第一話「勇者、現る」
「エミ、これを」
振り返ると顔の間近で美しい青年が赤い小さな実を摘んで私の口に突っ込んでくる。思わず噛み締めると、甘い汁が口の中をいっぱいに満たしていく。
少し口から飛び出た赤い汁が私のワンピース(と呼んできるが布を体に巻きつけただけ。うん、それで十分なんだよ)を汚す。
「おいしい」
「そうだろう。今年初めてのロウナの実だ。後で仲間と収穫に行くと良い」
そう言いながら美貌の主は私のワンピースの汚れを魔法で綺麗にしてくれる。
「はい、そうします」
麗しの魔王様に言われて、私は微笑む。きちんと可愛く見えてくれているかな?
毎日見ていても飽きないくらい美人でメチャクチャ優しい魔王様はいつもこうやって私に構ってくれる。
私は仲間たちよりも小さく育って、顔も赤ちゃんのままみたいに怖くならないから、魔王の森から出ることは固く禁じられている。外に出てしまえば、怖い人間たちに狩られるからだ。
外に出られないことに不満はない。だって優しい魔王様に構ってもらえる上に他の知性のある魔物たちに勉強を教えてもらい、みんなの役に立つために頑張っている。それって外に出ることよりも大事なことだ。
ただ、私には前世の記憶がある。それが問題だ。
私は田畑笑という人間だった。十七歳で交通事故に遭い死亡。この世界に転生した。巨体で半分以上が知性のないオーガに生まれたって不幸なんかじゃない。醜悪って言われる顔だけど、それは人間が言ってるだけで愛嬌があるのだ。
毎日楽しいし、数の多い大好きな家族たち、魔王様、他の魔物たちと過ごす日々は宝物のように美しいと思う。けれど。
人間だった頃の両親に何も恩返しをしてあげられなかった。毎日喋り倒した親友の美咲に別れを言えなかった。そして、当時心が震えるくらい大好きだった先輩に告白できなかった。
そんな無念を抱えたまま、私はオーガとして過ごしているのだ。
時々、車に撥ねられた時の夢を見る。恐ろしい感覚に飛び起きて、魔王様にくっつくのだ。そう、恥ずかしながら私は魔王様と一緒のベッドで眠っている。オーガとして小さいとは言え、魔王様よりも若干大きい。だからベッドは特大のものを誂えてもらった。
魔王様は私を愛しそうに撫でて、そっと抱きしめてくれる。
私を守り、そして愛してくれる彼にどれだけ救われていることだろう。
その愛が家族への愛であろうと、私は彼のことがこの世界で一番大好きで、彼の為なら何でもできると思っている。こんな気持ちは初めてだ。
彼の金色の瞳が私を見つめるたびにドキドキと胸が高鳴り、優しい抱擁を受けると彼の温かさに涙が出そうになる。
私の世界は彼と魔物の森で十分に満たされている。
日中、魔王様の住処を出て、私は花園に向かう。
花園ではオーガの赤ちゃんたちが過ごしている。その赤ちゃんたちの面倒を見るのが私の仕事だ。オーガの赤ちゃんは特にお世話はいらないのだけど、時々むずかって泣いたりイタズラをする子たちがいる。その子達をあやしたり、怒ったりするのが私の役目。そして重要なのが知性のある子を見つけること。言葉を教え、教育を受けさせる。時代の担い手を育てることはオーガの繁栄に大きく関わるのだから責任ある仕事なのだ。とはいえ、滅多に知性のある子供は見つからない。
花園には他に護衛のためのオーガもいるけれど、一緒に遊んだりして平和そのものだ。
今日の護衛は幼馴染のアイクだ。彼も知性があって言葉を理解する。オーガとは思えないハンサム顔で、その身体は私の五倍はあり、ムキムキの筋肉が付いて引き締まっている。魔王様の信頼も厚い武闘派だ。
「エミ、そのカゴは?」
アイクがその巨体を注意深く私に近づけてカゴの中を覗き込む。
「ふふ、まだ空だよ。魔王様にロウナの実がなっていると教えてもらったんだ。だから後でみんなと摘みに行こうと思って」
「へえ。今年ももうそんな時期なんだな。ところでエミ。俺と出かける話、考えてくれた?」
「ああ、ごめんね。お父さんがダメだって。例えアイクと一緒でも、外は危険だから」
「そっか。マスターの許可がおりないなら仕方ないな」
アイクは残念そうに言い、一年中咲き誇る花々を見つめる。
「エミの世界は美しいものだけで出来ていて、それはそれで素晴らしいことだと俺は思うよ」
「なあに、その意味深な発言は」
本当に言いたいことを隠しているのでは、と考えたがアイクは笑って私の頭を撫でる。そこに誤魔化しや嘘の色はない。
私を外へ連れ出したいアイクの想いは理解できる。花園だけしか知らない私に他の綺麗な景色や魔王様の森以外に出来る美味しい木の実を教えたいのだ。でも、私には人間だった頃の記憶がある。だから外の世界を知らない訳ではない。まあ、魔王様のいるこの世界のことはほとんど知らないけれど。
兄とも弟とも慕うアイクの想いに感謝しつつ、私は空のカゴを持ち上げてみせる。
「アイクもロウナの実を取りに行く?」
「ああ、もちろん」
彼が当然のように答えた時、微かに轟音が聞こえてくる。
「アイク、今の何?」
「分からない。ちょっと見てくる。エミはここにいろよ。子供達を一か所に集めて花扉に隠して」
「うん、分かった」
花園を出ていくアイクの背を見送って、私は赤ちゃんたちを急いで花扉、つまり花に覆われた秘密の隠し場所に寝かせる。最後に魔法で鍵をかける。これで侵入者が来てもここには気が付かないはずだ。
私はアイクが戻って来るまで不安を抱えたまま待つしかなかったのだが。
騒々しい音が近づいて来る。
怒号、そして我が一族の咆哮。
恐ろしいことが起こっているのは分かる。だけど私はどうしたら良いの。
逡巡しているうちに、花園の隣にある魔王様の住処から派手な破壊音が聞こえてくる。まさか魔王様の身に何か起こっている?
赤ちゃんたちは完全に隠した。だから様子を見に行こうと思ったのだ。その時は私に何が出来るかなんて思い付かなかったし、普通のオーガよりも小さい私に何が出来るなんて、無いことは分かってた。
ただ魔王様が心配で。
私は走り出したのだ。そして知った。不埒な侵入者が魔王の森を荒らしていたその様を。
巨大な剣から魔法を放ち、森を焼き、そして我が同胞たちを切り捨てていく人間たち。
私は見たものを信じられなかった。
魔王様に守られた森に人間は入ることができなかったはず。どうして?
「エミ、何で出てきた」
焦った様子のアイクが現れ私を抱き上げた。
「だって」
「ここから離れるぞ」
そう言って走り出したアイクの背には幾本もの矢や細い剣が突き刺さっていた。あまりのことに私は言葉を失った。
「大丈夫」
アイクが私の目を見て言ってくれた。それで落ち着いたのだ。
「うん」
「勇者って名乗る人間が魔王様を倒すと言って襲ってきたんだ。安心しろ。魔王様は精霊王に呼び出されてここにはいない。それにエミが逃げ延びれば、魔王様が帰ってきた時に絶望しなくてすむ。だからエミは必ず生きて魔王様に会うんだ」
「うん」
大きな音を立ててアイクは森の出口に向けて走った。そこは断崖絶壁になっているが、実は洞穴があって、そこから別の森へ出ることができる秘密の場所だった。
「待て、怪物」
一際通る声が私たちを呼び止めた。
「まずいな」
アイクが低く呟いた。事態は思っているよりも悪いみたいだった。
「アイク?」
「ああ。エミ、俺はお前が大好きだ。だから本当はもっと一緒にいたかった」
「え」
アイクは私を大きな木の枝に乗せた。
「隠れていろ」
アイクはそう言って、背後から迫る人間に向き直った。
「魔王様に仇なす不届きものが」
私が初めて聞くアイクの唸るような恐ろしい声に、その人間は眉を顰めた。ここは怖がるところでしょ、と思ったものの、魔王様を倒しに来るような大馬鹿者にはアイクの怖さが分からないのかもしれないと思い直した。アイクにけちょんけちょんにやられちゃえばいいのだ。
だけど。
私はその人間が巨大な剣を構えた姿を見た瞬間、悟った。
終わりだ。
彼は軽く腕を振り下ろしただけのような簡単な動作で辺りを飲み込む光の渦を生み出した。それはアイクと私のいる木を含む森の大半を巻き添えに爆発したのだった。
私がオーガの生を終えたのは勇者というふざけた人間が問答無用で森を襲ったからだったのだ。それ以降のことは知らないし、美しく優しい私の大事な魔王様がどうなったのか知る術もなかった。