12.ティアラの奮闘(後編)
「アーサー様がいらっしゃらないところで、オリヴィア様はあたしに悪口を言ったり、仕事の邪魔をするんです……うぅっ」
驚きのあまり反論もできないわたしをおいて、ティアラ様はさらに言いつのる。
むしろ、悪口を言われたり、仕事の邪魔をされたのはわたしなのだけれど……。
言い返すことはできなかった。
これは、悪意だ。
苦手だったお茶会での光景がよみがえる。
そこにいない令嬢を槍玉にあげ、笑い――その輪の中に入らなければ、次は自分が標的になる。
お姉様からは、そういった経験をへて大人になるのよと言われたけれど、数字である程度の割り切りがつく仕事と違って、お茶会の空気はわたしには馴染めなかった。
「オリヴィア」
呆然としていたわたしの耳に、穏やかな声が届いた。
我に返れば、アーサー様がいる。背後のティアラ様はひとり、目を見開いて驚きの表情を浮かべている。
アーサー様の手がわたしの頬に触れた。
「顔色が悪い……気にしなくていい、あれはすべて嘘だ」
「な……っ、アーサー様!? あたしが嘘をついたと言いますの!?」
「名を呼ぶなと言っただろう」
アーサー様に睨みつけられ、ティアラ様は「ひ……っ!」と悲鳴をあげて口をつぐんだ。
指先で触れられた肌から、じわじわと熱を持っていくよう。頬を染めるわたしを、アーサー様が抱きしめた。銀色の髪が赤くなった頬に触れる。
「状況だけで嘘だというのはわかる。オリヴィアにはわざわざ君を陥れる理由がない。君が目障りなら君を解雇すればいいだけの話だ」
「解雇って……」
「オリヴィアは宰相補佐だ。俺と同等の人事権も持っている」
「えええええっ!?!?」
知らなかったんですけど!?
わたしは思わずアーサー様の腕から抜け出してしまった。
宮殿官吏名鑑どこだっけ!?
「……言ってなかったか?」
「聞いてません!」
「な、なら、オリヴィア様があたしに嫌がらせすることもありえますわよね!?」
おお、ティアラ様、食いついてきた。すごい根性だ。
「いや、それはない」
あっ、ティアラ様が崩れ落ちた。
「どうしてですの!?」
「オリヴィアがこの三日間どんな行動をしていたかは実務記録にまとめられている。オリヴィアはあなたの実務記録も記載してくれている。あなたは毎日定時どおりの勤務で、仕事の量も配慮されている。オリヴィアはあなたの上司として適切な行動をとっていたと俺は判断する」
「そ、それは、オリヴィア様が仕事をさせてくれないから……帰れと言われて……」
本当は、ティアラ様が知らないうちに帰ってしまうから、わたしが実務記録を代筆していたのだ。
実務記録の内容は実際のティアラ様の行動よりもだいぶマイルドである。
……なんだか、話が仕事よりになってきたので、わたしの心も落ち着いてきた。
一生懸命になっているティアラ様の表情を見ていると、ティアラ様にもなにか事情があるのではないかと思えてくる。
いずれにしろ、ティアラ様はあんなにがんばったオルブライト領の書類を自分で破り捨てたのだ。
生半可な覚悟ではないはずだ。
執務机に置かれたままの書類の残骸へ視線を向けると、アーサー様も手をのばしてその破片をとりあげた。
「だいたい、あなたはオリヴィアがこの書類を破り捨てたというが……オリヴィアがあなたに嫌がらせをするとして、そんな方法をとるはずがない」
そわ、と背すじのうぶ毛が逆立ったような気がした。
お父様の声が脳裏をよぎる。あいつはちょっとズレたところがある、とため息をついていらしたお父様。だからこそアーサー様は〝氷の宰相〟という異名で恐れられている。
温度のない視線でアーサー様はティアラ様を一瞥し――、
「この程度の書類なら、オリヴィアは三十分d」
「ストーーーーーッッップ!!!」
あまりにも残酷な裁定を下そうとしたアーサー様の言葉を、思わず遮ってしまったものの、肝心な部分はティアラ様にも伝わってしまったようだ。
「三十分……?」
声を震わせて呟くティアラ様にわたしの頭はパニックになる。
「ちちちち違いますよアーサー様!! ティアラ様が言いたいのは、ティアラ様の時間が無駄になったってことです! わたしのリカバリ時間は関係ないんです!」
ティアラ様は言っていたじゃないか。
がんばったのに、と。たしかにティアラ様はがんばった。文句を言いながらも、自分でやり遂げた。それを嫌がらせでぶち壊された、というのが訴えの中心なのだ。
思い出してください、とティアラ様の訴えを、わたしは繰り返す。
「ティアラ様はこの書類を作るのに三日もかかったんですよ!?」
どうしてだろう、ティアラ様の気持ちをアーサー様に伝えようとしたのに、ティアラ様は泣き出してしまった。
それが噓泣きでないことはポンコツなわたしにも十分に伝わった。