プロローグ
気がついた時には花園にいた。
色とりどりの花がそれは見事に咲き誇り、むせ返る芳香を胸いっぱいに吸い込んで、これが現実と知った。
田畑笑、十七歳。
友達と遊びに行った先で車に撥ねられたところまでの記憶があった。
朝、母親に起こされて「幾つになったら自分で起きられるの」と毎度お馴染みの言葉を呟かれながら身支度をして家を出た。駅に向かうと小学校からの友達の美咲が手を振っていた。それに手を振り返して合流し、電車に乗った。降りた駅は遊園地のある場所で、そこで憧れの沖田先輩と待ち合わせていたんだ。彼が道路を挟んで向こう側にいたから気持ちが急いていたのかもしれないし、ただ注意散漫だったからかもしれない。私は横断歩道じゃないところから道を渡って、視界が宙を舞った。体がドサリと地面に激突する頃にはもう意識はとんでいたのだった。
そうして再び意識を取り戻した先には、この花たち。
「おや、お前は他のオーガとは毛色が違うようだね」
上から声をかけられて見上げると、それは大きな人型の怪物だった。
一瞬、悲鳴も忘れてソレを見上げた。
「待ってな、マスターを呼んで来る」
その怪物は大きな足音を立て、花を巻き上げながら走って行った。
恐怖はなかった。だってあれは私の仲間。
ドシドシと地面を揺らしながらもう一体のオーガがやって来た。
「本当だ。随分見た目が違うな。それに知性のある目をしているぞ」
新しくやって来たオーガが私を覗き込み、抱き上げた。
そう、私は小さく自力で歩けなかった。周りを見渡すとオーガの赤ちゃんたちが好き好きに寝転んだり花をむしったりして遊んでいた。彼らの体格は良い。というか、大きい。けれどみんな赤ん坊だった。その中の一匹が私。
「言葉が分かるか」
「あい」
はいと言ったつもりだが、いかんせん赤ん坊には難しかったらしい。
「俺が誰だか分かるかな」
「おとうしゃん」
お父さんが言えないなんて。
「そうだ。良い子だな。エイティ」
八十番目の子供だという私の名前。子沢山だけれど、ほとんどの子供に知性はなかった。知性どころか、前世の記憶があるオーガなんて、私以外にいないだろうと思った。
「よし、王に新しい名前をもらおう」
父はウキウキと森の奥の秘密の花園から出て行った。ここはオーガの赤ちゃんが暮らす特別な場所。少し大きくなればオーガの群れが暮らす場所へ移されるのだった。巨体を持つオーガとは言え、赤ん坊は小さく弱い。だから大きくなるまでは花園で暮らすのが決まりだった。
この魔の森の最奥にはご主人様がいた。全ての魔物を支配する王。
初めての外に興味津々の私を連れて、オーガの父は魔王城へ足を向けた。
城というか、大きな木々が重なり合って出来た様な住処に非常に美しいモノがいた。長い木の枝に腰掛け、長い黒髪を一つにまとめて後ろへ逃し、物憂げに膝に顎を当てて遠くを見ている。全く日に焼けていない透き通るような白い肌と金色の瞳が人外の生き物だと思わせた。というか、人間離れした綺麗さは魔物というに相応しい迫力を持っていたから、同じ魔物であるオーガの私から見ても綺麗なその美貌に惚れ惚れとしたのは不可抗力だと声を大にして言っておく。
「こら、子どもとは言え王をまじまじ見つめるのは失礼だよ」
父に嗜められてしゅんとしていると魔王が木の枝から降りて来た。
「良い。私にもその可愛い顔を見せておくれ」
素晴らしく良い声で彼は言って、私の両頬を温かい手で包んでくれた。
「王よ、この娘に名前を付けて下さいませんか。幸多い生き方ができるように」
「ふむ」
王は私を覗き込み、微笑んだ。
「面白い魂を持っているな?この者の名前はエミだ」
「エミ?」
聞きなれない発音に戸惑う父を他所に彼は茶目っ気たっぷりに私に目配せしてきた。
「人間の生を終えてこちらに飛んできたようだな。ようこそ、私の城へ。エミ、歓迎するよ」
そうして私は珍しく知性があるオーガとして、また普通のオーガよりも小さきものとして魔王に溺愛されながら守られて育つことになったのだった。