4.氷の宰相の真の顔
※アーサー視点です。
オリヴィアと諸々の計画について話しあい、フォルスター家に戻っていく馬車を見送ったアーサーは、宮殿内の執務室へ戻った。
あたりはもう暗く、夕食の時刻もすぎている。
アーサーの従者であるミハイルが、食事を持ってやってくる。宰相であるアーサーには職務の一環で部屋が与えられ、宮殿での自由な寝食が認められている。
要はいつでも徹夜で仕事をしていいということなのだが、
(明日は夕食にオリヴィアを誘おう……)
テーブルに並べられている食事を眺めながら、アーサーは思った。
昼食はふたりでとっているし、繁忙期に夕食を同席することもあったが、それは仕事上のこと。
婚約者ならば、誰にも憚らずふたりですごすことができる。
先ほど金庫に入れた書類を取り出し、アーサーはうっとりとそれを見つめた。
オリヴィアが作成したのは、偽装婚約に関する覚書。目的が達成されるまで、互いに婚約者としてふさわしくふるまうこと、つまりほかの異性と交際しないこと。婚約について尋ねられた際には話をあわせること。婚約のきっかけ、プロポーズの日――等々、オリヴィアの几帳面な字で綴られている。
もう一枚は、婚約の発表に必要な作業が、さらにもう一枚には、結婚式に必要な作業がリストアップされ、誰が、いつまでに手配をすませるかの大まかな目安が書き込まれている。
『さっそく姉にも連絡を取り、具体的な進め方を聞いておきます!』
と笑顔でうけあってくれたオリヴィア。
(かわいい……)
ウサギの跳ねるように元気な仕草や、ミルクティー色のふわりとした髪や、そういったかわいらしい見た目からはわからないほど優秀なところや、仕事中その能力をいかんなく発揮しているときの真剣な顔を思い出して、アーサーは胸を押さえる。
「いや、それ、うっとり見つめるものじゃないですからね?」
冷たい声に顔をあげれば、ミハイルが「うわあ……」という顔でアーサーを見ていた。
「オリヴィア様が旦那様の気持ちに気づいていないっていう証明ですよね、それ」
祖父の代からダリエル侯爵家に勤め、乳兄弟でもあるミハイルは、アーサーに対しても容赦がない。
アーサーの真の顔を知る唯一の人物でもあった。
「……」
「三年もいっしょにいてなにしてたんですか」
「彼女との時間を増やすように努めた。毎日最大量の仕事を詰めたし、追加の人員が手配されそうになった時は握り潰してきた」
「いや恋愛下手クソですか?」
「……巧みとは言えない……だろうな」
「そんなレベルじゃないですよ」
「毎日お茶の時間も作ったが……」
表情は変わっていないが、アーサーが肩を落とし、しょんぼりとしているのがミハイルには伝わった。
宰相家の跡取りとして厳しく育てられてきたアーサーは、いついかなるときも動じるなかれと幼いころから叩きこまれた。結果、なんの感情も表に出ない人物になってしまったのだが――表に出ないだけで、感情自体はちゃんとある。
ただ、表現方法がわからないため、その行動は信じられないくらいポンコツだ。
彼にしかわからない浮かれた顔で「オリヴィアと婚約した」と聞かされたとき、ミハイルはついに主人が妄想と現実の区別がつかなくなったのかと心配したが、事の顛末を聞いて膝から崩れ落ちた。
(ただ一言、好きと言えばいいだけでしょうに……!)
こうしてアーサーの身のまわりの世話をするミハイルは、ときどきオリヴィアと顔を合わせる。
そのたびにオリヴィアはアーサーのことを恋する乙女の目で見ていた。これは問題なく脈ありだと踏んだミハイルは「どんどん押していきましょう!」とアーサーを励ました。
その結果がこれである。
「……あまり責めないでくれ」
頭を抱えるミハイルに、アーサーはぽつりと呟いた。
「好きだと、言おうかと思ったんだ。……だが彼女は、こちらが驚くほど驚いてな……」
目を見開いたまま、『……はい?』と言葉を失っていたオリヴィアを思い出す。その後、立太子の儀に絡むことなのだと聞いて納得した顔をしていた。
あの瞬間、アーサーは悟ってしまったのだ。
この三年間のアプローチがなんの実も結んでいないことを。
オリヴィアの中では自分は、仕事だけの人間なのだ。
「旦那様……」
「食べるぞ」
憐みの視線を向けてくるミハイルから視線を逸らし、アーサーは書類を金庫へ戻すと、テーブルについた。
「婚約者という立場になったんだ、きっとこれまでより俺を意識してくれるはずだ」
「旦那様……」
そうじゃない、と言おうか悩んで、ミハイルはやめた。
感情を表に出さないアーサーにも責任はあるだろうが、この人付き合いの苦手な主人に三年間も寄り添うことができる時点で、オリヴィアもなかなかなのかもしれないと悟ったからであった。