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◆17 愛し子だとばれました

「ホットケーキが食べたい」


 朝起きた途端、頭の中がホットケーキ一色になっていた。分厚くてふわふわのホットケーキ。定期的に食べたくなる独特な香り。


 ブリジットは勢いよく起きると、ささっと身支度をする。そして、前世でよく聞いたホットケーキの歌を口ずさみながらリビングへ入った。


 前世を思い出してから、時折、こうして懐かしくなることがある。前世のすべての記憶を持っているわけではないのだが、一つの事柄を思い出すとそれをきっかけに周辺まで記憶が広がる。今朝はとにかくホットケーキだ。


 だが、リビングに入った途端、そんな浮かれた気分がぺしゃりと押しつぶされる。

 誰もいないはずのリビングは、すでにキースの城となっていた。彼と同居を始めて一カ月。時々こうしてキースはリビングを占領する。


 テーブルの上にはコーヒーカップと本。その横には、倉庫から見つけてきたと思われる魔道具が分解してあった。部品の散らかり具合から、徹夜したようだ。魔道具が好きなのか、キースはこうして時々徹夜して分解しては、魔法陣を書き記している。


 白いシャツと黒いズボンというラフな格好をしたキースはブリジットを見て、にこりとほほ笑んだ。真っ青な顔をしていても、素敵な笑顔に見えるのは顔の良さのおかげだろう。


「……顔色、悪いわよ」

「おはよう」

「おはようじゃなくて。ちゃんと寝ないとダメじゃない」

「わかっているんだけどね、この魔法陣がとても面白くて。気が付いたら、朝になっていたよ」


 凝り性の人が言いそうな言葉であるが、その陰に隠れている理由にブリジットは眉を寄せた。

 キースに封じられた穢れは抑えられているものの、完全に動きを止めたわけではない。眠れないほどひどい痛みがあるのだ。とはいえ、キースは決して痛いとは言わない。


 白さを通り越して、どす黒い顔色をしていても、微笑む。それが聖騎士である矜持なのか、それとも、聖騎士というのはそう言うやせ我慢をする人種なのか。


 問い詰めたところで、何も言わないのはわかっている。ブリジットは気持ちを切り替えた。


「これからホットケーキを焼くけど食べる?」

「ホットケーキ?」

「うん。分厚いパンケーキ」


 雑に説明したが、よくわからなかったらしい。ただ、興味はあるようで、食べると告げられた。

 キッチンで、保管庫から小麦粉と砂糖、それから卵に膨らし粉を取り出す。


「……バニラエッセンスがない」


 ホットケーキの独特の香りが懐かしいのに。

 浮かれた気分が一気に地の底に沈む。

 だが、作らない選択肢はない。


 バニラビーンズに似たものがないか探してみよう、と心に決め、分量を量り始めた。



「想像していたものよりも、厚みがある。しかも大きい」


 テーブルにドーンと置いたホットケーキを見て、キースが驚いて目を丸くした。ブリジットが作ったホットケーキはフライパン大、つまり直径三十センチはある。しかも、厚みは四センチほど。この世界で初めて作ったが、上手に膨らんだ。色もムラのないキツネ色。残念なのはあの独特な香りがないところか。


「初めての調合としては上手にできたと思う。キースは蜂蜜とバターでいい? 生クリームもお勧めだけど」

「蜂蜜とバターで。生クリームはいらない」

「そう。すごく美味しいのに。アイスを乗せてもおいしいんだよね」


 ウハウハしながら、大きなホットケーキを切り分け、キースの前に置く。バターと蜂蜜はお好みの分量を乗せてもらう。

 自分の分も皿に取り、生クリームをスプーンでこんもりと盛った。その上に、蜂蜜を垂らす。その琥珀色の甘い液体をうっとりと見つめる。


「はあ、前世とは違うけど美味しそう。メープルシロップはこの世界にあるのかしら」


 蜂蜜はいくつか種類を見たことがあるが、メープルシロップもどきは見たことはない。色々と探したいものを頭の中のリストに載せる。


「……愛し子は異世界の記憶を持つと言われているけど、本当なんだな」

「最近はちょっとした違いがごちゃごちゃになって大変よ。それに、今日は何故か頭の中にホットケーキばかりだったわ。ホットケーキが食べたくなる美味しい歌があるのよね」

「ブリジット……」


 プラムの呆れた声に、はっとした。ブリジットは目の前に座るキースを見る。彼はにこにこと笑みを浮かべていた。


「えっと」

「精霊の森の管理人になれるのは精霊に選ばれた魂だけ。そして、精霊に選ばれた魂は異世界の魂と聞いている。もしかしたらと思っていたんだ」

「精霊に選ばれた魂だとしても、愛し子とは限らないでしょう?」

「ついさっき、()()の話をしていたのに?」


 やらかした。

 ブリジットは冷や汗をかきながら、プラムを見た。プラムはホットケーキを小さく切って口に入れている。


「ブリジット、迂闊すぎ。キースは聖騎士でも上位に入るらしいから、元々察していたんだろうね。それなのに、前世だなんて口を滑らせるから」

「そういうのは早く教えてよ」


 思わず責めると、プラムは肩を竦めた。ベルは可笑しそうに笑う。


「二度目に会った時には確信していたから、隠していても無駄よ。なんと言っても、キースは聖騎士の序列で二位ですもの」

「聖騎士の序列?」

「教会に馴染みがないと、知らないかもしれないね」


 キースがホットケーキをナイフで切り分け口に入れる。びっくりしたように目を見張った。


「これは美味しいな。ケーキほど甘くないのがちょうどいい」

「そうでしょう? たまに食べたくなる味なの」


 美味しいと言ってもらえたことが嬉しくて、つい笑顔になる。ブリジットもホットケーキを一口大にして、たっぷり乗せた生クリームと一緒に食べた。


「んー! 美味しい! それで、聖騎士の序列って何?」


 ホットケーキの美味しさに感動しながらも、しっかりと話を聞く。


「聖騎士にも経験と強さがあって、年に一度、大会を行って序列を決めるんだ」

「勝ち抜き戦をするということ?」

「そう。精霊魔法の熟練度や剣捌きが評価される。さらに対戦してランクを決めていくんだ」


 聖騎士の力を一般に見せるにはいい催しものらしい。


「一度行ってみたいわね」

「落ち着いたら、招待するよ」


 和やかにそんな話をしていたので、愛し子のことは流れたと思っていた。ホットケーキを堪能し、ごちそうさまをした後。


 キースは立ち上がると、まだ座っているブリジットの前に左膝をついた。

 胸に手を当て、ブリジットの顔を下からのぞき込む。綺麗な顔が真正面から飛び込んできて、ブリジットは思わずのけぞった。


「このような格好で申し訳ありません。遅くなりましたが、ブリジット様に永遠の忠誠を」

「ちょっと待ってー!」


 突然忠誠と言われて、ブリジットは慌てた。彼に立ってもらおうとするが、頑として動かない。仕方がなく、目の前に膝をつくキースの前に座り込んだ。ようやく同じ視線になる。


「愛し子は聖騎士にとって命を懸けて護るべき存在。今日までの無礼の数々、お許しください」

「許すも何もっ! 簡単に忠誠なんて誓わないで! 話し合いましょう!」

「話し合う必要はないのでは? 僕はとても運がいい」


 愛し子に出会えることが幸運だとキースは微笑んだ。その笑顔は美しく、うっとりとした眼差しを向けられ顔が引きつる。


「……できれば、今まで通りに接してもらいたいのだけど」

「どうして?」

「わたし、精霊魔法も普通の魔法も使えないの。愛し子だと持ち上げられても困る」


 心底困った顔をすれば、キースはブリジットの両手を握った。そして、一緒に立ち上がった。


「愛し子だから、と教会が貴女に何かしてほしいと要求するわけではありません。それでも?」

「そんなの信じられない」

 

 ブリジットが不安だと訴えた。この世界の教会について、ブリジットはよく知らない。前世でよく読んだ小説がいくつも思い出される。持ち上げられた聖者は都合悪くなると、すべての罪を着せられて断罪されるのだ。ちやほやされて、妬みを買い、陥れられるなんて避けるべき。


 キースは少し逡巡した。聖騎士としての矜持があるから、ブリジットの要求が呑み込めないようだ。受け入れられないようなら、キースには早めにここを出てもらうことを考えなければならない。敬うような態度の人と暮らすのは無理。


「ブリジットが気になるのなら、普通に接する。だから」


 キースはもうブリジットに膝をつかなかったが、握っていた手に唇を軽く落とした。

 騎士が忠誠を誓う時のキス。

 ブリジットは固まった。


「側で守る許可を」

「ひゃーっ! そういうところ、いらない!」


 ブリジットは悲鳴を上げた。

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