21.そういえばなんで?
「待ってください!!」
わたしは両手を広げ、ティアラ様の前に立ちふさがった。
婚約が偽装であったことを言いふらされるのは非常にまずい。偽装であったこと自体はアーサー様とわたしが周囲を騙していたと責められればいいことだけれども、なぜそんなことをしていたのかに話が及べばきっとよからぬ噂の出所をさぐるために晩餐会に参加しようとしていたことがバレて結果的に王家の威信に傷が――いや?
そこまで考えて、わたしは首をひねった。
「ティアラ様、どうしてアーサー様とわたしが偽装婚約をしたのか、わかりますか?」
「……宰相と婚約して、ちやほやされたかったんじゃないの?」
少し考えた末に、ティアラ様は答えた。
キュンッとときめいてしまった胸を押さえる。ティアラ様のまっすぐすぎる欲望、わたしには真似ができなくて眩しい。
「そういえばなんで?」
ティアラ様はわたしと同じように首をかしげた。
そうですよね。普通、よからぬ噂話を突き止めるために偽装婚約なんてしない。晩餐会に呼ばれたいためだとしても、ファーガス殿下やセシリー様と顔見知りだったアーサー様は、いくらでも伝手があったわけだ。
その真意は、わたしにも謎だけど……でも、ごまかすことは、できる!
「それは、わたしがアーサー様のことを、好きで好きでしょうがなくて……誰にもとられたくなくて、お願いして婚約してもらったんです!!」
「……」
ああ! ティアラ様の視線が痛い!! 「なに言ってんだコイツ?」感がすごい!
そもそもわたしがこういった駆け引きに強いのであれば、社交界に苦手意識など持たなかったし、数字や資料の突き合わせをしていればいい仕事に逃避することもなかった。
しかしここは勢いで押し通すしかない場面だ、と思う。
「だから、ティアラ様がその書類を誰かに見せたとしても……! わたしがその横で『アーサー様への気持ちは本物です!』って言えば、大したダメージにはならないんです!」
「いや、周囲を騙してたことに変わりはないでしょ? 心証は悪くなるでしょ」
「正論!!」
精いっぱい虚勢を張ったつもりだったけれども、すぐに見抜かれてしまった。
膝から崩れ落ちるわたしに、「なに言ってんだコイツ?」から表情を戻したティアラ様はふたたび勝ち誇った笑みを浮かべ、ドアへ駆けよる。
「とにかく! あたしはアーサー様が失脚すればそれでいいのよ! そうすれば――」
「ティアラ様!!」
書類を抱えたティアラ様が執務室のドアを開けた。
「きゃああっっ!?!?」
途端、絹を裂くような悲鳴が迸り、わたしは慌てて顔をあげた。
そこにいたのは、両のこぶしを握り、なんの感情も映さぬ顔で立っているアーサー様。
否、射貫くような鋭い眼差しや引き結ばれた口元は、強大な威圧を放ち、怒りを表しているようにも見えた。
ティアラ様は腰を抜かし、書類を床にぶちまけた。
すかさずわたしは書類をかき集め、胸元に抱きしめる。
アーサー様に見下ろされるティアラ様は、そのあまりの恐怖に、わたしから書類を奪い返すことも思いつかないようだ。貴族たちからも恐れられる〝氷の宰相〟アーサー・ダリエル侯爵の全力の怒りを受け、カタカタと震えている。
わたしも息を詰め、なにを言うべきかを悩んでいた。
――と。
怒りに青ざめていたと思っていたアーサー様の頬が、じわじわと赤く染まっていった。
呆然と見つめるわたしとティアラ様の前で、表情は変わらないまま、アーサー様のお顔は首の付け根から耳の先まで真っ赤になる。
「俺もオリヴィアのことが好きだ」
ぽつり、と落ちた声が告げたのは、ティアラ様のことでも、書類のことでもなく。
……わたし?
わたしの顔も茹でたように赤くなる。
真っ赤な顔で、見つめ合うこと数秒。
あ、そうか、ティアラ様への対応ですね!?
ここは話を合わせるべきなのだ。そもそもふたりが両想いだということになれば、書類だって意味がなくなる。アーサー様はそう考えたに違いない。
そう思ったのに、
「そんなこと知ってるわよ、このボケップル!!!!」
これまでで最大級の怒鳴り声をあげ、立ちあがったティアラ様は床をドンドンドン!!と踏み鳴らした。
「だから――婚約が偽装だなんてわかってるの!! あんたたち端から見たら十分両想いのくせして、お互いに気を遣いあってるんだから!! なんか理由があるんでしょ!? あたしが握れそうな弱味が!!!」
わなわなと震えるティアラ様はかわいらしくまとめた桃色の髪を振り乱し、激昂の表情を浮かべているものの、わたしの心は恐怖よりも驚愕に占められた。
婚約が偽装であると知っているティアラ様から見ても、わたしたちは両想いなのだ。
それって、もしかして……。
見つめあったままだったアーサー様も、同じ結論に達したらしい。
「まさかとは思うが……」
「……わたしたち、両想いなんですか?」
「だからそう言ってるでしょ!!!!」
信じられないといったわたしたちの言葉にも、ティアラ様は間髪入れずに肯定を返してくれる。
どうやら本当に本当みたいだ。
いけない、と思うのに、へにゃりと頬がゆるむ。わたしがだらしない笑みを浮かべているのを見て、アーサー様も目を細めて笑顔になった。
ああ、そうか。この笑顔は、完璧な演技じゃなかったのだ。
アーサー様はわたしを特別に扱ってくださっていたのだ。
アーサー様と手を握り合い、わたしはティアラ様を振り向いた。
「あの……教えてくださって、ありがとうございます」
あ、ティアラ様が倒れた……。