14.氷の宰相は感情を乱している
※アーサー視点です
(いい雰囲気のような気がする)
うつむくオリヴィアの結った髪を眺めながら、アーサーは心の中で震えていた。それでも表情に出ないところが氷の宰相たる所以なのだが、ミハイルがいれば「いや真っ赤になって震えてくださいよ……」とツッコまれていただろう。
だが、表面上はなんの変化も起こさず、アーサーはオリヴィアを見つめていた。
とはいえアーサーにもわかっていた。
これが告白のチャンスであることを……!
「オリ――」
しかし呼びかけた名は、オリヴィア本人の、
「あっ!」
という叫びで遮られた。
「アーサー様。計画書にひとつ、抜けがあったのです。立太子の儀を終えたあとの事後処理について、話しあえていませんでした。婚約発表を行う以上解消にも理由が必要でしょうし」
「……」
「デリケートなことでもありますから、時間をかけて、周囲に迷惑のかからないようにしなければ……」
必死に言いつのるオリヴィアに、アーサーはぎゅっと心臓をつかまれたような気分になったものの、やはりそれが顔に出ることはなかった。
(オリヴィアは、すべてが無事に終わったら俺との婚約を解消したいのか)
意識されているのではと希望を抱いていた。オリヴィアが特別なのだと伝わったはずだと、そのことを嬉しく思ってくれているのではという妄想もしていた。
それらはすべて妄想だったのだ、とアーサーは絶望の中で結論づけた。
溶かした鉛を流し込まれたような気がする――が、それも表情に出ることはなく。
「そうだな」
いたって平静に、アーサーは頷いた。
正直にいえば事後処理についていっさい話題にしていなかったのは故意である。
本気でやるならば婚約解消に適当な理由を用意しておき、周囲にも納得のいくかたちで破局の兆候を印象づけておくくらいのことはする。
だが、オリヴィアがすっかり事後処理を忘れていてくれ、勢いで結婚まで持ち込めないか……という、〝氷の宰相〟にしては超希望的観測が現実になることを、アーサーは願っていた。
その手はオリヴィアには通じなかったようだ。
オリヴィアは計画書に不備があることをすぐに見抜いてしまった。ということはつまり、この計画が終わればアーサーからは離れたいということ。
(三年間ともに働いても脈なしだったというのに……どうして偽りの婚約ごときで彼女の心が手に入ると思ったのか)
オリヴィアからは見えないようこぶしを握り、アーサーは小さく息を整えた。
不備を指摘されたときの対応は考えてある。
「オリヴィアの言うとおり、これはデリケートな問題になる。だからまだ輪郭の見えないうちから決め打ちするのではなく、立太子の儀が無事に終わったことを見届けてから、時間をかけて別途考えることにしないか?」
秘儀、〝決定のタイミングを決定することで実質先送りにする〟である。
「……そうか……そうですね」
アーサーの言葉にオリヴィアは頷き、それからなぜかはにかんだような笑みを浮かべた。
その笑顔は安心を示しているように見えて、アーサーの胸がきゅんと鳴る。
けれども、あまりこの話題を引っ張りすぎてはボロが出るかもしれない。
話題を逸らそう、とアーサーは思った。
そういえばオリヴィアと考えなくてはならない計画の変更が別にある。
「俺と君との婚約発表のことなのだが」
「は、はい」
オリヴィアは顔をあげた。真剣な表情は、アーサーの指示を聞き漏らすまいとする仕事の姿勢と同じ。
「国王陛下がたいそうおよろこびになってな、今度の晩餐会で発表の時間を作ってくださるそうだ」
オリヴィアの緑の目が見ひらかれた。
「こっ、国王陛下が!?」
「ああ。俺が仕事漬けなのを心配されていたから……」
早く妻を娶れと、会うたびに言われていた。
心に想う相手がいるのだと何度言っても、アーサーの鉄壁の無表情を前に、国王もいまいち信じることができなかった。
相手がオリヴィアだと聞かされてようやく納得がいったという顔をしていた。
「そ、それは、かなり準備が必要なのではないでしょうか」
「いや、いつも国王陛下が主催されている晩餐会で、冒頭に挨拶の時間をいただくだけだ。俺たちの名は当日まで出ない。計画に影響するようなことではないだろう」
むしろ内々での発表を省略できるうえに、宣伝効果としてはかなり大きい。
(国王陛下は俺の動きに気づいておられるのだろうな)
第一王子と第二王子の確執を作り出そうとする噂話は、きっと国王の耳にも届いている。
晩餐会の場を存分に利用させてもらおうと、アーサーは内心で頷いた。
***
アーサーもオリヴィアも、気づいていなかった。
「計画……?」
今日は遅刻もせず、むしろ始業時刻よりも早めに到着した――かつ、普段からノックもせずに部屋へ入ろうとするティアラが、薄く開いたドアの向こうで、聞き耳を立てていたことに。