一人で恋はできません
私、シャーロット・アトリーには誰にも言えない秘密がある。
私は今までに二度死んで、今は三度目の人生だ。
両親や兄様には心配をかけたくなくて、みんなには秘密にしてる。
***
「さぁ、着いたぞ」
父様の声で、私は馬車の窓の外に目を向けた。
白い壁に青い屋根の大きなお屋敷がそこにはあった。
ローラット邸の車寄せに着くと、父様は母様をエスコートし、兄様は私をエスコートして馬車を降りた。
「ネイサン! オリビア夫人に、子供たちも! よく来てくれた!」
アンドリュー・ローラット伯爵とその夫人のエブリン様、そしてお二人の息子のデーヴィッド様が朗らかに出迎えてくれた。
今日は家族みんなでローラット伯爵家に遊びに来たのだ。
アトリー伯爵家とローラット伯爵家は領が隣同士で、非常に仲が良い。
父と母が、それぞれ学園時代の同級生で仲が良かったということもある。
私は六歳の時に、いつもここで運命と出会う。
デーヴィッド・ローラット様。
同い年の男の子。
父親似の燃えるような赤髪はきちんと整えられていて、ガーネットのような赤紫色の瞳は、興味深そうに私を見つめていた。
少しやんちゃそうだけど、顔の整った可愛らしい男の子だ。
「ほら、挨拶をしなさい」
母様にそっと背中を押され、私達兄妹は自己紹介をした。
「サミュエル・アトリーです!」
兄様が元気よく笑顔で自己紹介をした。
柔らかい栗色の髪と青色の瞳は私と一緒で、一つ年上だ。まだ幼くて、天使のように可愛い。
「シャーロット・アトリーです。よろしくお願いします」
私も少し緊張しながら挨拶をする。
「デーヴィッド・ローラットです」
頬を赤らめて、デーヴィッド様がハキハキと挨拶をした。
「あっちに行って、遊ぼう」
自己紹介が終わると、デーヴィッド様がきゅっと私の手をとって駆け出した。中庭に案内してくれるのだ。兄様も「待って!」とついて来る。
父様も母様もローラット伯爵夫妻も微笑ましそうに私達を見つめて、「子供達は、子供達で遊ばせましょう」と朗らかに語っている。
——毎回、同じ流れだ。この顔合わせが終わった後、私達は婚約することになる。
***
一度目の人生では、六歳のあの日に私は恋に落ちた。
一目惚れだった。
デーヴィッド様の小さな手はあたたかくて、私は心臓のドキドキが止まらなかった。
自分のほっぺたが熱くなっていることも、心臓の大きなドキドキ音も、彼にバレたら恥ずかしすぎる! って、ずっと気になってしまって、一緒に遊んでいても気が気じゃなかったのを覚えてる。
——兄様にはバレてたみたいだけどね。後から教えてもらったわ。
その日、家に帰った後、夕食の席で父様から優しく訊かれた。
「デーヴィッド君と婚約してはどうか、という話になったんだが、シャーロットはどうかな?」
私は天にも昇るような気持ちで、「デーヴィッド様と婚約したい!」と即答した。
父様も母様も嬉しそうで、兄様も「いいんじゃないの」と笑っていた。
デーヴィッド様の方も気持ちは一緒だったみたいで、すぐに私達の婚約は両家の正式なものとなった。
それからはほぼ毎週、字の練習も兼ねて手紙のやりとりを始めた。
デーヴィッド様はまだ字があまり上手じゃなくて、手紙の文章も短かった。
それでも、私のために一生懸命に書いて送ってくれることがとても嬉しかった。
月に一度は、お茶会の練習も兼ねて、どちらかの家に遊びに行った。
好きなお菓子も、気に入るおもちゃも、私とデーヴィッド様はなぜか一緒だった。
デーヴィッド様とのおしゃべりは楽しすぎて、何時間もいっぱい話をした。
話題は尽きなかった。
私達はどんどん仲良くなっていった。
とても幸せだった。
会うたびに、どんどんデーヴィッド様のことが大好きになっていった。
そして、婚約してから一年もしないうちに、あることが分かった。
「「テレパシー魔法?」」
私とデーヴィッド様の声が重なった。
こくりと首を傾げる仕草までも。
母様とエブリン様が、同時に苦笑いをした。
「そうよ。とっても珍しい魔法なの」
母様が優しく説明してくれた。
テレパシー魔法は、我が国のような魔法国家でも珍しい特殊魔法だ。
一方が心の中で思っただけで、もう片方に伝えたいことが伝わるらしい。
二百年の歴史を持つ我が国でも、過去に十数件程しか前例がなくて、私達は最新の事例になるみたい。
「それで、国の研究所でテレパシー魔法の観察をしたいみたいなの。協力してもらえるかしら?」
エブリン様に訊かれ、私はデーヴィッド様の瞳を覗き込んだ。
綺麗な赤紫色の瞳は、「いいんじゃない」と言っていた。
「「うん、いいよ」」
また私とデーヴィッド様、二人の声が揃った。
母様とエブリン様はホッと安堵しつつ、「すごいわね」「テレパシーかしら?」と笑い合っていた。
それからは時々母様に連れられて、王宮内にある魔法研究所に行って、テレパシー魔法の研究を手伝った。
研究内容はさまざまだった。
例えば、私とデーヴィット様がそれぞれ別の部屋に入って、片方が見聞きしたもの——りんごだったり猫だったり、有名な詩や、時には音楽など——を、別室にいるもう片方に確認するのだ。
初めはなんとな〜〜〜く、イメージが湧いた。
ぼやっと「何か赤くて丸いもの」とか「柔らかくて温かいもの」などが思い浮かんだ。
何回か研究を重ねていくうちに、ハッキリとイメージが湧くようになり、「なぜか詩の一節が思い浮かぶ」とか「誰々の何の曲が思い浮かぶ」など、だんだんと具体的になっていった。
それにつられて、正答率もどんどん上がっていった。
そのうち研究に関係なく、普段の生活でも本当にテレパシーが通じ合うかのように、相手のことが手に取るように分かるようになっていった——「何を考えているのか」どころか、「なぜそう考えるのか」まで。
考えてることが似通ってしまうからか、何か行動を起こそうとすると、タイミングがピッタリと合うようになった——「宿題やらなくちゃ」とか「寂しいから、声が聴きたい」とか、後になってから「その時、俺も同じこと思ってたよ」って言われることがたびたび起こった。
魔法学園に入学すれば、ベストなタイミングでいろいろなことが鉢合わせるようになった——学園内で頻繁に鉢合わせたり。他の学友達とグループでおしゃべりしていても、私達は笑ったり相槌を打ったりするタイミングがピタリと合っていた。
そうこうするうちに、私達は魔法学園でも有名な名物カップルになっていた。二人はこのままいけば結婚するものだと思っていた——あの時までは。
ある時から、段々とテレパシーが繋がらなくなってきたのだ。
そして、二人のタイミングもズレだした。
テレパシー魔法の研究結果も、どんどん悪くなっていった。
——後から知ったことだけれど、その時は丁度、デーヴィッド様に格上の侯爵家から婚約の申し出がきていたのだ。
お相手は、マヤ・スカーレット侯爵令嬢。
とても美しい方ではあるのだけれど、子供の頃から何でも与えられて育ってきてしまったらしく、他の人の物を欲しがる悪い癖があるのだとか。
特に、私とデーヴィッド様のような特別な関係は、彼女にとってどんな宝石よりも価値のある物に見えたらしく、恰好の獲物になってしまった。
家格のこともあるけれど、スカーレット侯爵家は商売も上手で、経済的にも裕福だった。
美人なマヤ様の熱烈なアプローチと、莫大な持参金に目が眩んだデーヴィッド様は、あっさりと彼女の方に乗り替えてしまった。
もちろん、テレパシーが繋がりにくくなっていたとはいえ、そういったデーヴィッド様の心の変化は、私には筒抜けだった。
彼はどこか「これも悪くないな」と魅力に感じていたみたいだった。
彼の心がどんどん離れていく度に、私の心は痛くて、辛すぎてズキンズキンと悲鳴をあげていった。
ある日、デーヴィッド様から呼び出しを受けた。
放課後の魔法学園の中庭で、デーヴィッド様と二人きり……というわけではなく、少し離れた所からチラチラとこちらの様子を窺うマヤ様とその取り巻き達が見えた。
デーヴィッド様は、初めて出会ってから十年程経って、美青年に成長していた。
どこかやんちゃな雰囲気はそのままで、背がスラッと高く伸び、大人の男性らしく精悍な顔つきになってきていて、燃えるような赤髪も情熱的なガーネットの瞳も、よく似合っていた。
さらに、今はマヤ様に情熱的に求められ、スカーレット侯爵家の後ろ盾も期待できて将来の見通しも明るいためか、余計に自信に満ち溢れているみたいだった。
デーヴィッド様は困ったような表情を浮かべていたけれど、私には「婚約解消するためにポーズを取る必要があるだろうな〜」と面倒臭く考えていることが、ぼんやりと感じられた。
それが余計に、ツキツキと私の胸に棘を刺した。
「シャーロット、すまないが婚約を解消してくれ。格上のスカーレット侯爵家からの申し出で断れないということもあるし、何よりあの家は手広く商売をしている。もしこの婚約話を蹴れば、ローラット家やアトリー家の領や商売にまで迷惑をかけかねないんだ。君や家を守るために、仕方がないんだ」
デーヴィッド様は「仕方がない」なんて言ってるけれど、本当は彼女の方が条件が良くて嬉しいんでしょ?
美人にベタベタに褒められて、それに大金も家に舞い込んでくることになって、舞い上がってるんでしょう?
それから、「当然、婚約解消するもんだよな?」という彼の傲慢な考えも伝わってきて、私はただただ悲しくなった。
「……分かったわ……」
外堀が埋まってしまった以上、私にはもうこれ以外の何も言えなかった。
泣いてすがるような無様な真似はしなかった——そんな姿を、デーヴィッド様にもマヤ様達にも、悔しすぎて見せたくなかった。せめてもの矜持だった。
その時、プツリと二人の間の何かが途切れたのを感じた。
中庭を去る私の後ろでは、視界の端にデーヴィッド様に嬉しそうに飛びつくマヤ様と、それを祝う取り巻き達が見えた。
彼らの黄色い声が、イヤに耳の奥に貼り付いて聞こえた。
婚約解消をしてからというもの、テレパシーは一切通じなくなった。
テレパシー魔法が使えなくなってしまった以上、国の研究を続けることはできなくなってしまった。
研究者たちは「使えなくなってしまったのは非常に残念だ」と口では言っていたけれど、なぜこうなってしまったのかという「きっかけ」については、苦々しい表情を浮かべていた。
その後、マヤ様がテレパシー魔法の研究に立候補したらしいけれど、一切テレパシー魔法は使えず、結果は出なかったみたい。
——彼女は、デーヴィッド様自身ではなく、「珍しい特殊魔法のテレパシー魔法が使える」ということが欲しかったみたい。
魔法学園でも私達は有名だったし、目立っていた——それが余計に彼女の「欲しい」っていう欲望を刺激してしまったみたい。
結局、マヤ様はテレパシー魔法が使えないことを、デーヴィッド様に当たり散らした。
さらにマヤ様は「私がテレパシー魔法を使えないのは、デーヴィッドの元婚約者のせい」と公言して、私の命を狙い出した……私がいなくなればテレパシー魔法を使えるようになると、本気で思い込んでたみたい……
私の一度目の人生は、馬車の事故に見せかけられて、スカーレット侯爵家に雇われた暗殺者の手によって幕を下ろした。
***
二度目の人生でも、やっぱりデーヴィッド様のことが大好きだった。
一度目の人生では、マヤ様とスカーレット侯爵家の横槍が入って、私達は別れることになった。
——でも、それが無ければ?
きっと私達は魔法学園を無事に卒業したら、そのまま結婚していた。
私とデーヴィッド様との仲は、マヤ様の件が無ければとても良好だった。
さらに、デーヴィッド様のお父上のアンドリュー様からは、会うたびに「シャーロット嬢がデーヴィッドの嫁になってくれれば、安心だよ」と言われていた。
幼い頃から実の母のように接してくださっていたエブリン様にも、よく「シャーロットちゃんが早くお嫁に来てくれればいいのに」と言われていた。
アトリー伯爵家にもローラット伯爵家にも、特に大きな問題は無かった。
マヤ様についても、「珍しいテレパシー魔法で目立ってるのが羨ましい」ということで、狙われたわけだ。
それなら、テレパシー魔法について公言しなければ、彼女に興味を持たせなければいいだけのことだ。
つまり、これさえクリアできれば、私達には円満な結婚生活が待っているのだ——
初めてローラット伯爵家でデーヴィッド様と顔合わせをした日、やはり夕食の席で父様から例のことを訊かれた。
「デーヴィッド君と婚約してはどうか、という話になったんだが、シャーロットはどうかな?」
「是非っ! デーヴィッド様との婚約話を進めてください!!」
私は力強く即答した。淑女らしくはないけれど、力が入り過ぎて、思わず食事の席を立ちかける。
今度こそ、絶対に愛するデーヴィッド様と結婚してみせる!!! ——私は決意を新たに、闘志を燃やしていた。
「お、おお……随分気合が入っているな……」
「まぁ。シャーロットは情熱的ね」
「…………」
父様や母様は私の勢いに少し引かれていたけれど、婚約を喜んでくださった。
兄様は、普段おっとりしている私しか見たことがなかったためか、目を丸くして固まっていた。
正式な婚約を結んでから、やはり一年と経たないうちに、私とデーヴィッド様との間にテレパシー魔法が発現した。
「……それで、国の研究所でテレパシー魔法の観察をしたいみたいなの。協力してもらえるかしら?」
エブリン様に訊かれ、私は口を開いた。
「協力するのに、一つだけお願いがあります」
「あら? 何かしら?」
エブリン様は優しく相槌を打って、私の話の続きを促してくれた。
隣に座るデーヴィッド様が、少しびっくりしているのが分かった。
「テレパシー魔法については、公言しないで欲しいのです。珍しい魔法ということであれば、どこで誰に狙われるかも分かりませんから」
私のキッパリとした意見に、母様もエブリン様も目を瞠っていた。
「確かに、それもそうねぇ。気をつけないとね」
「魔法研究所にも相談して、内密にしていただきましょうか」
母様とエブリン様は、魔法研究所にも相談してくれると約束してくれた。
「シャーロットちゃんはしっかりしているのね」
エブリン様が微笑んで、私の頭を優しく撫でてくれた。
デーヴィッド様は、話し合いの間中ずっと静かだった。
そして、母様とエブリン様が席を外した時に、ポツリと呟いていた。
「シャーロットばかり、ずるい……」
デーヴィッド様は少年らしくぷくりと頬をふくらませて、少し剥れていた。
私は可愛いなぁ〜と思って、デーヴィッド様の頭をポンポンと撫でた。
すると、デーヴィッド様はさらに顔を真っ赤して、そっぽを向いてしまった。
そんな所も、私はデーヴィッド様がとても可愛く思えた。
テレパシー魔法の研究を始める前に、研究対象から研究内容、研究結果に至るまでテレパシー魔法に関すること全てについて秘密を守るという契約が、研究者とその関係者全員になされた。
もちろん、私もデーヴィッド様も口外しないように、両親からきつく言い含められた。
口外した場合は、国からペナルティも科されるという、重い契約だった。
厳しい契約ではあるけれど、私はすごくホッとしていた——これで、マヤ様やスカーレット侯爵家に知られることは無い。私とデーヴィッド様との結婚の、一番の障害が排除できたのだ!
テレパシー魔法の研究内容は、一度目の人生と変わりなかった。
ただ不思議なことに、テレパシー魔法の研究結果は、一度目の人生とは異なっていた。
一度目の人生程、正解率が良くなかったのだ。
私は少し不安になって研究者に尋ねてみた——どうやら過去の事例と比べても、私とデーヴィッド様の結果は「平均的」らしい。
私は「平均的」と言われて少しホッとしたけれど、「じゃあ一度目の人生ではなんであんなに正解率が良かったんだろう」と考え込むようになった。
私の不安はデーヴィッド様にも伝わっていたみたいで、「シャーロット、大丈夫?」と時々心配された。「シャーロットが嫌なら、テレパシー魔法の研究をやめようか」とも言ってくれた。
その度に私は、「大丈夫」「研究のお手伝いは嫌じゃないよ。正解できなかったのが悔しかっただけ」と笑って誤魔化した。
そして、テレパシー魔法の研究は、また私達が別れるまで続けられることになった。
魔法学園に上がってからは、私はやきもきすることが多くなった。
皮肉なことに、一度目の人生の時は、「テレパシー魔法」が私とデーヴィッド様の仲を守ってくれていたのだ。
婚約者というだけでなく、「テレパシー魔法」という、目には見えないけれど二人の間に割り込めない程の関係性があったからこそ、誰も手出しできなかったのだ。
デーヴィッド様は、どんどんかっこよく成長していった。
元々顔立ちは整っていたし、大人になるにつれて、可愛い感じから大人の男性らしい精悍な顔つきになっていった。
どこかやんちゃそうで親しみやすい雰囲気や、明るくて屈託のない性格もあってか、魔法学園で人気者になるのにそう時間はかからなかった。
さらに、成長期になってデーヴィッド様の身長がぐーんと一気に伸びると、それに比例するように、魔法学園の女子生徒達は、彼の虜になっていった。
私が、デーヴィッド様のファンの子達にやきもちを焼くたびに、デーヴィッド様はかえって喜んでいた。「私から愛されてる」って感じてたみたい。
そのうち、わざと他の女子生徒達の誘いに乗るようにもなっていった。
私にもっと嫉妬してもらいたかったみたい……
でもその度に私はとても不安になって、次第に彼の行動を逐一知りたいって思うようになっていった。
いつどこで、誰と会うのか、何をしに行くのか、逐一教えてもらうようにしていた。——もちろん、他の女子生徒がいるなら、遊びに行くことさえも絶対に反対した。
はじめの頃はデーヴィッド様もそれを楽しんでたみたいなのだけれど、だんだんと私のことを面倒くさがって避けるようになっていった。
テレパシー魔法があるから、すぐにバレるんだけどね。
でも、それもすぐに対策がされるようになった。テレパシー魔法にモヤモヤと霧がかかるようになって、彼のことを上手く探れなくなっていったのだ。
デーヴィッド様に訊いても、知らぬ存ぜぬで、ほとんど何も教えてもらえなくなった。
こうして、私達の間で初めて「秘密」が生まれた。
——この頃には、テレパシー魔法の研究結果は、過去の実績と比べても正解率は平均以下に落ち込んでいた。
デーヴィッド様のことや、彼の周りに群がる女子生徒達のことばかり気にしすぎて、私の心は大抵いつも憂うつだった。
学園内でデーヴィッド様が他の女子生徒達と話しているのを見かけるだけで、フツフツと暗い怒りの炎が腹の底から湧いてきた。
そんな嫉妬まみれの自分は、すごく辛かったし大嫌いだった。
だから一つだけ、一度目の人生ではやらなかったことを始めた。
このままではいけない、気分転換も必要だなって、無意識のうちに心のどこかで感じていたのかもしれない。いわゆる自己防衛本能だったのかも……
流石に人生二度目になると、勉強は全て「おさらい」になるから、学園での成績は常に上位に入るようになっていた。
「シャーロットちゃんは優秀だし、デーヴィッドのことも見てあげて」とエブリン様に言われていたこともあり、入学当初はデーヴィッド様と一緒に学校の課題をこなしたり、勉強をみてあげたりしていた。
ただ、魔法学園に入学して一年の半分が過ぎ、デーヴィッド様から煙たがられて、避けられるようになると、それも難しくなっていた。
そんな時、私に生徒会から声がけがあったのだ。
私に声をかけてくださったのは、生徒会長で第二王子のジェローム殿下と、彼の従兄弟にあたるアーサー・フォスター辺境伯子息だった。
ジェローム殿下は、色鮮やかな金髪に、コバルトブルー色の瞳をしていて、華やかに整った顔立ちをしている。一学年上の先輩で、みんなの憧れだ。
アーサー様はプラチナブロンドで、辺境伯家特有のブルーダイヤモンドのようなアイスブルーの瞳をしている。色合いもあるけれども、切れ長の瞳と通った鼻筋をしていて、クールな美貌をしている。私と同い年で、同じSクラスの生徒だ。
一度目の人生にはなかった展開に、始めは断ろうかとも考えていたけれど……
「君は確か、デーヴィッド・ローラットの婚約者だったよね?」
ジェローム殿下の言葉に、私の胸に一気にモヤモヤが広がった。
「そうです」
私は注意深く相槌を打った。
「彼がパートナーだと大変だろう。でも、彼には彼自身の交友関係があるわけだし、君にもあってもいいと思うんだ」
……確かに、そうだ。ジェローム殿下の仰ることは一理ある。
最近の私の世界は、デーヴィッド様を中心に回っていた。
デーヴィッド様と彼に近づこうとする女子生徒達に嫉妬してばかりで、全然気が休まることがなかった。
「それに、魔法学園の生徒会に入ることは名誉なことだよ。僕はクラスが一緒だから、シャーロット嬢が優秀なことも、とても真面目で、周囲の人に気配りができることも分かっているよ。だから、そんな君だからこそ、是非君に生徒会を手伝ってもらいたいんだ」
アーサー様の真摯な言葉に、コトリと、私の心が動いた。
最近の私は、デーヴィッド様には煙たがられて、何かを訊いてもすぐにはぐらかされてばかりで、彼の婚約者であることに自信がなくなってきていた。
それが、デーヴィッド様ではなく、彼に群がる人達でもなく、全く関係ないクラスメイトのアーサー様だけは私のことをきちんと見て評価してくれた……そして、私自身の力を求めてもらえたことに、なぜだか胸の辺りがぽわりとあたたかくなった。
私の傷ついて凍りついた心が、少しだけゆるんで解けていくような感覚だった。
「……私で良ければ、是非、お手伝いさせてください」
私は、なんだか久々に自然に笑えたような気がした。
それからは、私は放課後は生徒会室に入り浸るようになった。
生徒会のメンバーは、全員がジェローム殿下が直々に声をかけて集められたためか、成績優秀で、さらに、人としても尊敬できるような方達ばかりだった。
人として誠実に付き合うこと。真面目に生徒会の仕事をこなして、率直に意見を言い合うこと。もちろん、相手の意見にもきちんと耳を傾けること——当たり前のことばかりだけれど、デーヴィッド様以外の人間関係に触れることで、私の心は少しずつ癒されていった。
特にアーサー様とは同じSクラスということもあり、生徒会のことだけでなく、クラスでのイベントや勉強のことなどもいろいろとおしゃべりした。
アーサー様との何気ない会話は、私にとって日々の癒しだった。
私が生徒会に入ると、デーヴィッド様とはさらに疎遠になった。
彼はもっと遊び歩くようになって、魔法学園での成績はズルズルと下がっていった。
二年生に上がる頃には、私とデーヴィッド様は別々のクラスになった。
デーヴィッド様は成績が下がりすぎてしまい、一つ下のクラスに移動になったのだ。
そうすると今度は、エブリン様に「デーヴィッドの成績がかなり拙いのよ。シャーロットちゃんは生徒会に入れる程優秀なんだから、面倒みてもらえないかしら?」と相談されるようになった。
学園内でデーヴィッド様を探せば、あまり評判の良くない素行の悪い男子生徒か、デーヴィッド様に憧れる女子生徒の誰かと一緒にいる所を見かけることが多くなった。
エブリン様に言われたこともあり、「勉強を頑張りましょう。このままでは拙いわ。私も手伝うわ」と申し出れば、次からはデーヴィッド様にこれまで以上に避けられるようになった。
今までは、なんとなく学園内のどこにいるのかは、テレパシー魔法で感じ取れていたのだけれど、それすらも掴めなくなってしまった。
誕生日のプレゼント
イベント毎のエスコート
婚約者として最低限の茶会ややりとり……
私達の間柄はどんどん形を取り繕うものばかりになっていった。
そして、私達の間に初めて「義務」が生まれた。
——この頃には、テレパシー魔法の研究結果は散々で、もうほとんど当たらなくなっていた。
魔法学園の最終学年に上がった時、珍しくデーヴィッド様から茶会のお誘いがあった。
お茶会のために、私はうきうきと新品のドレスに袖を通して、ネックレスにはデーヴィッド様が以前贈ってくれた赤紫色のガーネットを身につけた。
やっぱりなんだかんだ言っても、デーヴィッド様は私にとって特別な存在で、まだまだ恋慕の情があった。
「今年一年は、俺を自由にして欲しいんだ」
「えっ……?」
茶会が始まって、デーヴィッド様の一言目に、私は全く理解が追いつかなかった。
「デーヴィッド様を自由にするとは、どういうことですか?」
「はぁ……そんなことも説明しなければ、分からないのか……」
私が訳が分からず質問すれば、なぜかデーヴィッド様は呆れたように大袈裟に溜め息を吐いた。
「君は逐一、いつ誰とどこに行くのか、そこに他の女子生徒はいないのか訊いてくるだろう? それを止めてもらいたいんだ」
「それは……」
デーヴィッド様が婚約者の私を蔑ろにして、他の方ばかりを優先するから……
でも、私が生徒会に入ってからは、そういったことは一切デーヴィッド様に確認していなかった。放課後は生徒会に入り浸っていたし、デーヴィッド様も逃げ回っていたから、訊ける機会もほとんどなかった。
「要は、君はやり過ぎたんだ。俺はもう限界だ。魔法学園を卒業すれば、俺たちは結婚するんだ。それは決まっていることなんだし、もういい加減醜い嫉妬は止めたらどうだ? 今年は最終学年で、自由に過ごせる最後の年だ。最後の青春ぐらい、謳歌する権利は俺にだってあるはずだ」
デーヴィッド様は一方的にそのことだけ伝えると、私の返答も聞かず、「いいな」と念押しだけして席を立った。
彼は退室する時に「君はテレパシー魔法が使えるはずなのに、こんなことも分からないのか」と舌打ち交じりにぼやいて出て行った。
デーヴィッド様の一言一言がショック過ぎて、私の頭は真っ白になっていた。
ここ最近は避けられてまともに会話もできていなかったのに、どうやってそんなことを彼に確認できたというの?
テレパシー魔法だって、研究者から「もうほとんど魔法は消えてしまったようですね」と研究結果を彼も聞かされていたはず。
それなのに、私に「考えを察しろ」は無理なことだ。
——何よりも、私との結婚を、死刑執行のように言わないで——
それから私達の関係は、呆気なく終わった——デーヴィッド様がとある子爵令嬢を妊娠させてしまったのだ。
私達の最後の茶会から、ほんの三ヶ月も経たない頃だった。
一学年下の子爵令嬢は、魔法学園を退学になった。
ローラット伯爵家と、子爵令嬢の実家のバイロン家からは相応の慰謝料をもらい、私は、デーヴィッド様の浮気で婚約破棄することになった。
アトリー家とローラット家、それからバイロン家との話し合いの席で、ローラット伯爵とバイロン子爵からは深々と謝罪された。
エブリン様は真っ青になって倒れられて、しばらく療養することになった。
私はあまりのことに、抜け殻のようになってしまって、その後のことはよく覚えていない……
***
三度目の人生を生きる前に、私は不思議な部屋にいた。
真っ白で、無駄にがらんと広い部屋だった。
四角くて、扉も窓も家具でさえも、何も無かった。
白くて、明るくて、がらんどうの部屋。
ただ一つ分かることは、こんな所に私がいるということは、私はいつの間にか二度目の人生を終えてしまっていたということだ。
それから、一つ思い起こされることは……
「デーヴィッド様は、本当は私を愛する気持ちは無かったのではないのかしら?」
気づけば、私の足元に一点の真っ黒な染みができていた。
それはまるで私のデーヴィッド様に対する疑いの気持ちのようで……私はなぜだかその黒い染みを、愛おしく感じた。
黒い染みは、じわじわと部屋の中を広がっていっていった。
床を真っ黒に染め上げ、
壁を真っ黒に染め上げ、
天井までをも真っ黒に染め上げていった。
そして、部屋の中の空間——空気までをも、黒く侵食していった。
私は抵抗することなく、ただただそれを眺めていた。
むしろ……
「この黒い染みは、私と同じね」
自然と苦笑いが溢れる。
デーヴィッド様への恋心は、黒く塗りつぶされてしまった。
私は、私の気持ちごと、この真っ黒な部屋を受け入れた。
***
「デーヴィッド君と婚約してはどうか、という話になったんだが、シャーロットはどうかな?」
いつも通り、初めてローラット伯爵家を訪れた日に、夕食の席で父様から優しく訊かれた。こうして訊かれるのは三度目だ。
「私はデーヴィッド様とは婚約しませんわ」
私はキッパリと答えた。
私の心はとても落ち着いていて、私の全細胞が、この決定に賛成しているかのように静かな自信に溢れていた。
「……理由を訊いても?」
父様は意外そうに目を丸くして、さらに尋ねた。まさか断られるとは思っていなかったみたい。
「だって、私はまだ六歳よ。これからもっと素敵な殿方に出会うかもしれませんわ!」
私はおしゃまな女の子らしく、いたずらっぽい満面の笑みで答えた。
「あらまあ。デーヴィッド君はフラれちゃったわね。でも、お友達として仲良くしてくれるかしら?」
母様に訊かれて、私は「うん!」と元気よく答えた。
一度目と二度目の人生では、私は情熱的な恋をした。
一度目の時は、悲恋だった。格上の家からの婚約話という横槍に、私の恋心はメラメラと大きく燃え上がった。
二度目の時は、「今度こそ」という強い想いがあった。一度目の人生で満たされなかった想いを、無念を叶えたかった。
でも、いつの頃からか二人はすれ違うようになって、結局ダメになってしまった。
じゃあ、三度目の人生は?
今度こそ、ちゃんと彼を捕まえないと? いいえ、そうじゃないわ——もういい加減にして!! って感じ。
気づけば私の恋心は、家族のような情にすっかり変わっていた。
それに、前回の人生での裏切りがあってから、完全にデーヴィッド様を愛せないし、信じきれなくなっていた。
私とデーヴィッド様との婚約話は流れてしまったけれど、両親同士が仲の良いアトリー家とローラット家は、しばしば交流するようになった。
私とデーヴィッド様はもちろん、サミュエル兄様も含めて、幼馴染になった。
デーヴィッド様は、会うたびに熱心に私にアプローチしてきた。
ただ、私は彼の好意を軽く受け流した。
今まで二回分の人生経験があって、少なくとも三十年ちょいは生きてきたのだもの。
お子様のアプローチをかわすことなんて、とても容易いことだった。
デーヴィッド様のご両親のローラット伯爵夫妻も、うちの両親も、それでも私とデーヴィッド様にくっついて欲しかったみたいで、陰ながら応援してたみたい——精神が大人の私には、バレバレだったけどね。
兄様だけは、「ロッティは、デーヴィッド以外の人の方が絶対いいよ!」と私に大賛成してくれた。
三度目の人生では、テレパシー魔法の話題さえ上がらなかった。
何度かデーヴィッド様との間に、テレパシー魔法の切れ端のようなものを感じはしたけれど、私はそれらを全部まるっと無視した。「もう、いい加減にしてよ!」って。
だから、もう王宮の魔法研究所に行くことも、あの研究を手伝うこともなくなった。
魔法学園に上がってからは、また状況が変わった。
もう私達は婚約者ではないのだから、デーヴィッド様のことで煩わされないはずだったのに……
一度目と二度目の人生と同じようにかっこ良く成長したデーヴィッド様は、それはそれは学園内でモテた。
たくさんの女子生徒達が、彼の目に留まろうと、努力したり、アプローチしたりしていた。
伯爵家嫡男で、かっこいい人気者。さらに婚約者もまだいないとなれば、恰好の恋のお相手だ。
二度目の人生の時と同じように、デーヴィッド様はたくさんの女の子達と浮き名を流した——前回は私という婚約者がいたから表沙汰にはなっていなかったけれど、裏でこっそり女の子達と遊んでたことは知ってたからね!
でも、今回はその浮き名の一つに、なぜか私の名前が入っていた——私、魔法学園に入学してからは、デーヴィッド様とはクラスも違うし、挨拶ぐらいしかしてないのですけれど?
「ロッティ、デーヴィッドとデートしたって、本当? 噂になってるよ」
学園内でたまたま会った兄様に訊かれ、私はびっくりし過ぎて、一瞬何を言われたのか分からなくなった。
えっ? 何それ?
「私がデーヴィッド様と? そんな暇はないわ。だって、放課後はいつも生徒会室にいるもの」
とにかく私は真っ先に否定した。事実ではないもの。
「それもそうだよね。僕も急にそんな噂を耳にして、びっくりしたよ」
「ええ。心配なら、他の生徒会メンバーに訊けば、証言してくださるはずよ」
人生三度目ともなれば、勉強のおさらいも二度目だ。
私は、テストでは毎回ほぼトップの成績を収める才媛になっていた。
もちろん、今回の人生でも私は生徒会にスカウトされていた。
今回も生徒会長で第二王子のジェローム殿下と、アーサー・フォスター辺境伯子息に生徒会に誘われ、私は二つ返事で頷いた。
私がデーヴィッド様とお付き合いしているという根も葉もない噂は、その後何回も何回も流された。
私は誰かに訊かれる度に、噂を耳にする度に、火消しに回らざるを得なかった。
未婚の子女にとって、この手の噂は厄介だ。
社交界での悪評は、アトリー家の醜聞につながったり、今後の私の婚姻にだって影響しかねない。
この噂のせいで、私は裏で女子生徒達から陰口を言われたり、酷くやっかまれたりもした。
お相手が人気者のデーヴィッド様ということもあるけれど、元々、私が成績優秀で生徒会メンバーということもあり、目立って余計に標的になりやすかったのかもしれない。
また時には、デーヴィッド様に憧れる女子生徒達に呼び出されたりもしたけれど、私が「ただの幼馴染にすぎないこと」「放課後は生徒会室にいること」「生徒会メンバーに訊けば証言すること」を伝えれば、彼女達はすごすごと引き下がっていった。
生徒会メンバーは全員、ジェローム殿下が直々に優秀な生徒に声をかけてスカウトしたのだ。普段の学園の成績だけでなく、その人間性も精査されるため、生徒達からの信頼は厚い。
そのうちに、デーヴィッド様が他の女子生徒と会っていたことを、なぜか私に報告してくる人も現れた。
「デーヴィッド・ローラット様は、今度はビアンカ様とお二人でお出掛けされたそうですよ」
「あら? そうですの?」
普段話をしたこともない女子生徒に声をかけられ、私はスンと取り澄まして答えた。内心では「またか」と辟易していた。
「アトリー様は何も注意されなくてよろしいのですの?」
彼女は怪訝そうな表情で尋ねてきた。
「どうして私なのでしょう? 私、確かにデーヴィッド様のお家とは両親の仲が良いですし、幼馴染ではありますが、それだけですよ? 今まで彼にエスコートの一つもされたことはありませんわ」
ある意味本当で、半分嘘だ。
一度目と二度目の人生では、当たり前のようにデーヴィッド様がエスコートしてくれた。
でも今世では、デーヴィッド様に一切エスコートしてもらったことはない。彼は毎回別の令嬢をエスコートしているからだ。
「でも、シャーロット様はデーヴィッド様と恋仲だと伺いましたわ」
「根も葉もないただの噂話ですわ。幼馴染だから、そう思われているだけでしょう。本当にそうなら、婚約話の一つでも上がっていてもおかしくはないですわ」
「確かに」
「そうですわね」
私がキッパリ否定すると、私に報告してきた女子生徒も、その方と一緒について来たお友達も、頷いていた。
親切心なのか、ただのお節介なのか……とにかく、こういった報告をされる度に、私はしっかりと事実を述べてキッパリと否定した。
デーヴィッド様のことをキッパリと諦めて遠ざけている三度目の人生では、このような噂話やお節介を受ける度に、「何を今更……」となんだか胸の辺りがどんどんと冷え込んでいくような思いがした。
二年生のある日、同じSクラスで生徒会メンバーのアーサー様からお誘いを受けた。
数ヶ月後に、一学年上の先輩達の卒業式を控えていた時だった。
「シャーロット嬢。今年の卒業パーティーのことなんだけど、僕にエスコートさせてもらえないかな?」
生徒会室でたまたま二人きりになった時に、切り出された。
アーサー様のアイスブルー色の瞳は、今日はいつもよりも緊張しているようで、クールな美貌も少し硬かった。
生徒会メンバーは、卒業パーティーには学年を問わず参加していた。卒業する先輩達をお祝いして、笑顔で送り出すためだ。
二度目の人生ではデーヴィッド様にエスコートしてもらったけれど、今世ではそれもない……実はパートナーがいなくて、少し困っていたのだ。
なお、兄様は婚約者のクラリス様をエスコートする予定だ。
「ええ。もしアーサー様がよろしければ、喜んで」
私はにっこりと微笑んで答えた。
「良かった……それなら、せっかくだしドレスも贈らせてもらえないかな」
「え……でも、それでは周りに勘違いされて、アーサー様のご迷惑になるのでは?」
そんな、まるで婚約者みたいなことって……
アーサー様は、切れ長の瞳と整いすぎた顔立ちがかえって冷たく見えてしまい、また成績優秀な生徒会メンバーのためか、近寄り難い雰囲気がある。
アーサー様に憧れる女子生徒は多いけれど、なかなか近づけなくて、陰できゃあきゃあと騒がれているタイプだ。
「そんなことはないよ。むしろ、シャーロット嬢となら勘違いして欲しいかな」
アーサー様の氷の美貌が、ほろりと崩れた。少し恥ずかしがるように頬を赤らめていて、そんな眼福すぎるアーサー様に、私の胸はドキンッと大きく動いた。
さらに、そんな素敵なアーサー様に「婚約者と勘違いされてもいい」とまで言われてしまい、ボンッと私の顔に熱が集中するのが自分でも分かった。
「ア、アーサー様がご迷惑でなければ……よろしくお願いします……」
私はそう返すだけで精一杯だった。言葉も最後は尻すぼみに小さくなる。
恥ずかしすぎて、まともにアーサー様の顔は見れなかった。
卒業パーティー当日、私は侍女にドレスを着付けてもらい、卒倒しそうになった。
アーサー様が贈ってくださったのは、アーサー様の瞳と同じ色のアイスブルーのドレスだった。
フリルやレースは最小限の、品の良いプリンセスラインの美しいドレスだ。
アーサー様はさらにジュエリーも一緒に贈ってくださっていた。
繊細なホワイトゴールドの地金に凛と輝くブルーダイヤモンドが付いたネックレスとイヤリングで、ドレスにピッタリと合っていた。
可愛らしくも品のあるデザインのドレスとジュエリーに胸をときめかせながらも、高価すぎる贈り物であることと、アーサー様を思い浮かばせるその色合いに、私は嬉しいやら恥ずかしいやらで戦々恐々としていた。
「うちの妹は生徒会の仕事ばかりで、華が無くて残念だとは思っていたけど……いつの間に、ねぇ?」
兄様がニヤリと笑って、揶揄うようにドレス姿の私を見ていた。
今日はパーティーの主役の卒業生ということもあり、かっこよく着飾っていた。甘めのハンサムな顔立ちで、天使というよりは小悪魔な感じに成長してしまった。
「に、兄様! こ、これは誤解です! そういうことではありません!!」
私が慌てて否定すると、
「本当にそうかな? アーサー様の隣に並ぶロッティのその姿を見て、勘違いしない者はいないと思うよ」
兄様がニヤリと目を細めて、私を覗き込んだ。
「アーサー様とは、そんな……!」
アーサー様は良きクラスメイトで、大事な生徒会の仲間で、人柄も良くて勉強もできて尊敬できて、一緒におしゃべりをしていると楽しくて……でも、そんな彼と私なんかが婚約者と間違われたりしたら、申し訳なさすぎるわ!!
「ブルーダイヤモンドは、フォスター領の名産品だよ。大事な女性にプレゼントするにはピッタリだ」
「『大事な女性』って!?」
私が、きっと真っ赤に茹で上がっている両頬を押さえてそう叫ぶと、
「おっと。クラリスを迎えに行かないと。ロッティ、綺麗だよ。アーサー様にはちゃんとお礼と返事をするんだよ?」
兄様はそそくさと私の部屋から出て行った。
「アーサー様に『返事』って……」
私は兄様の言葉を口ずさんで、途方に暮れてしまった。
一度目の人生も、二度目の人生も、デーヴィッド様に恋をした。
だから、今さらになって他の人に恋をするとなると……一体、どうすればいいの!?
「お嬢様、アーサー・フォスター様がおいでです」
「はいぃっ!」
私は丁度ドレスとジュエリーの贈り主の名前を聞いてしまい、思わず裏返った声で返事をしていた。
アトリー家のロビーでは、アーサー様が待っていた。
アーサー様は、シルバーグレーと私の瞳と同じ青色を基調としたウエストコートとジャケットをキリッと着こなしていた。夜会らしく前髪は後ろに流されていて、非常に凛々しくて、いつもとは一味違った雰囲気の彼に、私の心臓はドキンッと大きく跳ね上がった。
私がロビーに着くと、アーサー様がこちらを振り向いた。
アイスブルー色の瞳とかち合ったかと思うと、アーサー様の氷の美貌がふわりと解けた。
……眼福すぎて、もうダメかもしれない……
「シャーロット嬢。綺麗だよ。やはり、あなたにはそういった品が良くて愛らしいものが良く似合う」
「ア、アア、アーサー様。素敵なドレスとジュエリーをありがとうございます。アーサー様こそ、その、とても素敵でかっこいいです……」
私はただでさえかっこいいアーサー様に褒められて、ものすごくドギマギしながら答えた。
「ありがとう、シャーロット嬢。さぁ、会場に行こうか?」
いつも以上に麗しいアーサー様に手を差し出され、私はどうしようもなく緊張しながらそこに自分の手を載せた。
白い絹の手袋をした大きな彼の手。普段は触れることがないからこそ、余計にドキドキしてしまう。
アーサー様の腕に手を添えて隣に並ぶと、彼は私よりもずっと背が高くて、ふわりと柑橘系のコロンの香りがした。
卒業パーティーの会場は、卒業生達の晴れの舞台ともあり、とても華やかだった。
ふかふかのレッドカーペットに、眩いばかりに煌めく大きなシャンデリア。美味しそうな料理に、この日のために呼ばれた王都でも有名なオーケストラ。色とりどりのドレスに着飾った卒業生やそのパートナー達——何もかもがキラキラと眩しく輝いていた。
前回の人生で、この卒業パーティーは憂鬱だった。
デーヴィッド様は婚約者の義務でエスコートはしてくれたけれど、会場に着いてからはすぐに別行動になった。
私は生徒会のメンバー達と一緒にいて、彼はずっと他の女の子達とおしゃべりをしていた。
逐一、彼の行動をチェックしてしまう自分に嫌気が差したものだった。
でも、今回はアーサー様が私のすぐそばにいてくれる。たったこれだけでとても心強くて、安心できた。
「やあ! アーサー、シャーロット嬢。来てくれたんだね」
「卒業おめでとう、ジェローム」
「卒業おめでとうございます、ジェローム殿下」
私とアーサー様は、早速ジェローム殿下に挨拶をしに行った。
ジェローム殿下は、たくさんの人達に囲まれていたけれど、私達が近づくと、笑顔で迎え入れてくれた。
「おや? シャーロット嬢のそのドレス……アーサーも隅に置けないな」
ジェローム殿下がニッと口角を上げて、私達を交互に見つめた。
「こ、これは……!」
「ああ。シャーロット嬢によく似合うだろう?」
私が言いかけると、アーサー様がすぐにジェローム殿下に笑顔で返事を返した。
アーサー様にそっと腰を引かれ、心臓がドキンッと大きく跳ねて、私は何も言えなくなってしまった。
「ふふっ。アーサーもシャーロット嬢も、今夜のパーティーを楽しんでね」
ジェローム殿下はニヤニヤと私達を眺めた後、また他の人との会話に戻っていった。
「何か少し食べようか?」
「え、ええ。そうしましょう」
アーサー様に気遣われて、私は気を落ち着けて頷いた。
——そうよね。せっかくパーティーに来たのだもの。楽しまないと!
「シャーロット、なぜここに? それにその格好は……」
その時、嫌という程聞き慣れた声が聞こえて、私の心臓は別の意味でドキンッと鳴って凍りついた。
声がした方へ振り返ると、びっくりしてこちらを見つめるデーヴィッド様がいた。
どうやら今夜は、卒業する先輩をエスコートしているみたい。
「ご機嫌よう、デーヴィッド様」
私は努めて冷静に挨拶をした。
少しだけ、アーサー様の腕に添えていた手が震えてしまう。
一気に天国から現実に引き摺り落とされたような心地だった。
三度目の人生になって、デーヴィッド様のことはキッパリと諦めていたし、自分の中ではもう心の整理も終わったと思っていた。特にここ最近は顔を合わせることもなく、噂話を聞くばかりだったし——だからこそ、油断していたのかもしれない。
デーヴィッド様の顔を久々に前にして、なぜだか、今までの積りに積もった恨みとか、嫉妬とか、悔しいとか、過去の可哀想で満たされない前世の自分が心の中に浮かんで来た。彼女達は、私の中でもがいて暴れて、「なぜ、なぜ!? 今頃になって!?」と今世の私に訴えかけているようだった。
アーサー様が私の小さく震える手に、大きな手を添えて包んでくれた。
その瞬間、フッと私の震えが止まった。私の中の満たされなかった前世の想いも言葉達も、スッと波が引くように心の奥底へと沈んでいった。
「やあ、ローラット伯爵令息。私のパートナーに何か?」
アーサー様が私を庇うように少し前に出て、話を代わってくれた。
「……いえ。シャーロットのパートナーについて何も聞いてなかったもので、あまりにもびっくりして……」
デーヴィッド様が戸惑うように答えた。
「あなたはデーヴィッドの何かしら?」
デーヴィッド様のパートナーの先輩が、二人の仲を見せつけるように彼の腕に豊かな胸を押し付けて訊いてきた。
「両親の仲が良いだけの、ただの幼馴染ですわ」
私はなんでもないという風に、平静を装って答えた。無理矢理にでもにっこりと口角を上げる。
一方で、私はアーサー様に添えている手にキュッと力を入れた。
「そろそろ失礼してもいいかな? 僕たちはこれから少し休憩するところなんだ」
「……あ、ああ……」
アーサー様がどこか牽制するような凄みのある笑みを貼り付けて、半ば無理矢理デーヴィッド様達から離れた。私も一緒に、彼らから離れる。
私はしばらくの間、デーヴィッド様達の痛い程の視線を背中に感じた。
アーサー様が、二人分のドリンクをウェイターのトレイから取った。そのまま窓際へと向かう。
バルコニーに出ると、私達以外には誰もいなかった。
「少し休もうか? はい、これ」
「ありがとうございます」
アーサー様から淡い黄金色のドリンクを手渡され、お礼を言う。
グラスの底から細やかな泡が立っているから、どうやらシャンパンみたい。
本当はまだお酒を飲んでいい年頃じゃないけれど、このパーティーではみんな飲んでいる。アーサー様がせっかく取ってくれたのだから、私も一口飲んでみた。
シャンパンはシュワッとほろ苦くて、大人の味がした。
「シャーロット嬢、大丈夫? 顔色がすぐれないようだけど……」
「ええ。大丈夫ですわ。アーサー様こそ、ごめんなさい。まさかデーヴィッド様がここにいるなんて思わなかったわ」
アーサー様に心配そうに覗き込まれ、私は申し訳なさでいっぱいになって答えた。
「シャーロット嬢は、ローラット伯爵令息のことはどう思ってるの?」
「……ただの幼馴染ですわ」
「彼はそうとは思っていないみたいだけど? それに、君が彼と付き合ってるなんて噂もある……」
「それについては、根も葉もない噂を流されて、私もほとほと困ってるんです……」
私がそこまで言うと、二人の間に沈黙が落ちた。
バルコニーに冷たい風が吹き抜けて、少し肌寒くなった。
アーサー様は急にジャケットを脱いだかと思うと、私の肩にかけてくださった。ふわっと彼のジャケットについた柑橘系の香りが立ち込める。
「ありがとうございます」
「いいよ」
私がお礼を言うと、アーサー様がほろ苦く笑った。
デーヴィッド様から離れて、お酒も飲んだからか、私の心はだんだんと落ち着いてきた。
バルコニーから眺める夜の庭もとても静かで、そのおかげもあるのかもしれない。
それはアーサー様も一緒みたいで、ポツリと呟くように囁いた。
「あなたはずっと彼ばかりを見てきた」
「そうですね……でも、もう私は気づいてしまったんです。一人で恋は続けられないと」
少しだけお酒に当てられたのか、それともこの場の空気に当てられたのか、私から本音が溢れた。
「それなら、僕と二人で恋を続けてみない? その先に何があるのか、彼とは続けられなくても、僕ならじっくり付き合うよ」
「えっ……」
アーサー様から思わぬことを言われて、私は彼の方を振り向いた。
彼のブルーダイヤモンドのようなアイスブルー色の瞳には、くっきりと私の姿が映っていた。アーサー様の瞳に映る私は、驚いてはいたけれど、どこかホッと安心しているような和やかな表情を湛えていた。
「やっと、こっちを見てくれた」
アーサー様がくしゃりと顔を綻ばせた。
普段見たことのないアーサー様の心からの微笑みに、私はつい見惚れてしまった。
デーヴィッド様は、いつでも彼の中では彼が一番だった。
一度目の人生も、二度目の人生でも、彼は彼にとってその時に一番有利な方や楽しい方、ラクな方ばかりを選んできた——そして、その中に私は残らなかった。
でも、アーサー様はいつでも私のことに気を配って、大切にしてくれた。生徒会やクラスで意見が分かれた時も、互いの話に耳を傾けあって、一緒に考えることができた。だからこそ、アーサー様とは信頼がある——彼とならきっと……
「私も、きっとアーサー様とだったら恋を続けられると思います」
「シャーロット!」
私は急に、ギュッときつくアーサー様に抱きしめられた。
「ア、アーサー様!?」
「……シャーロット、ああ、良かった。ずっと、ずっと君のことが好きだったんだ」
私の耳元で、アーサー様の低い声が響いた。
彼の腕の中は、穏やかであたたかい柑橘系の香りがした。
***
卒業パーティーのすぐ後に、私とアーサー様は婚約することになった。
婚約したことをクラスメイトや生徒会メンバーに伝えると、クラスでも生徒会でも、私達は皆から祝福された。
少し恥ずかしかったけれど、私もアーサー様も「ありがとう」と素直にお礼を言った。
デーヴィッド様の時のような燃えるような恋心はないけれど、アーサー様と一緒にいると、落ち着いたホッと癒されるような、包まれるような安心感があった。
私が本当に大切にすべきだったのは、テレパシー魔法で気持ちが通じ合いながらも、それに甘えて私のことを蔑ろにする誰かさんじゃなくて、気持ちが見えなくても、互いに理解し合おうと心を砕いてくれる人だったのね——きっと、その思いやりを愛というのよ。
一度目と二度目の人生では決して味わうことはなかった「安心感」という幸せを、アーサー様と一緒にいる時、私はひしひしと感じられた。
アーサー様と婚約して少しした時、私が魔法学園の中庭を横切っていると、不意にデーヴィッド様から声をかけられた。
「シャーロット、婚約したって本当か?」
「ご機嫌よう、デーヴィッド様。ええ、婚約しましたよ」
デーヴィッド様のやけに切羽詰まったような声に、私は警戒して他人行儀な笑顔を貼り付けた。
「シャーロット、あんな奴との婚約は考え直してくれないか? 俺達の仲だろう?」
なぜかデーヴィッド様は、酷く傷ついたような顔をしていた。
それに、「俺達の仲」って何を言ってるの……?
彼のその言葉と表情に、私の中の何かがプツンと音を立てた。
——いつまでも、あなたは自分勝手なのね……
私の心の奥底で、一度目と二度目の人生での報われなかった私が暴れ出した。
「あら? 私達、そういう関係だったかしら? 碌に挨拶ぐらいしかしてない仲だと思ってたわ」
私は冷え切った心のままに、正直に言葉を綴った。
あなたへの恋心はもう死んでしまって、お墓の中に入っているのよ。
あなたがあまりにも大事にしてこなかったから。
ここにあるのは、ただただ今は亡き昔の恋心を憐れむ哀悼の気持ちだけ。
もう、終わりにしましょう。
あなたのために人生のループはもういたしません。
「…………」
デーヴィッド様は何も言えずに、顔色を白くしていた——まるで、この世の終わりみたいに。
だって、私達はただの幼馴染の腐れ縁。
三度目のこの人生では、私とデーヴィッド様との間には何も絆は育まれなかったし、彼は他の女子生徒達とばかり遊んでいた。
「それでは失礼しますわ。私の愛する婚約者と待ち合わせしてますの」
あなたとは違って、私を大切にしてくれる人が——
私はショックを受けて呆けたように立ち尽くすデーヴィッド様を置いて、中庭を去った。
それからは、デーヴィッド様と私のあらぬ噂が流されることがなくなった。私はデーヴィッド様と顔を合わせることもなく、穏やかな学園生活を過ごすことができるようになった。
***
魔法学園を卒業してすぐに、私はアーサーと結婚式を挙げて、フォスター辺境伯領に移ることになった。
フォスター辺境伯領は隣国との境で、交易が盛んな裕福な土地だ。将来は、アーサーがそこを引き継いで治めることになる。
残念ながら、王都からもアトリー伯爵領からもかなり離れているため、私は家族とは気軽には会えなくなってしまう。
フォスター辺境伯領へ出立する日には、家族総出で私達の見送りをしてくれた。
「ロッティ、寂しくなるね。今度こそは幸せになって」
「シャーロット様、お元気で。あちらでのご活躍をお祈りしてますわ」
「ありがとうございます、兄様、クラリス様」
決して今生の別れではないというのに、私は寂しさと今までの感謝の想いで、胸がジーンと熱くなった。
「向こうへ行っても、頑張ってね。シャーロットなら大丈夫よ」
「はい。母様もお元気で」
母様とも涙ながらにハグを交わす。ずっと大きいと思っていた母様は、いつの間にか私よりも少し小さくなられていて、余計に寂しさが増した。
「シャーロット、元気にやってくんだよ。アーサー殿、シャーロットのことをよろしく頼みますよ」
「ええ。必ず、シャーロットのことを幸せにします」
アーサーは真剣に父様に答えてくれた——一度目の人生でも、二度目の人生でも私がいくら望んでも決して聞くことがなかった、大切な人からの愛の言葉だった。
フォスター家の馬車に乗り込んで少し落ち着くと、不意にアーサーが口を開いた。
「シャーロットは、やっとあいつじゃなくて、私を選んでくれたね」
「あら? 何のこと?」
「いや。君を幸せにするって話さ。以前の君はずっと辛そうな顔をしてたからね。君はあいつと真面目に向き合おうとしてきたけど、あいつは逃げてばかりだった」
「ふふっ。だから、私は今はとても幸せですよ? アーサーが私を選んでくれたから。あなたが私と真剣に向き合ってくれるから」
私がくすりと笑うと、彼もふわりと柔らかく微笑んだ。
一人で恋は続けられませんわ。
でも二人でなら、愛を育んでいけますわ。
私達を乗せて、馬車は軽快にフォスター辺境伯領を目指して進んで行く。
私にとっては見知らぬ土地で、いろいろと慣れないことも出てくるでしょう——でもきっとアーサーと一緒なら、いえ、私達なら手を取り合って乗り越えていけるわ。
最後までお読みいただきありがとうございました!