◆49 「最後の精霊の愛し子」の世界
「先輩、最後の精霊の愛し子、見ないなんて人生の損失です」
熱く、熱く語る。
「世界は崩壊の道を辿っているんです。そもそもこの世界は精霊と王との間にあった愛が始まり。精霊の愛する心とその愛を受け止め返す王、二人の純愛が世界を平和に導いたんですから」
思い出せ、思い出せ、思い出せ。
ブリジットは必死になって前世での後輩の話を掘り起こす。
「最後の精霊の愛し子」。
大人気アニメ。原作はラノベのようだが、ブリジットはよく知らない。
後輩がとても嵌っていたから、彼女からの情報だけを知っているだけ。
彼女は何と言っていた?
スマホで見せられたプロモーションビデオ。
もちろん、後輩の熱い解説付き。
プロモーションビデオにはぎゅっと世界観が詰まっていて、ついつい見たくなるようにできている。
ヒロインである精霊王とヒーローの初代国王。
二人は精霊と人間。
存在自体が異なるのだが、ぶつかり合いを繰り返しながらお互い理解し、さらには信頼するまでの仲に。そして、愛情が生まれ。
その過程で世界は構築され、二人の愛は世界を安定させる結晶を生み出した。
そして、何百年後に訪れる崩壊の足音。
その崩壊のひとつが、闇の精霊の出現だ。
プロモーションビデオにもちらりとその様子が描かれていた。ヒロイン目線で見る闇の精霊は。
腰まである癖のない髪は艶さえも呑み込んでしまいそうなほど黒く、闇より黒い瞳は凍てついたように冷たい。
中性的な顔立ちは歪な部分が見つからないほど整っているが、人形のよう。
彼は二人が生みだした結晶がその輝きを失った時に生まれる存在。
だから、生まれることを望まれない。生まれる前に壊されることを望まれている。
二十個もある精霊の雫が輝きを失うたびに、闇の精霊が生まれ、血を継いだ者に消滅させられる。
殺さないで、誰か愛して。
小さな願いは何度も何度も繰り返す。叶えられない思いが時間をかけてゆっくりゆっくりと折り重なる。
折り重なった希望の欠片は穢れになり、憎悪になり、力を蓄える。血族を操れるほどに。
ようやく成功したのは、偶然が重なり合った結果。
人の形を取りつつあった闇の精霊は、王族の人たちの魔力を吸い取り徐々に体を作り上げていく。だけども肉体を持たない存在はとても弱い。
だからこそ、この国で一番の権力を持つ国王の体を乗っ取った。
ヒロインがヒーローと共に闇の精霊の元にたどり着いた時には、国王を取り込み、魔力を集め、実体を持つようになっていて。
さらに大きな力を得ようと、王族の魔力を求め暴走する。
それを止めるために。
ヒロインは何をした?
◆
「うううううっ! なんで! 全然、思い出せない!」
プロモーションビデオだから、全部は見えていなかった。だけども、ちらりと。その断片が混じっていたはず。後輩が神だと絶賛していたプロモーションビデオだ。ほんの一秒に入り込んだカットが、結末のヒントだと熱弁を振るっていた。
だから、前世でしっかりと見ているはず。
後輩はコマ送りしてまで解説してくれていたのだから。
だけども、まったく思い出せない。その直前の絵は思い出せるのに。
その次。
その次がどうしても出てこない。さらっとでもいい、思い出せ。
そう願っても、やっぱり何も出てこない。
喉の奥に骨が刺さったような言いようのない状態に、ブリジットは唸った。
「ブリジット、何しているんだ! 早く離れろ!」
キースは痛みをこらえながら叫ぶ。はっとして、後ろに下がった。少し距離を取ったことで、闇の精霊の状態がよく見える。
闇の精霊はゆらゆらとしていて、時々人型から影のようなものに揺らめき、再び人型になる。
その様子から、まだ完全な状態ではないようだ。最後の決戦と謳われたプロモーションビデオにあるような力を得た時にはもっと力強い存在感があった。
それにこのロッド。
プロモーションビデオでも、ヒロインは手に持っていた。闇の精霊と激突するようなシーンではこのロッドが光り輝いて、闇の精霊へダメージを与えていた。
「殴ったら力を発揮できるようになるかも」
ブリジットは手に持っていたロッドで闇の精霊をぶん殴る。ロッドが当たった場所が崩れ、ひしゃげた。その手ごたえのなさから、まだ実体を手に入れていない。しかも崩れた場所が元に戻るまで、少し時間がかかっている。
だけど、ロッドは期待したような反応を示さなかった。本当にだたの棒だ。
「刺激を与えるんじゃない!」
ぎょっとしたリンフォードは痛みを堪えて立ち上がると、ブリジットの腕を引っ張って闇の精霊から引き離す。
「大丈夫よ、まだ完全な実体じゃないみたいだし。何度か叩けば動かなくなるかも。それに回数を重ねれば、このロッドも本来の力を発揮できるかもしれない」
「叩くって」
呆れたように言われたが、気にしない。ブリジットはうんともすんとも言わないロッドを見つめて、首を傾げる。
「……ロッドに期待するよりも、精霊の雫をどうにかした方が早いかも。だからよろしくね」
「待て!」
ブリジットは気合を入れると、リンフォードの引き留める声を無視して闇の精霊との距離を詰めた。ためらいもなく、何度も何度もロッドで叩く。予想通り、衝撃を受けるたびに、闇の精霊はひしゃげてしまい動けない。
「キース、動けるか?」
「問題ない」
青い顔をしたキースは荒い呼吸を繰り返している。だが、先ほどのような穢れの扉にはなっていない。ベルが抑えたのだろう。
剣を持つ手に力を込め、剣先を精霊の雫に向ける。その動きに合わせて、ベルが呪文を唱えた。
剣先を中心に魔法陣が浮かび上がる。ブリジットが歌って現れる魔法陣とは違う紋様が使われ、いくつも重なっていく。その数が増えていくのを感じたのか、叩いていた闇の精霊が煙のように揺らめいた。
姿を崩して靄のように大きく広がると、下から掬い上げるようにして床に倒れている国王を持ち上げる。
「うがああああ」
口耳鼻から闇の精霊が入り込むと、国王はひどく苦しみ始める。目が飛び出してしまうのではないかと思うほど大きく見開き、床の上を転がりながら喉を掻きむしる。食いしばった唇の両脇から穢れがあふれ出している。
そのあまりの姿に、ブリジットは怯んだ。
「な、何!?」
国王が苦しめば苦しむほど、闇の精霊がどんどん人の形を取っていった。国王は徐々に声を上げなくなり、次第に木片のような姿に変貌していく。国王だった者は無造作に床の上に捨てられた。
「闇の精霊……」
前世の記憶にある闇の精霊がそこにいた。先ほどとは違う、実体だ。
白い肌に赤い唇。瞳は夜を溶かしたように真っ黒で、先ほどと違い理性的な光を宿している。何よりも。
「母上の顔立ちだなんて、悪趣味だ」
フローレンスによく似ていた。
闇の精霊は何かを確認するかのように、体を動かし、手を握ったり開いたりしている。ぎこちない動きになっているのは、まだ馴染んでいないからか。
「キース、今のうちに!」
リンフォードが闇の精霊が動けないうちに、精霊の雫を壊せと指示する。
「あともう少し」
キースは魔法陣を完成させるため、さらに魔力を込めた。ベルの体も薄く発光し、魔法陣に力を与えていく。
闇の精霊は人間ではあり得ないほど首を後ろに捩じった。
ブリジットは闇の精霊から溢れ出る力を感じて、走り出した。闇の精霊がキースに向かって力を振るう前に、両手でロッドを振り下ろす。
がきんとロッドと闇の精霊の腕がぶつかる。実体化した目がブリジットを捕らえた。
『サシャの娘、何故、邪魔をする?』
サシャ?
ブリジットは聞き覚えのない名前に眉を寄せた。