第15話 女帝と闇
「私はこれ以上、君を好きになりたくないんだよ」
ユキハは視線を下に向けると、しばらく黙り込んで、立ち上がった。
「帰ろう、ハナミくん」
「……うん」
としか、返せない。
ユキハは、俺に好意を寄せてくれている。
その事実は限りなく嬉しい。だけど同時に、虚しい。
ユキハは、自分の好意を認めた上で、俺を拒絶している。
宇宙に上がった有神論者が、神がいないことに嘆くかのような高揚感と絶望感。
俺にできるのは、デートの終わりにユキハを家まで送ることだけ。
といっても、隣に住んでいるんだけど。
駅から自宅まで二人で帰る。
どことなく、ユキハが前で俺が後ろを歩いていた。
もう逆転は不可能なのだろう。そんな気がする。
「他愛のない話でもしようぜ」
「例えば?」
「えっと……ユキハの両親ってなにしてんの?」
「親か。そうだね、君には話したことなかったか」
この手の話題になると、ユキハはいつもはぐらかしていた。
「私の両親は健在だよ。長野の方でね、私が買ってやった豪邸に住んでいる」
「買ってやったんすか」
「ふたりとも有能で優秀な人間だったんだがね、ある日父が若い女に依存した。資産のほとんどを与えて、裏切られて、それでも愛していた。母もそんな父を見限ればよかったのに、こっちもこっちで依存していたから、離婚できなかった。結果的に一流の男女が揃いも揃って奈落の底さ。見る影もない位に老け込んでしまった」
ユキハが夜空を見上げる。
光きらめく満月は、ユキハを照らすためだけのスポットライトのように思えた。
「そんな両親を目にして私は、みっともないって、幻滅したんだよ」
「だから、誰にも依存したくないのか」
「なまじ親のカッコいい時代を知っているからね。……そのあとは私がFXと株でぽんぽんと10億近く稼いでやって、ひっそりと隠居してもらっている。最近は幸せそうだよ、ふたりとも」
ぽんぽんと10億稼ぐな。
「そっか。……じゃあ、これ以上お前にアプローチしてもしょうがないな」
「あぁ。すまないね」
「謝るなよ。……でもさ、ごめん。たぶん俺、もう一生お前に依存しちゃう気がする」
「ふふ、しょうがないさ。私が美しすぎるからね」
「あぁ。あの月も、太陽も、みんなお前を輝かせるために存在している。この世界に生きる限り、ユキハを忘れることなんて、できやしない」
「ずいぶん恥ずかしいセリフをはくね」
「ようやく捻くれ女帝様が素直になったんだ。俺だってね」
「捻くれか……じゃあ最後に最大級の捻くれをプレゼントしよう」
「最後?」
「あぁ、私は引っ越すつもりだからね」
「はっ!?」
いつ? どこに?
聞いてねえぞそんなこと。
「君の前から消えたいんだ」
「いきなりすぎるだろそんなの。俺だけじゃ無い、みんな悲しむぞ」
「どうせすぐに慣れる。すぐ、忘れる」
「忘れるわけないだろ」
「ハナミくん。人の記憶なんてものはこの世で最も当てにならないんだよ。私がいなくなれば、どうあがいても君は徐々に私を忘れる。私が映る写真や、動画の存在すら忘れる。人はね、忘れる生き物なんだ。寝て、記憶を整理して、次の情報を入れる容量を作らなくちゃ脳が破裂しちゃうんだ。永遠の絆なんてものも、かけがえのない記憶なんてものも、失うか改ざんされるものなのさ」
「俺はお前を忘れない。どこ行っても、会いに行くよ」
「無理だよ。君はただの一般人。私は闇の女帝。私が消えると決めたなら、誰も私を見つけることはできないのさ。たとえ、月や太陽であろうとね」
瞬間、あたりが一気に暗くなった。
なんだ? 電灯が、駅周辺の明かりが消えている。
停電?
「あれ? ユキハ?」
いない。どこにも。
停電の区域がどんどん広がっていく。
地上の星が、闇に侵食されていく。
消えた。ユキハが。
闇の中に。
「くそっ」
まさかこのまま二度と俺の前に姿を表さないつもりじゃないだろうな。
翌日には引っ越し完了してましたって? あいつなら有り得そうだから恐ろしい。
ユキハのことだ、たぶん素直に家に帰ったりはしないはず。
じゃあどこに消えた。
周囲の人々がパニックになっている。
スマホの明かりが灯り始めたが、逆に光源が多すぎて目障りだ。
考えろ、考えろ。
ユキハなら、あいつならこんなとき、どこへ隠れる。
ていうかこれもあいつの仕業なのかよ。仕業臭いな、女帝だし。
「あの捻くれ女のことは、俺が一番良く理解しているんだ」
あいつは、ユキハは、女帝様は、こんなときーー。
「一番近いところから俺を観察してほくそ笑むだろうな」
バッと勢いよく振り返る。
正直、まだ闇に目が慣れていない。
ただ、人の輪郭をしたものがそこにいるのだけは、ハッキリわかる。
高い身長も長い髪も、見慣れたものが立っている。
「舐めんなよ、月河ユキハを」
「……え」
「俺の知っているユキハが、俺に依存したくらいでみっともない人間になったりするもんかよ」
「…………」
「お前だって、どうせ俺を忘れたりできない。ユキハの心をガッチリ掴んだって自負してるからな」
「…………」
「ていうかもう知らん。やっぱり抑えきれん」
ユキハの意思を無視して、無理やり抱きしめる。
あとで殴られようが警察に怒られようが構わない。本気で土下座するし小指くらいならくれてやる。
それくらい、それほどまでに俺は。
「お前が好きなんだ、ユキハ」
背中に感触が走る。
知っている手の形。
細い腕。
「女帝として命令を下す」
「おう」
「毎日、私を抱きしめてほしい」
「……うん」
「週に一度は一緒に寝たい」
「うん」
街の明かりが戻っていく。
建物が、人々が、ユキハの顔が、照らされる。
はじめてみた、ユキハの涙を。
「私も好きだ、ハナミくん」
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※あとがき
次で終わりですねー。




