18.ファルとセシリー(前編)
壇を降りたアーサー様とわたしは、当然のように貴族の皆様方に囲まれた。
「おめでとうございます、ダリエル侯爵」
「おめでとうございます、フォルスター様」
「オリヴィア様、ご無沙汰しておりました。わたくしジェイル家のローズですわ。以前お茶会でお会いしました」
ほとんどしゃべったことのないご令嬢が、わたしに話しかけてきてくださる。
なんか、なんだろう。熱気がすごい。皆様、目がギラギラとしていて、少し怖くもある……。
そしてなぜか、アーサー様以上にわたしをかまってくださる。
あ、これはあれね! 異国の諺にある、将を射んと欲すれば先ず馬を射よ的な……!!
一応笑顔を貼り付けてアーサー様の腕をとっているが、わたしは内心で慌てふためいていた。
そんなわたしを配慮してくださったのだろう、
「アーサー様。わたくし、オリヴィア様とお話がしたいですわ。よろしくて?」
エメラルドの飾られた緑のドレスに、ゆたかな亜麻色の髪をおろした令嬢が話しかけてくださった。
明らかに格上とわかる彼女が声をかけたことで、熱狂的だった声がやや落ち着いたものになる。
「セシリー様」
アーサー様が名前を呼んだ。二人は知り合いであるらしい。セシリー様……といえば、ロメイド公爵家のご令嬢、セシリー様。第一王子ファーガス殿下と婚約をしている、実質の次期王太子妃である。
「オリヴィア様、こちらへ」
アーサー様のエスコートを離れ、わたしはセシリー様とともに食事やグラスの並ぶテーブルへ近よった。
視線はまだわたしにも向けられているものの、公爵令嬢との会話に割り込もうとする人はおらず、すぐに貴族たちはアーサー様へ向き直った。
セシリー様はわたしを人の輪の外へ連れ出してくれたのだ。あいかわらず、
「あの方が氷の宰相補佐……」
というヒソヒソ声は聞こえるけれども。やめてください、その二つ名。
そんなことより、とセシリー様に向きあったわたしは、記憶の引き出しをひっくり返して麗しいお顔をさがした。
どこかでお会いしたことがあるような……でも、社交の場ではないはずだし……。
「あっ、図書館でお会いした……!」
「ふふ、そうです。お久しぶりですね」
「申し訳ありません。ロメイド公爵のご令嬢だとはつゆ知らず……」
「セシリーと呼んでください。お世話になったのはこちらですもの」
「もったいないお言葉です」
出会いを思い出したわたしは顔を青ざめさせた。
アーサー様の補佐となる前、わたしは一年だけ王立図書館に勤めていた。そのころ王立図書館はお父様が館長を務めており、貴族名簿の編纂という一大プロジェクトの最中だったのだ。
人手不足が極まっていた図書館は、お父様の娘であったわたしを採用した。
ちょうどそのころに図書館を訪れたのが、セシリー様だった。
「あのときはたしか、誕生花を調べたい、と」
「そうです。婚約者の誕生日が近かったもので……なにを贈ろうかと悩んで、それで」
「そうだったのですね」
では、いっしょに調べた花は、ファーガス殿下の誕生花だったのだ。
四年前だから、わたしよりも年下のセシリー様は当時十三歳か十四歳だったはず。
さすが、公爵令嬢ともなればそのお年頃には婚約者と贈りものをしあうのね……。
ん? 最近、同じようなことを思った覚えがある。
なんだったか、と思い出す前に、セシリー様はにこりとほほえみ、
「まさかオリヴィア様とアーサー様が婚約なさるなんて思ってもみませんでしたわ。どなたからのお話でしたの?」
「あの、えっと……誰の紹介でもなく、ですね」
ああ、とわたしは内心で頭を抱えた。ついにこの質問が来てしまったのだ。
こぶしを握って腹に力を込め、覚悟を決めて――。
「アーサー様がわたしのことを好きすぎてどうしても結婚してくれって縋ってきたから婚約しました」
「……え?」
良家のご令嬢らしい落ち着いたほほえみをたたえていたセシリー様のお顔に、驚きが走った。
普段のアーサー様からは想像もつかない理由は、意識に浸透するまでよほど時間がかかるらしい。
「婚約の理由か? オリヴィア嬢のことが好きすぎたからどうしても結婚してくれって縋って婚約してもらった」
あちらの人だかりの真ん中でも、アーサー様が同じ台詞を繰り返し、周囲をざわめかせている。
ええい、もう、どうにでもなーれ……!!
真っ赤になって縮こまるわたしに、ほほえみを取り戻したセシリー様は飲み物のグラスを一つ持ちあげると、手渡してくれた。
「アーサー様は、オリヴィア様のことを心から愛していらっしゃるのね。……羨ましいですわ」
「……セシリー様」
ふと落ちた呟きがとても悲しげな響きを含んでいて、わたしは顔をあげた。
わたしの視線に、セシリー様は眉をさげて頬を赤らめる。
「ごめんなさい。お祝いの席ですのに。わたくしも、その……婚約者がおりまして。でも、あの方の前では、どうしても素直になれず……」
セシリー様はぱっと口元を押さえた。
「お恥ずかしい。忘れてくださいませ」
セシリー様の婚約者はファーガス殿下。きっとお二人は第一王子と公爵令嬢として、ずっと以前から婚約していたのだろう。だから逆に距離を縮めることもできず――ん?
やっぱりこの話、既視感がある。その照れた顔も、どこかで見た。そう、あれは――、
「セシリー!」
誰かの声がセシリー様を呼んだのは、そのときだった。
振り向けば、ファル・カエン子爵が、腕にいっぱいの薔薇を抱えて立っていた。