番外編1.ふたりの出会い(前編)
※本編より三年前のお話です
「オリヴィア様とは、少し、目を合わせづらいですわね……」
ドアの向こうで誰かがそう言ったのを、わたしはドアノブに手をかけたまま聞いた。
お茶会の部屋はしんと静まり返っている。それは、集まった令嬢たちが、わたしを悪く言うつもりがないながらも先の言葉に満場一致での同意を示しているということ。
や、やっぱり……。
廊下を少し戻り、行儀が悪いとは知りつつわざと足音を立てて近づく。
室内の気配がさっと変わったことを確かめてからわたしはあらためてドアを開けた。
「申し訳ございません。用事を思い出してしまいましたの。本日は帰らせていただきますわ」
皆様の顔を見ることなく辞去の礼をすると、わたしは踵を返して廊下を歩いていく。
思い当たる節はいろいろあった。
まず、ミリアお姉様に道具一式を借りてみたものの、どう頑張っても子どものお絵かきにしかならなかったお化粧。目を合わせづらいというのはそのせいだろう。皆様、ご挨拶の瞬間に「ンンフッ」と奇妙な音を立てて顔を伏せてしまわれる。
次に、どうも通じない話題。芝居の話だというからモチーフにしたと思われる異国の文化を語ったら皆様の面白ポイントはそこではなかったらしい。では作中にいくつか取り入れられている外国語?と思ったらそれも違って、男女の恋愛が泣けるほどよかった、という話だった。わたしは最後にふたりがキスしたことしか覚えていなかった。
ほとんど履いたことのないヒールで足は痛いし、お菓子を食べるだけでも緊張するので後半は顔が青ざめていたと思う。
デビュタントとして宮殿で王家の方々にご挨拶をしてから、様々な夜会やお茶会に出たけれども、結果はいつもだいたい同じ。
もうお茶会に呼ばれることはないだろう。
フォルスター家の令息令嬢として、お兄様もお姉様もきちんと社交の場にでていらっしゃるというのに、どうしてわたしはこんなに要領が悪いのか。
泣いてしまいそうになるのを堪えてわたしは家に戻った。
この先どうしようかと不安に思いながら。
環境が激変したのは、それから数週間後のことだった。
***
わたしは今、宮殿にいる。
「……」
デビュタントのご挨拶で通った廊下を通り、デビュタントのごあいさつで横切った数々の部屋を横切り、連れていかれたのは宮殿に併設された図書館。
ここには、王国中の知識が集められている、という。
扉を開けると、古びた紙の独特の匂いが鼻を突いた。わたしにとってはわくわくする匂い。
天井まで続く書架にぎっしりと詰め込まれた本の威圧感に、身の引き締まる思いがする。
わたしはお父様を探した。
図書館長であるお父様は、備え付けの部屋の一室で、部下の方々とともになにやら難しい顔をしておいでだったけれども、わたしの気配に顔をあげた。
「オリヴィア」
ぱっとお父様の眉間の皺が消える。
「お父様。書類をお忘れでしたのでお届けに参りました」
それから、と食堂の預かり証もさしだした。
「お母様お手製のパンプキンパイを預かっていただいております。たまには息抜きをしてくださいと」
「ありがとう」
「あと家にも帰ってきてくださいと」
目の下に隈を作ったお父様が頷くのに、部下の方々もほっとした顔になる。
いかつい顔と同じくらい体格も性格もいかついお父様は、不眠不休で働くことを厭わない。お父様を休ませるのができるのはお母様の言葉と手作りお菓子だけだ。
数日ぶりの帰宅を約束させ、お父様の執務机に書類と預かり証を置く。
ふと、お父様の手元の書類に目がいった。
「お父様、地名の綴りが間違っておりますよ。ベリミスは湖と森ですからあいだに無音文字が……」
部下の皆様の目がギラッと輝いたのはそのときだった。
「もしかして国内の地名は頭に入ってますか?」
「え、あ、はい」
「綴りもわかります?」
「ええ、たぶん」
「由来がわかるということは、古語にもお詳しい?」
「少しは……」
ガシッと肩がつかまれた。その手はすぐに、お父様の鋭い眼光により離れ、「歳ごろのご令嬢に大変失礼いたしました!!」という謝罪がついてきたが。
「図書館で働きませんか!?!?」
「いや、待て――」
「史料編纂のチェックができる人間が足りないんですううう!!」
普段は物静かだと思っていた部下の皆様の半分血走った目を見て、わたしは思わず「はい」と頷いてしまった。
あのとき三徹明けでなければ部下たちを止めることができたのに、としばらくお父様は悔やんでいらっしゃった。





