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◆10 ロウンズ伯爵

「こんにちは、納品に来ました」


 森で不審者をはじき出した翌日。

 注文された薬草を持って、ロウンズ伯爵領の役所に来ていた。ロウンズ伯爵領は領地の半分が精霊の森で占められている。精霊の森を管理するために置かれた領地だ。


 そのため、人の住む場所はそれほど多くなく、領主の住む大きな町と、その周辺に村がいくつか点在する程度。自給自足が基本。精霊の森の恵みがあるため、他領との取引材料が多く生活水準はとてもいいらしい。

 

 役所は領主の住む町にあり、いかにもお役所というような武骨な建屋である。初めはとても入りにくかったが、二年もすれば馴染んだもの。


 ブリジットの声に、受付のローラが顔を上げた。


 ローラはブリジットが精霊の森の管理人として一人前になるように、色々と教えてくれた優しいお姉さんだ。彼女がいたから、貴族令嬢として暮していたブリジットが一人で暮らせるようになったと言っても過言はない。時々、食事に誘ってくれる人でもある。


「ああ、丁度いいところに。待っていました」


 ローラはブリジットを見ると、慌てて立ち上がる。いつもとは違う様子に、首を傾げた。


「どうかしましたか?」

「ロウンズ伯爵がこちらに来ているので、顔を出してもらえませんか?」

「もちろん」


 ロウンズ伯爵は義父であるリュエット伯爵の友人。そして、テイラーの妻ヴァネッサの父親だ。

 時間が合えば、ちゃんと挨拶をする。でも今日はそれだけではないような気がしていた。なんだろう、と不思議に思いつつ、ローラの後をついていく。


「失礼します」


 ローラが扉を開けたのは、所長室。役所の一番偉い人の部屋だ。促されるまま部屋に入った。来客用のソファーにはロウンズ伯爵が寛いでいた。ブリジットが挨拶をする前に、ロウンズ伯爵はいつもの気安い挨拶をしてくる。


「ブリジット、元気そうだね。今日、納品に来るだろうと聞いていたので、待っていたんだ」


 ブリジットは親戚のおじさんのような彼ににこりと笑った。


「お久しぶりです、おじさまもお変わりなく」

「ははは、気持ちは元気だけど、今絶賛胃が痛む事態になっていてね」


 やけに前のめり気味に話してくる。ロウンズ伯爵は普段からおしゃべりが好きなおじさんであったが、今日はいつもと様子が違う。

 不思議に思っていれば、執務机に向かっていた所長のモーリー・オーサーがため息をついた。


「ミクロス、少し落ち着いてくれ。訳が分からなくて、ブリジットが困っている」

「これでも随分と落ち着いたんだ」

「そうかい」


 もうどうしようもない、とモーリーが手を上げる。


「ブリジット、長くなるからそこに座って。今、お茶を用意する」

 

 ブリジットはモーリーに薦められ、ロウンズ伯爵の向かいの一人席に腰を下ろした。モーリーはローラにお茶を頼みながら、ロウンズ伯爵の隣に座る。全員が座ったところで、ロウンズ伯爵が口を開いた。


「昨日、精霊の森から少し外れたところで倒れている人がいると通報があった」


 そう切り出されて、真っ先に思い出したのが精霊の森に侵入した人。

 精霊の森の養分になりかけていたが、ブリジットの願いで外に追い出された。それがちゃんと発見されたのだろう、と心で安堵した。生きていても死んでいても、発見されないのは辛いはずだ。

 特に口を挟むことでもないので、ブリジットはふむふむと相槌を打っていた。


「意識がなく、酷い怪我をしていて、すぐに保護したんだ。今朝、その彼の意識が戻ったから事情を聞いたところ、精霊の森に入ったと言い始めてね」

「精霊の森、ですか?」


 どうやら彼は理解して精霊の森に侵入してきたようだ。何のために、という気持ちもあったが、疑問は口にしない。他人事のような顔をして、ごく普通の疑問を口にする。


「そうなんだ。精霊の森に無理やり侵入したということであれば、大怪我をして意識不明になっている状況も理解できる。どちらかと言えば、命があることが不思議だ」


 そうでしょうね、普通なら養分になる。惨劇にならなかったのは、ひとえに説得してくれたプラムのおかげだ。帰ったら、好きなおやつを用意しようと心に決める。


「それでだ。彼の怪我について、心当たりはないだろうか?」


 何か聞きたそうな様子で見てくるが、ブリジットはぴんと来ない。思わず首を傾げた。ロウンズ伯爵はわかっていないブリジットに端的に聞いた。


「彼は生きている。本当に精霊の森に侵入したのだろうか?」

「ああ、そういう。精霊の森に落ちてきた人だと思います。すぐに精霊の森によって弾き出されたみたいですけど」

「弾き出された?」

「ええ。わたしの行動範囲にミイラがあるのはちょっと」


 再びミイラのいる精霊の森を想像し、顔をしかめる。森の木々たちは養分にする気満々だった。


「ミイラが何かわからないが、嫌な響きだな」

「干からびた死体と思っていただければ」


 干からびた死体と説明すれば、二人は顔を引きつらせる。


「もしかして、ブリジットの拒否反応が精霊の森の行動を変えたのか?」

「違うと思います。初めは養分にしようとしていました。でも、わたしの気持ち悪いという思いを汲んで、プラムが必死に説得してくれました」

「ブリジットが何かをしたわけではなく?」

「なんでそういう発想になるんです? 辛うじて契約してもらっていますけど、魔法全般、未だに使えないです」


 事実を淡々と述べれば、二人は納得したように頷いた。


「そうだよな。それならば、彼が見たのは精霊の森に住まう上位精霊なのかもしれない」

「上位精霊?」


 あの場には消えかけたプラムしかいなかった。ぱちぱちと瞬くと、ロウンズ伯爵が頬を掻いた。


「意識がもうろうとしている中、彼は光り輝く美しい女性の姿を見たそうだ」

「……光り輝いていたのはこれぐらい小さな精霊でしたが」


 そういって、指で十センチメートルほどを示す。プラムは精霊らしく中性的な姿をしている。頭がはっきりしていない状況では、女性に見えても不思議はない。


「その大きさは……プラム殿だな?」

「ええ。プラムが空間を閉じると言って慌てて力を使っていました」


 その説明で納得した二人は脱力した。


「現実とはそういうもんだよな。はあ、高ぶった気持ちを返してほしい」

「お前が勝手に期待しただけだろうが」


 ロウンズ伯爵のボヤキに、モーリーが突っ込む。訳が分からないブリジットは置いてきぼりだ。


「何を期待していたのですか?」

「もちろん上位精霊が精霊の森に戻ってくることだよ。精霊の森は、大陸にいくつかあるけれども、昔は上位精霊が棲みついていたんだ。徐々に数を減らして、今は精霊の森に一人も棲んでいない」


 その話はリュエット伯爵家で暮らしていた時に聞いたことがあった。たしか、一般教養の中で少しだけ聞いたのだ。ただ、教師はそうであるとしか知らなくて、原因までは聞いていない。


「上位精霊が棲んでいないことで何か問題が?」

「大いにあるとも。上位精霊が棲んでいると、精霊が生まれやすくなるんだ」

「精霊が生まれてこない、つまり、精霊魔法が使える人間の減少に繋がる」


 ロウンズ伯爵とモーリーが精霊魔法を使える人間が減っていると嘆いた。精霊魔法は人間の使う魔法とは異なり、精霊と契約することで使える力。しかも自然に干渉することができる。成長促進や治癒、穢れの浄化などもこちらの領域だ。


 確かに大ごとだ。

 だけども、この世界の人間が使えるのは精霊魔法だけでない。自分の持つ魔力を使った魔法もある。もちろん両方使える方がいいに決まっているが、普通に生活する分には魔力だけで十分だともいえる。とはいえ、魔法も、精霊魔法も全く使えないブリジットにとっては、ピンとくる話ではない。


「大変なんですね」


 だから、そう適当に頷いておいた。ロウンズ伯爵もこれ以上、話を広げることなく頷いた。


「それで、ブリジットには彼の面倒を見てほしいんだ」

「は?」

「本人の怪我もひどいものだが、契約していた精霊が非常に弱っていてね。精霊の森に近いところに住みたいらしい」

「ちょっと待ってください、我が家は精霊の森の中ですよ? 弾かれた人間が入れる場所では」


 無理だと説明したが、ロウンズ伯爵はにんまりと笑った。


「心配するな。特別な方法で許可が出せる」

「何ですか、それは」

「本来ならば、管理者の家族が滞在できるように作られたんだが、今回はそれを使うつもりだ」


 とてつもなく嫌な予感がする。


「ブリジットの婚約者になれば、滞在可能になる」

「ちょっと待ってください。流石にそれは横暴すぎます」


 何で見知らぬ誰かのために自分の婚約者にしなくてはいけないのだ。

 怒りを見せれば、モーリーが慌てて間に入った。


「もちろん期間限定で、便宜的なものだ」

「そう言いますけど、それってきちんと精霊に誓わないと駄目なものですよね?」


 教会で正式に婚約が結ばれなければ、きっと家族の範囲には入らないはずだ。

 二人はばつの悪そうな顔をした。

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