番外編1.ふたりの出会い(後編)
「アーサー様、図書館に行ってまいります。なにか資料を持ってきましょうか?」
「そうだな、ではエンディネル領の先代当主に関する記録を頼む」
「承知いたしました」
わたしは宰相室を出て、宮殿の中を通って図書館へ向かった。宮殿の中央にある宰相室と、宮殿に併設された図書館はやや離れているけれども、こもりがちな仕事だから歩くのは大切だ。
会議であちこち動きまわっているアーサー様より、わたしのほうが意識して運動をしなければならない。
普段の宮殿は想像よりずっと静かで穏やかだった。デビュタントの日、令嬢たちが列を作り、王族の皆様の謁見を待っていたときとはまったく違う。
それぞれの部屋で皆が仕事に励んでいる。
図書館につくと、一人の男性が「やあ」と手をあげた。わたしが図書館で働いていたときに仕事を教えてくれた先輩だ。
「仕事熱心だね。宰相室はつらくない?」
「はい。とても楽しいです」
「仕事は相当難しいと聞いたが……」
「そうですね。扱う情報は多いです。でもアーサー様もいらっしゃるので、わからないことは質問できますから」
「いやでも……宰相様、一を訊くと十を返してこない?」
「そうなんです!」
なぜか笑顔を引きつらせる先輩に、わたしは大きく頷いた。
「アーサー様はすごいです。わたしがつまずきそうなところを先回りして全部教えてくださるんです!」
「あ、ついていけてるんだ……ほとんどの新人はそこで心折れてたんだけど」
半笑いで言われて、わたしは首をかしげた。
***
楽しくて楽しくて、働くのが苦ではなかった。
ドレスはシンプルなものでいいし、「考えるのが面倒だから服は同じローテーションで着続けている」というアーサー様の言葉を聞いてわたしもそうするようにした。服装や髪型、お化粧に悩む時間が生活から消えたことで、わたしの負担はごっそりと減った。
そう、負担だったのだ……やらなければ、どうにかしなければと焦ってばかりで進歩しない自分が。
仕事はいい。やればやっただけ目に見える。達成感がある。
しかも隣にはアーサー様。なんて心強い。
「オリヴィア嬢、君を正式に宰相補佐とすることにした」
ある朝いつものとおり出仕したら、アーサー様からそう言われた。
「宰相補佐は、俺のいないときの代理として、ほぼ同等の権限を持つ」
「そんな……わたしなんてまだ仕事もわからないのに」
「いや、君の仕事は的確だし、俺の判断基準も理解してくれている。君なら安心して判断を委ねられる」
言いながら、アーサー様はこほんと咳払いした。
「それに、君の笑顔は周囲を明るくする。……俺よりもずっと宰相に向いているかもしれない」
「え」
評価がだいぶ高すぎではないですか!?
「わ、わたしはアーサー様が隣にいてくださるから楽しく仕事ができているだけです……きっと一人では何もできません」
口ごもりながら言うと、アーサー様の頬が一瞬赤くなった気がした。
しかしそれはすぐ戻り、わたしは目を瞬かせる。気のせいかしら?
微妙な沈黙がふたりのあいだを流れた。
アーサー様がきゅっとこぶしを握るのが視界の隅に映る。なんだろう、この空気。
「オリヴィア嬢――」
アーサー様がわたしの名を呼んだ、その瞬間だった。
「おいいいいいい!!! なんだ今朝の辞令!? オリヴィアを宰相補佐にするって!?!?」
バタ――――――ン!!!! と盛大にドアが開き、飛び込んできたのは……お父様だ。
「アーサー殿! 嫁入り前の娘なのだ。貴殿のような仕事漬けにしては困る!」
「それは失礼をしました」
「宰相補佐の辞令を――」
「取り下げません」
お父様とアーサー様が睨みあう……いや、眉間に皺を寄せているのはお父様だけでアーサー様は涼しいお顔だ。
きっぱりと言い切られて、お父様もようやく一歩引いた。図書館長であるお父様が宰相室の人事に口を出す権限はない。わたしが反対しているわけでもないならなおさら。
お父様は長いため息をつき、わたしを振り返った。
「まったく。お前もお前だぞオリヴィア。毎日図書館に来ているから様子は伝わるが……毎日すぎるだろ。ちゃんと休暇をとれ」
「大丈夫です。重たい仕事が進まなくて大変なときはすぐに終わる細かい作業の日を入れて気分転換をしています」
「ワークワークバランスやめろ!!!!!!!!」
翌日、宰相室の壁に、「ノー! 残業! イエス! ワークライフバランス!」と書かれた額入りの色紙が掲げられた。
「お父様の字じゃないですね?」
「国王陛下の手になるものだそうだ」
「……!?」
アーサー様の働き方、国王陛下にまで伝わっているのね。
あっけらかんとして言うアーサー様に、わたしは腰を抜かしそうになったのだった。
こうして、わたしの宰相補佐としての仕事が始まった。
出会い編というか仕事始め編だったかもしれない。笑