◆9 精霊の森に人が落ちてきた
「ブリジット、こっち!」
「ち、ちょっと待って……早い」
ブリジットは薬草を入れる大きな籠を持ち、ゼイゼイ言いながら答えた。
プラムはふわふわと上下に飛びながら、どんどんと奥へと進む。うっそうと茂っている森のはずなのに、プラムが進む方向には小道が作られていく。好奇心で後ろを見れば、すぐに道が塞がれている。迷子になっても嫌なので必死についていくが、案外動きが早い。
「もっとゆっくり飛んで!」
「しょうがないなぁ。ブリジット、体力なさすぎ」
「わたしは箱入り娘だったの! 体力なんて、あるわけないじゃない」
そう言い返せば、プラムは仕方がないと止まった。
「辛そうだね。ちょっとだけ休憩しよう」
「そうしてくれると嬉しい。はあ、疲れた」
大きな木の根元に腰を下ろして、持ってきていた水筒から水を飲む。しばらくすれば、上がっていた息も落ち着く。
誰もいない森の中はとても静か。でも恐ろしさや孤独は感じない。ブリジットに寄り添うような、とても不思議な空気だ。
「ここ、精霊の森のどのあたり? 前に来た時と違う場所よね」
「前の時はもうちょっとあっち側。今日はもう少し中心部寄り」
プラムの表現はとても曖昧で、距離感が全くつかめない。あっち側と言われても、土地勘のないブリジットにはさっぱりだ。
「まだ先なの?」
「目的地まで半分きたところ」
もう帰ってもいいだろうか、と思い始めていた。正直に言えば疲れた。プラムはブリジットの考えが分かったのか、くるくるとその場に回る。
「しかたがないなぁ。ちょっとずるしちゃおうか」
「ズル?」
「そう。ブリジットの魔力を使って、距離を縮めよう」
あり得ないことを言われて、うーんと首を傾げた。
「言っている意味がさっぱり分からない」
「ブリジットは愛し子だからね。僕がブリジットの魔力を使ってここと、薬草の生えている場所をぎゅってくっつけるの」
「うーん?」
やっぱり理解できずにいれば、ため息を吐かれた。
「ここは精霊の森だよ。許可されていない人間が立ち入ると、見知らぬ土地に飛ばされる。常識でしょう?」
「まあ、そうね。そういう話は聞いたことがあるわね」
精霊の森は認められた人間しか入ることができない。
もし、強引に入ったりすると、見知らぬ土地に飛ばされてしまうという。無理やり入ることはできないし、森を害するような行動をとることも不可能。
これは精霊の森を知る人なら誰でも知っている常識。
「それと同じで、愛し子の魔力を使えば、望んだ場所につなげることができるんだ」
「ふうん? それ、魔法?」
「魔法じゃないよ。愛し子の特典。精霊の森にある機能を動かす鍵みたいなもの」
少しがっかりだ。
前世のアニメであった、あの特殊な扉のようなことができるということだと理解した。
「ほら、手を出して」
「うん」
言われるまま、手を出せば、プラムが指を掴んだ。そして。
「着いたよ」
「ええええ、こんなに簡単なら初めから使ってほしい……」
「苦労したからこそ、ありがたいんだよ! ほら、あそこの一角に肌荒れによく効く薬草が生えているんだ」
ちょうどぽっかりと穴が開いたかのように草原が広がっていた。生えている草はすべて薬草だ。ブリジットの知っている薬草もあれば、そうでない薬草もある。
ブリジットはその種類の多さに目を輝かせた。
「すごい! わたしの知らない薬草が沢山あるわ」
「珍しい薬草も多いからね」
「これ、畑で育てられない? もう一度ここに来るのは面倒だわ」
いちいちここに来るよりは、裏の畑で育てた方がいいだろうと聞いてみた。プラムは呆れたようにくるくると飛び回る。
「無理。畑では精霊の力が薄いから、すぐに枯れてしまう」
「残念。これだけの種類があれば、何でも対応できるのに」
プラム曰く、精霊力と魔力とはまたちょっと違う力で、やはり森の中心部の方が濃いらしい。
育たないのなら仕方がない。希少価値の高い薬草は大量に必要になるわけではないから、諦めることにした。
そんな話をしながら目的の薬草を探していると、ゆらりと空気が動いた。ブリジットは足を止める。
「ねえ、あそこ、空間が歪んでいない?」
「本当だ。ブリジット、近寄っちゃダメ」
プラムが警戒心をあらわにした。
ここは精霊の森。
プラムが警戒することなんて、初めてだ。森も恐ろしいほどの緊張をはらみ、枝と枝を擦り合わせてざわざわと不快な音を鳴らす。
歪みは次第にはっきりと見えるようになり、人の腕らしきものが出てきた。そのまま、吐き出されるようにして人が地面に落ちる。怪我をしているのか、服はボロボロで、所々血の滲んだ色が見える。
「うわっ、人が出てきた!」
「ありえない!」
プラムは大声を出すと、勢いよく歪みに向かっていく。
「ちょっと、プラム! 危ないわ!」
「このまま放っておけない。大丈夫、穴を閉じるだけだから」
言葉通り、プラムは強く発光すると、歪みに向かって光を放った。精霊の力がぐるぐるとその場に渦巻き、歪みが溶けるように小さくなる。歪みがなくなるにつれ、森の空気が元の静謐さを取り戻した。プラムもしばらくその様子を眺めていたが、ほっとした瞬間、力を失って地面に落ちた。
「プラム!」
ブリジットは慌ててプラムの元へ走り出す。プラムは力なく地面に転がっていた。
そっと彼を両手で掬い上げる。いつもは弾けんばかりのエネルギーの塊であるプラムが、今にも消えてしまいそうなぐらい存在感が薄い。
ブリジットは不安に瞳を揺らした。そんな彼女にプラムがへらりと笑う。
「ちょっと力を使い過ぎただけ。はあ、疲れた」
「使い過ぎただけって。萎びているけど、大丈夫なの?」
「大丈夫と言えば大丈夫。大丈夫じゃないと言えばその通り」
「こんな時に、言葉遊びしないでよ。大丈夫じゃないんでしょう?」
精霊のことをよく知らないブリジットでもわかるほど、プラムがどんどん薄くなる。
「まあ、仕方がないよね。また一から力を蓄えるよ。精霊にとって二、三百年なんてあっという間」
「何か、わたしができることはない?」
そう告げれば、プラムはぱちぱちと何度か瞬きをした。
「じゃあ、ブリジットの魔力、ちょうだい」
「魔力? さっきみたいに?」
「愛し子は契約なしでも精霊に魔力を与えられるんだ。ただ、ブリジットの許可がないとできないけど」
「よくわからないけど、プラムには必要なんでしょう? 魔力くらいいいわよ」
魔力を認識できないのに、魔力譲渡なんてできるのだろうか、と眉をひそめる。何もしないよりはいいが、できない可能性が高い。
そんな心配をしながら、プラムに言われるまま、指を差し出した。プラムはその指に両手で掴まる。
「ボクに魔力を与えるイメージしながら魔力譲渡、って言って」
「魔力譲渡」
自分の中の魔力を勝手に想像し、プラムとつないでいる指から渡っていくようにイメージしてから口にする。
その途端、自分の中の何かがごっそりと抜かれた。その反動で、ブリジットがその場にへたり込む。頭がくらくらして、足に力が入らない。それでも何とか立ち上がろうとするが、すぐに腰が砕けてしまう。
「何これ、力、はいらないんだけど」
「すごい、前よりも大きくなった!」
元気になったプラムは確認するようにぶんぶんと空を飛ぶ。ブリジットは茫然とそれを見ていた。大きくなったとはしゃいでいるが、ブリジットの目には前とさほど変わらない。やっぱり十センチメートルぐらいの大きさだ。
「……それで大きくなったの?」
「うん! 一センチメートルは大きくなっている! すごい!」
身長の十パーセント、大きくなったのだ。確かにすごいのかもしれない。
曖昧な微笑みを浮かべた。
二人でいつものようになっていって、何か忘れているような気がしてきた。視線を巡らせると、地面に落ちた人が目に入る。
意識を失っているのか、倒れている人はピクリとも動かない。その代わり、倒れている人めがけて蔓や木々の根がするすると伸びている。音もなく、人に絡みつく。
「無理やり精霊の森に入ってきたから、養分一択だよ!」
その様子をのんびり見ながら、仕方ないよね、とプラムの暢気な声。ブリジットはかっと目を見開いて、力の入らない体で無理やり立ち上がった。
「き、救助!」
「必要ないよ。無理やり空間を歪めて入ってきたんだよ? 制裁受けるってわかっていたはず」
「そういう問題じゃないのよ。ここで放置したらわたしの寝覚めが悪い!」
蔦と根がぐるぐるに絡まって、養分を吸い取る様子を想像して体を震わせた。このままにいて置いたら、水分の抜けた死体の出来上がりだ。自分の行動範囲に、ミイラはいらない。
「とにかく! 精霊の森から放り出すだけでいいの!」
「わかったよ。説得してみる」
「お願い」
プラムは森の木々たちへ何か話しかけている。声は聞こえないが、口が動いていた。森の木々たちは不満そうに、ざわざわと枝を揺らす。その反応をハラハラして見守っていた。
しばらくすると、落ちていた人間が消えた。
「え!? もう養分になっちゃったの!?」
「違うよ。森の外に放り出してもらった。これでいいだろう?」
「そうなんだ、ありがとう!」
ブリジットはお礼を言えば、プラムが困ったように首を傾げた。
「それでね、精霊たちがブリジットに歌ってほしいって」
「歌?」
「いつも家で歌っているだろう? あれを聞かせてほしいんだ」
確かに家事をしている時や畑仕事をしている時に歌っている。歌ってはいるが。
ブリジットは顔をひきつらせた。
彼女が最近歌っているのは、世界を席巻したアニソンだ。プラムしかいないからと、上手く声が出ず、高音がひっくり返っていても好き勝手気持ちよく歌っている。つまり、人様に聞かせるほど上手ではない。
「えっと、簡単な曲でもいいかな?」
「うん、何でもいいよ。みんなに聞こえるように歌ってほしい」
「そ、そう」
ブリジットは子供たちに大人気、あんとぱんのヒーローの歌を歌うことにした。