◆3 浮かれた気分で夜会の準備
成人の祝福の儀式を終えた日の夜、王城では新成人を祝う夜会が行われる。
この夜会は毎月行われていて、よほどのことがない限り参加しなければならない。養女であるブリジットももれなく招待状を貰っていた。
招待状を見た時にはとても驚いて、そして浮かれた気分でふわふわしていた。話に聞く王城はとても素敵で、そこに新しいドレスを着て参加できるのだ。夢見心地になっても誰も責められない。しかも、新成人としての装いも特別なもの。それだけで乙女心が爆発する。
教会から戻ってきた後、ブリジットは夜会のことを思い出して、そわそわしっぱなしだ。
「落ち着きがない。さっきあれほど落ち込んでいたのに」
「だって。こんな立派な招待状を貰ったのよ!」
ブリジットの浮かれように、テイラーが呆れたように呟いた。確かに先ほどまでは落ち込んでいた。精霊魔法がもらえるかも、と期待していたから。でも、いつまでも落ち込んでいたって仕方がない。
「招待状ひとつで浮かれるようなことでもないような」
「そんなことない! 見て、ここにちゃんと王家の印が入っている!」
テイラーに招待状の紋章を突き付けた。テイラーは何と言っていいのかわからないのか、微妙な顔になる。
「ああ、わかったから。でも浮かれすぎだ」
リュエット伯爵夫人はそんな息子を窘める。
「ふふ、女の子なんですもの、初めての夜会は特別なのよ。それに落ち込んでいるよりはいいでしょう?」
「そうだぞ。お前だって新成人の夜会は特別だっただろう?」
「うーん、変な女につき纏われたことしか覚えていない」
リュエット伯爵が特別だったはずだと言えば、テイラーは苦々しい顔になる。
その様子から、大体想像ついてしまった。
リュエット伯爵領は国の辺境にあり、領地はそれなりに広い。広い牧場と畑を持っていて、領収はとても安定している。収入に余裕があることから、田舎暮らしはしたくなくても、王都に屋敷を構えることは可能。上手く言いくるめられれば、一年の大半を王都で暮らせる。
令嬢達にそういう打算があって、テイラーが成人した後、大量の釣書が舞い込んでいた。もちろんそのほとんどをテイラーはぶった切っているのだが。
「お兄さまはかっこいいから」
「かっこいいと思っているのはお前ぐらいだ。今は線が細くて優しい男が好かれているみたいだぞ。王都の令嬢にとって剣を振るうのは野蛮なんだそうだ」
照れ隠しなのか、突き放すように話す。王都の貴族令息たちを知らないから何とも言えないが、テイラーはいざという時は自ら剣を持って戦わなくてはいけない。だから体は鍛えており、とてもがっしりとしていた。線が細い男とは対極にいる。
「もちろんとても優しいよ? ヴァネッサもいつもお兄さまを褒めているもの」
「……僕は結婚相手として、そこそこ条件がいいからな」
素直じゃない言葉。でも、ヴァネッサと二人きりだと、きっと甘い言葉を囁いているに違いない。
彼女と婚約するつもりだと知ったブリジットはにまにましながら勝手に脳内で補完した。
「ブリジット、そろそろ支度をしましょうね」
「お母さま、まだ早すぎるわ」
「何を言っているの。女性の準備には時間がかかるの。ほら、急ぐわよ」
ブリジットは夢から覚めたように、現実を知った。
居間から連れ出されると、あっという間に着ているものを脱がされ、浴室に放り込まれる。
たっぷりとした湯と柔らかな花の香りの石鹸で侍女たちに全身を磨かれた。ヘロヘロになりながら風呂を出ると、すぐさま髪を乾かされ、香油を塗られる。当然、手足の爪も丁寧に手入れされて。
ようやくドレスを着るまで整えられた時にはすでにぐったりとしていた。
「ブリジット、これぐらいで疲れていたら夜会はもっと大変よ」
「こんなにも手入れをする必要があるの?」
「当然。淑女の嗜みだわ」
憧れていた淑女はとても大変らしい。ブリジットは今後もこんなことが続くのは無理だ、と思いつつ、促されるまま衣裳部屋へと向かう。用意されたドレスを見て、ブリジットは目を見張った。
衣裳部屋にあるトルソーに掛けられたドレスは薄い生地を何枚も重ねていて、とても軽やか。スカートのボリュームは抑えられているが、裾に向かって緩やかな広がりを持たせている。何よりも腰にある大き目なリボンが目を引いた。
「すごく綺麗」
「デビューの夜会では薄いブルーの色のドレスを着るのが習わしなのよ。貴女の銀の髪にとても合っているわ」
ぼーっと見とれているうちに、侍女たちに手早く着せられた。そして癖のない銀髪を緩く編み、くるくるとまとめて襟足に止める。すごく大人っぽい。
胸元にはパールが飾られた。レースのように編まれたパールは小さい粒であったが、それでも華やか。
自分の姿を鏡で思わずしげしげと見つめてしまった。
「別人みたい」
「とても素敵よ。さあ、最後にこちらの花を飾りましょうね」
そう言って髪に華やかな百合の花を飾る。百合の花はドレスと同じで、デビューする令嬢が付ける。
派手過ぎず、清楚で初々しい仕上がりに、リュエット伯爵夫人は満足そうに目を細めた。
「母上、支度は終わりましたか?」
「テイラー、丁度いいところに来たわ」
ブリジットをエスコートするのはテイラーだ。彼も夜会の支度を終え、様子を伺いに来た。リュエット伯爵夫人は息子を招き入れる。
「ブリジット、改めて成人おめでとう。とても綺麗だ」
「ありがとう、お兄さま」
普段から褒めてくれるけれども、今日はいつもと違う装い。女性としての褒め言葉に、くすぐったく感じる。
「さあ、どうぞ」
テイラーはブリジットに腕を差し出した。恐る恐るその腕に手を乗せた。
「今日はデビューの夜会だから、両親もいる。僕から絶対に離れないでほしい」
絶対、と念を押されて首を傾げた。テイラーは苦々しい顔になる。
「教会のように絡まれる心配がある」
突然、突っかかってきた令嬢を思い出す。
「そういえば、あの令嬢、誰なの?」
「カーギル子爵家の令嬢。姉妹とも、かなりしつこい」
「えっ、姉妹?」
「そう。姉の方は僕と同じ年だからね。ようやくどこかに縁付いたと聞いていたのに、つい最近、妹の方の釣書が送られてきた」
姉が駄目なら妹なら、という感じに、執着を感じる。
夜会に参加しているはずなので、できる限り遠くにいようと心に決めた。