1.結婚はしません
ひと月前。
わたし、オリヴィア・フォルスターは、実家フォルスター伯爵家の書斎で、お父様と向かい合っていた。
ふたりのあいだにはテーブルがある。マホガニーの美しい木目に、どどん!と重ねられているのは……いわゆる釣書、というもの。
お父様が宮殿で顔見知りの貴族の方々に声をかけまくって集めてきた、見合い相手だ。
「さあ、選ぶがよい」
「わたし結婚はしないと何度も申しあげましたよねお父様」
「ベルナーズ家の次男なんてどうだ。将来有望な外交官だ。仕事で諸外国へ行けるぞ」
「うっ! ……いえ、結婚はしません」
外国と聞いて一瞬心がときめいてしまったが、真剣な表情に戻って首を振る。
フォルスター家には二男二女の子がいる。上のハインズお兄様は結婚五年目、もう伯爵位を譲ってもよい歳ごろになり、下のクロフォードお兄様も王宮で職と婚約者を得た。二つ上のミリアお姉様は以前から婚約していた次期伯爵と先の春にめでたく式を挙げ、現在新婚真っ最中。
残っているのはわたしだけ。
お父様が世話を焼きたいのはわかる。わかるが――。
「わたしは今の仕事が好きなんです」
わたしの立場は、現宰相であるアーサー・ダリエル侯爵の補佐だ。
アーサー様に確認いただく前の決裁書類のチェックや他部署へ提出する書類の草案作り、会議資料作りなど、とにかくありとあらゆるアーサー様のお仕事をサポートするのがわたしの仕事。
「仕事は楽しいし、充実しています。お父様だって宮殿での役割は重要だって――」
「べつに、結婚して仕事を辞めろと言っているわけじゃない。仕事を続けることを結婚の条件に付けるならそれでもいい」
「うっ」
わたしは冷や汗をかいた。
ついにそこに気づいてしまったか。
お父様の言うとおり、仕事を続けることと、結婚をしないことは、実は関係がない。王宮で働く女性はだいたいが貴族の令嬢で、結婚して仕事を辞めることが多いだけ。辞めずに昇進していく人だっている。
お父様は小さくため息をついた。
「オリヴィア、お前、アーサー殿に惚れているな?」
「なっ!!」
あまりにも図星すぎてわたしの顔は真っ赤になった。
お父様は「やはりか……」と目を細めている。切ない視線やめて。
「アーサー殿はダメだ。たしかに彼は二十三歳という若さで前ダリエル侯爵を凌ぐほどの活躍ぶりを見せ、国王陛下からの信頼も厚く将来有望、外交の場でも姫君たちを虜にするほどの美貌の持ち主だが……」
「お父様、アーサー様のことかなり好きね?」
「だが彼は結婚など興味がない仕事人間だぞ! 宮殿の誰に聞いても笑った顔など見たことがないと言う。それよりももっと自分を大切にしてくれる男とだな」
「アーサー様はやさしい方です!」
言い返してしまってから、わたしはハッと気がついた。反論すべきはそこじゃなかったのに、アーサー様のことを言われてついそちらに反応してしまった。
「惚れているのだな……」
お父様の視線が余計に切なくなる――と思ったら、グワッッッと眉が寄った。
「ええい、娘が幸せになれないとわかっていて放っておけるか!!」
「わたしは幸せなのよ!! 仕事も好きだしアーサー様もいらっしゃるし天国なの!!」
お父様のこぶしがマホガニーのテーブルを叩き、積まれた釣書が音を立ててなだれ落ちる。
わたしも負けじと叫び返した。
「まあまあまあまあ」
「まあまあまあまあ」
途端、騒ぎを聞きつけて飛び込んできたお母様とハインズお兄様がそれぞれお父様とわたしを押さえ、わたしはハインズお兄様の手で書斎の外へ引きずり出された。
「どうどう、オリヴィア」
「それはお父様に言ってよ……」
がっくりと肩を落とすわたしにハインズお兄様は苦笑する。
「父上も心配しておられるのさ。なんせオリヴィアが王宮で仕事を始めたのは父上がきっかけだからな。責任を感じていらっしゃるのだろう」
「……」
それはわたしもわかっている。
わたしが王宮へ出仕するきっかけとなったのは十六歳のとき、お父様に書類を届けたことだ。
当時お父様は王立図書館の館長をしていて、膨大な量の史料編纂にあたっていた。人手が足りなすぎた事務員たちは、館長の娘なら……という期待を込めてわたしを即日採用してしまったのだ。
それから一年後、つまり今から三年前、なぜか宰相補佐を探していたアーサー様に引き抜かれて今に至る。
三年間みっちり仕事漬けな娘が仕事漬けな宰相に惚れているとなれば、止めたくなるのかもしれない、けど。
「わたしはこのままでいいんだから……!!」
ハインズお兄様のわきをすり抜け、わたしは走りだした。
「あっ、どこへ……!」
「明日も朝早いから寝るのー!! 税務書類が山場なの!!」
「この仕事人間――――ッッ!!」
部屋へ駆け込み、大急ぎで鍵をかける。
寝支度を整えると、わたしはベッドへ飛び込んだ。