7.仕事をしましょう
一瞬なにを言われたのかわからなかった。
耳から入ったと思われる音声を頭の中で三回吟味し、それが聞き間違いでなかったことを理解したわたしは、ようやく驚いた。
「ええ!? どうしてそんな酷いことを言うんですか!?」
「なんてどんくさい反応なの……」
ティアラ様は呆れたように肩をすくめる。
それから、わたしをびっと指さし、はっきりと告げた。
「あんたみたいな野暮ったくてどんくさい女をあんなに素敵なアーサー様が好きになるなんてありえないわ」
ずきりと胸が痛む。
それは……知っている。アーサー様に好きになってもらえる要素なんてわたしにはない。仕事上必要だからそういう立場にしてもらえただけだ。
ファーガス殿下の立太子の儀が無事終われば、わたしたちは……。
あれ?
わたしたち、どうなるんだっけ?
しまった、覚書に、目的を達成したあとのことを書くのを忘れていた。
計画は何事も、達成後の後始末まで考えておくのが大切なのに!
「な、なんなの? 思ったより悩んでるじゃない……」
頭を抱えて青ざめ始めたわたしを、ティアラ様は微妙な目つきで見ていたが、得意げに顎を反らすとふふんと鼻を鳴らして笑った。
「自覚があるのね。婚約発表はまだなんでしょう? 遊ばれているだけじゃない?」
「いいえ、遊びではありません!! 断じて!!」
仕事だ!!
クワッと目を見開いて反論するわたしにティアラ様はのけぞった。
「ヒッ!! なによ、今度はやけにつっかかるわね」
「あ、ごめんなさい、大きな声を出して」
事情を説明するわけにはいかないので、わたしは言葉を濁した。
「その……わたしたちは真剣だということだけは言っておきます」
けれど、わたしの言葉に、ティアラ様は髪を掻きあげて笑う。
「アーサー様は恋愛の楽しさを知らないだけよ。知ればすぐに虜になるわ。あたし今まで何人もそういう殿方を見てきたもの」
それはそうかも。三年間ずっと仕事をしていたけれど、アーサー様に恋人がいた気配はなかった。
わたしとあっさり婚約が進んでいるということは、縁談もなかったのだ。
それほど仕事にひとすじなアーサー様が恋愛の楽しみに目覚めるのかはわからないが、恋をすること、恋した人といっしょにいることが楽しい、というのはわたしにもわかる。
「あたし決めたわ。アーサー様をあたしのものにする。あたしがアーサー様に、真実の愛ってものを教えてあげるわよ」
「えーっと……それは無理かも」
「婚約者の余裕ってわけ?」
「いえ……」
アーサー様と取り交わした覚書には、互いに別の相手と交際しないこと、という一文を入れた。
だからアーサー様がティアラ様と恋人になることはない……のだけれど、ティアラ様はそれを知らない。
あ、でも先ほど気づいたように、ファーガス殿下の立太子の儀が無事に終わり、それ以上の懸念がないということがわかれば、わたしたちの偽装婚約は終了し、婚約自体も解消される……はずだ。
そのあとにならアーサー様はティアラ様と交際ができるわけで……。
頭の中で計画表を思い描き、わたしは頷いた。
「そうですね、無理というのは言いすぎでした。手順を踏んでいただく必要がありますが、可能性はあります」
「は????」
「まずおっしゃるようにアーサー様を虜にしていただき、その後、アーサー様とわたしが婚約解消するまでお待ちいただければ、アーサー様を〝ものにする〟ことができると思います」
「なに言ってんの????」
「え……違いましたか? 〝ものにする〟って、アーサー様と結婚したいということですよね?」
用語の解釈違いはトラブルを招く。
そこは確認しておかねば……! と思ったところで、なぜかティアラ様は「こいつやべえな……」という顔になっていた。
「ま、間違ってますか!?」
「いや、言うとおりだけど」
「ですよね?」
「婚約者をとられて嫌じゃないわけ?」
え、今そこ???
今度はわたしも頭に疑問符をいっぱい浮かべ、首をかしげた。
「嫌に決まってるじゃないですか?」
「だったらなんでそんなに冷静なのよ! キーッ! あんたなんか! って言ってつかみかかってきなさいよ。じゃないと計画が……」
「計画?」
ティアラ様にも、なにか計画が?
「なんでもないわよ! なんでそんなに冷静なのかって言ってるの!」
「冷静というか……アーサー様のお気持ちは、わたしにはコントロールできませんから」
ティアラ様の言うとおり、アーサー様が真実の愛を知ったのなら、わたしにはどうしようもない。偽装婚約などよりよほどアーサー様は幸せだろうから。
「アーサー様のことを本当に想うなら、わたしは身を引くべきだと思います」
「なによ……思ったよりしおらしいわね」
「ですが、現時点ではアーサー様の婚約者はわたしなので、手順を踏んでください」
「いきなり強気じゃない」
「事実と仮定と意見はすべて違うものなので、混同してはいけませんからね」
「あんたちょいちょいなに言ってるのかわからないのよ」
「とりあえず今はっきりとお伝えできることは……」
わたしは腕組みをして、目の前に広げた資料と、時計とを見比べた。
アーサー様が部屋を出てからすでに三十分。進捗はゼロ。
「仕事をしないと、ティアラ様は容赦なくクビになります」
「……それは、そうね」
「仕事をしましょう」
「わかったわ。アーサー様をオトすためだものね」
よかった、通じた。