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◆11 もう縁はないと思ったのに

 

「さあ、入って」


 ロウンズ伯爵に促されて、ブリジットは浮かない顔でロウンズ伯爵邸にある客室へ足を踏み入れた。

 精霊の森に受け入れなど無理だと突っぱねていたが、とりあえず会ってほしい、とロウンズ伯爵に丸め込まれてしまった。独り立ちしてから面倒を見てもらった恩があるだけに、無碍にできなかったのもある。

 

 ロウンズ伯爵は客室に入ると、さらに奥の寝室まで向かう。この客室を使っているのは男性。

 流石にそれ以上、入ることは出来ない。

 ロウンズ伯爵の執事にそんな目を向ければ、彼は小さく頷いた。できればこのまま帰りたいと、小さなため息を吐く。


 部屋に入ったロウンズ伯爵と客人の会話が聞こえてくる。


「調子はどうだい?」

「随分と痛みは楽になりました」

「それはよかった。治療魔法をかけているとはいえ、傷口が塞がった程度だ。無理はしないように」

「ええ、わかっています。しばらくは大人しくしていますよ」


 そんなやり取りが続いてから、ロウンズ伯爵がこちらに顔を出した。


「ブリジット、紹介するから来てほしい」


 嫌そうな顔をして見せるが、ロウンズ伯爵は気にした様子もない。

 

 挨拶だけして、引き取りは難しいと伝えて帰る。

 気持ちを強く持てば大丈夫のはず。


 ブリジットは覚悟を決めて部屋の中に入った。

 ベッドの上に上体を起こしている男性がいる。

 

 癖のある茶金の髪は柔ら。

 金の瞳は独特な光を宿し、優しいようでありながら、獣に見つめられているような緊張感をもたらす。整った顔立ちは唇を引き締めていても、かすかに甘さを滲ませていた。

 

 部屋に入った途端、後悔した。これほどの美貌を持つ男性とは聞いていない。しかも見るからに高貴な生まれ。


 前世の世界では身分制度などなかったが、この世界は身分制度がある。やはり教養を持っている貴族はその立ち振る舞いが違う。時々、貴族なのかと不安に思うような素行の人間もいるけれども、それでも平民に比べ、はるかに洗練されていた。


 扉を開けたまま立ち尽くしているブリジットに声がかかる。

 

「彼女は?」

「昨日話したと思うが、ブリジットだ」


 ロウンズ伯爵は悪戯が成功した子供のような笑顔を見せている。中年のおじさんの悪戯顔など、どこにも需要はないと内心悪態をついた。舌打ちしそうになるのを押さえながら、姿勢を正して、ロウンズ伯爵の側に近寄った。

 

「では、彼女が精霊の森の管理人?」


 ワンピースのスカートを少しつまみ、右足を後ろに引く。貴族社会の女性の挨拶だ。貴族令嬢の着るドレスではないから不格好であるが、無作法にはならないはず。

 

「はじめまして。精霊の森の管理人を務めておりますブリジットです。家名の名乗りはお許しください」

「キースです。貴女のことはロウンズ伯爵から聞いています」


 どうやらロウンズ伯爵から同居することを聞いているようだ。どう考えているのだろうと、彼の顔を見れば、どこか困っている様子。彼もまた、ロウンズ伯爵から強硬に提案されたようだ。


 これならば、断れる。

 ブリジットは早口で捲し立てた。

 

「おじさま……いえ、ロウンズ伯爵の提案のことなんですが! もちろん、ロウンズ伯爵にはとてつもなく恩があるので断りにくいと言えばその通りです。でも、わたしは独身でさらに一人暮らしなのです。つまりですね、異性の方との同居は遠慮したい、というのが本心です。それでもどうしてもというのなら、受け入れなくもなくはないのですが、できるならば……」

「そうだろうね。普通の反応だと思うよ」


 少し砕けた口調で、キースがそのとおりだと頷く。同じ意見に、ブリジットはほっとして笑みを浮かべた。


「ああ、理解してくれてよかったです」

「おや、ブリジットにはキース殿の美貌は通用しないのか」


 どうやらロウンズ伯爵はキースの顔の良さを利用して懐柔するつもりだったようだ。ブリジットはむっと唇を尖らせる。


「なんですか、それは」

「すごく女性に人気があるんだ。聖騎士だし、生まれも良いし、将来安泰だ。仮でも婚約者になりたい女性なんてわんさかいる」

「……想像できます」


 改めてキースをしげしげと見つめ、頷いた。キースは少しだけ眉寄せた。


「顔を見て態度を変えるような女性と引き合わされても困るのですが」

「でも、今は非常事態だろう? 精霊の森の管理人はブリジットなんだ。彼女が快く引き受けてくれたら、と考えたんだ」

「非常事態?」


 ロウンズ伯爵の口から出た言葉に反応した。確かに精霊の森に無理やり侵入してきたのは非常事態だ。でも、それだけではないような雰囲気が漂う。


 ロウンズ伯爵は真剣な顔をして、ブリジットを手招きする。思わずそれにつられて近寄った。彼は小さな声で、囁く。


「実は」

「ロウンズ伯爵。そこまでです。部外者である彼女にわざわざ告げる必要はないはずです」


 キースが事情を話そうとするロウンズ伯爵を冷ややかな声で止めた。


「しかしだな。この国で一番安全なのは精霊の森なのだ。それにブリジットは精霊の森の管理人。全く部外者というわけでは」

「今回の件は教会の問題です。ご心配は有難いですが、これ以上は。この子が回復したらすぐに教会へ戻ります」


 そう言って、膝の上でぐったりしている子猫ほどの大きさの精霊をそっと撫でた。その時になって、ブリジットは精霊の存在に気が付いた。

 

 キースの精霊はプラムとは違って、動物型だ。元気なら艶やかな黒毛なのだろうが、今は色褪せていてどこか萎びている。


 その存在の儚さに、昨日、精霊の森へ侵入した時に力を貸したのかもしれないと思い当たった。もしそうなら、回復はすごく遅くなるだろう。同族への攻撃は同じだけ自分に返ってくるとプラムが言っていた。


「あなたの魔力は回復していないの?」


 精霊は契約主の魔力を貰うと、ある程度は回復する。それなのに猫の精霊はその様子が見られない。考えられるのは、キースの魔力が回復しておらず、分けてもらっていない場合。そう思って聞いたのだが、答えは違っていた。


「魔力は与えている。これでも随分と良くなったんだ。無理に精霊の森に飛んだせいか、魔力を与えても回復が遅い」


 キースが労わるようにゆっくりと背中を撫でると、猫精霊はうっすらと目を開ける。美しい緑のつり目がブリジットを見た。


 辛そうだったのは一瞬。

 すぐにかっと目を見開き、素早い動きで猫精霊はブリジットの指にかじりついた。


「美味しそう~!」

「ベル!」


 キースが驚きに声を上げる。だが猫精霊はブリジットの指を離さない。何かを吸い取ろうとして齧り続ける。ブリジットは猫精霊を引き離そうと、手を振った。


「きゃあ、痛い、痛い、痛いっ!」

「ベル、やめるんだ」

「いやよ、美味しそうな魔力がここにあるのに。なんで飲めないの!」


 キースの制止も聞かず、徐々に力強く齧り始めた。ブリジットは痛みに涙を滲ませて、自分の指を齧るベルを見た。

 

「ねえ、魔力が欲しいの? 上げるから、それ以上、齧らないで!」

「本当に?」


 疑い深く見つめられたが、ブリジットは力強く頷いた。


「好きなだけ上げるわよ」

「わかったわ」


 ベルは素直に口から指を離す。思いっきり齧られた指は赤くなり、ひりひりする。涙をぬぐいながら、ブリジットはベルに手を差し出した。


「わたしの手のひらに乗せて」

「こう?」


 ベルはちょんと手をブリジットに預ける。ぷにぷにした肉球の感触が素晴らしい。そういえば、この世界では猫を見たことがなかったなと思いつつ。


「魔力譲渡」


 プラムにもやったように、魔力譲渡をしてみた。


「きゃあ、すごいわ!」


 ベルはブリジットの魔力を受け取ると、くるくると動き始める。完全復活したベルに、キースが唖然としている。


「こんなにも早く回復するなんて! キース、もう心配しなくて大丈夫よ!」

「信じられない……どういうことなんだ?」


 ベルが嬉しそうにキースに飛び着いた。キースは確認するように、ベルの体を隅々まで撫でる。


「僕の魔力では少ししか回復しなかったのに……」


 キースは一通り、ベルを確認すると顔を上げた。その顔には優しい笑みが浮かび、心からベルのことを思っていることがわかる。


「ありがとう。ベルは僕にとってとても大切な相棒なんだ」

「よかったです」


 ほっと胸をなでおろした。ベルは体を擦りつけるようにしてキースにまとわりつく。


「ちゃんと回復したから、後はわたしに任せて!」

「頼もしいな。でも無理はしてほしくない」


 二人にしかわからない会話。

 その絆に、思わず見とれた。


 ブリジットは精霊の森の管理人で、プラムと契約しているけれども、二人の間にあるような絆はまだない。せいぜい仲が良い程度。

 あんな風になれたら、と憧れてしまう。


「本当に匿わなくてもいいのかね?」

「大丈夫です。ベルが動けるのなら、何とかなります」


 ロウンズ伯爵の心配をよそに、キースは笑った。




 もう会うこともないだろうと思っていたのに。


 数日後、いつものように役所に採取した薬草を届けた帰り。

 精霊の森の入り口のほんの少し手前で、顔を真っ青にしたキースが転がっていた。

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