15.ファルの悩み
宮殿のテラスでひとり、わたしは陽光を浴びていた。
今日はアーサー様は会食、アーサー様がいないのならとティアラ様もどこかへ行ってしまった。
昨日のやりとりをぼんやりと思い出す。
アーサー様も、わたしがお父様に心配されていたのと同じ心配を受けていたそうだ。ただし相手は国王陛下。格が違うわ……。
親近感を覚えるようでいて、わたしとアーサー様にやっぱり釣り合いなんてとれないのかもしれないという気持ちも湧きあがる。
わたしは目を閉じて日差しを受けた。
仕事上必要なことなのだと納得してアーサー様の求婚を受け入れ、婚約発表に向けて動いているけれど……すべてが終わったとき、わたしはちゃんともとのようにアーサー様と働けるんだろうか?
いや、もしかして働けないのかな?
婚約解消した相手とまた働かないよね……?
気づいたわたしが、サーッと顔を青ざめさせたときだった。
「なにしてんだ、ひとりで」
「ファル様!」
背後から声をかけられ振り向けば、そこにいたのはファル・カエン子爵。侯爵であるアーサー様が気を遣っているという謎の人物だ。
「ここ、いいか?」
「あ、はい。どうぞ」
「アーサーには内緒にしておけよ。妬くから」
ファル様の悪戯っぽい笑みにわたしは曖昧にほほえんだ。
「……変わったなあ」
わたしを見て、ファル様はしみじみ言う。
「かわいくなったよ」
ふっと唇の端に笑みを浮かべながら言うファル様。
思わぬ褒め言葉に、わたしは顔を赤らめたが、ただ、それ以上に。
どことなく、ファル様のお顔は寂しげに見えた。
テラスのチェアに足を組んで座るファル様は文句なく格好いいのだと思うけれど、伏せた視線は遠くを見つめ、陽だまりの景色に静かに注がれる。
「ファル様……さしでがましいようですが、なにかあるならわたし、聞きますよ……?」
おそるおそる尋ねてみると、ファル様は一瞬瞠目し、それから今度は大きく笑った。
「はは、そんなに顔に出てたか。すまない。ただ……そうだな、聞いてくれるか?」
「はい」
腕を組んだファル様は、ため息をひとつついた。
「俺にも婚約者がいるんだ。幼いころから親に決められた婚約者で、最初の一年は顔も知らなかったような相手だ。会うようになってからも、もちろん親しくふるまえるわけもなく、この歳まで来てしまった」
わたしはそこでふと気づき、あのう、と挙手した。
「ファル様は今、おいくつで……?」
「十八だが」
「じゅうはち!」
わたしより若かった。それにしては落ち着いていらっしゃるというか、貫禄があるというか。
それに幼いころから婚約者がいたということは、この歳になってようやく結婚の尻叩きをされたわたしよりずっと育ちがよろしいということだ。
「おまけに相手は……その、どんどん綺麗になっていくんだ。ふがいないことに、向かい合うとなにも言えなくなってしまって……」
ファル様の頬がかああっと赤くなる。表情を隠そうと顔を覆った両手の向こうからファル様の弱々しい声が聞こえた。
前言撤回。とってもお年頃の、見ているこちらが恥ずかしくなるような表情をされているわ。
「つまりファル様は、その婚約者の方と距離を縮める方法を考えたいということでしょうか」
「……的確に意図をすりあわせようとしてきたな」
「……すみません……」
相手の言いたいことを復唱し、認識に齟齬がないかを確認するのは報連相の基本である。が、悩み相談を受けているときにやるのはよくないわよね。
これだからわたしは仕事しかできないポンコツなのだ。
それがわかっているからわたしはアーサー様の前では、仕事だけをしようとした。好きになってもらいたいだなんて図々しいことだと思った。
わたしと違って、ファル様は行動に移そうと考えていらっしゃる。
「相手が特別だということを態度で示してみるのはいかがでしょう?」
わたしはアーサー様に言ったのと同じ提案をした。
「季節ごとにドレスや宝飾品は贈っている」
やっぱり伯爵家よりもよほど上の家格の方だわ?
「でも、相手の方とお会いしているときはうまく話せない……ということは、プレゼントも贈っているだけなのでは」
「ドストレートに切り込んでくるな」
「すみません……」
「いや、いい。聞いたのは俺だ」
「大切なのは笑顔だと思います」
真正面からファル様を見つめ、わたしは言った。
これほどに明るく人懐っこいファル様が、婚約者様の前でだけ硬くなってしまわれるというのなら、そしてその理由が相手の方に伝わっていないというのなら。
ファル様の気持ちを婚約者様が誤解していることは、十分にあると思う。
距離を縮めるには、まず相手の心の防御を解かなければ……なんて、人間関係ポンコツ人間のわたしが言えたことではないけれど……。
でも、アーサー様の笑顔は、たしかにわたしの心を変えてしまった。
「ア、アーサー様も、わたしに笑いかけてくださるようになったのです……」
「……アーサーが? あいつ、笑うのか?」
「はい……」
それはもう爽やかに、かつ透き通るように儚げに、どことなく色気をのせながら。
思い出して赤くなるわたしに、ファル様はぽかんとした顔になっていたが、やがてにやりと笑った。
「なるほどな。〝氷の宰相補佐〟も笑顔には溶けるか。それは説得力がある」
「……え?」
突然飛び出した不穏な二つ名に、わたしは声をあげた。
「ちょっと待ってください。〝氷の宰相補佐〟ってわたしのことですか?」
うんうんと納得げに頷いていたファル様は、わたしのそんな様子に首をかしげ、
「そういえば初めて会ったときも、周囲の注目を浴びまくってるのに全然わかってなかったな? アーサーも有名だが、君も同じくらい有名だぞ」
「え!?」
「宮殿一優秀と言われるアーサーが片時も離さずそばに置いて、他部署からの交流を全部断ってる。社交の場にも食堂にすら姿を現さないんで、よほど囲い込みたいのか、アーサーのように冷徹人間じゃないかって噂されてたんだが」
「え、ええ?」
いや、まあ、たしかに、アーサー様と働くだけ働いたら帰っていたから、この三年は宮殿と家の往復しかしていない。
「……いったいどんなつもりでアーサーと三年も働いてたんだ?」
「どんなつもりって……」
正直に言えば、社交のできない自分からの逃避だ。
仕事をすれば人の役に立てるから。アーサー様のお役に立てるから。
「わたしにも役に立てることがあるんだと思って……」
「わたしにも役に立てることがあるだと!? オリヴィア・フォルスター! お前、アーサーと並んで十年に一人の逸材だぞ!!」
ファル様は信じられないものを見る目でわたしを見た。
わたしも信じられないものを見る目でファル様を見た。
「ファル様、ファル様のお悩みは……」
「もう解決しつつある! お前らのすっとぼけ具合を見てたら怖くなってきたから、俺は自分の気持ちを正直に伝えようと今決めた!」
そ、そうですか。
背中が押せた、のかな?
それならよかったのだけれど。
ファル様、どうしてそんなに宮殿の内部事情に詳しいんだろう?