デート編(4)
「ああ、頼む」
アーサー様が頷くと、マダムは両手を広げてガラスケースを示した。
「では、指輪のイメージをお聞かせください。どのような宝石がお好みでしょうか? デザインにご要望はありますか? もしくは、ご予算からでもご提案できます」
わたしはガラスケースを見つめた。精巧なカットを施されたダイヤモンドはまばゆいばかりの輝きを放っている。ピンクに色づいたものや、アーサー様の瞳のように淡いブルーのものもある。
きれい……だけど、怖い。値段が書かれていない。
「オリヴィア、好みのものはあるか?」
アーサー様に覗き込まれ、わたしはさっとブルーダイヤから視線を逸らした。値段を知らずに「これを」とねだる勇気は、わたしにはない。
「ええと……あの、アーサー様はどれがいいと思いますか?」
「そうだな……俺には好みの宝石はないし、デザインもわからない。本当は今日までに指輪を用意できればよかったのだが、俺のセンスで選ぶと大事故になる可能性があるとミハイルから言われてな、それでいっしょにきてもらった」
ミハイルさん、あいかわらずの毒舌のようだ。
そう言われてしまっては、アーサー様に選んでもらうことはできない。
値段を尋ねてもいいだろうか、と考えていたら、わたしの隣でアーサー様も「ふむ」と顎に手をあて、マダム・ベイトラーを見た。
「宝石やデザインから決められないなら、予算から決める手もあるか。どのくらいが相場なのか教えてもらえるか」
「そうでございますね、月収の三か月分というのが近ごろの相場です。いくら、と決めるのではなく、人それぞれという考え方ですわ」
月収の三か月分……?
わたしは内心で冷や汗をかく。
ありがたいことに、宰相室のお給料はいい。異動するというティアラ様を引き留めたときにも説明したら、ちょっと心が揺れていたみたいだった。
宰相であるアーサー様は、当然ティアラ様やわたしよりもずっと高給とりだ。
アーサー様の月収の三か月分なんて半端ないのではないだろうか……。
おそるおそるうかがうと、アーサー様はわずかに眉を寄せていた。
「月収……?」
そこからですか?
もしかしてご自分の月収に興味がないタイプの方でしょうか。わたしでも一応自分のお給料の月額は知っている。でも、上司であるアーサー様のお給料は知らない。
「そうだ、困ったときにはこれを見ろとミハイルが持たせてくれた」
アーサー様は内ポケットから折りたたまれた紙片をとりだし、開いた。「ほう」と感嘆の息が漏れる。
「さすがミハイルだ、直近の月収三か月分合計が書いてある」
ミハイル様、アーサー様関連のシミュレーション能力が高すぎでは?
アーサー様は開いた紙片を無造作にマダムに手渡した。一応見てはいけない気がして、わたしは顔を逸らしたのだが、
「こんなに!?!?」
腹から出たような野太い驚きの声が部屋に響き渡り、わたしはびくっと体を跳ねさせた。
「おほほ……申し訳ございません、こほん」
マダムが咳払いをして姿勢を正す。「ありがとうございました」と紙片を返す仕草はすっかり落ち着いたものだった。
優雅な手つきでマダムはふたたびガラスケースを示した。
「このご予算でしたら、こちらの宝石すべておつけすることも可能です。いかがいたしましょうか」
「そうか、なら全部つけてもらうか」
「ちょっ、ちょっと待ってください! さすがにそれは多すぎます!」
さらっと答えるアーサー様にさすがのわたしも待ったをかける。
ふたりで見にいくように言ったミハイルさんの先見の明は恐るべきものだった。今、大事故が起きそうになっていたわね……!?
「宝石はひとつで十分です。その、予算が足りるなら、ブルーダイヤをお願いしたいのですが……」
もじもじしながら言うと、アーサー様はすぐに頷いてくださる。
「ああ、オリヴィアが望むとおりにしよう。……だがそれでは予算枠に届かないな」
「無理に予算枠を使いきる必要は――」
ないのでは、と言いかけたわたしの前に、すっと一冊のカタログがさしだされた。全ページフルカラー、表紙には金箔まで押された、高級感あふれるカタログだ。
マダムはアーサー様にもカタログを手渡す。
「実は、『月収三か月分が指輪で使いきれない方用プラン』がございます」
「準備がいいな」
アーサー様の感心した呟きに、にこりとマダムがほほえんだ。
「予算逆オーバーは、貴族の皆様にはよくあることなのです」
でもさっき、「こんなに!?!?」って叫んでましたよね?
アーサー様の月収三か月分は、百戦錬磨のマダムの予想をもはるかに超えた金額だったに違いない。