元完璧王子のポンコツな日常
グレンツィア王国第一王子のアイザックは天才であった。
王立学校の成績が抜群なのはもちろん、王家の相談役たる賢者ハラスをもってして、大局を俯瞰して見誤ることがないと言わしめたものだ。
体術・剣術も大したもので、王子でさえなかったら戦場の勇士たり得たのにと、騎士団長モーリス・ツィルターを嘆かせた。
優れた指揮官は勇士である必要がないと説くハラスと、戦場の勇士は一人で戦況を変え得るのだと主張するモーリスが言い争ったのは別の話。
またアイザックは母譲りの甘いマスクを持っていた。
性格も穏やかで驕ったところがない。
まさに完璧王子だって?
そんなことはないのだ。
以下は王立学校での一コマ。
「アイザック殿下がいらっしゃいましたよ」
「今日はどこが……あらあら、上着のボタンを掛け違っているではありませんか」
「先日の殿下の御様子は御存じ? なんと頬に御飯粒をつけていらしたのですよ」
「あらあら、お可愛いこと」
と、学校の生徒達に愛されていたのだ。
アイザックは身の回りのことに無頓着と思われていたから。
賢者ハラスは言った。
『アイザック殿下の思考は遥か高みにあるのだ。小数点以下の事象に構っておれようか』
いささか贔屓も過ぎるかもしれない。
ただ靴下の色が左右で違っていようが、背中に『王子紙』と書かれた紙を貼られていようが、アイザックが気にしないのは確かだった。
頭に留まったセミがミンミン鳴きだした時にはさすがに閉口したらしいが。
◇
――――――――――アイザックの婚約者シンディー・プリムローズ公爵令嬢視点。
アイザック殿下は完璧過ぎるのです。
殿下の崇拝者である内はようございました。
いくらでも好きなだけ賛美できましたから。
ところが婚約者となるとそうもいかないのです。
アイザック殿下の婚約者となれた時は、そりゃあ嬉しかったですとも。
プリムローズ公爵家の娘として、殿下の婚約者候補筆頭と言われ続けていましたけれど、実際本決まりになりますとね。
もう気が高ぶってしまって睡眠の浅い日が続いて。
はたと気付いたのです。
……わたくしってアイザック殿下の婚約者なのですよね?
つまり完璧王子の隣にいて釣り合いが取れないといけないということ?
ムリムリ!
だってアイザック殿下にはひとかけらの欠点もないのですもの!
お茶会でアイザック殿下に察せられてしまいました。
「どうしたんだい、シンディー。可愛い顔が曇っているようだが」
アイザック殿下は完璧です。
だからわたくしがくだらないことで悩んでいるのもお見通しなのです。
今わたくしがアイザック殿下に相応しくないのは仕方がない。
少しでも追いつけるよう、せめてお妃教育で努力すると決め、心を落ち着けるためにお茶に手を伸ばした時でした。
殿下と目が合ったのは。
ぶふぉお!
あまりのことにお茶を吹いてしまいました。
こ、こんなことは淑女にあってはいけないのですが、世の中予想もつかない衝撃というものはあるのですね。
何とアイザック殿下が鼻ちょうちんを膨らませていたのです。
完璧王子の顔に大きな鼻ちょうちん。
実にシュールでした。
しかし目が離せないのです。
これが破調の美というものなのねと、妙に納得してしまいました。
「やあ、よかった。シンディーが笑顔になってくれて嬉しいよ」
「もう、殿下ったら愉快なのですから」
「ちょっとこの鼻ちょうちん、視界の邪魔なんだ。取ってくれないかな?」
また笑いがこみ上げてきてしまいました。
視界の邪魔になるほどの鼻ちょうちんって。
殿下って可愛らしいところもあるのですね。
しかしわたくしはこの時閃きました。
確かにアイザック殿下は完璧です。
でも一〇〇%だから完璧なのであって、一〇〇%を越えたらそれは完璧ではないのは?
アイザック殿下が非の打ちどころのない王子であるというのは、誰に問うても肯定の答えが返ってくるほどの共通認識です。
ただしわたくしは、殿下が捨て身のジョークを辞さないほど気遣ってくれるということを知りました。
わたくしにとっては一〇〇%越えの支持率ないし好感度です。
が、鼻ちょうちん王子というのは、一般論からすれば完璧ではないのでは?
完璧っていいことなのでしょうか?
何も足せない、引けないのでは息苦しさを感じさせるのでは?
わたくしがアイザック殿下に一種の劣等感を感じたように。
ではアイザック殿下は完璧であるべきではない?
この日のお茶会が終わった後、わたくしは殿下の従者や側近達と話し合いを持ちました。
「なるほど。完璧であるが故のリスクですか」
「シンディー嬢の言うこともわかるな」
「ああ。殿下から譲歩を引き出そうとするやつは、些細な欠点を見つけ出そうと、全体を見やしないんだ。よくない傾向だと思っていた」
「でしょう? ですからあえて大きな欠点を見せておくというのはどうかと」
皆さんが頷いていますよ。
「こんなこと言っちゃいけないのかもしれないけどさ。殿下が完成され過ぎていると肩が凝るんだよな」
「わかる。側近に対する要求も跳ね上がってしまう気がする」
「あえて隙を作るという、シンディー嬢の奇策は意味があると思う」
「ユーモラスで親しみやすいアイザック殿下を演出できると思うのですよ」
再び頷く皆さん。
こうしてアイザック殿下ポンコツ化作戦は発動したのでした。
◇
――――――――――その後。アイザック視点。
統治者は愛されるべきか、それとも恐れられるべきか。
帝王学の教科書は一つの答えを提示している。
恐れられる方が容易であると。
しかし僕は以前からこの結論に疑問を抱いていた。
恐れられる支配は簡単であっても、硬直化を招くのではないか?
自由な発想を許し、発展する王国を導くには、僕が愛される統治者であることこそが重要なのではないか。
側近や従者達が髪の寝グセを目立たせてくださいとか面白伊達眼鏡をかけてくださいとか言い出した時は、どうしたんだこいつらと思ったものだ。
が、すぐに意図を理解した。
つまり僕が理想形の王子と思われるのは都合が悪いということだな?
わからなくはない。
僕の統治に関する考え方に通ずるような気がしたからだ。
距離が縮まったように思えて少し嬉しかった。
いや、側近や従者達の考えが、帝王学的な発想に基づいているわけはないのだろうが。
まあいい。
側近や従者達が自ら考えてそれがいいと思ったことなのだ。
採用しようじゃないか。
僕自身も粗のない王子を演じるのは、単純に疲れると思っていたところだし。
驚いたことにシンディーもこの計画に一枚噛んでいるようだ。
令嬢は男子に夢を見るものという先入観があったから、ちょっと意外ではあった。
鼻ちょうちんがツボだったのかな?
とにかくシンディーとより親密になることができたのは重畳だ。
シンディーのことは昔から知っている。
いじらしいほど僕に対して忠実な令嬢なのだ。
だから好ましい。
ずっと愛してる。
シンディーの苦しむ顔は見たくない。
シンディーに譲って欲しいとも思わない。
僕の我が儘でいいから、ナチュラルなシンディーが見たいのだ。
だからポンコツな僕を見てくれ。
今日も父陛下に遠交策の一環としての山岳国ノクザへ友好使節を派遣することを具申し、報告を受けがてら魔道研究所に差し入れしてから、上着のボタンを掛け違った状態で登校する。
うん、女子生徒が笑ってくれているな。
これでいい。
従者や側近、婚約者とうまくやれていることが、将来の僕の仕事のしやすさに繋がる。
周囲に笑いが満ちることは都合がいい。
これでいいのだ。
僕は満足だ。
――――――――――賢者ハラスはかく語りき。
「アイザック殿下は超越者だ」
賢者様褒め過ぎ。
殿下を好き過ぎ。
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