いただきます、と手を合わせて白米から食べる。
「うま、めっちゃ美味いよ月河」
「んふふ♡♡ そうかそうか、まるで餌付けをしているみたいで微笑ましくなるよ」
なるな、そんなもんで。
しかしこいつの、「♡」がつくような笑顔なんて、俺の家くらいでしか見れない。
学校じゃあ冷ややかに唇を綻ばせるだけだから。
俺にだけ見せる笑顔か……。
いかん、また心が揺らぐ!!
「ねぇ、ハナミくん」
「なに」
「もし、今晩は泊まりたい、と言ったらどうする?」
「……え」
からかってる?
それとも本気?
泊まりなんて、一度もなかっただろ。
どうするとはなんだ。
なんと答えてほしいんだ。
「ハナミくんが指定した場所で眠るけど」
「い、いきなりなんだよ」
「お母様の寝室はお父様の寝室でもあるし、勝手に寝るのは憚れるだろう。お姉さんは部屋が汚いし、勝手にモノを動かしたら不機嫌になるに違いない」
じゃあ残りは俺の部屋しかないじゃん。
横になれるほど広いソファはないし。
まさか、誘ってる? 月河が俺を?
恋人じゃないのに?
「いや、その、でも、俺のベッド、シングルだし」
「密着して寝るしかないかな」
無理だって。
無理じゃないけど、寝れる自信ないって。
俺も男だ。男なんだぞ。しかも割と本能で生きてるタイプの。
確かに母さんには仕留めろと命令されたけどさ、展開が早すぎるって。
だって月河お前、俺と付き合うつもりはないんだろ?
「からかうなよ。自分の家で寝ろよ」
「からかってないさ。自分の家で寝たいが、できないのさ」
「は? なんで」
「キッチンに小麦粉をばら撒いてしまった。家に帰ってアレを見たら、気が滅入って失神してしまいそうだ」
「それくらい掃除するよ」
「別にいいのに、この家の床で寝るから。構わないで大丈夫。お母様も許してくれるさ」
「いいよ、やるよ。お前を床で寝かせるなんてバチが当たりそうだ。小麦粉くらい掃除するって…………まさか」
「ん?」
お願いでも施しでもない。
俺が、俺の意思で俺のために勝手にやると言い出したこと。
恩を着せずに面倒ごとを押し付けたのか、この女帝は。
「この捻くれ女帝が。良い性格しているぜ」
「ふふ、別にやれなんて命令していないし助けを求めてもいないのに、酷い言い草。……でもね、ハナミくん」
「なんだよ」
「君は性欲よりも奉仕を選んだ。割と好感度アップかもね」
ビビっただけだようるさいな。
「どちらにせよ、ふたりきりの時間はまだまだ続くのだから、楽しもう、ハナミくん」
イジワルな笑み。
あーもー、揺れる。揺れちまう俺のハートが。
くそっ、未練がましい男にはなりたくないのに。
「月河はさ、俺をどうしたいんだよ。付き合わないくせに家でふたりっきりでいたいなんてさ、そういうの、なんか、その……」
「確かに恋人にはならないし恋愛感情は抱いていない。けどね、私は君を気に入っている。性格や仕草がね、小学生時代に飼っていた犬にそっくりだ」
「人を犬呼ばわりかよ」
「ふふふ。でも、私に可愛がられるのは好きだろう? ハナミくん」
月河が俺に手を伸ばしてくる。
頬に触れて、ついていた米粒を取ると、月河はそれを食べた。
熱い、顔が熱い。きっと味噌汁のせいだ。
「君の人生を支配したいな」
本当に、こいつの考えていることがわからない。
俺をおもちゃにしているだけなのか。
だとしたらマジで性悪。
なのに、なのに……。
「も、もし、一緒に寝ようって言ったら、どうすんだよ」
「もちろん寝るさ。君のベッドの匂い、好きだしね」
捻くれが360度回転したストレートな返答するなよな。
嬉しくなっちゃうんだからさ。
「君が眠るまで頭を撫でてあげようか?」
俺の恋心を弄びやがって、ペット扱いしやがって。
この性悪女帝が。
決めた、こうなったら俺も意地だ。
母さんには悪いけど、決心した。
もう心を揺さぶられたりしない。
絶対にこいつのこと、嫌いになってやる。
あとから「付き合ってー」なんてお願いされても、「もう遅い」してやるぜ。
覚悟しろよ月河ユキハ。
お前のこと、嫌いになってやるからな。
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※あとがき
次回は幕間。
月河視点です。




