第六話「不穏」
宿へ戻った私たちは夕食の準備が整っていると言われて食堂へやって来た。
既にリヒャルトさん以下、旅のメンバーが円卓の席に着いている。
私たちが席に座るとすぐにワインやビールみたいなお酒が運ばれてきて、おつまみの様な、オードブルみたいな料理が食卓に並ぶ。私にはお酒じゃなくて葡萄ジュースが用意されていた。これもリズの配慮らしい。
流石に騎士とか貴族出身者が主だったメンバーなので食事マナーはしっかりしているようで、これには私が緊張した。宿は気を張らない民宿のような雰囲気のくせに居酒屋のような和気藹々としたムードではなく、ちょっとしたお高いレストランでお食事しているような気持ちになる。とは言え、遠慮するなんて勿体無いことはせず、きちんと満足するまでお料理は頂きましたとも。
常に追加される素朴で美味しい料理たちとお酒のせいか、最後の方はハノンさんやあのデボアでさえ気が緩んできているみたいで表情が穏やかになった。そんな様子に私も密かに安心する。始終緊張する食事なんて食べた気がしないしね。
和やかな雰囲気のまま、私だけ先に部屋に帰る。お風呂に入ってさっぱりしたかったのだ。この国には大浴場なんてものはないらしく、個室付きの小さな湯船にお湯を溜めて使用するだけの簡単なお風呂だ。シャワーみたいなものはなくて、泡風呂みたいに石鹸まみれのお湯に浸かって体を洗い、あとはお湯を抜いて終わり。泡が残って気持ち悪いかと思いきや、ちゃんと流れていくのだから不思議だ。ちなみにお湯の追加は別料金らしくて我慢する。リズのお家では贅沢にお湯を使わせて貰っていたから驚きの事実だった。
私は身体中泡だらけにして入浴を終え、部屋着として用意してもらった肌触りの良い薄い生地のワンピースに着替える。家でも着たことのない種類の服だから気恥ずかしい。誰かに会わないように気を付けなきゃ。
部屋の窓を開けると清々しい夜風が中へ入ってくる。
私の部屋は角にある。本当はハノンさんと相部屋だったのだけど、ハノンさんが結構な位の貴族の息女ということで、宿が気を使ってなのか一人部屋を二つ用意してもらえることになった。だから隣はハノンさんの部屋で安心なんだけれども、この世界のことを色々聞いてみたかったから残念な気もする。
ふと何かの視線を感じて窓から見える景色に目を凝らす。
当然、何かに気がつくとか特別なことは起こらず、私は首を傾げながら窓を閉めるに至る。
慣れない旅で気を張っているせいだろうか。
部屋に用意してもらっていた林檎に似た果物を齧りながら、私は部屋に置いてある本を手に取った。
元の世界で言う聖書のようなものらしい。文字が読めるのは不思議だが、読めないより断然助かる。とは言っても、日本語と違うことは分かるし、言い回しとかもちょっと慣れない感じ。例えば、そこに林檎があります、と書かれてあるのを直訳してしまうと「神から贈られた世界に祝福された生命の枝から我々の元へ聖なる林檎が送られた」という風に神様バンザイ節満開の文章なのだ。
リズの軍隊のところにもあったので読んでた。最初は面白く感じていたけど、食傷気味でもう読む気がしない。今はとりあえず、美咲も読んでるらしいって言うんで見かけたらポツポツ読み進めている感じ。
何事も忍耐と継続だ。
厳しい顔で読んでいたのだろうか。
ふっと笑われた気がして顔を上げる。
誰もいない部屋。当然だ。でも、誰かの気配がする。
先程感じた視線と同じ。
懐かしい気がする。
「誰?」
呼びかけてみる。
きっとこの声は届いている。
「エミ」
名前を呼ばれて胸が苦しくなる。この声を知っている。
愛してやまない大切な存在。
でも、思い出せない。
「幸せであれ」
そう言われて。
姿も見せられることなく、気配は遠のいていく。
待って。私も連れて行って。
そう叫び出したい気持ちに自分自身で戸惑う。
その時、ドンドンとけたたましく部屋の扉が打ち鳴らされる。
びっくりして目を瞬く間にドアが蹴破られて、恐ろしく美人で怖い顔をしたリズがなだれ込んできた。後ろには鋭い目をしたデドアもいる。二人の鬼気迫る表情に腰を浮かせて私は気が動転して言葉も出てこない。
「エミ、無事か」
リズは私を腕に入れて辺りを警戒している。デドアが窓を開けて外を確認し、リズに首を振る。そうして警戒を解いた二人に見つめられて、私はびっくり仰天している顔を晒したのだった。




