第7話 女帝と名前
月河ユキハは基本的に自分の席から動くことはない。
隣のクラスに行くだとか、友達の席に寄るだとか、学業と生理現象以外の理由で移動することがないのだ。
何故かって?
「皇帝とは己の玉座からほいほいと動かないものだろう?」
だってさ。
休み時間、月河は相当暇らしく、さっきから俺の背中をツンツンとつついていた。
普通にくすぐったいのでやめていただきたい。
「なんだよさっきから鬱陶しいな」
「島風くんは休み時間誰とも話さないね、友達がいないのかい?」
「いるよ。昼休みとか一緒に飯食うやつがいる」
「なるほど、つまり友人と話すより私にダル絡みされていたいから、動かないわけだ」
「ダル絡みの自覚はあったんだな。つーかダルイから動きたくないだけだ。調子悪いんだよ」
「風邪かな? 看病してやってもいいが」
「いらん。どうせ見返りを要求されるに決まってる」
「いいや、あえて何も受け取らないという選択肢もある」
「は?」
「あえて懐の広さを見せつけて、一生尽くさせたいと思わせるのさ」
「お前の辞書には無償の愛って言葉はないのか」
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翌日、俺は学校を休んだ。
昨日の晩から熱を出して、朝になっても調子が戻らなかったからだ。
姉さんは大学で、母さんは仕事。
でも夜勤明けの父さんが部屋で寝ているし、何かあれば助けてくれるだろう。
そうこうして、昼過ぎ。
だいぶ体もよくなって、頭も回るようになってきた。
けど、もう少し寝る。今日は一日中寝てやる。
「お腹空いてないかい? ハナミくん」
「…………」
なんかいる。
俺の部屋になんかいる。
「いや、あの、まだ授業中ですよね月河さん」
「前にも言っただろう? 私は真面目に勉強しなくても全国一位だと」
制服姿の月河が俺のベッドに座った。
手を伸ばし、額に手を置く。
「ふむ、だいぶ下がったみたいだね」
「そんなんでわかるのかよ」
「わかるさ。それより、どうする? なにか食べたいかい?」
「いらね。てか平気だって、移しちゃうかもしれないだろ」
「ふふ、ふふふ、おかしなことを言うね。たかが風邪のウイルス如きが私の体を侵せるとでも?」
一度も風邪を引いた事がないのかお前は。
どんな肉体だ。偉い科学者さんたちの実験体にでもなっちまえ。
「君の看病をするよ。見返りはいらない。これは私自身のためだからね、君がいない学校は退屈だ」
「……ありがと」
「おや、やけに素直だね」
「うるせ」
俺のベッドに、月河。
慈愛の女神のような眼差しで、俺を見つめている。
なんでここまでしてくれるんだよ。
好きじゃないのに。
他のやつにもしてんのかよ。
「手を、繋いであげようか? 不安な子供をあやす母親のように」
「なぁ、月河」
「ん?」
「理由を聞きたい」
「なにが?」
「ど、どうして俺じゃ、ダメだったのか」
「…………」
フラれたときも教えてくれなかった。
勉強が苦手だから? 顔? 性格?
全部か?
知りたい。精神的ダメージを負ってもいいから、俺の何がダメなのか、知りたい。
「言いたくないね、別にいいじゃないか」
「依存だの屈服うんぬんだの抜きでもさ、俺じゃダメなのか?」
「その前提条件が成立しないのさ。私は何にも依存しないし、精神的屈服もしない。君がなれるのは私のペットだけなのさ」
「俺だって怒るんだぜ、今はもうお前のことなんか好きじゃないのに、好きなんだろみたいな態度取られるとさ」
「なら、また私を好きになってもらうさ。そっちの方が興奮するからね」
イラっとした。
普段から聞き慣れている上から目線のドS発言だが、調子が悪いせいか無性に腹が立った。
反撃したくなったのだ。
故にあとさき考えず、
「舐めんな」
つい、月河を押し倒してしまった。
両手を掴み、俺が上になる。
月河は驚いたように目を丸くした。
血の気が引く。どんどん冷静になっていく。
なにやってんだ俺は。
最低だろ。さすがにこんなのは……。
「ごめん」
と離れようとしたとき、
「構わないよ」
「え」
「このままでもいい」
なんて、月河が口にした。
このままでもいいって、なんだよ。
月河の頬が赤い。
視線を逸らされた。
ウブな女の子みたいに。
「女帝のくせに、男より下で悔しくないのかよ」
アホか、俺は。
フェミニストが聞いたら大激怒だぞこんな煽り。
月河は数秒、俺をまっすぐ見つめたあと、イジワルな笑みを浮かべた。
「ふふ、勘違いしているね。ワザと倒されてやったのさ。それで、君はこれからどうする? どうしたいのかな?」
違う。
からかっているんじゃない。
月河のやつ、平静を装っているんだ。
確証はない。
ただの勘だ。
「…………」
「…………」
見つめ合う。
どうしていいかわからない。
いま、俺は、月河を好きにできる立場にいるのか。
「月河」
「なに?」
「名前で呼びたい、お前のこと」
「いいよ」
「ユキハ」
「…………」
もっと顔を近づけたい。
許してくれるだろうか。
いやダメだろ、だってこいつは俺の恋人になる気はないんだから。
このままさらに月河という沼にハマったら、俺は新しい恋ができなくなる。
嫌いに、嫌いになるんだ、月河を。
「ハナミくん」
「なに」
「もう一度呼びなさい」
「……ユキハ」
「もう一度」
「ユキハ」
「……もっと」
「ユキハ、ユキハ!!」
本能が爆発した。
月河に覆い被さる。
もうどうなってもいい。
あとからぶん殴られても。
月河を好きなようにしたい。
俺は、俺はーー。
瞬間、部屋の外から足音が聞こえてきた。
父さんだ。
きっと目を覚ましたんだ。
トイレを流す音がした。
自然と、俺は月河から離れた。
「ごめん、マジで」
あぁクソ、なにやってんださっきから。
死にてぇ。俺は月河を嫌いになりたいだけで、月河に怖い思いをさせたいわけじゃないのに。
「どんな罰でも受ける。本当に、ごめん」
「ふふ、性欲を弄んでやるつもりだったが、あそこまで暴れてしまうとはね。危うく私の格闘術で君を気絶させるところだったよ」
「殴ってくれ」
「殴る必要などないよ。気にしなくていい。私も調子に乗りすぎた。申し訳ない」
と月河は許してくれたけど、俺が俺を許せない。
あー、マジでアホだ俺は。
「帰るよ。君も安静にしているといい」
俺と目を合わせず、月河は立ち上がって扉の方へ近づいた。
俺に背を向けたまま、振り返ることなく、月河が喋りだす。
「ひとつお願いがある」
「へ?」
「今後私の許可なく、私の下の名前を呼ばないでほしい」
「あ、ごめん。キモかったよな」
「そうじゃない。はじめての感情でうまく言語化できないのだが……こそばゆい」
月河は部屋を出ると父さんに挨拶をして、自分の家へと帰っていった。
こそばゆいって、どういう意味だ。
ゾワッとしたのか?
それとも、照れたのか?
「ユキハ……」
月河は、俺にあんなことされて、本当に笑って済ますつもりなのだろうか。
誰に対してもそうなのか? なわけないだろう。
ならやはり、俺は月河にとって特別な男になりつつあるのかな。
それって、好きとは違うのだろうか。
やっぱりまだ、ペット感覚なのだろうか。
女心ですらわからんのに女帝の気持ちなんて理解できるかよ。
まだ宇宙の真理の方が先に解き明かせそうだ。
「さっさと嫌いになりてぇよ」
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※あとがき
次回、幕間。
このあとの月河さん……。